メイ・ディセンバー ゆれる真実のレビュー・感想・評価
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迂回はあるも、雰囲気いいです。
ネット配信の映画を観ていると、たわいないストーリーでも実はよく我々の生活を活写しているな、そんな気分になることが度々あります。さて、この本篇のテーマは何か考えましたが、熱中時代や金八先生って理想の教師を描きますよね。こちらは多少問題有気な教師を映画化するお話です。教師は女優にスキャンダルの正当化を働きかける。女優はモデリングを繰返すうちに教師のしたたかな支配欲に気付く。児童性愛とウーマンリブが天秤にかかりますが、映像の先生と現実の先生、生徒にとって有益なのはどちらか、これは議論の余地があるようにも思えました。教育には実績と共感の双方が必要なのかも知れません。
何言ってるかはわかるが、何言いたいかはわからない
それほどつまらなくもないですが、妙にもったいぶってハッキリものを言わない煮え切らない奴みたような作品。
三人そろって何考えてんだか、何したいんだか、何が気に食わないのか、サッパリわからず意味不明。
これをもっとエスカレートさせたのがPTA、と言えばわかり易い?
癖強めの登場人物たちが多く、見ごたえあり。
終始、みぞおちに力を入れて鑑賞していました。
ドラマティックな内容で、緊迫感あります(音楽のせいもあり?)。
記者でもない女優が、役作りでそこまでするかというほど、時間と身体とエネルギーを使ってます。
どの登場人物にも、感情移入できず、穏やかな毎日の生活に感謝の念を思わず抱きました。
13歳の少年ジョーと36歳グレイシーが恋仲になり、グレイシーは罪を問われ、収監先でジョーとの子を出産。
この時点で、ツッコミどころ満載過ぎ。
しかも実話がベースらしい。
ペタジーニやマクロン大統領の結婚について知った時も、どちらもモテただろうになぜ?と驚いたけれど、女性が年上の年の差婚も希少ながらあるらしい。
でも、これはやっぱりグレイシーのジョーに対する性的虐待だと感じました。
本当にジョーを想うなら、彼が成人するまで待つのが大人の見識。
グレイシーは、私にはとても未成熟に見えました…密かに怖かったです。
俳優陣にも、映像にも、音楽にも、最後まで惹きつけられました。
まるで、自分が傍観者として映画の中にいる気分になりました。
どこまでがフィクションなんだろう。
実在の方々への配慮のなさが少し残念でした。
どうだろう?
世間では許されない年齢差の結婚(生活)の話しなのか?それを映画化するために近づく女優が焦点なのか?
何となく曖昧な終わりも尻切れトンボみたいで中途半端さだけが、目につく作品でしたね。
もう少しどちらかに寄ったらわかりやすかったかも?
にしてもナタリー・ポートマン、ジュリアン・ムーアの無駄遣い感😩
このような視点で描くのね
当時日本でも話題になっていた教師と生徒の事件。ものすごく覚えてます。ジュリア・ムーアの表情は、実際の彼女のそのもの。
それを映画化するという視点で描いたことで、少し客観的な角度からなぞることができま。
エリザベスは入り込みすぎ。入り込みすぎたことによって、彼女と同一化していく部分が恐ろしい感じがする。
ジョーの気持ちは結局どこに?子供たちの卒業式を見て、感無量の顔してたけど、自分の気持ちを妻にわかってもらえていないのが1番気がかりで、映画のラストで教えて欲しかった。
周りの人物の背景が薄くて、もう少し色んな事の理由付けが欲しかった。
途中、私の勝手な推測でグレイシーの夫であるジョーは、グレイシーが子供の頃兄に受けた性暴力によって産み落とされた子供なんじゃないかと思った。けどそこまではひどくなかった。
ナタリー・ポートマンとジュリアンムーアが秀逸。
特にメイクをしてあげる場面では、なぜか涙ぐみそうに。
余談。ナタリー・ポートマンは実際に大変頭が良く、良い大学を出ている。生徒たちにインタビュー受けて答えている場面は、知的な彼女自身の言葉に思えた。
ジョーという存在
