メイ・ディセンバー ゆれる真実のレビュー・感想・評価
全98件中、21~40件目を表示
当人同士にしか解らんね
「もっとリアルにやるから」
映画の撮影中らしい、
エリザベスのラストのこのセリフに集約されている。
リアルってなんやねん、という感情が渦巻いとります。
当人同士にしか解らん。
受取側の倫理観と憶測からでしかないですもん。
といいつつ、
音楽が不穏で猜疑心を煽るし、
ジョーが洗脳されていた感じに、
わたしたちを誘導している風でしたが、
概ね、本当の事件に対しては、
純愛でしょー、とは思えないものなー。
ただ、これが実際の事件じゃなくて、オリジナル作品だったら、
ものすごーく面白いサスペンスだし、
やはり、事実は小説よりも奇なりを地でいってますね。
ジュリアン・ムーアの少女のような不安定さがチラホラと垣間見える、
到底60歳には見えない美しさと可愛らしさの女優の貫禄と、
それに飲み込まれそうになりながら、
役柄同様 「女優よ、わたし」 的に踏ん張る
ナタリー・ポートマンとの競演が素晴らしく、
また、ジョー役のチャールズ・メルトンの雰囲気と声がたいへん魅力的で
この三人がどうなっていくのか、ドキドキしながら、
終始引き込まれてしまっておりました。
駄作の一言
うーん
ナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーアの無駄使い。
と言うか、ポートマンが脚本を気に入って出演したなんて正気の沙汰とは思えない。
言うても二人の、俳優としての、シーンを切り取って見た演技は一級品だ。そこだけで一応☆1つ。
でも徹底的に脚本が浅いわー
これでオスカーの脚本賞ノミネート……?
それと、他にも書いている方がいらっしゃったけれど劇伴が最悪。これだけでも途中で席を立ちたくなった。古臭いサスペンスドラマの大袈裟な楽曲で、よくこんな音楽監督が採用されたものだ。
あっ もしかして劇中で「オレに音楽監督やらせてくれ」と売り込んたあの息子がホントに担当しました、という手の込んだ劇中劇的な伏線か?
原作は読んだことない。
けど、面白そうだったので観てみた!
どういう話しかはなんとなーく知ってたけど予備知識ほぼない状態でも説明場面場面で観て簡単に理解は出来る。
が、なんだろう観終わった後の“ん…だか…ら?”感
伝わるかなぁ…(´・ω・`)
とにかく違和感なんだよね、観終わったあと。
未成年が好きになりました、はい。
子供産まれてその子たちも成人しました、はい。
それに関して映画化されます、はい。
主演女優が本人の密着取材にきます、はい。
気持ち悪いぐらい隣人が優しいです、?…はい。
密着歓迎するけどやっぱ我慢なりません、?はい。
年下旦那徐々に当時の違和感覚えます、はい。
女優と旦那がsexします、?あー演技入れ込み過ぎた感じ、はい。
卒業式旦那参加しないで遠くで見てます、?
撮影シーンねっとりした感じで演じます、?え?!そんな風に捉えるなら密着意味あった?‼︎できるだけ彼女に優しくしてって言われてたじゃーん!!
…考察見たらまた感想変わるんかな?
とにかく違和感。言語化難しいけど。
考察見た(`・ω・´)この違和感を文章化できるのすごい。とても納得
ただ評価は変わらずだね。刺さらなかったや。
長々書こうと思えば書けるのかな…いや、書けないな。文才ない(´・ω・)残念ながらね
全てに技あり!
ドット・ヘインズ監督とジュリアン・ムーア信者です!
