「90年代の初めに話題になった「メイ・ディセンバー事件」。 夫も子ど...」メイ・ディセンバー ゆれる真実 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
90年代の初めに話題になった「メイ・ディセンバー事件」。 夫も子ど...
90年代の初めに話題になった「メイ・ディセンバー事件」。
夫も子どももいる36歳の女性グレイシーが13歳の韓国系の少年ジョーと肉体関係を持って実刑となった。
のみならず、妊娠したグレイシーは獄中でジョーとの間の子どもを出産、刑期を終えたグレイシーはジョーと結婚した。
それから23年、事件が映画化されることになり、グレイシーを演じる女優エリザベス(ナタリー・ポートマン)がリサーチのために、幸せに暮らしているグレイシー(ジュリアン・ムーア)とジョー(チャールズ・メルトン)のもとを訪れる・・・
といったところからはじまる物語で、エリザベスを通して「メイ・ディセンバー事件」の真実が明らかになっていく・・・というところを、まぁ、期待する。
それは概ねそのとおりで、グレイシーとジョー以外にも、グレイシーの元夫や彼との間の息子などへのインタビューを通して事件が描かれていくわけだが、観客が期待するようにはならない。
というのも、事件が回想シーンなどの映像で示されることはなく、それゆえメロドラマの要素はほとんど皆無な無機質な語り口で、事件と事件のその後と現在が語られていきます。
それだけでも、なかなか取っつきにくい類の映画なのに、トッド・ヘインズ監督は、何気ないシーンに大仰な音楽を付けて、大いなる異化演出を試みます(音楽は、マーセロ・ザーヴォス)。
で、グレイシーの内面に近づこうとするエリザベスは、徐々に彼女に似てくるのですが、それとても『ルームメイト』のようなサスペンスからはほど遠い。
さらに、観客が興味を惹くであろう、グレイシーの生活の背景(いわゆるスキャンダラスで、それならば、そういう事件を起こしても仕方がないな、と思わせるもの)も、元夫との間の長兄(いまは十分に成長して壮年になっている)の口から語られるのだけれど、それもあっさりと否定される。
ただし、否定するのがグレイシーなので、それが真実かどうかはわからない。
つまり、事件そのものは、いまとなっては藪の中のごときものなのかもしれず、エリザベスはグレースを演じる手がかりを失ってしまう。
表面的なものは似せることが出来、それは手に入れるのだけれど。
で、観客も同じなのかというと、そこがちょっと微妙にちがい、終盤、寝室で語られるグレイシーとジョーの会話から真実らしきものを拾いあげることができる。
グレイシーはジョーと暮らし始めても、事件のことを語ってこなかった。
ふたりを結びつけた重大でセンシティブな事柄にも関わらず。
ジョーには、それが不思議で不満で、もしかしたら愛なき生活を続けていたのだろうかと、不安だった。
グレイシーから語られる事件の顛末は・・・
ここは書かないでおくが、このグレイシーの発言が映画の微妙なラストにつながって来る。
グレイシーが少年ジョーと関係を持つ直前のシーンの撮影なのだが、ペットショップのバックヤードでの情事の直前だ。
エリザベス演じるグレイシーと少年の間にいるのは、蛇。
聖書にある誘惑の原因・・・
だが、ここでの蛇は、映画における「わかりやすい真実」のモチーフとして「ただ用いられた小道具」としての蛇だろう。
そう容易く人間のこころには到達できない。
グレイシーという女性のセンセーショナルな映画を観たかっただろうけど、それは描かないよ。
ジョーの気持ちは、少し描いてみせるけど。
メロドラマみたいな、わかりやすい真実なんてないんだよ・・・とトッド・ヘインズ監督は、はぐらかしているのだろう。
と、なかなか消化できない難しい映画でした。