さて、アカデミー賞脚本賞ノミネート作品で、ジュリアン・ムーア×ナタリー・ポートマン×トッド・ヘインズなら期待しかないと待ちわびていた本作品。しかし、映画.comの点数は低調(この時点で3.1)な感じです。それにもやや影響を受け劇場鑑賞の順番は後回しになりましたが、やはりこの作品は観ておこうとサービスデイにTOHOシネマズ日本橋へ。午前回は空いています。
と言うことで、今回も前情報を何も入れずに観たわけですが、正直なところあらすじくらい読んでおけば良かったと後悔するほど、話をつかむまでに時間がかかります。エリザベス(ナタリー・ポートマン)が関係者たちから聞き出す内容をもとに、グレイシー(ジュリアン・ムーア)にまつわる過去と関係性が徐々に明らかになっていく展開で、要所要所で流れる特徴的な劇伴はそのシーンを盛り上げるための効果音にも聞こえて、ユニークでありつつもちょっと懐かしい感じがします。そしてメインキャラクターの二人は期待通りの怪演で、特に終盤のエリザベスにグレイシーが憑依していく役作りの様子には役者魂を感じます。ですが、何より私を本作に惹きつけさせたのは、そんな二人の間でこの作品の肝となるジョー(チャールズ・メルトン)という存在。普段から言葉数は少ないのですが、グレイシーとの生活の端々に見える上下関係や、どこかしらに見え隠れする少年性。後半以降はもう彼から目が離せなくなる一つ一つのシーンが印象的です。チャールズ、あっぱれ。
と言うことで、配信が始まったらもう一度観直したい作品確定で、出来ればノベライズが読みたい!まぁ、洋書を探す限りノベライズは出ていないようなので残念ながらそれは無理そう。と言うことで、普段はあまり他人の考察を読むことはしないのですが、正直今回はちょっと気になっています。取り敢えずまずはこの後、町山さんの(ラジオでの)映画紹介でも聴いてみようかな。
言い繕いではないのだろうけど、全員真相(深層)を語らず
最初から最後まで、なんかよくわからないまま進みました。
不安にさせる音楽と唐突に登場する人物たちに「この人って誰よ?」と今までのシーンを振り返り頭をフル回転、でもわからない……
みんな、誰と連絡取り合ってるの?蝶々愛好家?それとも不倫相手?
プロデューサー?兼不倫相手?
「私はトム(前夫)とジョー(現夫)以外は経験がない、ジョーは私の前に二人位とシテる」?「ボク(ジョー)はグレイシーしか知らない」?
エリザベスはなんでジョーといたしちゃったの?しかもジョー、めっちゃ早いじゃん!
結果、蛹から蝶になって飛び立つが如く、何か知らんが時が経ち人はそれぞれの想いを抱き色んな方向へ、ってことなんでしょうか、うーん。
制作にナタリーポートマンが名を連ねているので、彼女が「作りたい」って強く思って作品化されたのでしょうか。自身の脳内では上手く昇華されて完結した作品なのかもしれませんが、凡庸なワタシには理解しきれない作品でした。
それにしても、年齢差はあるのに二人並んだジュリアンムーアとナタリーポートマン、瓜二つなほど似ていて、演者さんてやっぱり凄いなぁと感心しました。
パンドラの箱を開けたのはだぁれ
タイトルの「メイ・ディセンバー」は
「親子ほど歳の離れたカップル」を意味する慣用句で
本作は実際に起きた事件に着想を得ていると言う。
36歳の女性教師が夫も子供もありながら、
13歳の生徒と関係を持ち
実刑を受けた獄中で出産。
出所後に二人は結婚し、暮らしている、との。
多くのスキャンダルが渦巻く米国でも、
とりわけセンセーショナルなできごとと思われ、
世間の耳目を相当に集めたことは想像に難くない。
本編では、その事件を基にした映画製作の企画が持ち上がり、
主演予定の人気女優『エリザベス(ナタリー・ポートマン)』が
役や作品を膨らませるため当の家族を訪れ、
インタビューやリサーチを行うという二重構造。
事件のことは社会から早く忘れてもらい、
静かに暮らしたいと願うのが普通の家族の気もするが、
とりわけ妻の『グレイシー(ジュリアン・ムーア)』は、
なぜか率先して彼女に協力する。
そこには、自分たちの正しい姿を知ってもらいたい、との