なので公開を楽しみにしておりました
実際にあった事件を基に作られた作品
タブロイド紙やワイドショーが飛び付く題材で
ありながらも安っぽいスキャンダルとしてではなく
当事者である2人の過去と現在の感情や本心
ゆがみを周囲の人物を巻きこみ繊細な心理サスペンス的ドラマとして描かれている脚本は
アカデミー賞ノミネートも納得の出来栄えです
重層かつ美しいミシェル・ルグランの旋律も
聞き逃せない!登場人物達の心理状態を場面に応じて表している様だった
内容的に理解や共感は出来ないが
役作りのため当事者達に話を聞く女優エリザベスを演じたナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーア2大女優がぶつかり合う渾身な演技も大いに見応えある117分でした
評価低い?私は面白かったです!
シリアスなドラマだと信じて最後まで見た後で、「これはコメディだったのか!?」と気づきました。
腹のさぐりあいや意地の悪さが前面に出ていて、オモシロ要素に気づきにくかったのです。私も理解力がまだまだだと気落ちしました。
父親ジョーががすごく若いので、誰が親なのか子なのか兄弟なのか…やはり異常さをそこはかとなく感じます。
そしてグレイシーの子どもたち、皆どこかしら違和感のある性格をしています。
これは人によって見方が異なるでしょうが、私は彼女が何かしらの精神疾患を抱えている、ように見せる芝居をしていたと思っています。
それも病的といえば病的で、人をコントロールするタイプの人間であるジュリアン・ムーアが本当に怖いです。
主要人物は3人。
36歳→59歳になった妻グレイシー。13歳→36歳になった夫ジョー。そして、映画化の役作りのために接近してきた女優エリザベス36歳。
冒頭の印象は、明るく一見人柄の良さそうなグレイシー、少しぼんやりしていて幼い感じのジョー、洞察力を発揮して二人を見つめるエリザベス、という感じ。
見ている側は、エリザベスに感情移入し、グレイシーにあると予想される心の闇が暴かれていくのを期待します。
しかしそれはミスリードであり、思わぬ展開になっていきます。
冷静にグレイシーとその周辺のリサーチをしていたと思われたエリザベスですが、徐々にエスカレート。グレイシーをミラーリングし、一体化していきます。
そしてついにはジョーを誘惑して寝取ってしまい…怖い怖い!
完全に役作りの域を越えて、グレイシーは小児性愛者なのではないか、ジョーを手なづけた(グルーミングした)のではないか、そうなった原因は兄からの性的虐待にあるのではないか…そんな疑念と確信を重ね、グレイシーという人物になりきっていくのでした。
いやそれは「なりきったつもり」だったのかもしれません。
他にも、グレイシーの支配下にあったジョーが、精神的に自立していく物語があり、グレイシーもまた見た目に反して非常に業の深い人物として描かれています。
三者ともに闇が深く、とても複雑な感情でねじれ合っているわけですが、終盤になってエリザベスがつかんだと思っていたグレイシーの本質が、間違っていると暗に指摘されます。
煙に巻かれ、呆然とするエリザベス。
彼女はそのままグレイシー役として撮影に望むのですが、これまで一体何をリサーチしていたのかと思わせるような、メロドラマを演じます。
ゆれる事実というタイトルは皮肉で、結局映画として消費される事実は、本来の複雑さを表現しきれるものではない、という映画となっています。
この入れ子構造がとても面白いと感じました。
結果的に二人の女性のどちらが勝ったのでしょうか。
本当の自分を明らかにさせなかったグレイシーの勝ちか、ジョーを寝取ったエリザベスの勝ちか…。
私は、エリザベスの敗北のように感じました。
彼女の介入によって夫婦のあり方が紐解かれていきましたが、一方のエリザベスは、グレイシーの真の姿をつかんだかというと、そうでもないからです。
エリザベスという女性の怖さは年季が入っており、そこらの人間では太刀打ちできないものだったのではと感じています。
映画サイトでの評判はいまひとつのようですが、私にはとても面白い映画でした。
トッド
トッド・ヘインズ最新作
「ハンクオーバー」「ジョーカー」の監督⁉
それはトッド・フィリップス
「ウェルカム・ドール・ハウス」「ハピネス」は⁉
トッド・ソロンズ
「Tarター」
トッド・フィールド
「ベルベット・ゴールドマイン」「キャロル」のトッドの方
齢50も過ぎると覚えられない…
トッドといえばラングレンだろう!は、もう少し上の世代(ジュリアン・ムーア アタリ⁉)
気づけばナタリー・ポートマンもオーバー40
光陰矢のごとしである…オワリ
90年代の初めに話題になった「メイ・ディセンバー事件」。 夫も子ど...
