メイ・ディセンバー ゆれる真実のレビュー・感想・評価
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続ける嘘、言えない真実
あっぶねぇ。まじギリッギリ。
いつもの映画館が朝8時とか誰が見れんねん!?って時間にスケジュール組んだせいで見ることが出来ず、公開終了とのことだったので1ヶ月以上ぶりに他の映画館へと遠出することに。全く、やれやれだぜ。1週間体調不良で映画見れなかっただけで、こうも苦労するのか。いかに自分が映画に囚われているのかを実感した月でした。
オススメされた作品だったから見たんだけど、ごめんなさい。あまりハマれなかった...。Filmarksと映画.comで評価がかなりわかれてるから、映画に対する向き合い方とか考え方で好き嫌いが顕著に現れる映画なんだろうなと。
まだまだ自分は映画好きと名乗るには生半可なもので、男の子が喜ぶようなヒーロー映画や全身に訴えかけてくるバイオレンスアクション、ヒヤヒヤしてスリリングな気持ちになれるサスペンス、今にも踊りたくなるような音楽映画なんかばかりに高評価を与えちゃうから、こういうじめっとしたスローテンポの映画にはまだまだ慣れておらず、自分の趣向に引っかかるものが自ずと少なくなる。
しかし、映像表現的な観点から見るとかなり面白い。ストーリーはハマれなかったけど、その点においてはすごく評価できる。ドキュメンタリーのようなリアリティのある作りをしてるんだけど、垣間見える映画感が見る人の心を揺さぶる。
いけないところに踏み入れてしまったのか。人の心を覗くこと、理解しようとすることの怖さや、どんな人でも抱える心の闇(それを真実という)なんかがすごく繊細に描かれていて、この作品が伝えたいメッセージは何となくで正しいかは分からないけど、読み取れた気がする。ナタリー・ポートマンがとにかくいい顔してた。
自分がハマれなかったのは、映像表現すごい!だけで終わっていて、実際に起きた事件を追いかける物語として未完成のまま幕を閉じているようなそんな気がしたから。なんかフワッとした、地に足着いていないような物語の進め方がどうもこのテーマとは合っておらず、もっとキツイ...苦しい...頭悩まされる...みたいな感情で満たされていたはずなのになー、とどうしても思ってしまう。観客に対してちょっと不親切な映画。でも、映画的になかなか興味深い作品だった。
見どころは2人の女優の演技?
物語か、人生か
作品自体がアカデミー賞クオリティに充分値する。
しかし、
ジョーのセリフを引用すると「これは人生なんだ」が示すように、
実話のエピソードのレイヤーが重なり過ぎて観客を良くも悪くも幻惑する。
その幻惑は、
演技者としてのナタリー・ポートマンというよりも、
プロデューサーとしてのナタリーと、
監督トッド・ヘインズの狙いでもあったのだろう。
ヘインズの狙いを前作『キャロル』を参考にして解釈すると、
感情にフタをして生きるという事は、
自らの存在意義を認めないという事、
それでいいの?観客のみなさん、
と、
観客に気持ちのシャドウイングをさせるのが演出意図のひとつだろう。
しかし『キャロル』には考え方の逃げ道があった。
今回はその逃げ道を断つように、
実話、認識論的相対性(劇中のセリフ)、
真実の愛と法律、
などのレイヤーがさらに重なっている。
そのレイヤーの増量はヘインズの投げ掛ける命題に、
付加価値を与えるものと解釈できる一方で、
ケミストリーに集約したケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの芝居の激突のようなものを期待した観客にとっては、
多すぎるノイズになったのかもしれない。
もちろん、鏡の前の並列の2人が、
現実のグレイシー⇄グレイシー役(本作の)⇄ジュリアンと、
エリザベス⇄グレイシー役(劇中の)⇄ナタリー等々、
立体的マトリョーシカ的ツーショット?6ショット?