強い思いがあるよう。
とは言え、家族は一枚岩には非ず。
夫の『ジョー(チャールズ・メルトン)』は妻の意向を尊重するも、
後に生まれた双子を含めた三人の思春期の子供たちの感情は複雑。
映画化の企画すら無くして欲しいと考える者もいる。
『エリザベス』が家族の関係に踏み入る中で、
表面的には幸福そうに見えても、奥底に潜む闇が見えてくる。
暖かく見守っているかのような周辺住民も
実際は困惑の思いがあり、腫れ物を扱うようしている。
近隣に住む離婚した『グレイシー』の嘗ての夫や、その子供たち
(やはり『グレイシー』の実子)も同様。
とりわけ『ジョー』は、基本は婦唱夫随ながら、
抑えていた感情の揺らぎが次第に露わに。
さかのぼること二十数年前、
二人がそのような関係になったそもそもの経緯も含めて
霧の中に溶け込むように模糊とし、
夫婦の間ですら感情のすれ違いが起きてしまう。
やはり「よそ者」が入ることで、
安定して見えていた共同体が揺らぎ始めるとの物語。
とりわけそのかく乱者は、
表向きの優しい物腰や美しい容姿とは裏腹に、
作品や役作りのためであれば、
自身はおろか関係者をも平然と生け贄にできる「トリックスター」。
目の前の役柄に専心し、
残された者たちのことなど歯牙にもかけなくなる。
実に嫌らしく意地悪極まりないけれど、それが面白い
張本人グレイシーと映画化で彼女を演ずるためのリサーチに訪れた女優エリザベス、2人がメイクの仕方をネタに鏡の前で語り合うシーンが本作の白眉。明らかに色白のジュリアン・ムーアがややダークな肌色のナタリー・ポートマンに化粧を施し、そして鏡を揃って見る。無論、鏡がある前提で2人は本作映画のカメラに対峙している。ブロンドとブルネットと大きく異なる髪色、当然に実年齢は21歳も異なる、にもかかわらず双子のように鏡に向かってその存在を揺るがす様相が恐ろしい。
監督トッド・ヘインズ、出演ナタリー・ポートマンそしてジュリアン・ムーアのオスカー女優同士、とあらば観るしかないわけで、まるで何の予備知識もなしに鑑賞。後で調べましたらなんと実話! 13歳の少年と36歳の既婚女性の恋愛スキャンダルが20数年前に起こり、コトが表ざたとなり未成年相手ゆえに罪に問われ、実際に服役までし、しかも獄中に少年の子を出産とは凄まじい。こんな実際の事件を基に、映画化と言っても、事件からなんと23年後の設定(と言う事はほぼ現実の現在)で、しかも劇中で映画化のために主演女優が役作りのために訪れると言う、トッド・ヘインズらしい凝りに凝った設定。
と言う事は本作のためにジュリアン・ムーアは張本人に逢ったのだろうか?それもナタリー・ポートマンと一緒に? なんて考えだすと堂々巡りでラチが明かない。いかにも癖のある大女優ジュリアン・ムーアに、若きチャレンジャーとしての名女優ナタリー・ポートマンが挑戦してゆく映画として私は観た。簡単に言ってしまえばミイラ取りがミイラに、に近いものの、そもそも答えをまるで用意していない風情に、ひたすら混沌だけが残る。その意味で実に後味悪く不快レベルでしかない。けれど大女優2人がこんな低予算の作品に真摯に取り組み恥部を曝け出す寸前まで追い込む演劇的PLAYが面白いのもまた事実。
厭らしいのは過剰に大仰な伴奏音楽で、どうやら意図的にガンガンと何でもないシーンにドラマチックに鳴り響く。この違和感こそが監督の意図かもしれません。嫌がらせの排泄物が送られても、どこ吹く風の奇怪さ。リサーチとは言え、ここまで家庭の深部まで上がり込んでいいのかしらの違和感。挙句の果てはエリザベスはグレイシーの若き夫と出来てしまうとは。無論これは本作の脚色でしょうが、考えるだけでおぞましい。清楚なイメージのナタリーの壊れようが凄まじくて、面白い。
ラストはいよいよハリウッドでの撮影シーンで、ブロンドに染めたエリザベスが少年相手にラブシーンの語り。3テイク目にやっとOK出たにも関わらず、エリザベス自ら「もう一回やらせて」のシーン。役に入り込み過ぎたのか分かりませんが、明らかに主人公自身の混迷が見て取れる。本当に意地悪な映画です。
ストーリー?ライフだよ!
