劇場公開日 2023年10月13日

「 『キリエのうた』公開初日のレイトショーで見た後、一番大きなスクリ...」キリエのうた くさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 『キリエのうた』公開初日のレイトショーで見た後、一番大きなスクリ...

2023年12月23日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 『キリエのうた』公開初日のレイトショーで見た後、一番大きなスクリーンと最良の音質を求めて新宿バルト9のスクリーン9で拝見。試写会で観た方の絶賛は把握しつつも、小説版を読んだ方の「覚悟して観ないと」との言葉等、ネタバレ忌避派なのに得てしまった事前情報から観るのをちょっと恐れてすらいましたが、冒頭から覆されました。広がる風景の美しさや風合い、話の間合いや速度から、この映画を好きになりそうと思った開始数分。3時間を経て日付が変わる頃、贖罪、天災、人生の理不尽…重い縦糸に編まれる物語の鑑賞後でありながら、松村北斗=夏彦の在り方に腹落ちしたことで深夜の映画館を出る足取りも軽く、心楽しくなりました。キリスト教の素養もないから「主よ憐れみたまえ」の意図は明確にはわからないし、次に観た時は泣くかもしれないし、憤るかもしれないけれど。今回は自らの”しでかしてしまった”事と災害に翻弄される夏彦の来し方を紐解き、キリエ(路花)とイッコ(真緒里)の関係性を微笑ましく見守り、キリエ(=路花)の音楽家としての成長を楽しむ3時間でした。さすがに岩井監督が砕身された音楽映画、パンフレットで監督の音に対する見識を拝見しましたが、これだけ音楽を中心にすえた作品でありながら台詞が聞き取れないことがなかったことに後から感心したものでした。

 印象的だったのは夏彦の内面が語らずして自ずと表れていたこと。葛藤と同居するずるさや小賢しさ。誰もが持つ負の感情。自身のそれも、他人が隠し持つそれにも敏感で、それらを回避せずにきちんと見つめてきた人だからこその人物造形ではないかと勝手に想像し、素晴しいことだと思いました。
 例えば友人に伴われて希が登場した瞬間からのぞく夏彦の打算。将来を期待されるプレッシャーこそあれ、恵まれたお坊ちゃまの「彼氏とかいるの?」と切り出したこずるさの迫真に膝を打ちました。希に迫られた時の優柔不断で受け身な「えー...」は秀逸*1)。希の事は好きではあるのだろうけれど、宗教的にも経済的にも女系という点でも、盂蘭盆会の光景から推し図れる潮見家とは圧倒的に異なる小塚家でのいたたまれなさ。幼い路花をかわいがっているし、外面よくそこに居るけれど「アーメン」とごく当り前に祈りを捧げる女性達の中での複雑な表情。駅での見え隠れする後悔。腹をくくったと口では言いながら「また電話するよ」に含まれた迷い。震災がなかったらその後あっさり希を捨てていたのでは、とさえ思えたり。普通の人間の内包する複雑さがありありと表れているように思いました。

 希との関係性を語る上で欠かせなかった性的描写。高校生という前提もあるからでしょうが煽情的にならず、観た後読む派がうっかり開いてしまった小説版の1頁の描写よりあっさりとしていて品すらあるような。大阪で過去を語る表情も、最後に泣き崩れる様も、石巻へ走るシーンも、悲痛な心情は十分に伝わるけれど過剰にならない。様々な場面での、何か不思議なフィルターでもかけているかのように抑制の効いた感情の表出が私は好きです。
走るシーンは大変なご苦労だったと伺いました。かっこよく走るシーンも勿論よいですが、舞台挨拶で話題にのぼった「徐々に丸くなる背」のような、身体表現の的確さユニークさは松村北斗の強みだと思います。
 抑制、品、身体表現と併せてもうひとつの重要で大好きな資質、巧まずして表れてしまうおかしみ。例えば「コメディーシチュエーションだった」と事前に伺って楽しみにしていた夏彦の登場シーンでの真緒里とのやりとりの何となく滲むそれ。これぞ松村北斗の夏彦、壮絶な人生でも100%の悲惨などあり得ないという微かな希望。この作品を深夜に1人で観ても嫌な後味がなかったのはこれらの北斗さんの特性のお陰かもしれませんし、松村北斗さんの作品を観ていくうえで私にはありがたいことです。

 余談ですが岩井監督は脚好きなのでしょうか?夏彦のマンションのクローゼットから出てくる希、雪中の素足等、なかなか必要以上に脚を露出されているように思われ。監督自ら「ボクらの時代」で「オタク活動は仕事、職業選択はオタク故」と語っていらしたように、映画制作というのは一種の盲目的な愛好を形にするお仕事ではあろうかと思うのですが、例えば新海監督はご自分の作品の中のフェティッシュ要素にセルフツッコミしながら上手に足し引きされる方で、蜷川実花監督はフェティッシュ全開上等、それこそ制作意義とされているように思っていて、さて岩井監督についてはなんと評したらよいものでしょう(笑)

 一部で物議を醸しているらしい罹災時の”服装”といい、波田目社長に襲われるシーンといい、アイナ・ジ・エンドさんにはその点でも初演技にしてなかなかの大変な役でしたでしょう。希の自分の欲求に素直で素朴でありながら強かな人物像が強烈で、路花の柔軟さや繊細さとの演じ分けは凄かった。一番好きだったのは高校生の路花が帯広の夏彦の家で1人別室で踊るシーンで、アイナさんの技術が路花の孤独を最大限に表現しているように思いました。路花の在り様も私がこの作品をファンタジーのようにうけとった要因と思うのですが、何よりイッコ=広瀬さんのファンタジー全振りが大きかった。素の真緒里の美しさ、結婚詐欺という生生しい犯罪、刺される末路もありながらのイッコの外連味の強さと非現実感。広瀬さんは常々”映画女優”だと思って拝見していたのですが、すごい存在感でした。逆の意味で、うっすら不精髭で日常生活をこなしながらも憔悴と後悔の果てに若いのに疲れが沁みついたような顔をさらし、美しく存在せずとも役柄を成立させた松村北斗も素晴しかった。お二人とも美しい外見故に不当に演技を割り引いて評価されがちだと思っていましたが、最早アイドル俳優とは誰にも言われないと思っています。

1) 以前松村北斗が演じた役の女性に翻弄される様(『恋なんて、本気でやってどうするの?』の柊麿、『一億円のさようなら』の若き日の鉄平など)を思い起こさせられたり。YouTubeやライブMCで見る松村北斗の、時々相手の出方の強さに気おされて「え…」となっておられる様を思い出してしまったり。

付記:ひとつだけ残念だったのは、バルト9の一番良い席で鑑賞した際、地震のシーンの映像ですっかり酔ってしまい、必死でカバンの中の吐気止め(映像酔いしやすいので常備(笑))探す後半。周りの方にも申し訳ないやら、情けないやら。同体質の方は睡眠を十分とって、万全の体調と酔い止めを握りしめて(あるいは先に飲んで)鑑賞される方がよいかもしれません。それだけ迫真ということですが。

く