メイ・ディセンバー ゆれる真実のレビュー・感想・評価
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藪の中?
真実は当事者の間であっても解釈が異なるという主題は映画羅生門でもお馴染みですが、そういうことを描きたかったのかしら?
女優が関係者にいろいろ聞いてみて、ますます訳がわからなくなっていくというのも、当事者だった女性に寄り添っていく中で、一線を超えてしまうのも、解釈し切れない人の気持ちの中の闇を描いているのかな。女優も訳ありな彼氏と付き合ってるみたいだし。
わざわざ昔の家族と過ごした場所に戻って来なくてもいいよねとも思ったし、なんであんな大きな家に住んでいられるのって、謎だらけの映画でしたね。
最後の蛇はアダムとイブの寓意だとすると、女優は、これは女から誘ったと解釈したってことかな。
基本⁇な映画ではありますが、映像の面白さ、女優の演技、また米国南部独特のじっとりとしたサバンナの空気感が伝わってきたりして、個人的には好きな映画でした。
まぁ、一人で見た方が無難ですけどね笑。
物語か、人生か
作品自体がアカデミー賞クオリティに充分値する。
しかし、
ジョーのセリフを引用すると「これは人生なんだ」が示すように、
実話のエピソードのレイヤーが重なり過ぎて観客を良くも悪くも幻惑する。
その幻惑は、
演技者としてのナタリー・ポートマンというよりも、
プロデューサーとしてのナタリーと、
監督トッド・ヘインズの狙いでもあったのだろう。
ヘインズの狙いを前作『キャロル』を参考にして解釈すると、
感情にフタをして生きるという事は、
自らの存在意義を認めないという事、
それでいいの?観客のみなさん、
と、
観客に気持ちのシャドウイングをさせるのが演出意図のひとつだろう。
しかし『キャロル』には考え方の逃げ道があった。
今回はその逃げ道を断つように、
実話、認識論的相対性(劇中のセリフ)、
真実の愛と法律、
などのレイヤーがさらに重なっている。
そのレイヤーの増量はヘインズの投げ掛ける命題に、
付加価値を与えるものと解釈できる一方で、
ケミストリーに集約したケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの芝居の激突のようなものを期待した観客にとっては、
多すぎるノイズになったのかもしれない。
もちろん、鏡の前の並列の2人が、
現実のグレイシー⇄グレイシー役(本作の)⇄ジュリアンと、
エリザベス⇄グレイシー役(劇中の)⇄ナタリー等々、
立体的マトリョーシカ的ツーショット?6ショット?
神がかり的カットはいくつかあった。
正確にサイジングされソリッドにカッティングされたカットを丁寧に積み重ねて、観客の胸に焼き付けていく。
ショットという曖昧な狙いではなく、
編集時のコマ数まで計算済みの精密な削り出しは相変わらず鋭い。
【蛇足】
オーディションの映像のシーンを入れたのは、
ジョーのおおらかな包容力やセクシーさ、
キャスティングに苦労した証拠を見せたかったのかもしれない。
そのキャラクターは、
この事件のコアのコアの部分。
グレイシーの感情が始まりなのか、
やさしいジョーの無垢さが始まりなのか、
または、
それぞれの家族との影響なのかは、
いくつかのシーンでほのめかされるが、
基本的には観客の解釈に委ねられている。
ジョーの父親の夥しい数の吸殻、
息子の弱い大麻で咽せるジョーの肺、
これだけで父親が息子を傷つけている描写だ、
といわれても、
自分なら、
他にも撮っているであろうカットを、
復活させて、
ハッキリとコミットするか、
この一対のみであれば、
いっそのことシナリオの段階でオミットする事を推奨する。
理由は下記にほのめかしておこう。
最後に、
子供の無垢な心が特殊な刑事事件を引き起こす類似作品は、
映画化もされている松本清張の『影の車』や『天城越え』、
イーストウッドの『ミスティック・リバー』のような名作があった。
重なったレイヤーを一枚一枚剥がしていく思考の補助線になるかもしれない。
人間の根源的な存在意義というテーマとその描写方法で幻惑させながら、ねじ伏せていくヘインズの演出は観客に多くの解釈の余地を与え、
その一つ一つのレイヤーを広義で楽しむことで、作品の真の価値を理解することができる、