そりゃ自分の人生の2年間を切り取って映画にしたい人に物語って言われたら怒るよね。
最初から最後まで主題が分からずかなり戸惑ったし、
音がデカすぎるピアノはホラーだし、撮り方もホラーっぽいし、家族構成もとんでもなく複雑すぎるしで、衝撃というより混乱というのが正直なところ。
双子のお子様がかわいくてイケメンでこれからが楽しみなのと2人を並ばせた鏡の構図は面白かったかも。
ではこの夫婦がなぜ小さな街に留まったのか?
それは何もやましい事も恥ずかしい事もしてないから身を隠す必要がない、という感覚を強いと捉えるかサイコパスと捉えるかで見方は変わってくる気がするかも。
あと何であんなに素敵な暮らしができてるのか?なにで収入を得てるのか?その辺りを書いてもらえるともう少しだけ理解ができたのかも。
大まかにでも史実に当たってから見た方が良い映画だったのかも。メイディセンバーって親子ほど歳の離れた結婚のことを言うんだって!これも今調べたから!自分、簡単な映画見過ぎかも!
ラストシーンは失楽園のメタファーなのかも?あれだけ取材してメイクギラギラで子供を誘惑するグレイシーに落ち着くのも意地悪かも。そう考えるといろんなメタファー入ってたかもな…
かもかも、ばかりなのは本当にわかんなかったからかも!
トップカットのホームパーティーのシーン、あそこにいろんな伏線がある気がするのでもう一回見たいけど全部見るのは本当に苦行なのでサブスク待ちます。
実力派女優の火花散る競演
ナタリーポートマンとジュリアンムーア。
歳の差20歳の実力派女優が競い合うように、
その演技力を余すところなく見せつけてくれる。
ストーリーの不穏さもさることながら、ふたりの静かな狂気を孕んだ女性像が、なんと恐ろしかったか。
実際、ナタリーとジュリアンの作り出す肖像が重なるあまり、この2人ってめちゃくちゃそっくりだったんだな!!という錯覚まで巻き起こす。
話の筋はさておき、最近よく見る、美人で派手でカラダも張れます!な女優さんたちとは一線を画した、その気になったら誰にでも何にでもなれるという俳優の恐ろしさを、存分に堪能できる作品だった。
“犯罪”を様々な立場で考える
観賞動機は「ナタリー・ポートマンが出ているから」それだけだった。
【物語】
女優のエリザベス(ナタリー・ポートマン)が、ある町に暮らすグレイシー(ジュリアン・ムーア)、ジョー(チャールズ・メルトン)と3人の子供の家庭を訪れる。20年前にこの夫婦が起こした事件を映画化することになり、グレイシー役を演じることになったエリザベスが役作りのために彼らを知ることが目的だった。
その事件とは、当時36歳の人妻だったグレイシーと13歳のジョーが恋に落ち、その情事が表沙汰になり世間を騒がせたのだった。そのことで服役したグレイシーは、ジョーとの間にできた長女を獄中で出産。出所後結婚した二人はさらに双子の兄妹を授かり、その双子も近々に高校卒業を控えていた。
エリザベスはその町にしばらく滞在して家族の元に足繫く通い、さらには事件後別れた元夫や元夫との間の子供達にも会いに行き、事件当時と現在の心境を聞いて回る
【感想】
観る気になったのは、冒頭に書いたとおりだが、それも公開数週間前に鑑賞予定に入れたままだったので、鑑賞時には観賞動機さえすっかり忘れていた。実質的に予備知識皆無で観始めたので、冒頭しばらくは「どんなストーリー???」となかなか呑み込めなかった。エリザベスが最初に登場したときには久しぶりに観るナタリー・ポートマンに気付かなかったくらい(笑)
話が進むにつれ、「そういう話なんだ」と徐々に分かって来た。そうなると、「これって、もしかして実話?」と思うようになって来た。観賞後に確認するとやはり実話がベースになっていることが分かった。