90年代の初めに話題になった「メイ・ディセンバー事件」。
夫も子どももいる36歳の女性グレイシーが13歳の韓国系の少年ジョーと肉体関係を持って実刑となった。
のみならず、妊娠したグレイシーは獄中でジョーとの間の子どもを出産、刑期を終えたグレイシーはジョーと結婚した。
それから23年、事件が映画化されることになり、グレイシーを演じる女優エリザベス(ナタリー・ポートマン)がリサーチのために、幸せに暮らしているグレイシー(ジュリアン・ムーア)とジョー(チャールズ・メルトン)のもとを訪れる・・・
といったところからはじまる物語で、エリザベスを通して「メイ・ディセンバー事件」の真実が明らかになっていく・・・というところを、まぁ、期待する。
それは概ねそのとおりで、グレイシーとジョー以外にも、グレイシーの元夫や彼との間の息子などへのインタビューを通して事件が描かれていくわけだが、観客が期待するようにはならない。
というのも、事件が回想シーンなどの映像で示されることはなく、それゆえメロドラマの要素はほとんど皆無な無機質な語り口で、事件と事件のその後と現在が語られていきます。
それだけでも、なかなか取っつきにくい類の映画なのに、トッド・ヘインズ監督は、何気ないシーンに大仰な音楽を付けて、大いなる異化演出を試みます(音楽は、マーセロ・ザーヴォス)。
で、グレイシーの内面に近づこうとするエリザベスは、徐々に彼女に似てくるのですが、それとても『ルームメイト』のようなサスペンスからはほど遠い。
さらに、観客が興味を惹くであろう、グレイシーの生活の背景(いわゆるスキャンダラスで、それならば、そういう事件を起こしても仕方がないな、と思わせるもの)も、元夫との間の長兄(いまは十分に成長して壮年になっている)の口から語られるのだけれど、それもあっさりと否定される。
ただし、否定するのがグレイシーなので、それが真実かどうかはわからない。
つまり、事件そのものは、いまとなっては藪の中のごときものなのかもしれず、エリザベスはグレースを演じる手がかりを失ってしまう。
表面的なものは似せることが出来、それは手に入れるのだけれど。
で、観客も同じなのかというと、そこがちょっと微妙にちがい、終盤、寝室で語られるグレイシーとジョーの会話から真実らしきものを拾いあげることができる。
グレイシーはジョーと暮らし始めても、事件のことを語ってこなかった。
ふたりを結びつけた重大でセンシティブな事柄にも関わらず。
ジョーには、それが不思議で不満で、もしかしたら愛なき生活を続けていたのだろうかと、不安だった。
グレイシーから語られる事件の顛末は・・・
ここは書かないでおくが、このグレイシーの発言が映画の微妙なラストにつながって来る。
グレイシーが少年ジョーと関係を持つ直前のシーンの撮影なのだが、ペットショップのバックヤードでの情事の直前だ。
エリザベス演じるグレイシーと少年の間にいるのは、蛇。
聖書にある誘惑の原因・・・
だが、ここでの蛇は、映画における「わかりやすい真実」のモチーフとして「ただ用いられた小道具」としての蛇だろう。
そう容易く人間のこころには到達できない。
グレイシーという女性のセンセーショナルな映画を観たかっただろうけど、それは描かないよ。