という言い方もできるかもしれない。
いも虫から蝶、カゴから空へ羽ばたく、
ムーミンの神回を思い出した。
当人同士にしか解らんね
「もっとリアルにやるから」
映画の撮影中らしい、
エリザベスのラストのこのセリフに集約されている。
リアルってなんやねん、という感情が渦巻いとります。
当人同士にしか解らん。
受取側の倫理観と憶測からでしかないですもん。
といいつつ、
音楽が不穏で猜疑心を煽るし、
ジョーが洗脳されていた感じに、
わたしたちを誘導している風でしたが、
概ね、本当の事件に対しては、
純愛でしょー、とは思えないものなー。
ただ、これが実際の事件じゃなくて、オリジナル作品だったら、
ものすごーく面白いサスペンスだし、
やはり、事実は小説よりも奇なりを地でいってますね。
ジュリアン・ムーアの少女のような不安定さがチラホラと垣間見える、
到底60歳には見えない美しさと可愛らしさの女優の貫禄と、
それに飲み込まれそうになりながら、
役柄同様 「女優よ、わたし」 的に踏ん張る
ナタリー・ポートマンとの競演が素晴らしく、
また、ジョー役のチャールズ・メルトンの雰囲気と声がたいへん魅力的で
この三人がどうなっていくのか、ドキドキしながら、
終始引き込まれてしまっておりました。
駄作の一言
うーん
ナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーアの無駄使い。
と言うか、ポートマンが脚本を気に入って出演したなんて正気の沙汰とは思えない。
言うても二人の、俳優としての、シーンを切り取って見た演技は一級品だ。そこだけで一応☆1つ。
でも徹底的に脚本が浅いわー
これでオスカーの脚本賞ノミネート……?
それと、他にも書いている方がいらっしゃったけれど劇伴が最悪。これだけでも途中で席を立ちたくなった。古臭いサスペンスドラマの大袈裟な楽曲で、よくこんな音楽監督が採用されたものだ。
あっ もしかして劇中で「オレに音楽監督やらせてくれ」と売り込んたあの息子がホントに担当しました、という手の込んだ劇中劇的な伏線か?
原作は読んだことない。
けど、面白そうだったので観てみた!
どういう話しかはなんとなーく知ってたけど予備知識ほぼない状態でも説明場面場面で観て簡単に理解は出来る。
が、なんだろう観終わった後の“ん…だか…ら?”感
伝わるかなぁ…(´・ω・`)
とにかく違和感なんだよね、観終わったあと。
未成年が好きになりました、はい。
子供産まれてその子たちも成人しました、はい。
それに関して映画化されます、はい。
主演女優が本人の密着取材にきます、はい。
気持ち悪いぐらい隣人が優しいです、?…はい。
密着歓迎するけどやっぱ我慢なりません、?はい。
年下旦那徐々に当時の違和感覚えます、はい。
女優と旦那がsexします、?あー演技入れ込み過ぎた感じ、はい。
卒業式旦那参加しないで遠くで見てます、?
撮影シーンねっとりした感じで演じます、?え?!そんな風に捉えるなら密着意味あった?‼︎できるだけ彼女に優しくしてって言われてたじゃーん!!
…考察見たらまた感想変わるんかな?
とにかく違和感。言語化難しいけど。
考察見た(`・ω・´)この違和感を文章化できるのすごい。とても納得
ただ評価は変わらずだね。刺さらなかったや。
長々書こうと思えば書けるのかな…いや、書けないな。文才ない(´・ω・)残念ながらね
全てに技あり!
ドット・ヘインズ監督とジュリアン・ムーア信者です!
なので公開を楽しみにしておりました
実際にあった事件を基に作られた作品
タブロイド紙やワイドショーが飛び付く題材で
ありながらも安っぽいスキャンダルとしてではなく
当事者である2人の過去と現在の感情や本心
ゆがみを周囲の人物を巻きこみ繊細な心理サスペンス的ドラマとして描かれている脚本は
アカデミー賞ノミネートも納得の出来栄えです
重層かつ美しいミシェル・ルグランの旋律も
聞き逃せない!登場人物達の心理状態を場面に応じて表している様だった
内容的に理解や共感は出来ないが
役作りのため当事者達に話を聞く女優エリザベスを演じたナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーア2大女優がぶつかり合う渾身な演技も大いに見応えある117分でした
評価低い?私は面白かったです!
