「繋がっていなくても、重なり合って生きている」PERFECT DAYS TSさんの映画レビュー(感想・評価)
繋がっていなくても、重なり合って生きている
この映画を言葉で表現するのは難しい。表現しきれない何かがある。敢えて言うなら・・・
都会の片隅で生きる一人の善き人の日常を、美しく、純粋に切り取って見せる。ただそれだけなのに、人生とは何か、幸福とは何かについて考えさせられる、ような作品。という感じだろうか。
※キャスティングと音楽の選曲のセンスが凄い!サントラ欲しい。
※年末年始に1回ずつ鑑賞。2024年4月堪らず3回目鑑賞。
■1回目(2023年末)
福山雅治がラジオで「奇跡の映画」と紹介していたのを聞き、年の締めとして映画館へふらっと行って観た。カンヌで役所広司が主演男優賞をとったトイレ清掃員の映画、という事前知識しかない状態での鑑賞。
主人公の平山は、毎日決まった時間に起き、布団を畳み、髭を剃り、歯を磨き、植物に水をやり、空を見上げ、缶コーヒーBOSSを買い、車に乗ってトイレ掃除の仕事に向かう。仕事場では一切の無駄口をたたかず、ムダのない動きでトイレをきれいに磨き上げ、帰宅したら銭湯で一番風呂、浅草地下街で晩酌、読書して床に就く。まるで修行僧のように寡黙にルーティンをこなす日々。
前半は、余計な演出も台詞も音もなく、ゆるい流れで特に大きなイベントも発生しないので、色々と想像を巡らしながら観ることになる(研ナオコにはすぐ気がついたw)。
中盤を過ぎて、「今度は今度、今は今」という言葉を聞いたとき「脚下照顧」という禅語が思い浮かぶ。ああ、やはりこれは、外国人監督が理想の日本人像(令和の東京という俗世に生きる禅僧)を描いた話なのかな・・美しい映像と抜群のセンスの選曲のオシャレなアート映画なのかな・・・と見続けていると・・・
妹と姪との別れのシーンで号泣する平山に壮絶な過去が垣間見え。
ラストシーンで流れる「Feeling Good」に合わせて悲しみ、後悔、喜びといった色々な感情がない交ぜになって泣く役所広司を観て、自分も内側からこみ上げてくるものが・・・
何か凄いものを観た!という感じで呆然としてしばらく動けなかった。
恥ずかしながら、Wim Wenders監督も、「PERFECT DAY」や「Feeling Good」の歌詞もよく知らずに観た1回目。一旦映画館を出た後、戻ってパンフレットを購入。40代中盤まで生きてきて、映画のパンフを購入したのはこれが2作品目。
映画の余韻に浸りながら年を越した。
■2回目(2024年始)
あの場面の台詞の意味は何だったのか?あの映像の意味は?平山の過去に何があった?色々考えながら、これはもう一度観なければ、と年始に再び映画館へ。
1回目は観ているようで観ていなかったこと、気づかなかったことに色々と気づく。
平山は、微笑む。自分を取り巻く人々、街並み、木々に。そして光と影を愛する。トイレの壁に映る木々の影、木漏れ日の下で踊るホームレスを観て幸せそうな笑みを浮かべる。
と思いきや、同僚が突然やめて怒りの感情をむき出しにする。
不意にキスされた後、銭湯でニヤけて湯につかる。
ヤケ酒も飲む。吸えないたばこも吸う。でも、最後は微笑みながら帰宅する。
彼は禅僧なんかじゃない。生身の人間だ。
禅僧のようなルーティン生活をしているのは、つらい過去や孤独に飲み込まれるのを防ぐためではないか?