ジョーの気持ちは、少し描いてみせるけど。
メロドラマみたいな、わかりやすい真実なんてないんだよ・・・とトッド・ヘインズ監督は、はぐらかしているのだろう。
と、なかなか消化できない難しい映画でした。
事件を描いた作品かと思いきや
結局はナタポとジュリアンの闘いを描いていた。
彼氏を寝盗り、ジュリアの全てを理解したと確信したナタポだが、最後にジュリアンにいっぱい喰らわせられてしまった。
ラストのあのシーンを何回も繰り返すのは、ナタポの喘ぎなのだろう。
ただ、映画としたら面白味が無かったが。
迂回はあるも、雰囲気いいです。
ネット配信の映画を観ていると、たわいないストーリーでも実はよく我々の生活を活写しているな、そんな気分になることが度々あります。さて、この本篇のテーマは何か考えましたが、熱中時代や金八先生って理想の教師を描きますよね。こちらは多少問題有気な教師を映画化するお話です。教師は女優にスキャンダルの正当化を働きかける。女優はモデリングを繰返すうちに教師のしたたかな支配欲に気付く。児童性愛とウーマンリブが天秤にかかりますが、映像の先生と現実の先生、生徒にとって有益なのはどちらか、これは議論の余地があるようにも思えました。教育には実績と共感の双方が必要なのかも知れません。
何言ってるかはわかるが、何言いたいかはわからない
それほどつまらなくもないですが、妙にもったいぶってハッキリものを言わない煮え切らない奴みたような作品。
三人そろって何考えてんだか、何したいんだか、何が気に食わないのか、サッパリわからず意味不明。
これをもっとエスカレートさせたのがPTA、と言えばわかり易い?
癖強めの登場人物たちが多く、見ごたえあり。
終始、みぞおちに力を入れて鑑賞していました。
ドラマティックな内容で、緊迫感あります(音楽のせいもあり?)。
記者でもない女優が、役作りでそこまでするかというほど、時間と身体とエネルギーを使ってます。
どの登場人物にも、感情移入できず、穏やかな毎日の生活に感謝の念を思わず抱きました。
13歳の少年ジョーと36歳グレイシーが恋仲になり、グレイシーは罪を問われ、収監先でジョーとの子を出産。
この時点で、ツッコミどころ満載過ぎ。
しかも実話がベースらしい。
ペタジーニやマクロン大統領の結婚について知った時も、どちらもモテただろうになぜ?と驚いたけれど、女性が年上の年の差婚も希少ながらあるらしい。
でも、これはやっぱりグレイシーのジョーに対する性的虐待だと感じました。
本当にジョーを想うなら、彼が成人するまで待つのが大人の見識。
グレイシーは、私にはとても未成熟に見えました…密かに怖かったです。
俳優陣にも、映像にも、音楽にも、最後まで惹きつけられました。
まるで、自分が傍観者として映画の中にいる気分になりました。
どこまでがフィクションなんだろう。
実在の方々への配慮のなさが少し残念でした。
どうだろう?
世間では許されない年齢差の結婚(生活)の話しなのか?それを映画化するために近づく女優が焦点なのか?
何となく曖昧な終わりも尻切れトンボみたいで中途半端さだけが、目につく作品でしたね。
もう少しどちらかに寄ったらわかりやすかったかも?
