メイ・ディセンバー ゆれる真実のレビュー・感想・評価
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モデルにされた男性への配慮に欠け、後味も苦い
本作は米国で実際に起きた事件をモデルにしている。1996年、当時34歳で既婚の小学校教師メアリー・ケイ・ルトーノーは、13歳の教え子ヴィリ・フアラアウと性的関係を持ち妊娠、児童レイプの罪で実刑判決を受け、服役中に出産。メアリーは夫と離婚し、出所後にヴィリと結婚して家庭を持った。スタンダードナンバー『September Song』の歌詞から、メイ・ディセンバー(5月と12月)が親子ほど歳が離れたカップルを意味する慣用句になったが、メアリーの事件も“メイ・ディセンバー事件”と呼ばれた。なお、ケイト・ブランシェットが演じる中学校教師が15歳の教え子と関係を持つ2006年の英国発「あるスキャンダルの覚え書き」も、同じ事件をモデルにした小説の映画化だ。
「メイ・ディセンバー ゆれる真実」の成り立ちはというと、キャスティングディレクターとして長年キャリアを積んだサミー・バーチが書いた初の長編映画用脚本がプロデューサーのジェシカ・エルバウムの目に留まり、脚本を気に入ったナタリー・ポートマンも製作に参加。監督は「キャロル」のトッド・ヘインズに決まった。
本作は事件そのものを描くのではなく、世間を騒がせた出来事から20数年後、穏やかに過ごしているグレイシー(ジュリアン・ムーア)とジョー(チャールズ・メルトン)と子供たち家族のもとに、事件を題材にした映画の役作りのためハリウッド女優エリザベス(ナタリー・ポートマン)が訪れるところから始まる。エリザベスは近くのホテルに部屋を取りしばらく滞在して家族と数日を過ごし、今の暮らし向きから事件当時のことまでさまざまな質問を浴びせ、グレイシーの言動を観察し、キャラクターに近づこうとする。
物語の軸は主に2つあって、1つは成人女性と未成年男児がセックスしたときの心理的な関係性はどうだったのか(どちらに主導権があったかなど)を解き明かそうとするエリザベスの試み。もう1つは、長年好奇の目と非難にさらされ嫌がらせも受けてきた夫婦のプライベートな領域に、取材という名目で踏み込んでいく映画人(より大きくとらえるならメディア業界)の危うさについての自己言及だ。
鑑賞しながら気になったのは、モデルになった家族たちを実際に取材し了解を得た内容なのかということ。映画ではグレイシーの元家族も登場し、息子は母が起こした事件の影響で精神的な問題を抱える青年として描かれている。特に行き過ぎた創作だと感じたのは、ホテルの部屋でエリザベスに誘惑されたジョーが行為に及ぶエピソード。映画がフィクションであり実在の人物に無関係というのが建前とはいえ、女性に言い寄られたら(妻も子供もいるという)立場や倫理観から自制することもなくあっさり事に及ぶ男性だという印象を、間接的にせよモデルにされたヴィリに与えることになるのではないか。観終わった後に調べてみると、メアリーは10数年の結婚生活ののち2018年にヴィリと離婚、2020年に58歳で死去していた。米国での映画公開後、業界誌The Hollywood Reporterから取材されたヴィリは、本作を観て「気分を害した」と明かしている。製作陣から連絡を受けたことは一度もなく、彼の人生の物語と苦痛から「ハリウッドとメディアが搾取している別の例」だと感じたという。
たとえば「スポットライト 世紀のスクープ」「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」のように、さほど年月の経っていない大事件をスピーディーに劇映画化する米映画界の機動力とジャーナリスティックな志には敬意を表するし、邦画界と比べて羨ましくも思う。だが「メイ・ディセンバー」は、先に挙げた3作に比べると作り手の志も、作品の社会的意義もずいぶんと低いように感じる。大勢に影響を及ぼした権力者の性加害や大企業による不正を題材にすることは、啓発により将来の類似の事件と被害者を防ぐ効果も見込めるだろう。だが、長年にわたり興味本位の報道と世間からの誹謗中傷にさらされてきたメイ・ディセンバー事件の当事者たちを題材に、存命中の男性が気分を害するような創作を加えてまで映画を作る意義は果たしてあるのか。
エリザベスが行為のシーンの撮影に臨むラストにしても、映画人の自己批判を含むブラックユーモアのつもりかもしれないが、当事者への配慮と敬意を欠く作り手の尊大さと傲慢さが強調されるばかりで、後味の苦さがいつまでも残り続けた。
アカデミー脚本賞とナタリー・ポートマン主演とあらば映画好きなら見るでしょ?
ぶっちゃけ、そんなに、面白くはなかった。
実話を元にした映画。実際にあった36才の女が11才の男の子を食っちゃった事件があって、逮捕されてから妊娠して刑務所の中で出産する。
何と出所後にその食っちゃった男の子と結婚してしまう。ペドフェリアで刑務所に収監された自分の歳の3倍の女と結婚するってこれは旦那も頭がどうかしてるぞ?
事件から、何十年も経ってから、元受刑者のジュリアン・ムーアの元に、その映画のヒロインを演じるナタリー・ポートマンが役作りの勉強の為に共同生活をおくるというお話し。
ナタリー・ポートマンは役作りの為に、母親に家族写真を提供してもらい、二人の情事の場所だったペットショップでロケハンするだけでは飽き足らず、大事な手紙を提供してくれたお礼に、旦那に股を開くのだが、旦那がありえないくらいの速さの早漏で開始15秒くらいで果ててしまうw
ローデッドウエポン1のエミリオ・エステベスかよ?
