青いカフタンの仕立て屋のレビュー・感想・評価
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私なら絶対に許さない
イスラム圏のモロッコでこうゆう同性愛の映画が作られて、質の良い人間ドラマと映像となっているのがすごいことではあると思うのだけど
同性愛である夫の葛藤を妻が許し包んでくれるとゆう、話なのが、なんとも座り心地が悪い気持ちになってしまう。
夫を、人として尊敬し、愛してるのに、女として求められない悲しみを抱えてるシーンもあるし、従業員として雇った青年との恋に揺れる夫を見て、青年に嫉妬し嫌がらせしてるシーンもある。
ミナは完全に傷ついてる。しかも、手の施しようのない病によってゆっくり死に近づいてる状態での夫の、
この行動。私なら絶対に許さない。
異性愛とか同性愛関係なくこんな状態で人生のパートナーだった人が、自分より若く美しい人間に心も体も惹かれいるなんて。
結局女性が全ての苦しみを飲み込み許すことが美しく回収されていくことに苦痛を感じる話だった。
もちろんモロッコで同性愛が容易にカミングアウトすることができないであろうことも分かってはいるが、
悲しみの皺寄せが全てミナに集約されて死んでいったあと残った2人はミナは素晴らしい女性だった言ってお終いなの、けっこうキツい。
あと、客が嫌なやつだったとしても
オーダーメイドで仕立てた服を、冥土の土産にしてしまうなんて…職人としてどうなのか。プロ意識なさすぎてすごく萎えた。
ので、映画としてはかなりモヤるが
モロッコの庶民生活の姿が美しく描かれてるし、モロッコの公衆浴場のシーンも文化的に興味深いし、建物の装飾や街並みを観るのも楽しい。
3人が窓際でダンスするとこやミナがミカンを食べる姿、カフタンを仕立てていく手元や、糸を紡ぐ仕草、布の美しさなどたくさんの美しいシーンがあった。
イスラム圏のモロッコでも同性愛の人々が普通いるとゆう描写もすごく革新的だと思う。
同性愛を否定しようが、同性愛者や性的マイノリティの人が存在しているし、消えてなくなったりしない。
同性愛を否定する人は、この映画のハリムの様に社会の中で、同性愛者を隠して生きる苦しみを、観てほしい。
映画館で鑑賞
生理的欲求を満たすことと愛情は別
手作業でひとつひとつ丁寧に刺繍を入れる美しいカフタン。
生地を行き来する指がなまめかしく息遣いが聞こえそう。
映画は艶めかしさに満ちているが嫌らしさがない
ミナとハリム夫妻に子がいないのはそれか。
でも、愛し合っているからお互いに折り合いつけて生きているのでしょう。
夫が肉体的な欲望を満たすのは生理的なもので、妻への愛情に取って代わるものではないと分かっているから夫のハッテンバ通いも妻は見てないふりをする。
そこに若い美男子の弟子が加わって、妻がヤキモチ焼いたりするが、結局彼が善良で誠実な人間であることが分かり、自分亡き後の夫を託すに相応しいと決めて、3人で「家族」になろうとする。
彼らは血は繋がっていないが同質の魂を持っていると思う。
モロッコは戒律が緩いのだろうか、女性がヒジャブを着けずに外出できるし、男性ばかりのスポーツパブに入っても大丈夫。ミナだからかもですが。そして男性同性愛者も、公衆浴場が男性同性愛者のハッテンバになっていたり。
こんなのが着たかったと言った妻の希望を汲んで、発注した客が支払いせず引き渡しを止めた極上の青いカフタンを着せてやる夫だが、婚礼は無理だったがせめて葬列では美しい高価な衣装を纏わせてあげたかったんでしょうけど、死んでからでは遅いよ。
男二人が愛情深く思いやりがあるのは、幼い頃から苦労して他人の機微が分かるからかも。苦労は人を悪くもするが、深くもすると思う。
【”私も結婚の時にあの青いカフタンを来たかったわ。”とカフタン職人の妻は言った。”モロッコの伝統工芸カフタンの仕立て屋の夫婦愛。そして、仕立て屋の夫と若き職人の秘めた性癖を静謐なトーンで描いた作品。】
ー カフタンを手縫いで縫う職人ハリムの丁寧な仕事ぶり。それを賞賛の眼で見る気の強い妻ミナ。そして、若き職人で筋の良いユーセフ。
職人がシルク地に金糸で刺繍して行く姿をクローズアップで映し出してくれるだけで、モノ作りの好きな私は魅入ってしまった作品である。-