にしてもナタリー・ポートマン、ジュリアン・ムーアの無駄遣い感😩
星はいつも三つです。
タイトルの「メイ・ディセンバー」とは「ものすごく年の離れたカップル」のことだそうです。
36歳の女性ジュリアン・ムーアが13歳の少年と関係し出産するという、実際にあった話をもとにした作品。20年後、その女性を主人公にした物語を映画化するというので役作りのために取材に訪れた女優ナタリー・ポートマンが、周囲の人々に話を聞いていく。
二大女優が共演するときのお約束で髪の色も対照的です。
当時36歳だった女性ももう還暦近くなっている。少年と夫婦になり穏やかで楽しい暮らしをしているように見える。ホームパーティーの準備の最中に女優が訪れるところから始まるのだが、さりげないところで怖い。
冷蔵庫の食材を確かめ「ホットドックがない」と呟く女性。腕をあらわにした服装で、ぶよっとした二の腕や口元によった皺が容赦なく映しだされる。
わざとざらつかせたような粒子の粗い画面から目が離せない。女性の生活がこの画面のようにざらついているのではないかと思わされます。
ベルイマンの作品を思わせるようなN・ポートマンとJ・ムーアの正面からの2ショットが何度も登場する。鏡まで使われ、ふたりの関係が濃厚に示唆されます。
冒頭から登場する希少種の蝶は幼虫からサナギを経て孵化していく。
当時少年だった夫はこっそりとSNSで、今の生活から逃げ出したいと見知らぬ女性に訴えたりする。
情事が行われたペ
ットショップの倉庫を訪れた女優は、ためしに「エア情事」をしてみる。女優は苦笑いをするが、取材を進めるうちに余裕はなくなっていく。女性とその周辺に息苦しいほどに絡めとられていく。
映画の撮影が始まる。
「真実などというものはなく、ただそこにあるだけがすべてだ」とでもいうかのように、カメラの前でドラマを演じていく女優。
ワンカットずつ語っていきたくなる上質な映画。
一点、この映画は音楽の使い方がトリッキーで、その点も高く評価されていますが、私には音楽が過多に感じられました。
納得できる?
“メイ・ディセンバー事件”の映像化の為、当事者の所に訪れる女優。
ナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーアの二人の演技が圧倒的!特にナタリー・ポートマンが、少しずつジュリアン・ムーアと同期していく様がすごい。役者の狂気が見える。
また、元少年の旦那が明かす真実の心、何故明かす事が出来なかったのか?そこを思うと問題が浮かび上がる。
しかし、主要人物3人が、皆狂っている。その狂い方が理解しづらい。確かに当事者の夫婦は、ある種被害者でもあるから、歪んでいるのも分かるけど、本当にそうなのだろうか?
ナタリー演じる女優も、女優魂が狂気へと向かっているのは分かるけど…そうなるのかなぁ?
時間も少し長く、90分くらいなら楽に観れたかも。
#メイディセンバー
このような視点で描くのね
当時日本でも話題になっていた教師と生徒の事件。ものすごく覚えてます。ジュリア・ムーアの表情は、実際の彼女のそのもの。
それを映画化するという視点で描いたことで、少し客観的な角度からなぞることができま。
エリザベスは入り込みすぎ。入り込みすぎたことによって、彼女と同一化していく部分が恐ろしい感じがする。
ジョーの気持ちは結局どこに?子供たちの卒業式を見て、感無量の顔してたけど、自分の気持ちを妻にわかってもらえていないのが1番気がかりで、映画のラストで教えて欲しかった。
周りの人物の背景が薄くて、もう少し色んな事の理由付けが欲しかった。
途中、私の勝手な推測でグレイシーの夫であるジョーは、グレイシーが子供の頃兄に受けた性暴力によって産み落とされた子供なんじゃないかと思った。けどそこまではひどくなかった。
ナタリー・ポートマンとジュリアンムーアが秀逸。
特にメイクをしてあげる場面では、なぜか涙ぐみそうに。
余談。ナタリー・ポートマンは実際に大変頭が良く、良い大学を出ている。生徒たちにインタビュー受けて答えている場面は、知的な彼女自身の言葉に思えた。
ジョーという存在
