メイ・ディセンバー ゆれる真実のレビュー・感想・評価
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これはかなり "変な映画" 。「どう "変" か?」は各自で考える...
これはかなり "変な映画" 。「どう "変" か?」は各自で考えるのが良いのだろうが、2回目観ると結構印象が変わるのではないだろうか?
「アプローチが変」なのである。
女優エリザベスの演技アプローチも、迎え入れるグレイシーも、ジョンが一皮剥ける表現も、トッド・ヘインズ監督のアプローチも、さんざん扱われてきた事件が題材だから。
主要人物の三人共素晴らしい演技。子供たちも。それと何故か映画全体が なんかぼやけてる様な画面だと思った。
5月と12月はアメリカで「年の離れた」と言う意味があって1996年に実際にあったメイ・ディセンバー事件に着想を得ている。
この事件から影響を受けたドラマや映画がいくつかあるらしい。
思い出すのは『あるスキャンダルの覚え書き』とか、日本のドラマでは松嶋菜々子の「魔女の条件」や有村架純の「中学聖日記」を思い出すが、この映画はアプローチが全く違っている。
メロドラマ風の音楽がわざとらしく変なタイミングで流れるが、音楽担当はベテランのマーセロ・ザーボス。 "真剣なコメディ" に見れてしまうのも、この映画の特徴なのか。
グレイシーの意志の固さということでは、映画というものの表現力を目の当たりに見せつけられる
<映画のことば>
私は無邪気なの。
昔から、ずっと。
ある意味、優れた資質よ。
〈映画のことば〉
「映画のためだ。大勢の人が観てちゃんと理解すれば、君がもっと楽になるかも知れない。」
「私が?」
「僕たち2人が。」
幾重にも折り重なった、複雑な人間関係の深淵を前に、その内面の深淵に何とか切り込もうとするエリザベスの執念にも目を見張りますし、自分の信念のためには(法を犯しても―それは日本で言えば児童に対する不健全異性行為・不純異性交遊といった感じか?)自我を貫こうとするグレイシーの意志の固さも、観終わって、心に残ります。
「ふたりの関係は犯罪だったのか。ロマンスだったのか。当事者の心で追うか、よそ者の目で追うか」というトレーラーのうたい文句は、本作の、そういう核心を、ものの見事に射抜いていたとも思いますし、「ゆれる真実」という本作のサブタイトルも、正鵠を射ていたと言うべきでしょう。
もともと、本作のタイトルの「メイ・ディセンバー」は「(結婚・恋愛で)親子ほど年齢の開きがある」を意味するスラングのようですけれども。
13歳の少年との間の子を獄中で出産したというグレイシーを演じたジュリアン・ムーアの演技の半端のないミステリアスさ。
そしてグレイシーという人物の内面の深淵に迫るエリザベスを演じたナタリー・ポートマンの演技が、グレイシーを演じたジュリアン・ムーアの演技のミステリアスさをいっそう引き立て、倍加させる―。
「お互いを引き立てる関係性」ということで言えば、それは、あたかも、シャーロック・ホームズと、ジョン・H・ワトソン博士との関係性
を見ているようかのように、評論子には思われました。
否、二人の関係性というよりは、ジョーやエリザベスの人生をも、まるで渦(うず)のように自らの人生に巻き込もうとでもするかのようなグレイシーの意志の強さは、ホームスにとってのワトスン博士の程度にとどまるものではなく、驚愕を超えて、はるかに戦慄すら覚えるほどです。
観終わって、その名優ふたりの演技の表現力は心にずんと胸に響き、その表現力から「これぞ映画」と快哉を叫びたくなるような一本だったと、評論子は思います。
グレイシーの真意に迫ろうと切り込むエリザベスにしても、所詮は「他者を演ずること」を生業としているに過ぎない俳優と言ってしまえば、それだけのこと。
取材を通じて、エリザベスは何をどれほど得ることができたのか。どこまでグレイシーの真意に迫れたのか。
秀作だったと言って、間違いのない一本だったとも、評論子は思います。
【不健全性的行為】
不健全性的行為とは、「18歳未満の少年に健全育成上支障がある」と主張される性的行為を指す語。場合によって不純異性交遊、不純異性交際、性的逸脱行為などとも通称されることがある。これらの語は性的自由の制限を肯定する立場から使用されることもある。[weblio]
不健全性的行為については、性的行為の結果に対して十分に責任を取ることが難しいとも予見される年少者が、適切でない場面において性交などを行うことについて、少年保護の観点から補導を行うという趣旨であるとの見解もある。
一方、刑法上は性的同意年齢が16歳であり、16歳以上の個人的な営みである性行為を、一方的に不純・純粋などと定義するのはおかしいとする批判が昔から存在している。
1990年代以降、雑誌やインターネットな様々なメディアを通して、文章や写真、動画などによる性的情報へのアクセスが容易になり、性風俗店も広域化した。少年・少女の性行為経験率も上昇しているとして、不健全性的行為を性感染症予防の観点から考察する論もある。[前同]