リズム。一定のリズムを刻み続けるように生きることで今に集中できる(音楽やダンスのように)。そんなことが頭をよぎる。
最後のシーン。「Feeling Good」の歌詞の意味をわかってから観た2度目。役所広司の演技は、顔面だけで平山のこれまでの人生、そして今、これからを表現しているように思えて、泣いてしまった。
■3回目(2024年4月)
3回目の鑑賞で、東京スカイツリーを見上げる構図、複数階層になった首都高を見下ろす構図が何度も出てくることに気づいた。これは平山の視点ではない。Wenders監督の視点だ。監督は、愛する今の東京の街と平山(役所広司)の日常をたった16日という短期間で、瞬間冷凍のように記録し、封印したのだ!この映画は、もう二度と同じように撮れない「奇跡の映画」なのだということを思い知らされた。そして、ラストシーンの朝日の光は、平山のPERFECTな日々がこれからも続くことを示す、人生賛歌の光なのだと私は感じ取った。
■繋がっていなくても、重なり合って生きている
「この世界は、繋がっているように見えて、繋がっていない世界がいくつもある」と言う平山に対して、ニコは「私はどちら側の世界にいるの?(おじさん側の世界って言って欲しい)」と聞く。平山は答えない。
最初、自分(平山)が住む世界は、多くの人が住む世界と違うという意味だと思ったが、回を重ねて観ると、それは多分違うと思った。今、生きている一人一人が、繋がっているように見えて、他人と繋がっていない世界を生きている(みんな孤独)という意味ではないか。でも、影踏みで平山が言った「重なって濃くなる」という言葉から、繋がっていなくても、ときどき重なり合うことで、人と人は関わり合い、生きているんだ、という人生観を平山が持っていると私は思う。
観る人によって、いろんな解釈ができる映画。
そして、孤独を抱えながらも、毎日を新しい気持ちで、生きようと思える映画。
朝、空を見上げるのがしばらく習慣になりそう。
ただ今再度拝読させていただきました。先程の、すばらしき世界のアパートと本作のアパート、たくさんの文庫本の有る無し以外よく似ていように思えました。
本作、役所広司さんの為の映画に思えて仕方ないです。
妹さんからの紙袋🛍の中身他レビュアーさんたちの指摘でクルミっ子とわかりオンラインで購入して賞味しておりました。
TSさん、コメントもありがとうございます。ブエナビスタもとてもいい映画でした!何回もひとつの映画を見るのいいですね。映画が呼んでくれて、映画に呼ばれて、自分も普通に行けるのが楽しい!
早速にご返信いただきましてありがとうございました😊
やはり❣️「おかえり」でしたね。
レビュアーの方と、別に論争ではありませんが。
さすが、3回ご覧になられていると自信たっぷりでありがとうございます😊 再度観に行くか迷っているうちに終了しました。パンフレット無いみたいで貴重だと思います。
ありがとうございました😊
ほんとに❣️
本作を愛してられる❣️
観ずにはおれなかったのですね。
影踏みのご考察、なるほどと思いました。だから影踏みさせたのか、と。 質問させていただいて
よろしいでしょうか。毎夜浅草の
焼きそば屋さんで夕食をとられていましたが、そこのご主人が、
平山さんにかける言葉について❓
「おかえりなさい」or「おつかれさま」どちらでしょうか?
よければお教えくださいませ。
TSさん
はじめまして♪私の拙いレビューに共感頂き、ありがとうございます。その後時間が空いてしまって失礼しました汗 TSさんのレビューの、人間はみな一人一人違う世界に住む孤独な存在だけれど、重なることで生きてゆく、という気づきは、目から鱗でした!同じ映画を観ても、自分では気付けないことに気付かせてくれる掲示板は、ありがたいなぁと改めて感じました。これからもレビューを楽しみにしております♪
なんて深いレビュー、平山の人物像に深みを与える、愛の込もった感想ですね。
バンクーバーは自然もあって、そこそこ狭いから電車とバスであちこちに行けて、移民も多く、雪もあまり降らない、とても暮らしやすい街です。また機会がありましたらぜひ。
平山さんが木漏れ日(大きな友達のおくりもの)や盆栽(小さな友達)を愛でる姿、周りの人々にむける様子(迷子を探した母親がそのまま去ったとしても…。)は生命そのものを慈しむ気持ちがあらわれていましたよね😌
彼が選択してきた道のりをおもわせるラストは、TSさんのレビューのタイトルと最後に書かれたことばがぴったりだと思いました。
フォローありがとうございます。
(光栄です)
平山の孤独は彼が選択したもので、それは決して世界を狭くしては
いませんね。
明け方に空を見上げて、
張り詰めた冷気や、
雨の降りはじめの湿気や、
そして行き交う人だって会釈したり、頷いたり、
ふっと微笑んだり、
生きることを愛して楽しんでいます。
この映画は、
平山の、TSさんの、そして不肖わたしの、
物語りでしたね。