それを踏まえて改めて思い返すと、なかなか他人には分からない人の気持ちが、2人だけでなく、彼らを取り巻く周囲の人達のそれぞれの立場で丁寧に描かれていることが分る。(当然フィクションも含まれているとは思うけど。)
まず、思うのはグレイシーは刑事罰を受けるのだけど、これは「犯罪なのか?」というところ。不倫という点では道徳に反するところは明らか。相手が13歳というところで、日本でも現代では犯罪になるけれど。 グレイシーとジョーのケースはその後20年以上カップルの関係を維持・継続(刑事罰もありいつ入籍したか分からないが)し、子供も成人まで育て上げた。そういう意味では相手への愛情関係の責任を十分に全うしていると言えるだろう。
こんなことは稀なケースであるから、「未熟な青少年相手に大人が優位な立場で性的関係を結んではいけない」という理屈は分かる。そういう意味では事件発覚時に刑事罰を受けたことは妥当と言えるかもしれないが、20年経過したこの夫婦を今の時点では他人が白い目で見るのは違うように思える。少なくとも俺は忌み嫌うとか「気持ち悪い」と思うことは無い。 大人同士が結婚して、子供を作って、簡単に分かれてしまう夫婦より、ずっと素敵なカップルだと思う。
本作を観て思い起こすのは先日観た“プリシラ”。これはエルヴィス・プレスリーが兵役中にドイツで出会った米軍将校の娘である14歳のプリシラに恋をして、退役後彼女が15歳くらいのときに自宅(プレスリーの両親も同居)に住まわせて、大人になるまで待って結婚するという実話。映画では18歳くらいまでは性的関係を持たなかったことになっているのでこちらは犯罪扱いにはなっていないが、世間一般の概念ではかなりきわどい話かと。
性的関係を持たなければ純愛で性的関係を持つと犯罪なのか。俺的には自分の欲求だけで考えているか、相手を大切な存在として考えているかが、犯罪と純愛の分かれ目だと思う。そういう視点では、グレイシーとジョーの関係はお互いを大切に20年を過ごしたものと思う。
もちろん、相手を大切に思えばこそ青少年が自ら正しい判断を下せる年齢まで大人は自制するというのが模範解答なのだと思うけれども、その年齢は幾つが妥当なんだというのは相当難しい。日本の法律・条令では18歳が基準になっているようだが、一方で「同世代ならもっと低年齢でもOK」というのも「なんかなあ」という気はする。この基準は世界一律の訳もなく、絶対的に正しい基準などあるわけないのだが、法律・条令はどこかで線を引かなければならないので仕方ないけれど・・・
一方で、グレイシーのケースは不倫なので元夫あるいは元夫との間に居た子供を傷つけた事実も描かれていて、そういうグレイシーの罪は免れないこともしっかり描かれている。
個人の価値観、倫理観で感じ方はそれぞれと思うが、グレイシー、ジョーの2人だけでなく、周囲の人間の当時と現在の気持ち両方を丁寧に取り上げているところに好感を持てる。
最後に目当てのナタリー・ポートマン触れておくと、若い頃とはまた違う魅力が感じられて満足しました!
ちょっと難しい
少年との不倫や獄中出産を軸に話が進むが、過去の事件を再現映画作成のために取材する設定がわかりにくい。海外の俳優のため年齢がわかりにくく、歳の差夫婦というのに気付くのに時間がかかってしまった。
もっと予想もつかない展開を期待してたのに、、、!
13歳と36歳主婦が恋愛して、獄中出産した夫婦を題材にした映画に出演予定のエリザベスが実在のモデルに会いにいき、役作りの参考にするため一緒に生活するのだが、、、、、。
最初は、どんなにタブーを犯しても、行き着く先は、生活でしかなく、24歳差の恋愛なんて別に不思議じゃないよね?って話かなと思いきや、後半はグレイスの幼稚性が出てきて、実は洗脳なのか?と匂わせありで、蝶々が飛び立つシーンはお別れを暗喩させたり、、、、。
何が言いたいんだか、全くわからなかった、、、、
そしてサスペンス調の古い時代にありそうな大袈裟な音楽が不快だった。なんであれ?