で、事後に突然キレてwナタリー・ポートマンに当たり散らすのは意味が分からなかった。
皆さーん、注目!注目でーす!早漏がいっちょ前にキレてますよー?めったに見られないシーンですよー?
結構いい家に住んでいる夫婦だが、引越しを何回もしていて、いつも家にいる旦那が何の仕事をしているのかが不可解。
嫁は嫁で近所に手作りケーキを送って稼いでるのだが、元性犯罪者の手作りケーキなんて誰が食べるんだ?ちょっと、脳内お花畑なとこあるよね?
場面は変わって、映画の撮影現場。ナタリー・ポートマンが少年を誘惑するシーン。
噛まないから大丈夫と言いつつ、蛇を腕に絡ませて行為に及ぶラストシーンはどういう演出なのか不明のままエンドロール。
これが、アカデミー脚本賞?いやいや、それはないでしょう。もっと面白い映画は沢山あるぞ?
魔法がとけてきて
何かが違う…と感じ始めた夫婦の心情が描かれてるなぁ、って思いました。サナギが孵化して成虫になっていく年下旦那さん。『あなたが誘惑した』と急に泣いたり《無邪気だ》と開きなおる年上奥さん。夫婦の心の機微がテーマならまずまずの出来。そこに役作りの為に役者バカの女優が絡んできた。旦那に近づいてみたり…奥さんの過去《兄弟との関係の噂》を『なぜその話をあなたとしてないのに、言ってきたの?!』みたいな不穏なシーン…。何がテーマで何が言いたいのか、まとまらなくなってしまいましたね。
語り得ぬ人生
May December
若く年齢が近い、人生経験も少ない、兄のような父
そのことを恥じている
しかし、周りの視線がどうあれ、時は流れ
絶滅寸前の蝶が育っていく。
あの時の感情を、今更になって話し合わないのは、これは「物語」ではなく、一つの選ばれた「人生」だからだ。
妖艶さを目一杯出したテイクの後の、作り手側の選択が、揺るがない「人生」を描き出そうとする
藪の中?
真実は当事者の間であっても解釈が異なるという主題は映画羅生門でもお馴染みですが、そういうことを描きたかったのかしら?
女優が関係者にいろいろ聞いてみて、ますます訳がわからなくなっていくというのも、当事者だった女性に寄り添っていく中で、一線を超えてしまうのも、解釈し切れない人の気持ちの中の闇を描いているのかな。女優も訳ありな彼氏と付き合ってるみたいだし。
わざわざ昔の家族と過ごした場所に戻って来なくてもいいよねとも思ったし、なんであんな大きな家に住んでいられるのって、謎だらけの映画でしたね。
最後の蛇はアダムとイブの寓意だとすると、女優は、これは女から誘ったと解釈したってことかな。
基本⁇な映画ではありますが、映像の面白さ、女優の演技、また米国南部独特のじっとりとしたサバンナの空気感が伝わってきたりして、個人的には好きな映画でした。
まぁ、一人で見た方が無難ですけどね笑。
駄作の一言
うーん
ナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーアの無駄使い。
と言うか、ポートマンが脚本を気に入って出演したなんて正気の沙汰とは思えない。
言うても二人の、俳優としての、シーンを切り取って見た演技は一級品だ。そこだけで一応☆1つ。
でも徹底的に脚本が浅いわー
これでオスカーの脚本賞ノミネート……?
それと、他にも書いている方がいらっしゃったけれど劇伴が最悪。これだけでも途中で席を立ちたくなった。古臭いサスペンスドラマの大袈裟な楽曲で、よくこんな音楽監督が採用されたものだ。
あっ もしかして劇中で「オレに音楽監督やらせてくれ」と売り込んたあの息子がホントに担当しました、という手の込んだ劇中劇的な伏線か?
原作は読んだことない。
けど、面白そうだったので観てみた!
どういう話しかはなんとなーく知ってたけど予備知識ほぼない状態でも説明場面場面で観て簡単に理解は出来る。
が、なんだろう観終わった後の“ん…だか…ら?”感
伝わるかなぁ…(´・ω・`)
とにかく違和感なんだよね、観終わったあと。
未成年が好きになりました、はい。
子供産まれてその子たちも成人しました、はい。
それに関して映画化されます、はい。
主演女優が本人の密着取材にきます、はい。
気持ち悪いぐらい隣人が優しいです、?…はい。
密着歓迎するけどやっぱ我慢なりません、?はい。
年下旦那徐々に当時の違和感覚えます、はい。
女優と旦那がsexします、?あー演技入れ込み過ぎた感じ、はい。
卒業式旦那参加しないで遠くで見てます、?
撮影シーンねっとりした感じで演じます、?え?!そんな風に捉えるなら密着意味あった?‼︎できるだけ彼女に優しくしてって言われてたじゃーん!!
…考察見たらまた感想変わるんかな?
とにかく違和感。言語化難しいけど。
考察見た(`・ω・´)この違和感を文章化できるのすごい。とても納得
ただ評価は変わらずだね。刺さらなかったや。
長々書こうと思えば書けるのかな…いや、書けないな。文才ない(´・ω・)残念ながらね
評価低い?私は面白かったです!