◆感想<Caution ! 内容に触れています。>
・カフタンの仕立て屋の夫婦は、お客に対しても一切妥協しない。お金を積んで、他の人のカフタンを欲しいという客には、とっとと帰って貰い、”納期を速く!”とせかす客にも”手縫いですから。”と言っている。
ー ハリムは、ミシンを使わない。全て手縫いである。一刺し一刺し、気合を込めてけれど丁寧に金糸をシルク地に刺繍して行く。そんな夫の作業を誇らしげに観る、病気がちのミナ。-
・ハリムとミナは同じベッドに寝ているが、肌をお互いに触るだけ。けれども、それで二人の絆は繋がっているのである。二人の間には子は居ない・・。
ー 後半のワンシーンでミナの病気が分かる。乳癌だったのである。多分、癌が全身に転移しているのであろう。
これは私の推測だがハリムは妻の健康を気にやり、性交渉をせず、公衆浴場の個室で男色に耽っているのであろう。但し、猥雑なシーンは一切描かれない。ー
・ユーセフも又、丁寧な仕事で信頼を得ているが、ミナが病に臥せっている時に、ハリムに言い寄る。だが、ハリムはそれを受け付けず、彼を店から追放する。
ー ユーセフは、男前だが明らかに同性愛者である。ミナが”直ぐに辞めるわよ”と言っている中、彼の手先はしなやかにシルク地に金糸をさして行くのである。-
・ミナが倒れ、店を閉めていた際に、心配したユーセフがやって来る。そして、ハリムは何もなかったかのように、彼を家に入れるのである。
ー これも、私の勝手な解釈だが、ミナはハリムが同性愛者であると分かっていたのだと思う。故にハリムが涙を流しながらその事実を告げた時も、優しく微笑んでいるのである。
そして、ユーセフは二人の為に、美味しそうなタジン料理を作る。
まるで家族の様な3人の姿。品性あり、人間性溢れるシーンが続く。ー
■白眉のシーン
・ミナが亡くなった時に、ハリムが取った行動。それは、妻の遺体を覆っていた白布を外し、美しき青いカフタンを着せ、ユーセフと共に墓まで運ぶシーンであろう。
哀しいが実に美しいシーンである。
ハリムがミナの想いを汲んだが故に取った行動であろう。
<今作は、とても静謐な品性高き作品である。そして描かれる二組の恋もスムーズに観る側に入ってくる逸品なのである。>
<2023年8月5日 刈谷日劇にて鑑賞>
生き方
マリヤム・トゥザニ(Maryam Touzani)監督の映画はこれで2本目である。伴侶であるナビル・アユチNabil Ayouchも監督だが、彼はここでプロデューサーになっている。二人の新作を私はいつも楽しみにしている。その理由は宗教が生み出す社会の不条理と人間の結びつきが絡み合っているから。不条理というとモスリム社会の批判かと思うかもしれないが,いやそうではなくて、グローバル化の進んで世界が変化して行く中、人間の心が変わらず、人間の生き方が社会の中で受け入れられなくなるハリムのような存在が日陰者のように心の葛藤を余儀なくされるところだ。
それに母親の死が原因で息子であるハリム(Saleh Bakri )がスケープゴートになるところなどはユニバーサルでもある。
モロッコはイスラム社会だがイランやアフガニスタンと比べて、
特にヨーロッパからの観光客が多くマラケシュなどはモスリム教は形骸化しているように思えてならない。心の拠り所である宗教として残るより慣習とした形式として残ることによる人間の生きにくさ。その慣習やならわしという伝統に固執して現状を維持している人々と西洋文化の影響から慣習特に生きにくい慣習をやめていこうとしている人々。それに、ここでは店をおとずれる客の現金な態度。それを捌けないハリム。社会は心がついて行かなくても、自分が動けなくても変わっていく。ミナLubna Azabal の言葉で、Pureな人がハリムなのである。