さて、アカデミー賞脚本賞ノミネート作品で、ジュリアン・ムーア×ナタリー・ポートマン×トッド・ヘインズなら期待しかないと待ちわびていた本作品。しかし、映画.comの点数は低調(この時点で3.1)な感じです。それにもやや影響を受け劇場鑑賞の順番は後回しになりましたが、やはりこの作品は観ておこうとサービスデイにTOHOシネマズ日本橋へ。午前回は空いています。
と言うことで、今回も前情報を何も入れずに観たわけですが、正直なところあらすじくらい読んでおけば良かったと後悔するほど、話をつかむまでに時間がかかります。エリザベス(ナタリー・ポートマン)が関係者たちから聞き出す内容をもとに、グレイシー(ジュリアン・ムーア)にまつわる過去と関係性が徐々に明らかになっていく展開で、要所要所で流れる特徴的な劇伴はそのシーンを盛り上げるための効果音にも聞こえて、ユニークでありつつもちょっと懐かしい感じがします。そしてメインキャラクターの二人は期待通りの怪演で、特に終盤のエリザベスにグレイシーが憑依していく役作りの様子には役者魂を感じます。ですが、何より私を本作に惹きつけさせたのは、そんな二人の間でこの作品の肝となるジョー(チャールズ・メルトン)という存在。普段から言葉数は少ないのですが、グレイシーとの生活の端々に見える上下関係や、どこかしらに見え隠れする少年性。後半以降はもう彼から目が離せなくなる一つ一つのシーンが印象的です。チャールズ、あっぱれ。
と言うことで、配信が始まったらもう一度観直したい作品確定で、出来ればノベライズが読みたい!まぁ、洋書を探す限りノベライズは出ていないようなので残念ながらそれは無理そう。と言うことで、普段はあまり他人の考察を読むことはしないのですが、正直今回はちょっと気になっています。取り敢えずまずはこの後、町山さんの(ラジオでの)映画紹介でも聴いてみようかな。
虫がダメな人は見るのをやめよう(芋虫・蛹・蝶が頻出します)
「面白かった!」というよりは「考察しがいかある」という映画。全然スッキリもしないし、何の解決にもならない。あなたにとってのメイ・ディセンバーがあると思う。
表題にも書いたけれど、虫が要所要所に出てくる。ジョーの精神のメタファーかなと思うけど、結構アップで映るので苦手な人はやめよう。私は字幕だけ見てたぞ。
あと音がずっと不穏なのでそういうのが苦手な人にも向かない。
個人的にはモキュメンタリー?みたいな感じに見える。
グレイシーのお化粧が正直年齢的に無理があるのでは?と思ってしまう。けど、それこそがグレイシーの年齢を表している様だった。あとエリザベスにその色は似合わなくね?と思ったけど、次のシーン以降はちゃんとエリザベスが自分に似合わせてたから凄かった。チークとアイシャドウも揃えてたね。少女の様なピンク。というかお洋服や髪型も後半に行くにつれ本人に寄せてたような。
娘が試着した時に「すごくよく似合ってる!時代かしらね、そんなに腕を出してしまえるなんて羨ましいわ」みたいな事言っててゾゾゾとした。母からの呪いです。
以下、考えぐちゃぐちゃなまま書き殴る乱文。
グレイシー36歳、果たして彼女は"まとも"なのか。36歳のグレイシーと13歳のジョーは果たして本当に両思いで、合意の上だったのか。そもそも本当に二人の間で性行為は行われたのか?
とか、色々考えてる。
私はグレイシーは無邪気じゃなくてまともだけどとてつもなく利己的なんだろうなと、思う。今日を明日を幸せに生きたい彼女が、自分が幸せな人生を送るにために何も知らない13歳の子供を利用したんじゃないかと思う。
グレイシーは兄二人弟二人で守られて育ったという話があったけれど、守られていたというのは全て制限されていたということでもある。36歳までそんな生活を強いられたら狂いたくもなる。その上家から出たくても父親からは「家を出たいなら花嫁か棺桶の姿で」と。怖すぎ。自立させたくなさすぎ。嫌すぎ。まあ、当時の時代背景がどうかは知らないけれど、2024年の今そんなこという父親なんて毒親でしかない。
ペットショップ(=家族の手が入らない所)に入り浸って常連になって店番をやって几帳面に帳簿を付けて取り入って信頼を得て、人員補填の話を店主側も受け入れてる。凄い。「最低賃金で雇えば」というのも、最低賃金であっても働かなければならない程困窮している人が来る想定だよね?だから立場的に弱い人を意図的に呼び寄せてるのではないかと思う。