シリアスなドラマだと信じて最後まで見た後で、「これはコメディだったのか!?」と気づきました。
腹のさぐりあいや意地の悪さが前面に出ていて、オモシロ要素に気づきにくかったのです。私も理解力がまだまだだと気落ちしました。
父親ジョーががすごく若いので、誰が親なのか子なのか兄弟なのか…やはり異常さをそこはかとなく感じます。
そしてグレイシーの子どもたち、皆どこかしら違和感のある性格をしています。
これは人によって見方が異なるでしょうが、私は彼女が何かしらの精神疾患を抱えている、ように見せる芝居をしていたと思っています。
それも病的といえば病的で、人をコントロールするタイプの人間であるジュリアン・ムーアが本当に怖いです。
主要人物は3人。
36歳→59歳になった妻グレイシー。13歳→36歳になった夫ジョー。そして、映画化の役作りのために接近してきた女優エリザベス36歳。
冒頭の印象は、明るく一見人柄の良さそうなグレイシー、少しぼんやりしていて幼い感じのジョー、洞察力を発揮して二人を見つめるエリザベス、という感じ。
見ている側は、エリザベスに感情移入し、グレイシーにあると予想される心の闇が暴かれていくのを期待します。
しかしそれはミスリードであり、思わぬ展開になっていきます。
冷静にグレイシーとその周辺のリサーチをしていたと思われたエリザベスですが、徐々にエスカレート。グレイシーをミラーリングし、一体化していきます。
そしてついにはジョーを誘惑して寝取ってしまい…怖い怖い!
完全に役作りの域を越えて、グレイシーは小児性愛者なのではないか、ジョーを手なづけた(グルーミングした)のではないか、そうなった原因は兄からの性的虐待にあるのではないか…そんな疑念と確信を重ね、グレイシーという人物になりきっていくのでした。
いやそれは「なりきったつもり」だったのかもしれません。
他にも、グレイシーの支配下にあったジョーが、精神的に自立していく物語があり、グレイシーもまた見た目に反して非常に業の深い人物として描かれています。
三者ともに闇が深く、とても複雑な感情でねじれ合っているわけですが、終盤になってエリザベスがつかんだと思っていたグレイシーの本質が、間違っていると暗に指摘されます。
煙に巻かれ、呆然とするエリザベス。
彼女はそのままグレイシー役として撮影に望むのですが、これまで一体何をリサーチしていたのかと思わせるような、メロドラマを演じます。
ゆれる事実というタイトルは皮肉で、結局映画として消費される事実は、本来の複雑さを表現しきれるものではない、という映画となっています。
この入れ子構造がとても面白いと感じました。
結果的に二人の女性のどちらが勝ったのでしょうか。
本当の自分を明らかにさせなかったグレイシーの勝ちか、ジョーを寝取ったエリザベスの勝ちか…。
私は、エリザベスの敗北のように感じました。
彼女の介入によって夫婦のあり方が紐解かれていきましたが、一方のエリザベスは、グレイシーの真の姿をつかんだかというと、そうでもないからです。
エリザベスという女性の怖さは年季が入っており、そこらの人間では太刀打ちできないものだったのではと感じています。
映画サイトでの評判はいまひとつのようですが、私にはとても面白い映画でした。
90年代の初めに話題になった「メイ・ディセンバー事件」。 夫も子ど...
90年代の初めに話題になった「メイ・ディセンバー事件」。
夫も子どももいる36歳の女性グレイシーが13歳の韓国系の少年ジョーと肉体関係を持って実刑となった。
のみならず、妊娠したグレイシーは獄中でジョーとの間の子どもを出産、刑期を終えたグレイシーはジョーと結婚した。
それから23年、事件が映画化されることになり、グレイシーを演じる女優エリザベス(ナタリー・ポートマン)がリサーチのために、幸せに暮らしているグレイシー(ジュリアン・ムーア)とジョー(チャールズ・メルトン)のもとを訪れる・・・
といったところからはじまる物語で、エリザベスを通して「メイ・ディセンバー事件」の真実が明らかになっていく・・・というところを、まぁ、期待する。
それは概ねそのとおりで、グレイシーとジョー以外にも、グレイシーの元夫や彼との間の息子などへのインタビューを通して事件が描かれていくわけだが、観客が期待するようにはならない。
というのも、事件が回想シーンなどの映像で示されることはなく、それゆえメロドラマの要素はほとんど皆無な無機質な語り口で、事件と事件のその後と現在が語られていきます。
それだけでも、なかなか取っつきにくい類の映画なのに、トッド・ヘインズ監督は、何気ないシーンに大仰な音楽を付けて、大いなる異化演出を試みます(音楽は、マーセロ・ザーヴォス)。
で、グレイシーの内面に近づこうとするエリザベスは、徐々に彼女に似てくるのですが、それとても『ルームメイト』のようなサスペンスからはほど遠い。
さらに、観客が興味を惹くであろう、グレイシーの生活の背景(いわゆるスキャンダラスで、それならば、そういう事件を起こしても仕方がないな、と思わせるもの)も、元夫との間の長兄(いまは十分に成長して壮年になっている)の口から語られるのだけれど、それもあっさりと否定される。
ただし、否定するのがグレイシーなので、それが真実かどうかはわからない。
つまり、事件そのものは、いまとなっては藪の中のごときものなのかもしれず、エリザベスはグレースを演じる手がかりを失ってしまう。
表面的なものは似せることが出来、それは手に入れるのだけれど。