ここで素晴らしいのは監督の力量。ただ、変化するモロッコをモロッコ文化の中から見てはいない。しかしモロッコ系フランス人の伴侶である監督の影響もあるとは思うが、モロッコの見方は多面的である。モロッコに息吹を吹き込んでいるのかもしれない。それに、ナビル・アユチ監督の従来の直接的なアプローチでは観客受けがうまくいかないのかわからないが、RAZZIA(2017年)で主役を演じているマリヤム・トゥザニはまるで、フェミミストの部分を軽く抑えてこの映画を作ったようだ。でも、ミナは力強くてハリムの父親から受けてしまった心の障害を助けることができた。そして、ハリムに結婚を申し込んだ。ユーセフが本当かいというくらいだから、この社会では稀なんだろう。それに、ミナは命が短い自分を知っているから、自由奔放に生きようとする。例えば、男だけ通うバー、モハに15年間もこの前を通ったけど、足を踏み入れたことがないと言って入りたがる。ハリムはだからどうなんだとまるで、男女と別れていて、バーは男だけの世界に疑問を持たない。ミナは理由を言っても無理だとわかるから、ミントティーが飲みたいとかわすだけ。バーに入ると男たちは不思議そうに二人を見るが、ミナはタバコを吸わせてくれと。ハリムは冗談でしょと。ミナはどっちがゴールを入れたのかもわからず、『ゴール!!』って叫ぶ。周りから批判を浴びて、二人は笑っている。大笑いしている。市民警察(?)に捕まった時、警察に謝るハリムになぜ謝るのか聞く。だよね。ミナは男だけの世界に問題意識を持ち、髪も覆わず、挑戦している逞しい女性。ハリムも自分の本当の存在が社会に受け入れられないのを知っている。この二人はアウト・ローで、お互いをよく知っている。
伝統美の素晴らしさを五感を使って感じさせてくれる映画だ。それに伏線となっている箇所が多く、次に何が起こるかのヒントを示唆している映画だ。まず、例えば、サレという海岸に近い車が入れないメディナ(medina )の市街地の2階に住居を構え自然の美を風によって感じさせている。メディナの街並みに石畳。またはモロッコの伝統料理Rfissaの色や香り、 それにミントティーやオレンジ。それにミナLubna Azabal のオレンジに触れる指の動き。またはハリムやユーセフAyoub Missioui [が注意深く触れるカフタンへのこころを込めた愛情も我々に伝わる。その伝統服の賛美もここでしていると思う。ミナの祈りの時の右人差し指の動きは彼女が息を引き取ると、もう動かなくなる。一番切ない感触はハリムがミナの左房の傷口に触れるとき。ミナは自分の死が真近であることを感じていて伴侶に着替えを手伝ってもらう。これは伏線の部分である。五感や指の動きを大切にしている作品で職人の一本木質や匠の技がここで生き残っている。しかし、無口である職人の専門知識は深く饒舌になるが、客は耳を傾けるわけではない。美の中で人間がひとりひとり生きていくという今流に言えば、『生き方の使者』とでも言えよう。
ミナ『もし、結婚式を祝うなら、これとおんなじカフタンドレスが欲しかった」と。この映画はカフタンを伝統継承できただけでなく、
ミナは夫に対する愛の継承をユーセフに。愛する夫を一人で置いていくから、まるでユーセフにお願いしているようだ。それが、納棺を二人だけで担ぐところによく出ている。二人はモスリムの伝統に縛られす、生きていく。アッパレ!
美しい物語でした。(「カランコエの花」の内容にも触れています)
「カランコエの花」を見た時に、保健室で女の子が保健の先生に話をするシーンがありました。うれしそうな表情で顔を赤らめながら話す場面で、生まれて初めて「ああ!男の人を好きになる時と何にも変わらないんだ!」と気づきました。
私は、LGBTQに関する話は苦手で、「ブロークバック・マウンテン」や「パワー・オブ・ザ・ドッグ」のよい評判を聞きながらも、なかなか見る気がしませんでした。実際に見た「ムーンライト」のよさは全くわかりませんでした。近頃の映画に必ずと言っていい程その話題が出ても「またか」という感じでした。
昨夕、スマホでryuchellさんが亡くなったというニュースを見ました。もし彼女が、この映画を見ていたら、「家族とLGBTQは両立する」と思えたのではないでしょうか。もしそうであれば、最悪の事態は避けられたのではないか。そう思いました。
とてもよい映画なので、みんなにぜひ見て欲しいと思います。
思ったことあと2つ。
・青い服はナウシカの服を思い出させました。(実際には全く似ていませんでしたが)
・「自分の失敗は隠したくなるよな」「謝られても簡単には許せないよな」と思いました。
モロッコ海沿いの街サレ。 路地が入り組んだ街中で父親からカフタンド...