韓国系のご家庭は地域に一軒。そのくらい地域的にその事実は知れ渡ってるんだから兄弟の面倒を見ている長男がいることも、知ってたでしょう。そうしてジョーは実際に13歳でも最低賃金で働かせてもらえるペットショップへ足を踏み入れてしまったんじゃないの。
まんまと引っかかってしまったジョーは兄弟の面倒を見てしっかりしていたとして、11歳の「しっかり」なんてたかが知れてるって大人は理解出来てしまうわけで。苦労人のジョーは嬉しかったろうな。大人の綺麗で可愛くて優しいお姉さんが「わかるよ」と優しく寄り添ってくれるの。13歳でなくたって嬉しいよそんなの。
そこで本当に性行為があったとしてもなかったとしても、グレイシーは手紙を渡す事でジョーを完全に食い切ったんだと思う。あれは呪いですよ、呪い。「私はあなたが誘ったからそれに乗っただけなのに何故か捕まったの。愛してるわ、あなたが私を愛してる様に」とかいう呪い。怖。13歳で判断能力なんて大してないうちに真実かどうかもわからないのに、優しく寄り添ってくれるお姉さんから「あなたが私を抱いたから投獄されたの。でも私たちは何の罪もないわ、だって私たち愛し合っているんだもの。そうでしょう?」なんて言われたらそりゃ。言うわよな。そりゃな。自分にしかお姉さんを救えないんなら救いたくなるもんだよな。13歳だもん。愛してるって言うだけだもんな、その時は。もっと言うと、自分の行動のせいで投獄されたお姉さんを救えるなら、その自分の罪を背負ってくれたお姉さんを救えるなら言うよな。愛してるってな。
ただ、エリザベスから少し優しくされただけで寝ちゃうし絆されるし助けを求めてしまってるわけで。36歳でそれなら13歳の時なんてそりゃもう、チョロかったろうなあ。もしかしたらまたこの人と寝れば今置かれている自分の立場から逃げれると思っちゃったのかな、とも思う。24年前のジョーはそうしたんだろうから。
こうしてグレイシーは36歳にして幼い奴隷と自由を手に入れたわけだな。「無邪気な少女」のまま「ジョーに理解を示すお姉さん」としてね。そして、ジョーは13歳にして「自分を理解してくれて導いてくれるお姉さん」と自由を手に入れたわけだ。まあ、13歳の少年にとってはであって、36歳の青年にとってどうかはともかく。
生まれた子供が母譲りの金髪でも父譲りの黒髪でもなくても、ジョーが是と応えたのだからあれはジョーとグレイシーの子なわけで。(これは染色している場合無関係である)今なら遺伝子検査出来るけど、したのかな。まあ第一子はジョーの父とグレイシーの子な可能性もあるからなあ。だからこそ地域で一軒しかない韓国系の家の実子を使うしかなかったのかもしれないね。たとえそれが13歳の少年の人生をむちゃくちゃにしたとしても。
グレイシーは12歳頃から二人の兄によって近親相姦を受けていた(?)みたいな証言があって、それをグレイシーは否定していて。それが真実であればグレイシーは被害者でありジョーは二次被害者の可能性が高くなって今の幸せな生活は壊れるわけだから否定するしかないよなと思う。グレイシーにとって小さな奴隷と愛し合っているからこそ成り立っているしあわせな生活なんだもんな。
一晩経ってやっと気付いたけど、次々に役者を現場に連れて行ったのはすりあわせのためか。お菓子屋さんって言われては洋菓子屋を想像するのと和菓子屋を想像するのではだいぶ違うもんね…。
エリザベスは記者じゃなければ救世主でもない。それこそ誰よりも利己的な理由でグレイシーのこともジョーのことも、家族ごと、たかだか「作品」のための観察対象だと思っているところが最高に狂っていて良かった。
こんな事を書いているとまるでグレイシーが加害者で、ジョーが被害者の様に見えるかもしれない。でも、自分の自由のためにジョーを利用したグレイシーと、自分の平和と安寧のためにグレイシーを利用したジョーの話なんだと思った。そこに愛があるかはわからない。愛があるかどうかは多分、彼女にとってどうでもよくて、彼にとってもどうでもよいものだから。
言い繕いではないのだろうけど、全員真相(深層)を語らず
最初から最後まで、なんかよくわからないまま進みました。
不安にさせる音楽と唐突に登場する人物たちに「この人って誰よ?」と今までのシーンを振り返り頭をフル回転、でもわからない……
みんな、誰と連絡取り合ってるの?蝶々愛好家?それとも不倫相手?