神がかり的カットはいくつかあった。
正確にサイジングされソリッドにカッティングされたカットを丁寧に積み重ねて、観客の胸に焼き付けていく。
ショットという曖昧な狙いではなく、
編集時のコマ数まで計算済みの精密な削り出しは相変わらず鋭い。
【蛇足】
オーディションの映像のシーンを入れたのは、
ジョーのおおらかな包容力やセクシーさ、
キャスティングに苦労した証拠を見せたかったのかもしれない。
そのキャラクターは、
この事件のコアのコアの部分。
グレイシーの感情が始まりなのか、
やさしいジョーの無垢さが始まりなのか、
または、
それぞれの家族との影響なのかは、
いくつかのシーンでほのめかされるが、
基本的には観客の解釈に委ねられている。
ジョーの父親の夥しい数の吸殻、
息子の弱い大麻で咽せるジョーの肺、
これだけで父親が息子を傷つけている描写だ、
といわれても、
自分なら、
他にも撮っているであろうカットを、
復活させて、
ハッキリとコミットするか、
この一対のみであれば、
いっそのことシナリオの段階でオミットする事を推奨する。
理由は下記にほのめかしておこう。
最後に、
子供の無垢な心が特殊な刑事事件を引き起こす類似作品は、
映画化もされている松本清張の『影の車』や『天城越え』、
イーストウッドの『ミスティック・リバー』のような名作があった。
重なったレイヤーを一枚一枚剥がしていく思考の補助線になるかもしれない。
人間の根源的な存在意義というテーマとその描写方法で幻惑させながら、ねじ伏せていくヘインズの演出は観客に多くの解釈の余地を与え、
その一つ一つのレイヤーを広義で楽しむことで、作品の真の価値を理解することができる、
という言い方もできるかもしれない。
いも虫から蝶、カゴから空へ羽ばたく、
ムーミンの神回を思い出した。
当人同士にしか解らんね
「もっとリアルにやるから」
映画の撮影中らしい、
エリザベスのラストのこのセリフに集約されている。
リアルってなんやねん、という感情が渦巻いとります。
当人同士にしか解らん。
受取側の倫理観と憶測からでしかないですもん。
といいつつ、
音楽が不穏で猜疑心を煽るし、
ジョーが洗脳されていた感じに、
わたしたちを誘導している風でしたが、
概ね、本当の事件に対しては、
純愛でしょー、とは思えないものなー。
ただ、これが実際の事件じゃなくて、オリジナル作品だったら、
ものすごーく面白いサスペンスだし、
やはり、事実は小説よりも奇なりを地でいってますね。
ジュリアン・ムーアの少女のような不安定さがチラホラと垣間見える、
到底60歳には見えない美しさと可愛らしさの女優の貫禄と、
それに飲み込まれそうになりながら、
役柄同様 「女優よ、わたし」 的に踏ん張る
ナタリー・ポートマンとの競演が素晴らしく、
また、ジョー役のチャールズ・メルトンの雰囲気と声がたいへん魅力的で
この三人がどうなっていくのか、ドキドキしながら、
終始引き込まれてしまっておりました。
全てに技あり!
ドット・ヘインズ監督とジュリアン・ムーア信者です!
なので公開を楽しみにしておりました
実際にあった事件を基に作られた作品
タブロイド紙やワイドショーが飛び付く題材で
ありながらも安っぽいスキャンダルとしてではなく
当事者である2人の過去と現在の感情や本心
ゆがみを周囲の人物を巻きこみ繊細な心理サスペンス的ドラマとして描かれている脚本は
アカデミー賞ノミネートも納得の出来栄えです
重層かつ美しいミシェル・ルグランの旋律も
聞き逃せない!登場人物達の心理状態を場面に応じて表している様だった
内容的に理解や共感は出来ないが
役作りのため当事者達に話を聞く女優エリザベスを演じたナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーア2大女優がぶつかり合う渾身な演技も大いに見応えある117分でした
トッド
事件を描いた作品かと思いきや
迂回はあるも、雰囲気いいです。
何言ってるかはわかるが、何言いたいかはわからない
癖強めの登場人物たちが多く、見ごたえあり。
終始、みぞおちに力を入れて鑑賞していました。
ドラマティックな内容で、緊迫感あります(音楽のせいもあり?)。
記者でもない女優が、役作りでそこまでするかというほど、時間と身体とエネルギーを使ってます。
どの登場人物にも、感情移入できず、穏やかな毎日の生活に感謝の念を思わず抱きました。
13歳の少年ジョーと36歳グレイシーが恋仲になり、グレイシーは罪を問われ、収監先でジョーとの子を出産。
この時点で、ツッコミどころ満載過ぎ。
しかも実話がベースらしい。
ペタジーニやマクロン大統領の結婚について知った時も、どちらもモテただろうになぜ?と驚いたけれど、女性が年上の年の差婚も希少ながらあるらしい。
でも、これはやっぱりグレイシーのジョーに対する性的虐待だと感じました。
本当にジョーを想うなら、彼が成人するまで待つのが大人の見識。
グレイシーは、私にはとても未成熟に見えました…密かに怖かったです。
俳優陣にも、映像にも、音楽にも、最後まで惹きつけられました。
まるで、自分が傍観者として映画の中にいる気分になりました。
どこまでがフィクションなんだろう。
実在の方々への配慮のなさが少し残念でした。
どうだろう?
