青春のレビュー・感想・評価
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したたかな中国経済
優れたドキュメントを送り出すワン・ビン
舞台は、中国上海長江デルタに位置する織里という街の小さな衣料品工場。
そこで働く、農村部出身の10代〜20代の若者達の日常をカメラは追う。
物凄い勢いでミシンをかける若者たち。
決して大手の工場ではないけど、それなりに収入がある。
彼らは、高卒だろうか中卒だろうか、よくわからない。
ただ、インテリ層でないのは、まちがいない。
まず、その生活の場が雑然としている。
仕事場は、まあそれなりなんだけど。
彼らの住居、寮が汚い。
一つの部屋にベッドが五・六台置かれているだけ。
そこで雑居生活。
プライバシーもへったくりもない。
だけど彼らは、そんなことは気にしないみたい。
なにせ最近まで公衆トイレにドアがなかった国。
プライバシーという概念そのものがないと言ったら、失礼だろうが。
子供の頃から、共産主義国家の集団生活になれているからだろうか。
生活の中心は「スマホ」
これは、万国共通だろう。
とにかく暇さえあればという感じ。
パソコンではない、まあそんなスペースもない、一人ベット一台の私生活。
だけど着るものは、それなりに見栄えのする若者ファッション。
そのあたりは、衣料品工場ということもあるのかな。
しかし、食生活はお粗末。
まあ、若者だけの共同生活だからこうなるだろなと思うのだけど。
ほとんど、野菜なしの炭水化物生活。
年取ったらガタくるぞ、なんて忠告したくなる。
部屋は汚し放題、あちこちにゴミが散らかり。
たまに掃除でまとまったゴミは、階段から大きなコンテナ袋で、階下に投げ捨てる。
階下に人がいたら大怪我するのに、「夜中だから歩いている人などいない」と平気。
ルール、きまり、あってないような世界。
日本の昭和40〜50年代をさらにパワーアップした感覚だろうか。
とにかく、彼らは、稼ぐことに夢中だ。
こんな彼らの働きが、私達のファストファッションを支えているのだろうか。
舞台は、2014年〜2019年だから、現在とはまた様子が違うのかもしれない。
しかし、最近の「SHEIN」や「TEMU」など中国ブランドの躍進を見ると、まだまだ中国は、元気なのかもしれない。
バブルは終わる
景気はいつかは後退する。
いや、もうそうなのかも、だけど中国のその実態は、決して外にはもれてこない。
映画の時点の若者たちは、出身地の農村部に豪邸を建てていた。
あの年代だもの今が良けれは、後のことなど考えない。
日本だって、高度成長期には、地方出身の中卒の集団就職があり、彼らは「金の卵」ともてはやされた。
その姿と重ね合わせてしまう。
ただ、二十代半ばで豪邸は無理な話だけど。
それだけ中国経済の爆発力を見る思いがする。
ただ日本の場合、わりと長いあいだ好景気が続いたことで、社会整備ができたこと。
つまり社会福祉の分野で、医療保険や年金などなど。
中国は、進化も早かったけど、後退も。
おそらく社会のインフラや福祉の分野でどうなのだろうか。
都市部と農村部の格差。
医療体制、年金や介護問題。
一人っ子政策の失敗もあるはずだ。
ただ、映画『青春』の主人公たちからは、そんな影は微塵も感じられない。
そうだろう。
ただ、その後どうなったのか興味深い。
中国社会の動向に。
そして、ワン・ビン監督の次回作に大きな興味が湧く。
Amazing lively presence
東京フィルメックスにて上映。
子ども服の工場がひしめき30万人とも言われる縫製労働者が働き暮らす織里の人々の日々。たくさんの人々、さまざまなな工場の仕事場と生活の場を、鮮やかに撮影されている。エンドロールで、監督が、映画に出てくるさまざまな人々の、素晴らしい生活ぶりに感謝というようなことを謝辞の中で述べていて、その、Amazing lively presence という英語表現であり、温かく人間への愛着を感じる、彼らが生きてる様への感嘆賛辞そして記録への情熱を感じた。
働く人々の多くは長江流域の各省。最後のシーンでは賃金をもらい故郷の村に帰省するさん人の労働者。何もないような田舎の村にはコンクリートの立派な家がまばらに立ち並ぶ。
思いの外、若い労働者たち地が自由奔放に働き暮らしている。タバコを吸いながら音楽を聴きながら、若い男女はからかいじゃれ合い恋愛しながら、年嵩の女は猥談めいた話で笑いながら、同じ服を手早く縫製し、工場によっては賃金交渉をするところもある。組織的なものではなく全く政治的な感じもない交渉。仕事場も騒然として賑やかだったが生活の場はさらに賑やかに自由奔放で、みなファストファッションでおしゃれをして、スマホでチャット、出会い、ゲームさまざま。親子で来ている者もいれば夫婦できている者もいるし、そこで恋愛して妊娠して結婚してそのまま又ここで働くのかというようなカップルも。夜街に出れば熱々の屋台飯も食べられる。少しでも多くの工賃がほしく、少しでも安い賃金に抑えたい経営者との駆け引き。経営者もパワハラ然とした年配の者もいれば若い経営者買がなだめすかしやっているところもある。全てがあけすけであり、すべての物量の圧倒は中国である。
撮影は、2014から2019年、2018年から編集を開始時2020年のコロナ期間中断を挟んで編集となったがこれは第一部青春の春ということでまだ二部がこれから、全部できると9時間くらいになるそうで楽しみだ。
以下はワンビン監督のお話から。
ドキュメンタリーの叙述のスタイルとしては理性的な叙述が多いと思うが、ワンビン監督はより感性を強く理性の制御を受けない物語、叙述を撮りたいと思った。ドキュメンタリーはもっと自由にしたい自然に生き生きとしたものにしたいという願い、考えだそうだ。
フィクショナルな映画は初めから物語が作られておりダイレクトなものではない。編集の力により真実ではなかった映像を真実化する必要がある。ドキュメンタリーは元々撮っているものが真実であるから撮影後にいかに物語化していくかということになる、映画制作の目的も位置付けも異なる。黒衣人は初めはドキュメンタリーとして撮る予定であっだが、青春は初めからドキュメンタリー的核心記録性を前面に押し出していったということ。
苦い銭も同じ織里の縫製工場だが時代が異なり、当時の働き手は青春より年上、中年層が多くその暮らしには楽しみがほとんどなくストレスが強い状態に置かれていたそうだ。苦い涙はまだ見ていない。
青春本作との違いは中国そのものの大きな変化や若い世代の生活や感覚の違いによるものだろうと思う。
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