で、観客も同じなのかというと、そこがちょっと微妙にちがい、終盤、寝室で語られるグレイシーとジョーの会話から真実らしきものを拾いあげることができる。
グレイシーはジョーと暮らし始めても、事件のことを語ってこなかった。
ふたりを結びつけた重大でセンシティブな事柄にも関わらず。
ジョーには、それが不思議で不満で、もしかしたら愛なき生活を続けていたのだろうかと、不安だった。
グレイシーから語られる事件の顛末は・・・
ここは書かないでおくが、このグレイシーの発言が映画の微妙なラストにつながって来る。
グレイシーが少年ジョーと関係を持つ直前のシーンの撮影なのだが、ペットショップのバックヤードでの情事の直前だ。
エリザベス演じるグレイシーと少年の間にいるのは、蛇。
聖書にある誘惑の原因・・・
だが、ここでの蛇は、映画における「わかりやすい真実」のモチーフとして「ただ用いられた小道具」としての蛇だろう。
そう容易く人間のこころには到達できない。
グレイシーという女性のセンセーショナルな映画を観たかっただろうけど、それは描かないよ。
ジョーの気持ちは、少し描いてみせるけど。
メロドラマみたいな、わかりやすい真実なんてないんだよ・・・とトッド・ヘインズ監督は、はぐらかしているのだろう。
と、なかなか消化できない難しい映画でした。
星はいつも三つです。
タイトルの「メイ・ディセンバー」とは「ものすごく年の離れたカップル」のことだそうです。
36歳の女性ジュリアン・ムーアが13歳の少年と関係し出産するという、実際にあった話をもとにした作品。20年後、その女性を主人公にした物語を映画化するというので役作りのために取材に訪れた女優ナタリー・ポートマンが、周囲の人々に話を聞いていく。
二大女優が共演するときのお約束で髪の色も対照的です。
当時36歳だった女性ももう還暦近くなっている。少年と夫婦になり穏やかで楽しい暮らしをしているように見える。ホームパーティーの準備の最中に女優が訪れるところから始まるのだが、さりげないところで怖い。
冷蔵庫の食材を確かめ「ホットドックがない」と呟く女性。腕をあらわにした服装で、ぶよっとした二の腕や口元によった皺が容赦なく映しだされる。
わざとざらつかせたような粒子の粗い画面から目が離せない。女性の生活がこの画面のようにざらついているのではないかと思わされます。
ベルイマンの作品を思わせるようなN・ポートマンとJ・ムーアの正面からの2ショットが何度も登場する。鏡まで使われ、ふたりの関係が濃厚に示唆されます。
冒頭から登場する希少種の蝶は幼虫からサナギを経て孵化していく。
当時少年だった夫はこっそりとSNSで、今の生活から逃げ出したいと見知らぬ女性に訴えたりする。
情事が行われたペ
ットショップの倉庫を訪れた女優は、ためしに「エア情事」をしてみる。女優は苦笑いをするが、取材を進めるうちに余裕はなくなっていく。女性とその周辺に息苦しいほどに絡めとられていく。
映画の撮影が始まる。
「真実などというものはなく、ただそこにあるだけがすべてだ」とでもいうかのように、カメラの前でドラマを演じていく女優。
ワンカットずつ語っていきたくなる上質な映画。
一点、この映画は音楽の使い方がトリッキーで、その点も高く評価されていますが、私には音楽が過多に感じられました。
納得できる?
“メイ・ディセンバー事件”の映像化の為、当事者の所に訪れる女優。
ナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーアの二人の演技が圧倒的!特にナタリー・ポートマンが、少しずつジュリアン・ムーアと同期していく様がすごい。役者の狂気が見える。
また、元少年の旦那が明かす真実の心、何故明かす事が出来なかったのか?そこを思うと問題が浮かび上がる。
しかし、主要人物3人が、皆狂っている。その狂い方が理解しづらい。確かに当事者の夫婦は、ある種被害者でもあるから、歪んでいるのも分かるけど、本当にそうなのだろうか?
ナタリー演じる女優も、女優魂が狂気へと向かっているのは分かるけど…そうなるのかなぁ?
時間も少し長く、90分くらいなら楽に観れたかも。
#メイディセンバー
虫がダメな人は見るのをやめよう(芋虫・蛹・蝶が頻出します)
「面白かった!」というよりは「考察しがいかある」という映画。全然スッキリもしないし、何の解決にもならない。あなたにとってのメイ・ディセンバーがあると思う。
表題にも書いたけれど、虫が要所要所に出てくる。ジョーの精神のメタファーかなと思うけど、結構アップで映るので苦手な人はやめよう。私は字幕だけ見てたぞ。
あと音がずっと不穏なのでそういうのが苦手な人にも向かない。
個人的にはモキュメンタリー?みたいな感じに見える。
グレイシーのお化粧が正直年齢的に無理があるのでは?と思ってしまう。けど、それこそがグレイシーの年齢を表している様だった。あとエリザベスにその色は似合わなくね?と思ったけど、次のシーン以降はちゃんとエリザベスが自分に似合わせてたから凄かった。チークとアイシャドウも揃えてたね。少女の様なピンク。というかお洋服や髪型も後半に行くにつれ本人に寄せてたような。
娘が試着した時に「すごくよく似合ってる!時代かしらね、そんなに腕を出してしまえるなんて羨ましいわ」みたいな事言っててゾゾゾとした。母からの呪いです。
以下、考えぐちゃぐちゃなまま書き殴る乱文。
グレイシー36歳、果たして彼女は"まとも"なのか。36歳のグレイシーと13歳のジョーは果たして本当に両思いで、合意の上だったのか。そもそも本当に二人の間で性行為は行われたのか?