このような視点で描くのね
当時日本でも話題になっていた教師と生徒の事件。ものすごく覚えてます。ジュリア・ムーアの表情は、実際の彼女のそのもの。
それを映画化するという視点で描いたことで、少し客観的な角度からなぞることができま。
エリザベスは入り込みすぎ。入り込みすぎたことによって、彼女と同一化していく部分が恐ろしい感じがする。
ジョーの気持ちは結局どこに?子供たちの卒業式を見て、感無量の顔してたけど、自分の気持ちを妻にわかってもらえていないのが1番気がかりで、映画のラストで教えて欲しかった。
周りの人物の背景が薄くて、もう少し色んな事の理由付けが欲しかった。
途中、私の勝手な推測でグレイシーの夫であるジョーは、グレイシーが子供の頃兄に受けた性暴力によって産み落とされた子供なんじゃないかと思った。けどそこまではひどくなかった。
ナタリー・ポートマンとジュリアンムーアが秀逸。
特にメイクをしてあげる場面では、なぜか涙ぐみそうに。
余談。ナタリー・ポートマンは実際に大変頭が良く、良い大学を出ている。生徒たちにインタビュー受けて答えている場面は、知的な彼女自身の言葉に思えた。
ジョーという存在
さて、アカデミー賞脚本賞ノミネート作品で、ジュリアン・ムーア×ナタリー・ポートマン×トッド・ヘインズなら期待しかないと待ちわびていた本作品。しかし、映画.comの点数は低調(この時点で3.1)な感じです。それにもやや影響を受け劇場鑑賞の順番は後回しになりましたが、やはりこの作品は観ておこうとサービスデイにTOHOシネマズ日本橋へ。午前回は空いています。
と言うことで、今回も前情報を何も入れずに観たわけですが、正直なところあらすじくらい読んでおけば良かったと後悔するほど、話をつかむまでに時間がかかります。エリザベス(ナタリー・ポートマン)が関係者たちから聞き出す内容をもとに、グレイシー(ジュリアン・ムーア)にまつわる過去と関係性が徐々に明らかになっていく展開で、要所要所で流れる特徴的な劇伴はそのシーンを盛り上げるための効果音にも聞こえて、ユニークでありつつもちょっと懐かしい感じがします。そしてメインキャラクターの二人は期待通りの怪演で、特に終盤のエリザベスにグレイシーが憑依していく役作りの様子には役者魂を感じます。ですが、何より私を本作に惹きつけさせたのは、そんな二人の間でこの作品の肝となるジョー(チャールズ・メルトン)という存在。普段から言葉数は少ないのですが、グレイシーとの生活の端々に見える上下関係や、どこかしらに見え隠れする少年性。後半以降はもう彼から目が離せなくなる一つ一つのシーンが印象的です。チャールズ、あっぱれ。
と言うことで、配信が始まったらもう一度観直したい作品確定で、出来ればノベライズが読みたい!まぁ、洋書を探す限りノベライズは出ていないようなので残念ながらそれは無理そう。と言うことで、普段はあまり他人の考察を読むことはしないのですが、正直今回はちょっと気になっています。取り敢えずまずはこの後、町山さんの(ラジオでの)映画紹介でも聴いてみようかな。
言い繕いではないのだろうけど、全員真相(深層)を語らず
最初から最後まで、なんかよくわからないまま進みました。
不安にさせる音楽と唐突に登場する人物たちに「この人って誰よ?」と今までのシーンを振り返り頭をフル回転、でもわからない……
みんな、誰と連絡取り合ってるの?蝶々愛好家?それとも不倫相手?