モロッコ海沿いの街サレ。
路地が入り組んだ街中で父親からカフタンドレスの仕立て屋を継いだハリム(サーレフ・バクリ )とその妻ミナ(ルブナ・アザバル)。
伝統的な手仕事による仕立てのため数はこなせない。
また、そんな伝統的な手仕事職人のゆえか、見習い職人はいつかない。
その上、ミナは気丈夫だが病弱であり、人当たりはいたって厳しい。
折しも高級なブルーカフタンドレスを仕立てているさ中、ユーセフ(アイユーブ・ミシウィ )という若い職人が現れ、筋が良いことから彼を雇うことにするのだが・・・
といったところからはじまる内容で、まぁ、こういうように書くと、伝統的な師弟愛、夫婦愛の映画に見えるのだけれど、その実、伝統的に反旗を翻すような類の映画。
ユーセフを雇って指導するハリムの妖しい眼差しから、「ははぁん、ハリムは同性愛者なのね」と気づく。
ハリムは、しばしば街中の公衆浴場を利用し、その個室において、見知らぬ相手と性的関係を結んでいることが描かれます。
そして、当初、よくわからなかったのだけれど、妻ミナはイスラム社会にもかかわらず女性が着けるべきとされているヒジャブを被っていない。
また、夫のエスコートがあるにしても、男性しか集まらない喫茶店(イスラムの戒律によるのだろう)に連れていって頼み、夫はその願いを叶える。
周囲の眼は冷ややか。
帰宅途中、警察官に尋問されたりもする。
つまり、ハリムとミナの夫婦は、イスラムの常識的な夫婦からは逸脱しているのだ。
それが、彼女の病気、夫の性癖のどちらが先だったはわからないが。
ということで、いくつかのエピソードが積み重ねられるが、最終的にはハリムとミナとユーセフの奇妙な三角関係に帰結し、ミナの死によって、三角ではない形となる。
イスラム社会のモロッコを舞台に描くことで、その三角関係の何とも言えない先鋭性が突出するが、伝統からの逸脱はミナの死装束代わりのブルーカフタンに集約されます。
伝統への対抗意識やバイアスに対する疑問の投げかけなど主題的には評価できるのだけれど、いかんせん前半がまだるっこしく、後半から終盤になって立ち上がって来た主題のわかりやすさは逆に高評価するのが難しく、なんとも微妙な一編だったぁ、というのが正直なところ。
愛することを恐れないで
自分の伴侶は自分で決め、我侭な客は例え権力者の妻に対しても「夫は機械ではない」「他の店に行け」と啖呵を切り大切なものを守る。そして自らの生死も自ら決めて受け入れる。そんなミナの強さに圧倒される。
特に、自らの死を受け入れ嫉妬からも開放されてゆくミナ。周りから不謹慎と思われる様な奔放で自由な言動を見せる。それは自己抑圧的なハリムに、自らを許し開放させる為のステップだったのだろう。そして、ユーセフとのことも受け入れ、ハリムへ愛することを恐れるなと伝える。
そうしなければ、父から受けたトラウマにより、ミナの死を自分の罪としてハリムが背負ってしまうことを分かっていたのだろう。
ハリムがミナの思いを受け止めた証として、ミナに着せた青いカフタン。そしてユーセフと二人だけの葬列のシーンの美しさは言葉にし難い。
作品上、文化や宗教の違いや、性的嗜好にとらわれててしまいそうになる。その為、台詞で語るより映像で魅せることに徹したのだろう。人の強さ、愛情、寛容さのつまった普遍的でとても美しい映画だった。
職人らしい
せっかく仕上げたカフタン、依頼主に渡さず奥さんのお葬式に使ってしまって・・・
奥さんきっと、『はぁ?』って怒ると思う。こーゆうとこ職人ぽい。
作業の過程でカフタンの全体像が出てくることが少ないので残念。
モロッコの片隅で
代々受け継がれてきた職人による手縫いのカフタンは効率化により機械縫いに置き換わりつつあります。ミナがお客に「主人は機械じゃない、職人よ」と言っていましたが、ミナのこのセリフは職人だけに限らず、働く全ての者達の気持ちを代弁しているようでした。
作品は、職人の伝統には誇りを持っているものの、イスラムの戒律には懐疑的に表されていました。それは、ミナの言動、ラストのハリムの行動から分かると思います。イスラム社会での女性の生きづらさがリアルに感じられたのも、女性監督というのが大きいですね。ハリムの同性愛よりも私はミナという女性に興味がいきました。カメラが美しくて、初期ルコント作品を思い出してしまいました。
余命短い妻は、死の直前まで仕立て屋の妻として、自分らしく生き抜いた