シリアスなドラマだと信じて最後まで見た後で、「これはコメディだったのか!?」と気づきました。
腹のさぐりあいや意地の悪さが前面に出ていて、オモシロ要素に気づきにくかったのです。私も理解力がまだまだだと気落ちしました。
父親ジョーががすごく若いので、誰が親なのか子なのか兄弟なのか…やはり異常さをそこはかとなく感じます。
そしてグレイシーの子どもたち、皆どこかしら違和感のある性格をしています。
これは人によって見方が異なるでしょうが、私は彼女が何かしらの精神疾患を抱えている、ように見せる芝居をしていたと思っています。
それも病的といえば病的で、人をコントロールするタイプの人間であるジュリアン・ムーアが本当に怖いです。
主要人物は3人。
36歳→59歳になった妻グレイシー。13歳→36歳になった夫ジョー。そして、映画化の役作りのために接近してきた女優エリザベス36歳。
冒頭の印象は、明るく一見人柄の良さそうなグレイシー、少しぼんやりしていて幼い感じのジョー、洞察力を発揮して二人を見つめるエリザベス、という感じ。
見ている側は、エリザベスに感情移入し、グレイシーにあると予想される心の闇が暴かれていくのを期待します。
しかしそれはミスリードであり、思わぬ展開になっていきます。
冷静にグレイシーとその周辺のリサーチをしていたと思われたエリザベスですが、徐々にエスカレート。グレイシーをミラーリングし、一体化していきます。
そしてついにはジョーを誘惑して寝取ってしまい…怖い怖い!
完全に役作りの域を越えて、グレイシーは小児性愛者なのではないか、ジョーを手なづけた(グルーミングした)のではないか、そうなった原因は兄からの性的虐待にあるのではないか…そんな疑念と確信を重ね、グレイシーという人物になりきっていくのでした。
いやそれは「なりきったつもり」だったのかもしれません。
他にも、グレイシーの支配下にあったジョーが、精神的に自立していく物語があり、グレイシーもまた見た目に反して非常に業の深い人物として描かれています。
三者ともに闇が深く、とても複雑な感情でねじれ合っているわけですが、終盤になってエリザベスがつかんだと思っていたグレイシーの本質が、間違っていると暗に指摘されます。
煙に巻かれ、呆然とするエリザベス。
彼女はそのままグレイシー役として撮影に望むのですが、これまで一体何をリサーチしていたのかと思わせるような、メロドラマを演じます。
ゆれる事実というタイトルは皮肉で、結局映画として消費される事実は、本来の複雑さを表現しきれるものではない、という映画となっています。
この入れ子構造がとても面白いと感じました。
結果的に二人の女性のどちらが勝ったのでしょうか。
本当の自分を明らかにさせなかったグレイシーの勝ちか、ジョーを寝取ったエリザベスの勝ちか…。
私は、エリザベスの敗北のように感じました。
彼女の介入によって夫婦のあり方が紐解かれていきましたが、一方のエリザベスは、グレイシーの真の姿をつかんだかというと、そうでもないからです。
エリザベスという女性の怖さは年季が入っており、そこらの人間では太刀打ちできないものだったのではと感じています。
映画サイトでの評判はいまひとつのようですが、私にはとても面白い映画でした。
トッド
タイトルなし(ネタバレ)
90年代の初めに話題になった「メイ・ディセンバー事件」。
夫も子どももいる36歳の女性グレイシーが13歳の韓国系の少年ジョーと肉体関係を持って実刑となった。
のみならず、妊娠したグレイシーは獄中でジョーとの間の子どもを出産、刑期を終えたグレイシーはジョーと結婚した。
それから23年、事件が映画化されることになり、グレイシーを演じる女優エリザベス(ナタリー・ポートマン)がリサーチのために、幸せに暮らしているグレイシー(ジュリアン・ムーア)とジョー(チャールズ・メルトン)のもとを訪れる・・・
といったところからはじまる物語で、エリザベスを通して「メイ・ディセンバー事件」の真実が明らかになっていく・・・というところを、まぁ、期待する。
それは概ねそのとおりで、グレイシーとジョー以外にも、グレイシーの元夫や彼との間の息子などへのインタビューを通して事件が描かれていくわけだが、観客が期待するようにはならない。
というのも、事件が回想シーンなどの映像で示されることはなく、それゆえメロドラマの要素はほとんど皆無な無機質な語り口で、事件と事件のその後と現在が語られていきます。
それだけでも、なかなか取っつきにくい類の映画なのに、トッド・ヘインズ監督は、何気ないシーンに大仰な音楽を付けて、大いなる異化演出を試みます(音楽は、マーセロ・ザーヴォス)。
で、グレイシーの内面に近づこうとするエリザベスは、徐々に彼女に似てくるのですが、それとても『ルームメイト』のようなサスペンスからはほど遠い。
さらに、観客が興味を惹くであろう、グレイシーの生活の背景(いわゆるスキャンダラスで、それならば、そういう事件を起こしても仕方がないな、と思わせるもの)も、元夫との間の長兄(いまは十分に成長して壮年になっている)の口から語られるのだけれど、それもあっさりと否定される。