真実とは
鏡の中の鏡
感情って、説明がつかないものだし、共有できないもの。
作品の真の意図はなんだ
演技演出は魅せられるが、
実際あった36歳の家庭ある女性と韓国系13歳の少年との愛。
客観的にはスキャンダルでしかない、女性の家庭は壊れても、女性は愛を信じる。
まるで洗脳されたかのような成長した少年はサナギから蝶になった自らを窓から放つ。
愛ならば、それでいい。
他者は分からなくても二人だけが分かっていたらいい。
愛ならば、いいのだ。
邦題にあるように、揺れてしまう、ところがあるからスキャンダルにしかならない。
(まあ、愛を愛だと描いても面白くない、からか。
虫だって変容する、人間だって揺れ変わる。
それを描きたかったのだろうね。
この監督さん、心の揺れ動き、裏表がすきだから。)
愛を美化するのも、避妊せず妊娠出産して愛の結晶とするのも母性も、
ある種の脅迫めいた精神暴力だともみた。
僕が男性だからか。
ナタリー・ポートマン、製作も担当。相変わらず素敵である。
ジュリアン・ムーア、いつもの定番演技。
魅せられるがそれを超える脚本ではない。
ハリウッド商業主義
2023年で一番、賛否の分かれた映画だとか。
この映画はアカデミー賞に限れば、脚本賞にだけ、ノミネートされた。
そこで脚本を書いたのは、サミー・バーチという名の女性で、
サミー・バーチは原案者でもある。
サミーさんの写真を見ると、30代後半に見える活発そうな女性。
(経歴は全く分かりません)
この映画のモチーフになった「メイ・ディセンバー事件」は、
アメリカでは、「ジョンベネ殺人事件」と1、2を争う加熱報道に
晒された事件との事です。
ミステリーおたくの私は、5歳のジョンベネちゃんの可愛い映像を
1ケ月位毎日テレビで見たものです。
「メイ・ディセンバー事件」は記憶にないです。
ジョーのモデルになった青年(と言っていいほど、イキイキして
利発そうな顔をしたちょっと浅黒い肌の混血男性)
「僕には事前になんの相談も取材もなかった」
「聞いてくれたら、チカラになれたのに、実際はもっと複雑なのに」
この映画のジョーは無力な指導権をグレイシー(ジュリアン・ムーア)に
奪われて、父親としても、たった13歳しか歳の差のない自信のない姿。
ラストの方のシーンに双子の娘と息子の
ハイスクール卒業セレモニーがあります。
それは校庭なのか日差しが眩しく、ひな壇に並ぶグレイシーとエリザベス
(ナタリー・ポートマン)はサングラスを掛けて座っている。
ジョー(チャールズ・メルトン)は校庭の片隅のフェンスに、隠れるように
双子の晴れ姿を嬉しそうに見つめている。
決して家族4人の晴れやかな写真撮影やお祝いの家族パーティーは、
開かれないのです。
全米の好奇に晒された青年の1996年から20年以上にわたる年月。
ハリウッドの権力者・・・制作者・監督・原案・脚本そして
2大演技派実力派女優は、彼の受けた差別や心労、
乗り越えてきた苦悩に、ほんの少しでも報いただろうか?
彼の事件を蒸し返した罪に、気が咎めただろうか?
ラストシーン。
グレイシーそっくりの赤毛と、かなり着膨れて太らせて、
ジュリアン・ムーアに似せたナタリー・ポートマン。
「毒ヘビではないのよ、怖がらないで」
このシーンこそ憶測と推測の創作に過ぎないのです。
グレイシーが、言う。
「私の心は満たされているの」
誰だって、そんな気持ちの日もあります。
ジョーの心は満たされていたのでしょうか?
グレイシーは故人です。
ジョーの胸の内・・・こそが知りたかったです。
モデルになった無力な青年には、反論の機会もチカラもないのです。
不快を煽る大音響が何回も鳴り響く音楽。
見終わって虚しさと疲れを、とても感じました。
うーん
当事者の気持ちは理解しようがないと思う
題材となっている事件はワイドショーが好みそうな低俗で醜悪な切り取られ方もできるものではあったろうが、性的に健康で魅力的な男性と魅力的な女性が出会い情熱的な関係を持った話とすれば純文学にでも昇華できるものでもあろう。その時、そこでどのような心の動きがあったのか、何がきっかけで気持ちが動いたのか、なんてそれはきっと生物としての感覚が二人をそうさせた結果だろうから、実は当事者すら本当のことを記憶できてないのではないか。 だからそれを物語として虚構の中で再現することなんてどのような努力を以ってしてもできないように思う。
だから、監督さんには事件について相応の解釈はあったのだろうけど、その解釈に沿ってこの作品を追ったり、理解しようとしても、どうしても歪みが出てしまうのだろうと思った。ましてやそれを理解するために追体験して再現しようとするのが一つのテーマとして描かれている訳で、そうなると歪みから捻れになってしまった。
それが鑑賞後のモヤモヤの理由かもと思った。
二人の女優さんの力量のためか、作品としては緊張感も最後まで途切れず見応えがあったと感じた。でも理解できないシーンや設定は少なくなかった。 それはそれでいいんだろうと思った。
キャストに釣れれて見に行ったが大分狂ってる 隠れてる部分がわかり難...