美しい青いカフタン。街の有力者の妻から注文を受け、仕立て屋の夫(ハリム)は青いカフタンに金色の豪華な刺繍を施す。注文主に仕上がりが遅いとクレームをつけられた時、妻(ミナ)は夫がどれだけ端正込めて作業をしているのかを説明するが、理解してもらえず、早い仕上げをさらに要求してくる注文主に妻は激怒する。その刺繍に関しては夫と若い使用人ユセフとの共同作業によるものだった。
死期を悟っている妻の心は病を抱えながらも生気に満ち溢れている。夫(ハリム)の性癖(同性愛)も解ったうえで、夫を心から愛し信頼している。話の中心はこの仕立て屋夫婦と若い使用人(ユセフ)との三角関係なのだが、話は少しも険悪にはならない。妻(ミナ)もユセフもできた人なのだ(妻の夫への愛は深い)。店の商品であるピンクの生地がなくなってしまった時、妻は使用人のユセフに疑いの目を向ける。これは妻の心の葛藤と苦悩の現れと僕は理解したが、ユセフはとくに反論もしない(ユセフのハリムへの愛もまた深く、妻ミナへの配慮も深い)。その後、紛失の原因がユセフではなく、ミナ自身にあったとわかったときも、ユセフはその顛末を知って怒ることもなくスルーする。まるで自分の罪の重さと秤にかけているかのように。
妻は死の直前に夫とユセフに対し公衆浴場に二人で行くよう、けしかける。それは、まるで自分の死後、夫(ハリム)をユセフに託す決意のようにも思えた。
最後に妻は亡くなる。その亡骸に、夫(ハリム)はあの美しい青いカフタンを着せる(イスラム教の戒律では白装束でなければならないはずだが)。そして、台の上に乗せられた妻の遺体は、ハリムとユセフの二人によって墓場へと送り出される。
私もアレ着たかったな~
自分はLGBTはおまけ程度だと感じた。むしろ、貧しい(検査代でさえ勿体ないと遠慮してしまうくらいだ)ながらも、お互いをいつくしみ合う夫婦の物語だと思った。モロッコの公衆浴場「ハマム」(イスラム式サウナ)の個室をハッテン場として使ったりと、まあどこでもあるのだなあ。かみさんはおそらく旦那の性癖にも気づいていて、でも旦那が大好きだから、若い弟子にヤキモチ焼いて、ちょっときつく当たったりする。旦那も病弱なかみさんを蔑ろにせず、大切に扱っている。
かみさんが、出来上がった青いカフタンを見て、私もああいうの着て見たかったなあという。女性なら結婚式で綺麗な姿になりたいのは、日本なら白無垢とかウェディングドレスとかに憧れるのと一緒なのだなあと。
最後の晩の着替えで、手術跡すらいとおしく手で触ってあげるシーンや、翌朝ベッドサイドで打ちひしがれている旦那とその横でイスラム式祈りをささげる弟子のシーンは泣ける。
イスラムの葬儀など、普段日本では目にすることが少ない場面が見れるのも、見どころのひとつか。
昔堅気な職人気質な店(強気)。
モロッコの伝統衣装を仕立てる夫婦の話。
母から娘へと次の世代へ受け継がれる伝統衣装カフタンドレス、カフタンドレスを仕立てる店を営む妻ミナと旦那ハリム、そんな妻が病に...。後から入った若い職人ユーセフを交えた三人のストーリー。
仕事の合間に送る視線...(男から男へ)
仕事の合間に見つめ合う二人...(男同士)
仕事の合間に抱きしめ合う二人...(男同士)
ドレスが仕上がり大衆浴場へ...
見つめ合う二人...(男同士)
触れあう手と手...(男同士)
奥さん病気でヤバいのにこの描写がチョイチョイ間に入るから全く感動が出来ませんでした(笑)この男同士のゲイ要素って必要だったのかな?(笑)逆に男同士の描写がツボで笑いそうでした。
窓の外から聞こえてくる音楽、その音楽で踊るミナ、ハリムもユーセフもミナから踊れ!と強制ダンス!後から踊ったユーセフが肩小刻みダンスで一番ノリノリだった!(笑)
伝統衣装のカフタンドレス、金の刺繍のデザインは素晴らしかったし根気のいる作業だなと思いました。
大きな愛の物語。最後にタイトルの意味が腑に落ちる
乳がんを患い、余命わずかの妻・ミナと仕立て屋職人の夫・ハリム。
2人で営む伝統あるカフタンの仕立て屋に、若い青年・ユーセフが現れ、雇うことに。
ハリムは次第にユーセフに惹かれていく。
時折通う公衆浴場にて、個室にお気に入りの男性を連れ込み性欲を満たすハリム。ハリムは同性愛者でもあった。
だけどそんなこと、ミナは知っていた。
それを含めて夫を愛していた。そんなハリムも妻を愛していた。
性欲は男性に向くけれど、心はきちんと妻にあることが劇中でも描かれていて、胸が締め付けられそうになった。
性欲と愛は違うんだと。
夫婦愛を超越した大きな愛の物語のように私は思えた。