ただし、否定するのがグレイシーなので、それが真実かどうかはわからない。
つまり、事件そのものは、いまとなっては藪の中のごときものなのかもしれず、エリザベスはグレースを演じる手がかりを失ってしまう。
表面的なものは似せることが出来、それは手に入れるのだけれど。
で、観客も同じなのかというと、そこがちょっと微妙にちがい、終盤、寝室で語られるグレイシーとジョーの会話から真実らしきものを拾いあげることができる。
グレイシーはジョーと暮らし始めても、事件のことを語ってこなかった。
ふたりを結びつけた重大でセンシティブな事柄にも関わらず。
ジョーには、それが不思議で不満で、もしかしたら愛なき生活を続けていたのだろうかと、不安だった。
グレイシーから語られる事件の顛末は・・・
ここは書かないでおくが、このグレイシーの発言が映画の微妙なラストにつながって来る。
グレイシーが少年ジョーと関係を持つ直前のシーンの撮影なのだが、ペットショップのバックヤードでの情事の直前だ。
エリザベス演じるグレイシーと少年の間にいるのは、蛇。
聖書にある誘惑の原因・・・
だが、ここでの蛇は、映画における「わかりやすい真実」のモチーフとして「ただ用いられた小道具」としての蛇だろう。
そう容易く人間のこころには到達できない。
グレイシーという女性のセンセーショナルな映画を観たかっただろうけど、それは描かないよ。
ジョーの気持ちは、少し描いてみせるけど。
メロドラマみたいな、わかりやすい真実なんてないんだよ・・・とトッド・ヘインズ監督は、はぐらかしているのだろう。
と、なかなか消化できない難しい映画でした。
事件を描いた作品かと思いきや
迂回はあるも、雰囲気いいです。
何言ってるかはわかるが、何言いたいかはわからない
癖強めの登場人物たちが多く、見ごたえあり。
終始、みぞおちに力を入れて鑑賞していました。
ドラマティックな内容で、緊迫感あります(音楽のせいもあり?)。
記者でもない女優が、役作りでそこまでするかというほど、時間と身体とエネルギーを使ってます。
どの登場人物にも、感情移入できず、穏やかな毎日の生活に感謝の念を思わず抱きました。
13歳の少年ジョーと36歳グレイシーが恋仲になり、グレイシーは罪を問われ、収監先でジョーとの子を出産。
この時点で、ツッコミどころ満載過ぎ。
しかも実話がベースらしい。
ペタジーニやマクロン大統領の結婚について知った時も、どちらもモテただろうになぜ?と驚いたけれど、女性が年上の年の差婚も希少ながらあるらしい。
でも、これはやっぱりグレイシーのジョーに対する性的虐待だと感じました。
本当にジョーを想うなら、彼が成人するまで待つのが大人の見識。
グレイシーは、私にはとても未成熟に見えました…密かに怖かったです。
俳優陣にも、映像にも、音楽にも、最後まで惹きつけられました。
まるで、自分が傍観者として映画の中にいる気分になりました。
どこまでがフィクションなんだろう。
実在の方々への配慮のなさが少し残念でした。
どうだろう?
星はいつも三つです。
タイトルの「メイ・ディセンバー」とは「ものすごく年の離れたカップル」のことだそうです。
36歳の女性ジュリアン・ムーアが13歳の少年と関係し出産するという、実際にあった話をもとにした作品。20年後、その女性を主人公にした物語を映画化するというので役作りのために取材に訪れた女優ナタリー・ポートマンが、周囲の人々に話を聞いていく。
二大女優が共演するときのお約束で髪の色も対照的です。
当時36歳だった女性ももう還暦近くなっている。少年と夫婦になり穏やかで楽しい暮らしをしているように見える。ホームパーティーの準備の最中に女優が訪れるところから始まるのだが、さりげないところで怖い。
冷蔵庫の食材を確かめ「ホットドックがない」と呟く女性。腕をあらわにした服装で、ぶよっとした二の腕や口元によった皺が容赦なく映しだされる。
わざとざらつかせたような粒子の粗い画面から目が離せない。女性の生活がこの画面のようにざらついているのではないかと思わされます。
ベルイマンの作品を思わせるようなN・ポートマンとJ・ムーアの正面からの2ショットが何度も登場する。鏡まで使われ、ふたりの関係が濃厚に示唆されます。
冒頭から登場する希少種の蝶は幼虫からサナギを経て孵化していく。
当時少年だった夫はこっそりとSNSで、今の生活から逃げ出したいと見知らぬ女性に訴えたりする。
情事が行われたペ
ットショップの倉庫を訪れた女優は、ためしに「エア情事」をしてみる。女優は苦笑いをするが、取材を進めるうちに余裕はなくなっていく。女性とその周辺に息苦しいほどに絡めとられていく。
映画の撮影が始まる。
「真実などというものはなく、ただそこにあるだけがすべてだ」とでもいうかのように、カメラの前でドラマを演じていく女優。
ワンカットずつ語っていきたくなる上質な映画。
一点、この映画は音楽の使い方がトリッキーで、その点も高く評価されていますが、私には音楽が過多に感じられました。
納得できる?