とか、色々考えてる。
私はグレイシーは無邪気じゃなくてまともだけどとてつもなく利己的なんだろうなと、思う。今日を明日を幸せに生きたい彼女が、自分が幸せな人生を送るにために何も知らない13歳の子供を利用したんじゃないかと思う。
グレイシーは兄二人弟二人で守られて育ったという話があったけれど、守られていたというのは全て制限されていたということでもある。36歳までそんな生活を強いられたら狂いたくもなる。その上家から出たくても父親からは「家を出たいなら花嫁か棺桶の姿で」と。怖すぎ。自立させたくなさすぎ。嫌すぎ。まあ、当時の時代背景がどうかは知らないけれど、2024年の今そんなこという父親なんて毒親でしかない。
ペットショップ(=家族の手が入らない所)に入り浸って常連になって店番をやって几帳面に帳簿を付けて取り入って信頼を得て、人員補填の話を店主側も受け入れてる。凄い。「最低賃金で雇えば」というのも、最低賃金であっても働かなければならない程困窮している人が来る想定だよね?だから立場的に弱い人を意図的に呼び寄せてるのではないかと思う。
韓国系のご家庭は地域に一軒。そのくらい地域的にその事実は知れ渡ってるんだから兄弟の面倒を見ている長男がいることも、知ってたでしょう。そうしてジョーは実際に13歳でも最低賃金で働かせてもらえるペットショップへ足を踏み入れてしまったんじゃないの。
まんまと引っかかってしまったジョーは兄弟の面倒を見てしっかりしていたとして、11歳の「しっかり」なんてたかが知れてるって大人は理解出来てしまうわけで。苦労人のジョーは嬉しかったろうな。大人の綺麗で可愛くて優しいお姉さんが「わかるよ」と優しく寄り添ってくれるの。13歳でなくたって嬉しいよそんなの。
そこで本当に性行為があったとしてもなかったとしても、グレイシーは手紙を渡す事でジョーを完全に食い切ったんだと思う。あれは呪いですよ、呪い。「私はあなたが誘ったからそれに乗っただけなのに何故か捕まったの。愛してるわ、あなたが私を愛してる様に」とかいう呪い。怖。13歳で判断能力なんて大してないうちに真実かどうかもわからないのに、優しく寄り添ってくれるお姉さんから「あなたが私を抱いたから投獄されたの。でも私たちは何の罪もないわ、だって私たち愛し合っているんだもの。そうでしょう?」なんて言われたらそりゃ。言うわよな。そりゃな。自分にしかお姉さんを救えないんなら救いたくなるもんだよな。13歳だもん。愛してるって言うだけだもんな、その時は。もっと言うと、自分の行動のせいで投獄されたお姉さんを救えるなら、その自分の罪を背負ってくれたお姉さんを救えるなら言うよな。愛してるってな。
ただ、エリザベスから少し優しくされただけで寝ちゃうし絆されるし助けを求めてしまってるわけで。36歳でそれなら13歳の時なんてそりゃもう、チョロかったろうなあ。もしかしたらまたこの人と寝れば今置かれている自分の立場から逃げれると思っちゃったのかな、とも思う。24年前のジョーはそうしたんだろうから。
こうしてグレイシーは36歳にして幼い奴隷と自由を手に入れたわけだな。「無邪気な少女」のまま「ジョーに理解を示すお姉さん」としてね。そして、ジョーは13歳にして「自分を理解してくれて導いてくれるお姉さん」と自由を手に入れたわけだ。まあ、13歳の少年にとってはであって、36歳の青年にとってどうかはともかく。
生まれた子供が母譲りの金髪でも父譲りの黒髪でもなくても、ジョーが是と応えたのだからあれはジョーとグレイシーの子なわけで。(これは染色している場合無関係である)今なら遺伝子検査出来るけど、したのかな。まあ第一子はジョーの父とグレイシーの子な可能性もあるからなあ。だからこそ地域で一軒しかない韓国系の家の実子を使うしかなかったのかもしれないね。たとえそれが13歳の少年の人生をむちゃくちゃにしたとしても。
グレイシーは12歳頃から二人の兄によって近親相姦を受けていた(?)みたいな証言があって、それをグレイシーは否定していて。それが真実であればグレイシーは被害者でありジョーは二次被害者の可能性が高くなって今の幸せな生活は壊れるわけだから否定するしかないよなと思う。グレイシーにとって小さな奴隷と愛し合っているからこそ成り立っているしあわせな生活なんだもんな。
一晩経ってやっと気付いたけど、次々に役者を現場に連れて行ったのはすりあわせのためか。お菓子屋さんって言われては洋菓子屋を想像するのと和菓子屋を想像するのではだいぶ違うもんね…。
エリザベスは記者じゃなければ救世主でもない。それこそ誰よりも利己的な理由でグレイシーのこともジョーのことも、家族ごと、たかだか「作品」のための観察対象だと思っているところが最高に狂っていて良かった。
こんな事を書いているとまるでグレイシーが加害者で、ジョーが被害者の様に見えるかもしれない。でも、自分の自由のためにジョーを利用したグレイシーと、自分の平和と安寧のためにグレイシーを利用したジョーの話なんだと思った。そこに愛があるかはわからない。愛があるかどうかは多分、彼女にとってどうでもよくて、彼にとってもどうでもよいものだから。
Vague
少年ジョーと成人女性グレイシー、23歳差での妊娠という実話を映画化にする女優が夫婦に密着していくという、妊娠をメインではなく、役者としての関わり合いというのをメインに据えるという珍しい構成に興味を持って鑑賞。
妊娠するまでの事に至った経緯だったり、グレイシーが起こした事件だったり、服役中の事だったりの描写が一切ないというのが面白い構成で、映画作りの様子の密着を観ているようで、フェイクドキュメンタリーのようでした。