唯一、よかったのはジュリアンムーア!めちゃ色っぽかった。思い込みの激しい演技もよかった!ただもっとエロほしかった〜!
実は、旦那は溺愛しすぎた自分が捨てた息子でした!みたいなエグいオチを期待してたのに、全然衝撃展開なしでした。
しかし13歳で世間を騒がせた少年と獄中出産の元主婦が、主婦の手作り菓子だけの商売で、郊外とはいえあんなにでかい家住めるの? 子供も大学まで行かせてさ。お金どこからわいてんねんねん!とツッコミ入れたくなりました。
深い闇?
二人の愛情が本物だとしても、やはりこの年の差では世間の目もあるし、家族の中も難しいですね。それに加えて取材をされるとどうしても色んな闇を掘りかれされる事になりましたね。設定上もあるのでしょうけど、二人は髪の色が違うだけでそっくりですね。
腑に落としたくても、できなかった。
ふんわりとしていて、何がどうしたかったのか、トッド・ヘインズの意図がキャッチできませんでした。「解った気にさせる」というのがスクリーンの中と観客とへのダブルミーニングな仕掛けならば「解った気になれなかった」僕は置いてけぼりでした。
第三者が取材する形にしたのは正解なのかも
23年前、当時36歳の女性グレイシーは、23歳年下の13歳の少年ジョーと恋に落ち、その2人の関係はジョーが13歳だったため大スキャンダルとなった。グレイシーは未成年と性的関係をもったことで罪に問われて服役し、獄中でジョーとの間にできた子どもを出産し、出所後に2人は結婚した。それから20年以上の月日が流れ、いまだ嫌がらせを受けることがあっても、幸せに過ごすグレイシーとジョーだった。そんな2人を題材にした映画が製作されることになり、グレイシー役を演じるハリウッド女優のエリザベスが、役作りのリサーチのために彼らのところにやってきた。エリザベスの執拗な観察と質問により、夫婦は自らの過去とあらためて向き合うことになり、同時に役になり切ろうとするエリザベスも夫婦の深い沼へはまっていく、という話。
アメリカで1996年に実際に起こった事件を基にしているとのことで、知らなかったから衝撃を受けた。メイ・ディセンバーとは、直訳だと5月12月なんだけど、親子ほど歳が離れたカップルを意味する言葉らしい。
女優のエリザベスが第三者として妻グレイシーに質問する、という形を取ったのは、それだけグレイシーの考えてる事が理解出来ないからだろうと思った。
自分の子供と同級生の子を運命の人、なんて思う神経がわからない。
実際の事件の妻は亡くなったようだが、夫はまだ41歳で生存しているため、彼のプライバシーも考慮する必要があるだろうし。
衝撃的な事件があったのだと知れたのは良かったが、描くのも理解するのもなかなか難しいと思った。
エリザベス役のナタリー・ポートマンは年齢重ねても変わらず美しかったし、演技は素晴らしかった。
気になるぐらいの音楽
正直、ナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーアの二人が共演
っていうだけで観てしまいました。
単調に進んでいき抑揚がなかった。
その割には気になるぐらいの音楽。
メロドラマかサスペンス劇場かと思うほどの音楽。
すっごく気になる音楽でした。
本当にあった話でテーマとしては面白いけど
結局何が言いたかったのか・・・って感じ。
ナタリーポートマンの‼️❓女優の覚悟‼️❓‼️
マザコン少年とロリコンマダムの行き着く果てなんて、どうでも良い、ああそうなんですね。
ただ、女優のこだわりが、描きたい、ただ、それだけ。
ぼかしはあるけど、ハードコアかと思うばかりの体当たり演技、恐るべし、ナタリーポートマン、レオンやブラックスワンをあげなくても、その演技力は、こうした入れ込んだ、恐ろしき探究心にあるのか、なるほど。
日本なら奈緒なら受けるんでしょうね、でも、長澤まさみか柴咲コウで観たいもんです。
ナタリーポートマンの凄い演技を観るために、是非。
全66件中、21~40件目を表示