どうだろう?
二重・三重・四重
May-December (5月-12月)とは、年齢が大きく離れたカップルを意味する言葉です。夫のある36歳の女性が13歳の少年の子を妊娠し、成人による性的暴行の罪で入った刑務所で出産し、出所後に結婚したという1990年代にアメリカで実際にあったセンセーショナルな事件に材を取ったお話です。この事件は当時日本でも報じられ、米マスコミの熱狂ぶりも話題になりました。
この映画は、それを単になぞるのではなく、この出来事をドラマ化する物語言とう二重構造にしたのが特徴です。事件当事者の女性・グレイシー役を演じる女優・エリザベスが取材の為に自宅を訪れると言う形でお話が進みます。グレイシーは、自分たちの行為は歳の差こそあれ愛の行為であると語りますが、グレイシーの目からそれは欺瞞的にも映ります。でも、グレイシーはグレイシーで、自分の演じるドラマの為にエリザベス夫妻を興味のままに消費しているだけの様にも映ります。更に考えれば、そのグレイシーを撮っている本作のカメラも事件を二重に消費しているんじゃないかと思えます。そしてもっと引いてみると、その映画を観ている我々も好奇心のままに覗いているだけの様な気がして来るのでした。
一体、どこに「真のカメラ」があり、何を描こうとしているのか分からないその不安定感が観る者を揺さぶります。そして、背景で流れる音楽が何処か煽情的で安っぽく、我々の不安を更に高めます。
いやぁ、何とも意地の悪い映画だわぁ。
真に恐ろしきは人なり
36歳のグレイシー(ナタリー・ポートマン)が13歳のジョーと関係を持ち(これ犯罪です)
獄中出産、出所後に結婚して家庭を築くという、スキャンダラスな触れ込み(予告の煽りもこれです)で
ナタリー・ポートマン演じるエリザベスが、グレイシーを映画作品として演じるという導入です。
グレイシーはジョーから「誘惑された」と言い、ジョーを精神的にも拘束していて、
自分の思い通りにコントロールしている。自分の家族と過去に結婚していたときの家族と
いまだに関係があり、それを良しとしているかなり“変”な人だったりするのです。
そしてエリザベスも役者として完璧にグレイシーになりきろうとするあまり、
グレイシーとジョーの関係の深掘りをするんですね。
これもプロフェッショナルというか、こだわりがハンパないというか、
であるがゆえに、ジョーとも関係を持っちゃうんですね。仕事として必要だから。
ジョーはめっちゃ傷つくんですけど、そんなの気にしないくらいにビジネスライクなわけです。
ここまでくると“ヤバい”人だったりするのです。
さらにジョー。
ジョーは13歳で大人になってしまったため、青春時代を過ごしていないんですよね。
だから、蝶々🦋つながりの女友達とたぶん不倫したいと考えちゃっているし
失った青春時代を取り戻したいという欲求がどこかにあるんですよね。間違いなく。
そういう状態だから、エリザベスに誘われるとコロっといとも簡単に関係を持っちゃう。
それがビジネスだと知ると、すげぇ傷つくわけですね。なんと純粋なんでしょうか。
タバコも吸ったことがなくて、じぶんの子どもから「マジで?」と言われるくらいですからね。
というわけで、主要人物が全員ヤバいやつなわけで、
これはもはやスリラー?ホラー?というくらい、人って怖いよね・・・と感じてしまう作品です。
そして何が真実かわからない!
だから副題の「ゆれる真実」には、なるほどなぁと唸りました。
トッド・ヘインズ監督は女性を美しく見せる天才だと思いますが、
今作のひねり方は尋常ではないですね。
すごいつくりだな・・・と思う一方で、好きかどうかは別です。これは好きって言えない作品かも。
いやぁ、余程の映画好きしか観ないでしょ。コレ。
よくわかるのはデイブさんの解説動画
突然じゃじゃーんと大音量で入ってくるピアノの劇伴が火サスっぽくてドキッとする。ジュリアン・ムーアとナタリー・ポートマンの表情に的を絞った長回しの緊張感、実像と虚像が交錯する鏡の場面、喘ぎ声をも思わせるペットショップでの動物の啼き声、芋虫がサナギになってチョウになって羽ばたくカット。そんな思わせぶりなネタふりが多々あるものの、結局、大事は起きず、いろいろわからないまま終わるもやもやドラマ。まあ、それこそがこの作品のテーマということか。
当然、元ネタとなった30年近く前のショッキングな性虐待事件、当事者たちの真の気持ちはよくわからないが、ポートマン自身の13歳でのレオンへの出演関して今になって思うところがいろいろあるようなので、それゆえ本作の製作に加わっていることは間違いない…って、いや、ホントのとこわかんないけど。
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