落ち着いた暮らしをしているジョーとグレイシーの元にズカズカと割り込んで、長期の密着にも悪意全く無しで居座っているエリザベスの肝っ玉も中々のもんで、グレイシーの元旦那だったり、事件を起こしたペットショップの店長だったりとめっちゃ取材に行って、その仕方も手慣れていて自然なのもあって、すんなり情報を聞き込める流れも上手いなぁと思いました。
エリザベスが行動やメイクやら、どんどんグレイシーに近づいていってるのが女優という役職も含めて仕事だと割り切ってるぽかったし、制作会社からとかの依頼ではなく、エリザベス自身が興味を持っての取材、しかもジョーとS○Xに及んでしまう流れ(例によってモザイク処理されているのでR指定なのに…と少し萎えます)もこれも仕事となっている仕事人間っぷりは中々に怖いもんです。
そこから出来上がる過程も最後の方に流されますが、実際の話とは異なりまくるダラーっとしたドラマで、これは本当に面白くなるのか?というくらい安っぽいんですが、エリザベス自身はめちゃくちゃ本気で演技に取り組んでいるギャップがなんともいえない気分にさせてくれます。
劇伴がドカーンといった感じで唐突にここが見せ場ですよー!と言わんばかりに流れてくるのが露骨すぎて笑ってしまいました。
この手の作品でこんなに音楽を鳴らしまくる作品は珍しくて、狙ってやってるんだろうなぁとフフッとニヤケっぱなしでした。
映画としてのパンチはあまり強くないので、演技面以外で画面に惹かれる事がなかったのは惜しかったんですが、家だと滅多に見ないジャンルなので劇場公開に踏み切ってくれた事に感謝したいです。
鑑賞日 7/14
鑑賞時間 10:50〜13:00
座席 F-3
ナタリー・ポートマンは頑張っているものの…
ユナイテッドシネマ浦和にて鑑賞🎥
当時36歳の女性が13歳の少年と情事に及んで実刑となった「メイ・ディセンバー事件」を映画化するにあたって、現在、女優をしているナタリー・ポートマンが当時の女性=ジュリアン・ムーア、事件の時は少年だった男=現在ジュリアン・ムーアの夫などに、過去を遡るような調査を行っていく。
しかし、過去を探っているうちに、ナタリー・ポートマンが真相と現在の関係者の感情などを知ることになり、自分も妄想の世界に入っていくような不思議な感覚になっていき……というような雰囲気だった。
ただ、観ている者にモヤモヤが残るような内容なので、観終わってもスッキリしなかった (^^;
ナタリー・ポートマンは相変わらずの美形で、女優としても熱演していたが、彼女のあの傑作『ブラック・スワン』を超える演技はなかなか困難なようだ😅
――――――<以下、少しネタバレっぽい記載あり>―――――
もともとの事件が性的なものであるものの、過去の事件を現代の視点から調べる流れなので、さほど赤裸々な描写は少なかったと思う。
ただ、事件とは別に、ナタリー・ポートマンのセックス場面があったが、アレは必要だったのだろうか?
また、ジュリアン・ムーアが犬を連れてライフルを持って行くシーンも意味不明。
いろいろとモヤモヤさせられる映画だった。
<映倫No.60057>
二人のターニングポイントを目撃した
序盤、過去の出来事がざっくりと語られた。
36歳の女性グレイシー(ジュリアン・ムーア)と13歳の少年ジョーの恋。グレイシーは罪に問われ服役し、獄中で子どもを出産、出所後に結婚した。
これは36歳になったジョー(チャールズ・メルトン)と59歳になったグレイシー、そして二人を題材にした映画でグレイシー役が決まったハリウッド女優エリザベス(ナタリー・ポートマン)の物語。
⚠️以下、ネタバレ注意
色眼鏡をかけて二人に近づいたエリザベスだったが、何事もなかったかのように幸せに過ごす二人がいた。「期待した真実」など存在しなかった。
観る我々は幸福に満ちた蜜月があったことを確信する。さらに二人の間に生じた修復不可能な亀裂の存在を知る。
男盛りのジョーを受けとめることが厳しくなったグレイシー。グレイシーの手のひらに乗っかった人生に対する疑念が増大していくジョー。
思ってもいない終着点だった。まさに二人のターニングポイントを目撃した。
それにしてもトッド・ヘインズ。「キャロル」でも感服したが、今作も上手いと唸ってしまう秀作だった。
左側に寄せたエンドロールには、色んな意味合いが込められている
2024.7.15 字幕 イオンシネマ京都桂川
2023年のアメリカ映画(117分、R15+)
全米を震撼させた年の差夫婦の再現映画に挑む女優を描いたヒューマンドラマ
監督はトッド・ヘインズ
脚本はサミー・バーチ
原題の『May December』とは、「親子ほどの年の差のあるカップル」のことを示す言葉
物語の舞台は、2015年のアメリカ・ジョージア州サバンナ
女優のエリザベス(ナタリー・ポートマン)は、再現映画の対象であるグレイシー(ジュリアン・ムーア)の家を訪ねた
彼女は20年ほど前に当時13歳だったジョー・ヨー(チャールズ・メイトン)と性的関係を持ったことが問題視され、その後、逮捕され服役することになった
グレイシーはジョーの子どもを身籠っていて、獄中出産を果たし、長女のオナー(Piper Curda)が生まれた
その後、出所したグレイシーはジョーと結婚を果たし、今度は双子のチャーリー(Gabriel Chung)とメアリー(Elizabeth Yu)を授かる事になった
エリザベスが訪ねた2015年には、オナーは大学生となって離れて暮らし、チャーリーとメアリーは高校を卒業する年にまで成長を遂げていた