そして、ミナが次第にユーセフを許し、受け入れるところ、迎え入れる描写に涙が溢れる……。
3人でダンスをするシーンは悲しくて美しかった。
そしてラスト、ようやく腑に落ちた
“青いカフタン”の意味。
大きな愛と優しさに包まれた作品だった。
人間愛を描いた映画ではあるが、モロッコの伝統や音楽、料理も劇中に随所に描かれていてモロッコの文化を楽しめる作品にもなっている。
カフタンに施された細かく華やかな装飾や、サテン、シルクの生地にはウットリ、ため息が出る。
ミナを演じた女優さんは、『モロッコの朝』に出演していた。前回はパン屋で今回は仕立て屋。こういったシリアスかつ人間愛に溢れた作品が似合う女優さんだ。
ただ、今月観た新作3作品のうち、偶然にも2作品が同性愛がテーマに組み込まれている(事前情報見ずに行ったので知らなかった)。またか……と、ちょっと食傷気味。
モロッコを舞台に、民族衣装の仕立て屋夫婦と見習い職人の人生のひとコマが描かれます。思っていたよりもモロッコという国を深く紡ぎ出したお話のような気がします。
舞台はモロッコ。伝統衣装のカフタン。
伝統を伝える者。受け継ぐ者。
惹かれる要素が一杯詰まってそう。
そんな予感に引かれて鑑賞しました。
…のですが。
色々な要素は詰まっていました。
はい、それは間違い無いです。なのですが、
「これはこういう作品」と一言で括るのがとても難しい
そんな作品だった気がします。
登場する主な人物は、およそ3人。
民俗の伝統衣装の職人。 ハリム。 口髭のおじさん。
店を切り盛りする奥さん。ミナ。 さっぱりした性格。
若手の職人見習い青年。 ユーセフ。顎のヒゲが素敵。
見習い青年君は、雇われて間が無いらしく
夫婦二人は、青年の縫製技術を確かめながら
やっていけそうかを判断しようとしている。
そんな場面から始まります。
そして次第に分かってくるのですが
#ミナは少数民俗出身。病気で余命が短いらしい。
#ユーセフ青年は、ハリムに想いを寄せているようだ。
#ハリムは時折、公衆浴場で男と体の関係を持っている。
…うん。そうか。
どうやら、作品のテーマに「LGBTQ」があるらしい。
(…と悟るのは、帰宅した後のお話)
8才から自分の力だけで生きてきた。
そう語るユーセフ。
ミナに布を盗んだ疑いを懸けられ 「盗んでいません」
布代を給料から引くと言われても 「構いません」
独りで生きてきたのだから。
給料が減らされたって何とかなる。
そう気持ちを強く持って生きてきた。
そんなユーセフに、親身になって縫製技術を教えるハリム。
もしかしたらユーセフにとって人生で初めて「頼れる」と
いう感情を持った相手だったのかも。
◇
ハリムもまた、自分の生い立ちをこう語ります。
母親は、自分を生んて命を落とした。と。
父から愛されていると思った事が無い。とも。
縫製の技術は、父が教えてくれた。
父が亡くなり、身内がいなくなった。
漂う孤独感の中、自分を支えてくれたのが、ミナだった と。
ああ、そうか。
ハリムとユーセフは似ているのだ。
ハリムと二人だけになったとき、ユーセフが
「愛しています」と
思わず口をついてしまう。
ハリムは何も応えず、ユーセフは「他の職人を探して」
と告げ、工房を去っていく。(※)
この場面での「愛している」は、単なる「G」の心情から
出ているだけではなく
自分を押し殺してきた者同士の「同志愛」のようなモノが
そこにあるようにも思えました。
(※)1週間後、店が開いていない事を心配して夫婦の家を
訪ねてくる、とても良い奴です ⇒ユーセフ。
◇
この作品、考えれば考えるほど
登場人物の内面の揺れ動きが複雑に感じられます。
ここまで色々と、登場人物の心情について
考察することになる作品とは思ってませんでした。はい。
モロッコという国が「多様性」の国だと
帰宅後に調べてみて知りました。
民俗・文化・宗教
色々な面で「多様性」の国なのだと知れただけでも
観て良かった。 …です。(たぶん…・_・;; )
◇あれこれ
■モロッコ
小学生の頃に読んだ「アルセーヌ・ルパン」のお話。
その中でルパンは、
第一次大戦時フランスの義勇兵としてモロッコに参戦する。
そんな話もあったように記憶しています。
また作中に「モロッコ革の財布」等の記述が出てきたり と
「モロッコ」は冒険心をくすぐられるワードでした。
「カサブランカ」の舞台もモロッコですね。
「マラケシュ」は岩合さんのネコ歩きで知りました。
現実の世界はともかく(…いいのか?)