“メイ・ディセンバー事件”の映像化の為、当事者の所に訪れる女優。
ナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーアの二人の演技が圧倒的!特にナタリー・ポートマンが、少しずつジュリアン・ムーアと同期していく様がすごい。役者の狂気が見える。
また、元少年の旦那が明かす真実の心、何故明かす事が出来なかったのか?そこを思うと問題が浮かび上がる。
しかし、主要人物3人が、皆狂っている。その狂い方が理解しづらい。確かに当事者の夫婦は、ある種被害者でもあるから、歪んでいるのも分かるけど、本当にそうなのだろうか?
ナタリー演じる女優も、女優魂が狂気へと向かっているのは分かるけど…そうなるのかなぁ?
時間も少し長く、90分くらいなら楽に観れたかも。
#メイディセンバー
このような視点で描くのね
当時日本でも話題になっていた教師と生徒の事件。ものすごく覚えてます。ジュリア・ムーアの表情は、実際の彼女のそのもの。
それを映画化するという視点で描いたことで、少し客観的な角度からなぞることができま。
エリザベスは入り込みすぎ。入り込みすぎたことによって、彼女と同一化していく部分が恐ろしい感じがする。
ジョーの気持ちは結局どこに?子供たちの卒業式を見て、感無量の顔してたけど、自分の気持ちを妻にわかってもらえていないのが1番気がかりで、映画のラストで教えて欲しかった。
周りの人物の背景が薄くて、もう少し色んな事の理由付けが欲しかった。
途中、私の勝手な推測でグレイシーの夫であるジョーは、グレイシーが子供の頃兄に受けた性暴力によって産み落とされた子供なんじゃないかと思った。けどそこまではひどくなかった。
ナタリー・ポートマンとジュリアンムーアが秀逸。
特にメイクをしてあげる場面では、なぜか涙ぐみそうに。
余談。ナタリー・ポートマンは実際に大変頭が良く、良い大学を出ている。生徒たちにインタビュー受けて答えている場面は、知的な彼女自身の言葉に思えた。
ジョーという存在
さて、アカデミー賞脚本賞ノミネート作品で、ジュリアン・ムーア×ナタリー・ポートマン×トッド・ヘインズなら期待しかないと待ちわびていた本作品。しかし、映画.comの点数は低調(この時点で3.1)な感じです。それにもやや影響を受け劇場鑑賞の順番は後回しになりましたが、やはりこの作品は観ておこうとサービスデイにTOHOシネマズ日本橋へ。午前回は空いています。
と言うことで、今回も前情報を何も入れずに観たわけですが、正直なところあらすじくらい読んでおけば良かったと後悔するほど、話をつかむまでに時間がかかります。エリザベス(ナタリー・ポートマン)が関係者たちから聞き出す内容をもとに、グレイシー(ジュリアン・ムーア)にまつわる過去と関係性が徐々に明らかになっていく展開で、要所要所で流れる特徴的な劇伴はそのシーンを盛り上げるための効果音にも聞こえて、ユニークでありつつもちょっと懐かしい感じがします。そしてメインキャラクターの二人は期待通りの怪演で、特に終盤のエリザベスにグレイシーが憑依していく役作りの様子には役者魂を感じます。ですが、何より私を本作に惹きつけさせたのは、そんな二人の間でこの作品の肝となるジョー(チャールズ・メルトン)という存在。普段から言葉数は少ないのですが、グレイシーとの生活の端々に見える上下関係や、どこかしらに見え隠れする少年性。後半以降はもう彼から目が離せなくなる一つ一つのシーンが印象的です。チャールズ、あっぱれ。
と言うことで、配信が始まったらもう一度観直したい作品確定で、出来ればノベライズが読みたい!まぁ、洋書を探す限りノベライズは出ていないようなので残念ながらそれは無理そう。と言うことで、普段はあまり他人の考察を読むことはしないのですが、正直今回はちょっと気になっています。取り敢えずまずはこの後、町山さんの(ラジオでの)映画紹介でも聴いてみようかな。
全101件中、21~40件目を表示