エリザベスは取材と称してグレイシーに会い、自分が演じる人物はどのような人間なのかを観察しようと考えていた
13歳と36歳の恋愛、それは想像が及ばないものの、演じる上では同化せざるを得ない
そして、エリザベスはグレイシーの他にも、彼女を知る人物を訪ねて回る事になったのである
映画は、実際に起きた事件がベースになっていて、グレイシーのモデルはメアリー・ケイ・ルトーノという女性で、ジョーのモデルはヴァリ・フラウアウという青年である
グレイシーとジョーは同じペットショップで働いていて、その倉庫で行為に及んだのだが、エリザベスは生々しくも、その現場で想像を膨らませていく
そんな同化作業の果てに、グレイシーと同じメイクをして、彼女の元の家族たちとも会っていく中で、ある事実が浮かび上がってくる
それが真実なのかはわからないものの、エリザベスの出現は、ジョーに大きな動揺を残す事になるのである
ジョーはかなり不安定になっていて、それはこの20年間に一度も言えない事を抱えていたからだった
あの時、行為に及んだのは何故なのか
グレイシーが誘ったのか、ジョーがしたいと思ったのか
そのわだかまりはずっと燻っていて、それぞれは違う思いを描いていたことがわかる
ラストでは、グレイシーと映画制作陣が取材の果てに得た結論を演じる事になり、それはグレイシーがジョーを誘惑している、という構図になっていた
これが正解かはわからないが、ジョー自身があの時の選択が若かった故の過ちだったと感じていることが影響しているようにも思う
ジョーは考えてしまった
もしかしたら、自分にもチャーリーのような人生があったのではないか、と
それが、疑念として残り、エリザベスとの出会いによって発露した、という感じになっていた
いずれにせよ、かなり解釈の分かれる映画なのだが、制作的には正解をはっきりと描いている
それは、エンドロールが左側に寄っているというもので、これの意味を示すシーンがいくつかあった
一つ目はブティックにおける「本物のグレイシー、エリザベス、鏡に映るグレイシー」という構図で、これは左側が真実である、という意味になる
また、グレイシー流のメイクをするときは左がエリザベスで右がグレイシーになっているが、パーティの際の化粧室では、その立ち位置が逆になっていた
これも、エリザベスがグレイシーに近づいた、あるいは同化したという意味合いになっていて、本物のグレイシー&エリザベスは左側にいる、という意味になると思う
この辺りを踏まえて見ていくと面白くて、ベッドでジョーがグレイシーに語るシーンでは、ジョーが左側のソファに座っていたりする
どこまでが意図的であるかはわからないが、ある程度の筋をつけていると感じたので、その答え合わせがエンドロールだったのではないだろうか
実際のほうがもっと怖い
本作では、ペットショップのアルバイトとして雇った13歳のジョー少年を愛するようになった雇い主のジュリアン・ムーアが演じるグレースと親密な仲になり、やがて二人は不倫関係に。倉庫内での情事がバレて、通報され逮捕されたグレースのお腹にはジョーの子供が宿っていた。
実際の事件は以下の通り。
34歳のメアリー・ケイ・ルトーノーは担当している6年生のクラスで再びヴィリ・フアラアウの担任になる。13歳になったヴィリ少年はメアリーのあまりにも美しさからやがて好意があると仕掛けると、仕事は順調であっても家庭内では問題を抱えていたメアリーの心に突き刺さった。
メアリーは保守的なカトリックの家庭で生れ育つも弟は幼少期にプールで事故死、父親は大学教授だった頃に親しくなった女生徒と不倫関係にありしかも二人の婚外子がいる。
メアリーが22歳の時に望まない妊娠でおめでた婚をして2男2女の4人の子宝に恵まれるが夫のスティーブは浮気ばかり。
一方のヴィリ少年の家庭は恵まれているとは言い難かった、父親は毎日のように女性と遊ぶなどして孤立していた。
家庭内に心の拠り所のない二人が結ぶのは自然の流れともいえるのだろう。夫に通報され逮捕された4ヶ月後、ヴィリ少年との間に授かった娘が生まれ、後仮釈放が許されるが、メアリーは会ってはいけないヴィリ少年のもとへ行き再び情事に及んでいるのを警察に見つかり再び逮捕。
このときもまたヴィリ少年の子供を妊娠、2回目の獄中出産でヴィリ少年にとっては二人目の娘が生まれる。因みに夫スティーブとは獄中離婚している。
子供がいることを認知せざるを得ないヴィリ少年の両親はやがてメアリーを家族として受け入れ、メアリーの出所後、ヴィリ少年が結婚出来る年齢になったということもあり、二人は結婚。
12年後の2017年にヴィリが離婚申請し、翌年二人は離婚する。メアリーは2020年に末期がんで数ヶ月にわたる闘病の末に元夫のヴィリと二人の娘に最期を看取られながら58歳で旅立つ。離婚の真相はヴィリのビジネス上マリワナを売り捌くライセンスを取得するために必要不可欠だったという。
つまり、愛のある離婚だったわけ。
映画とは違う顛末であるということを脳裏に入れながら、役を演じきるために深入りしたエリザベスのグレース役に対する魂は、第三者が見たらどう感じるか?を見事に演じてる。
冷静を装った狂気と狂気を装った冷静
夫も子供もいる36歳の女性・グレイシーが、13歳の少年・ジョーと情事に及び逮捕。その後獄中出産して結婚に至るという、アメリカではかなり有名らしい実際の事件を基にした作品でした。お話の舞台は少年・ジョーが36歳になった23年後。この事件が映画化されることになり、グレイシー役を引き受けたエリザベスが、グレイシー本人やジョー、さらには元夫や情事を行ったというペットショップのオーナーなど、周辺の人物に取材をして事件の真相に迫ろうという展開でした。