プロデューサー?兼不倫相手?
「私はトム(前夫)とジョー(現夫)以外は経験がない、ジョーは私の前に二人位とシテる」?「ボク(ジョー)はグレイシーしか知らない」?
エリザベスはなんでジョーといたしちゃったの?しかもジョー、めっちゃ早いじゃん!
結果、蛹から蝶になって飛び立つが如く、何か知らんが時が経ち人はそれぞれの想いを抱き色んな方向へ、ってことなんでしょうか、うーん。
制作にナタリーポートマンが名を連ねているので、彼女が「作りたい」って強く思って作品化されたのでしょうか。自身の脳内では上手く昇華されて完結した作品なのかもしれませんが、凡庸なワタシには理解しきれない作品でした。
それにしても、年齢差はあるのに二人並んだジュリアンムーアとナタリーポートマン、瓜二つなほど似ていて、演者さんてやっぱり凄いなぁと感心しました。
パンドラの箱を開けたのはだぁれ
タイトルの「メイ・ディセンバー」は
「親子ほど歳の離れたカップル」を意味する慣用句で
本作は実際に起きた事件に着想を得ていると言う。
36歳の女性教師が夫も子供もありながら、
13歳の生徒と関係を持ち
実刑を受けた獄中で出産。
出所後に二人は結婚し、暮らしている、との。
多くのスキャンダルが渦巻く米国でも、
とりわけセンセーショナルなできごとと思われ、
世間の耳目を相当に集めたことは想像に難くない。
本編では、その事件を基にした映画製作の企画が持ち上がり、
主演予定の人気女優『エリザベス(ナタリー・ポートマン)』が
役や作品を膨らませるため当の家族を訪れ、
インタビューやリサーチを行うという二重構造。
事件のことは社会から早く忘れてもらい、
静かに暮らしたいと願うのが普通の家族の気もするが、
とりわけ妻の『グレイシー(ジュリアン・ムーア)』は、
なぜか率先して彼女に協力する。
そこには、自分たちの正しい姿を知ってもらいたい、との
強い思いがあるよう。
とは言え、家族は一枚岩には非ず。
夫の『ジョー(チャールズ・メルトン)』は妻の意向を尊重するも、
後に生まれた双子を含めた三人の思春期の子供たちの感情は複雑。
映画化の企画すら無くして欲しいと考える者もいる。
『エリザベス』が家族の関係に踏み入る中で、
表面的には幸福そうに見えても、奥底に潜む闇が見えてくる。
暖かく見守っているかのような周辺住民も
実際は困惑の思いがあり、腫れ物を扱うようしている。
近隣に住む離婚した『グレイシー』の嘗ての夫や、その子供たち
(やはり『グレイシー』の実子)も同様。
とりわけ『ジョー』は、基本は婦唱夫随ながら、
抑えていた感情の揺らぎが次第に露わに。
さかのぼること二十数年前、
二人がそのような関係になったそもそもの経緯も含めて
霧の中に溶け込むように模糊とし、
夫婦の間ですら感情のすれ違いが起きてしまう。
やはり「よそ者」が入ることで、
安定して見えていた共同体が揺らぎ始めるとの物語。
とりわけそのかく乱者は、
表向きの優しい物腰や美しい容姿とは裏腹に、
作品や役作りのためであれば、
自身はおろか関係者をも平然と生け贄にできる「トリックスター」。
目の前の役柄に専心し、
残された者たちのことなど歯牙にもかけなくなる。
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