プロデューサー?兼不倫相手?
「私はトム(前夫)とジョー(現夫)以外は経験がない、ジョーは私の前に二人位とシテる」?「ボク(ジョー)はグレイシーしか知らない」?
エリザベスはなんでジョーといたしちゃったの?しかもジョー、めっちゃ早いじゃん!
結果、蛹から蝶になって飛び立つが如く、何か知らんが時が経ち人はそれぞれの想いを抱き色んな方向へ、ってことなんでしょうか、うーん。
制作にナタリーポートマンが名を連ねているので、彼女が「作りたい」って強く思って作品化されたのでしょうか。自身の脳内では上手く昇華されて完結した作品なのかもしれませんが、凡庸なワタシには理解しきれない作品でした。
それにしても、年齢差はあるのに二人並んだジュリアンムーアとナタリーポートマン、瓜二つなほど似ていて、演者さんてやっぱり凄いなぁと感心しました。
パンドラの箱を開けたのはだぁれ
タイトルの「メイ・ディセンバー」は
「親子ほど歳の離れたカップル」を意味する慣用句で
本作は実際に起きた事件に着想を得ていると言う。
36歳の女性教師が夫も子供もありながら、
13歳の生徒と関係を持ち
実刑を受けた獄中で出産。
出所後に二人は結婚し、暮らしている、との。
多くのスキャンダルが渦巻く米国でも、
とりわけセンセーショナルなできごとと思われ、
世間の耳目を相当に集めたことは想像に難くない。
本編では、その事件を基にした映画製作の企画が持ち上がり、
主演予定の人気女優『エリザベス(ナタリー・ポートマン)』が
役や作品を膨らませるため当の家族を訪れ、
インタビューやリサーチを行うという二重構造。
事件のことは社会から早く忘れてもらい、
静かに暮らしたいと願うのが普通の家族の気もするが、
とりわけ妻の『グレイシー(ジュリアン・ムーア)』は、
なぜか率先して彼女に協力する。
そこには、自分たちの正しい姿を知ってもらいたい、との
強い思いがあるよう。
とは言え、家族は一枚岩には非ず。
夫の『ジョー(チャールズ・メルトン)』は妻の意向を尊重するも、
後に生まれた双子を含めた三人の思春期の子供たちの感情は複雑。
映画化の企画すら無くして欲しいと考える者もいる。
『エリザベス』が家族の関係に踏み入る中で、
表面的には幸福そうに見えても、奥底に潜む闇が見えてくる。
暖かく見守っているかのような周辺住民も
実際は困惑の思いがあり、腫れ物を扱うようしている。
近隣に住む離婚した『グレイシー』の嘗ての夫や、その子供たち
(やはり『グレイシー』の実子)も同様。
とりわけ『ジョー』は、基本は婦唱夫随ながら、
抑えていた感情の揺らぎが次第に露わに。
さかのぼること二十数年前、
二人がそのような関係になったそもそもの経緯も含めて
霧の中に溶け込むように模糊とし、
夫婦の間ですら感情のすれ違いが起きてしまう。
やはり「よそ者」が入ることで、
安定して見えていた共同体が揺らぎ始めるとの物語。
とりわけそのかく乱者は、
表向きの優しい物腰や美しい容姿とは裏腹に、
作品や役作りのためであれば、
自身はおろか関係者をも平然と生け贄にできる「トリックスター」。
目の前の役柄に専心し、
残された者たちのことなど歯牙にもかけなくなる。
実に嫌らしく意地悪極まりないけれど、それが面白い
張本人グレイシーと映画化で彼女を演ずるためのリサーチに訪れた女優エリザベス、2人がメイクの仕方をネタに鏡の前で語り合うシーンが本作の白眉。明らかに色白のジュリアン・ムーアがややダークな肌色のナタリー・ポートマンに化粧を施し、そして鏡を揃って見る。無論、鏡がある前提で2人は本作映画のカメラに対峙している。ブロンドとブルネットと大きく異なる髪色、当然に実年齢は21歳も異なる、にもかかわらず双子のように鏡に向かってその存在を揺るがす様相が恐ろしい。