まず本作の特徴は、その大仰な音楽。ホラー作品ではないので視覚的な恐怖感は全くないものの、いかにも不安を煽るような曲が要所要所で、必要以上の大音量で鳴り響くので、そこはかとない不安感が生まれました。そして同じ曲が繰り返されることで、観ている者(聞いている者?)としてはその都度緊張を強いられることになりました。
そしてストーリー的には、エリザベスがジャーナリスティックに事件の真相に迫るのかと思いきや、彼女の目的はどうやら役作りそのものにあったことが徐々に分かって来るところに意外性と面白さがありました。俳優が役作りのためにその役になり切ることは普通にあることなのでしょうが、エリザベスのなり切りは真に迫るというのをいうのを通り超えて、完全にグレイシーと同一化してました。冷静に考えると狂気すら感じられましたが、序盤でグレイシーやジョーの不安定な精神状態を見せられたことで、どちらかと言えばエリザベス視点で物語を観て来たことから、自分がエリザベスの立場でも同じことをするんじゃないかと思えて来るところが作り手の思惑だったのではと想像したところでした。
特に印象に残ったのは、情事に及んだペットショップに取材に行ったエリザベスが、ジョーとの行為を想像してその格好をするに留まらず、その後実際にジョーと情事に及んでしまったところ。23年前のエリザベスやジョーの心情を理解するには、実際に同じことをしてみるのが一番なのかも知れませんが、これには流石にビックリ仰天でした。
一方で、グレイシーが少女時代に兄達から性的な暴行を受けていたらしいことが分かり、それがジョーと情事に及んだ遠因なのではないかと感じられたものの、最終盤でグレイシーは、エリザベスに対して否定。本件に関してエリザベスとグレイシーは話をしておらず、エリザベスがこのことを知っていることをグレイシーは知らないはずなのに、突如として本件を切り出すグレイシー。つまりはエリザベスがグレイシーに同一化しただけでなく、グレイシーもエリザベスに同一化したんではないかと思わせられたシーンで、これにはちょっと怖さを感じたところでした。
俳優陣としては、エリザベスを演じたナタリー・ポートマンと、グレイシーを演じたジュリアン・ムーアの対称的な演技が見事でした。エリザベスは冷静を装った狂気、グレイシーは狂気を装った冷静を体現している感じで、鏡を多用した映像表現とともに、2人の演技は際立っていました。
そんな訳で、意外な展開の連続で仰天した本作の評価は★4.5とします。
タイトルはかなり歳の差がある恋愛や結婚の事らしいです‼️
36歳の女性グレイシーが13歳の少年ジョーと恋に落ち、未成年と関係を持ったことで収監、刑務所内で出産し、出所後二人は結婚した。そんな二人を題材にした映画に出演する女優エリザベスが、役作りのため二人の元を訪れる・・・‼️ジュリアン・ムーアも狂気じみた素晴らしい演技を披露してるんですけど、やはりエリザベスを演じるナタリー・ポートマンですね‼️ハリウッド女優特有の華やかさの裏に、自分の思い通りにならないと気が済まない、すべてを手に入れたい、そんな個性がチラホラ見え隠れして、なんとも不気味‼️フツーにジョーとセックスしたりするし‼️ヘンに誇張されて鳴り響く音楽もイイ意味で映画に合ってなくて印象深い‼️ラスト、撮影に臨むエリザベスの眩い美しさは異様な迫力があるし、そして蛇ですね、蛇‼️
怖い。まさしく「犯罪」、歳の差が激しい恋愛などではないことを冷酷に描く。事件に関わった人々がことごとく不幸になってる事実。皆そう思わせないように気を使って生きている。
女優のエリザベスは、ジョージア州サバンナに取材で訪れる。
36歳の女性グレイシーと13歳の少年ジョーの不倫事件「メイ・ディセンバー事件」を映画化する役図栗のためだが、進めていくうちにその真実の重みに翻弄されていく。
まず、各シーンがとても的確。
俳優陣の演技も的確。
ナタリー・ポートマンってこういう人でしたっけ?
これまでのイメージが大きく変わって、まさに本作の女優になり切っていて、凄い。
ジョーもまた、そのまま映画の中に存在していて、演技ということを全く感じさせない。
自分の子供たちと比べて、いかに幼く純真で13歳のままの精神状態から成長していないように見えて痛々しい。
あまりにも大きな事件の渦に巻き込まれたまま、自分で考える時間もなく、時間がたってしまった恐怖。
本当に「犯罪」の被害者でしかないことが、23年を経た今まさしく表れている。
ジョーは当時の少年のまま、グレイシーに全て支持されたとおりに動いていて、全て管理されている。
13歳の役者のオーディション映像を観るシーンで
如何に「13歳の少年」がいかにまだ幼いかが映されて、愕然とする。
グレイシーは、誘惑されたと主張するが、それは一方的な見方でしかない。
最後に、作られることになる作品の撮影風景が、またあまりにも「陳腐」すぎる。
ここもまた”上手い”ということですが、それが、余りにも、タブロイド紙の低俗なイメージそのまま。
ペットショップだからと蛇を使ったりして。
彼女が取材で経験したリアルとの差が激しくて愕然とする。
夫妻が観たら怒り心頭を通り越して、激しい絶望にかられるに違いない。
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