どことなく惹かれるものを感じられる国です。
■カフタン
主に女性が結婚式で着る衣装。 だそうです。
花嫁も参列者も、カフタンを着るのだとか。
元々はトルコの民族衣装、との記事も見ました。
(ミナはトルコ系なのかな?)
地中海を挟んでヨーロッパと向かいあっていて
アフリカ大陸の一部で(北西に位置しています)
アラブ系の国との交流もあって…。
となると、多様性の国になるのも必然
そんな気がしてきました。
◇最後に
ラストシーンへとつながる場面。
ハリムは、葬儀のために白い布で全身を覆われたミナに
自分たちの仕立てた青いカフタンを着せようとします。
” 白い布で覆った遺体に触れてはいけない ”
” 戒律を破るのか ”
警告を無視し、世話係の女性たちを追い出して
白い布を取り除き始めハリム。
粛々とミナの姿を青いカフタンで覆っていく。
” 私もこんなのを着てみたかった ”
かつてミナが口にしたことを覚えていたハリム。
ミナが言う着てみたかった場面は「結婚式」。
二人の結婚は、式を挙げていない事実婚なのかもしれない。
青いカフタンはハリムからミナへの、最後の贈り物。
そう思ったら、二人がとても愛おしくなりました。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
観たい度○鑑賞後の満足度◎ 3人が肩を寄せ合い踊るシーンに涙が溢れた。モロッコから届いた、愛と許しと償いと勇気とを、金糸に縁取られた青いカフタンに縫い上げた愛しい物語。
①気持ちの良いペースで進む演出の流れに先ずは大変好感がもてた。
②下世話な話だが、イスラム圏の映画で男女と男性同士(こちらは足だけで表しただけだが)とのセックスシーンを観たのは初めて。
③イスラム圏では基本的に同性愛はタブー。でもサウナに個室があるなんて日本の(ゲイの人がよく使う)銭湯みたいとこ有るんだと知ったし、フロントでも変に詮索なんてしないところを見ると公然と黙認されているんだな。
WHOの統計でも世界の10人に1人は同性愛者だしクィアの人を入れるともっと多い筈。
だからイスラム圏にいても少しもおかしくはないわけだけれども、何せイスラム教では認めてないので地下に潜るしかないわけだ。
ただ、イスラム教徒がみんな厳密に戒律を守っているわけではないことはシンガポール駐在中に知りました。まあ、シンガポール・マレーシアはどちらかというと戒律の緩いスンニ派の国だけれど。
④腕の良い勤勉なカフタン職人のハリムは、そんなイスラム圏の国モロッコで自分がバイセクシャルであることを隠して生きている。
でも時々抑えきれない欲望に突き動かされてサウナを利用する。
終盤、ミナがハリムとユーセフとにサウナに行くことをけしかけるシーンで、サウナがそういう場所であることを女性も知っていることが分かる。
⑤しっかり者で口の達者な妻ミナは、夫が同性愛者だと感づいていながら、それを表に出さず仕事でも家庭でも夫を支えている。
夫がどういう性癖を持っていても夫を愛しているのがよく分かる。
⑥この夫婦のお互いへの思いやりを大変丁寧に描いている事がこの映画の美しさの第一の要因。
同性愛が(表向きは)タブーである国に生き、夫が同性愛者であることを分かりながら一途に愛し尽くす妻を描くことで、相手がどうであれ人を愛することの美しさが余計に胸を打つ。
⑦本作がこれまでの同性愛を描いた映画とは少し違うユニークなところは、同性愛者当時者だけでなく奥さんの視点を加えている、というか乱暴にいうとある意味奥さんの視点から夫と夫の恋人になるだろう若い職人との関係を見つめ最後に受け入れるところまでを描いていること。
⑧モロッコでは同性愛者として裁かれれば禁固刑に処される。
ミアとしては夫をそんな目に会わせたくないから、新しく入ってくる職人に目を光らせていたのだろう(新しい職人がすべてゲイかバイとは限らないけれども)。
ユーセフの夫を見る目から察した時、ミアはユーセフを追い出すことまで画策したかもしれない(ピンクのサテン事件)。
しかし、ユーセフの人間性を理解するにつれミアの中で何かが代わって行く。
⑨死を間近にしたミアにハリムは初めて真実を語り謝罪し許しを請う。
それに対してミアが応える“愛することを恐れないで”という言葉に心打たれる。
⑩3人の要と云うべきミア役のルブナ・アザバルの名演。
それなくして本作の成功は無かったかもしれない。
⑪出来上がった青いカフタンを見てミアは“こんな美しいカフタンを着て結婚式を挙げたかった”という。
ミアの葬儀でハリムはイスラム教の葬儀の戒律・規定を破ってミアに青いカフタンを着せて埋葬する(劇中で、イスラム教の教えに乗っ取った白い布でまとわれ粛々と嘆きの中で行われる様子を見て、ミアが“彼女、町一番のダンサーだったのに(こんな陰気で辛気臭い葬儀はイヤだろうに)”といったこととも呼応している。)。
こんな自分を愛し理解し尽くしてくれたミアを、ハリムは勇気を出して愛するミアに自分が一針一針丹精を込めた青いカフタンを着せて送り出す(イスラム教では土葬が当たり前で、それは死は終わりではなく生まれ変わる為のものだからだそうだ。そうするとミアは青いカフタンを着て生まれ変わるのだろうか)。
敢えてイスラム教の戒律・規定を破ってミアの葬儀をたラストに持ってきたことで、この映画のテーマは更に明解なものとなる。
⑫劇中でミアが作ったご馳走というモロッコ料理(名前忘れた)を食べてみたいな。
青いカフタンと金の刺繍が美しい!