監督トッド・ヘインズ、出演ナタリー・ポートマンそしてジュリアン・ムーアのオスカー女優同士、とあらば観るしかないわけで、まるで何の予備知識もなしに鑑賞。後で調べましたらなんと実話! 13歳の少年と36歳の既婚女性の恋愛スキャンダルが20数年前に起こり、コトが表ざたとなり未成年相手ゆえに罪に問われ、実際に服役までし、しかも獄中に少年の子を出産とは凄まじい。こんな実際の事件を基に、映画化と言っても、事件からなんと23年後の設定(と言う事はほぼ現実の現在)で、しかも劇中で映画化のために主演女優が役作りのために訪れると言う、トッド・ヘインズらしい凝りに凝った設定。
と言う事は本作のためにジュリアン・ムーアは張本人に逢ったのだろうか?それもナタリー・ポートマンと一緒に? なんて考えだすと堂々巡りでラチが明かない。いかにも癖のある大女優ジュリアン・ムーアに、若きチャレンジャーとしての名女優ナタリー・ポートマンが挑戦してゆく映画として私は観た。簡単に言ってしまえばミイラ取りがミイラに、に近いものの、そもそも答えをまるで用意していない風情に、ひたすら混沌だけが残る。その意味で実に後味悪く不快レベルでしかない。けれど大女優2人がこんな低予算の作品に真摯に取り組み恥部を曝け出す寸前まで追い込む演劇的PLAYが面白いのもまた事実。
厭らしいのは過剰に大仰な伴奏音楽で、どうやら意図的にガンガンと何でもないシーンにドラマチックに鳴り響く。この違和感こそが監督の意図かもしれません。嫌がらせの排泄物が送られても、どこ吹く風の奇怪さ。リサーチとは言え、ここまで家庭の深部まで上がり込んでいいのかしらの違和感。挙句の果てはエリザベスはグレイシーの若き夫と出来てしまうとは。無論これは本作の脚色でしょうが、考えるだけでおぞましい。清楚なイメージのナタリーの壊れようが凄まじくて、面白い。
ラストはいよいよハリウッドでの撮影シーンで、ブロンドに染めたエリザベスが少年相手にラブシーンの語り。3テイク目にやっとOK出たにも関わらず、エリザベス自ら「もう一回やらせて」のシーン。役に入り込み過ぎたのか分かりませんが、明らかに主人公自身の混迷が見て取れる。本当に意地悪な映画です。
ストーリー?ライフだよ!
そりゃ自分の人生の2年間を切り取って映画にしたい人に物語って言われたら怒るよね。
最初から最後まで主題が分からずかなり戸惑ったし、
音がデカすぎるピアノはホラーだし、撮り方もホラーっぽいし、家族構成もとんでもなく複雑すぎるしで、衝撃というより混乱というのが正直なところ。
双子のお子様がかわいくてイケメンでこれからが楽しみなのと2人を並ばせた鏡の構図は面白かったかも。
ではこの夫婦がなぜ小さな街に留まったのか?
それは何もやましい事も恥ずかしい事もしてないから身を隠す必要がない、という感覚を強いと捉えるかサイコパスと捉えるかで見方は変わってくる気がするかも。
あと何であんなに素敵な暮らしができてるのか?なにで収入を得てるのか?その辺りを書いてもらえるともう少しだけ理解ができたのかも。
大まかにでも史実に当たってから見た方が良い映画だったのかも。メイディセンバーって親子ほど歳の離れた結婚のことを言うんだって!これも今調べたから!自分、簡単な映画見過ぎかも!
ラストシーンは失楽園のメタファーなのかも?あれだけ取材してメイクギラギラで子供を誘惑するグレイシーに落ち着くのも意地悪かも。そう考えるといろんなメタファー入ってたかもな…
かもかも、ばかりなのは本当にわかんなかったからかも!
トップカットのホームパーティーのシーン、あそこにいろんな伏線がある気がするのでもう一回見たいけど全部見るのは本当に苦行なのでサブスク待ちます。
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