なんと上品で美しい映画。
余命短い妻のミナ。それを見守る夫ハリム、夫婦の仕立て屋に雇われる若い青年ユーセフ。みんなが時に葛藤しながら、でもそれぞれに愛情深く思いやる姿に胸が熱くなりました。路上のラジカセから流れて来る音楽に合わせて、3人が肩を揺らしながら踊る場面、素敵でしたね♪穏やかに、愛する人に見守られて最後を迎えるミナ、とても幸せだったんじゃないかな。
ラスト、アースカラーのモロッコの景色の中で、ミナが纏うカフタンの青が眩かった。
優しさを紡ぐ物語
丁寧に作られた映画
それゆえにいらないかなと思えるシーンがあり、長かった気がするけど、モロッコの情景を伝えるために必要だったのだろう。おかげでその後の展開が予想できた。
刺繍を施す際は長く感じるけど、実際はやはりもっと長い時間がかかる。画面からも細部へのこだわりが感じられ、うっとりするほど綺麗だった。
最後の刺繍のように規則正しくびっしり並んだ墓地は、衣装に身を包んだ妻に相応しい景色だった。夫婦二人がお互いを包み込む大きな愛、女性から見ても魅力的な若い男性、戒律と対峙する夫の行動、コントラストを感じる素敵な作品でした。
青いカフタンに秘められた想い
この映画、いわゆる簡単に言ってしまえば「死の近い妻を看取る過程で、男に惹かれていた自分に気づき悩む仕立て職人(主人公)の心の変遷」っていう内容になります。これだけでは皆さんフーンってだけでしょうね・・
この映画すごいところは、ラストシーンなんですよ。イスラムの厳しい掟を無視し、最愛の弟子(恋人)と棺(覆いも何もありません)青いカフタンを着せた妻をのせ、街中を過ぎ墓地へと進むその潔さ、妻への愛、同性愛なんてとんでもない世間への彼なりの決意と・・言ってしまえば人生の中での一番のハイライトシーンになってしまったわけで
意図したのか愛の凄さだったのか、男としてのエゴか!?看病する妻へ献身とともに、「ごめんなさい。君を傷つけた」と主人公が涙した時、妻もすべてを悟り残される二人を祝福して肩を押して進ませるとか、なんて愛にあふれる奥さん。すごすぎる(涙)
というわけでこうした人と人のエモーショナルなやり取りが死語になりつつある現代に投げかけるストーリー、大好きな作品
♪花を飾り でかけた夜 青い服の想い出よ・・(by シンシア)
紡がれる心
カフタンを手作業て仕立てる夫婦、ハリムとミナ。そこに加わるユーセフ。
三人の気持ちが重なり、交わり、保ずれたり、ほどけなくなったりと糸のように気持ち紡ぐ作品。
生活音を綺麗に拾って日常を醸し出す。ラジオからの曲、カモメと犬の鳴き声、鳥の囀ずり。
水を使うシーンの水音は最高で絶妙。
監督が日常の音を大切にして愛してるのが分かる。
好きなみかんを力強さと朽ち果てて病と重ねるのも上手でした。嫌な方への悪口を冗談ぽく言うのも本当に良い夫婦の秘訣のポイントだと思う。
愛する人にありのまま自分を受け入れて貰う、これは本当に美しい。素敵な映画だ‼️
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