「大人は子供の言動に惑わされることなく、正しく導かなければならない(="マチルダの呪い"に苦しんだナタリー・ポートマンの切なる願い)」メイ・ディセンバー ゆれる真実 とぽとぽさんの映画レビュー(感想・評価)
大人は子供の言動に惑わされることなく、正しく導かなければならない(="マチルダの呪い"に苦しんだナタリー・ポートマンの切なる願い)
たとえ子供が自分から求めたことだとしても、彼ら自身はその本当の意味をまだ解っていないから。どれだけ大人びて見えても子どもは子ども!自己認識との乖離ギャップ。
しかもそれを、『レオン』マチルダ役を幼くして演じたナタリー・ポートマンが製作も兼ねて出演しているということに、意味・意義、強いメッセージ性をよりを感じる。彼女は、当時判断できなかった『レオン』に対する複雑な思いや、その出演により「セクハラの対象となったが、被害に遭わなかったのは過保護な両親のおかげ」「早くからこの業界に入ることを勧めない」と後悔するような批判的発言をしており、本作にも通ずる長く暗い影。一線を越えた境界もいつしか曖昧になっていくグレーな世界で…?まだまだ男社会な世の中(業界・世間)では、本作を正しく評価する準備ができていないということだろうか。
なんともトッド・ヘインズ監督らしい作品だったし、仰々しく劇的な劇伴や映画に帰着する部分だろうか、なんだかペドロ・アルモドバルの作品を見ているような錯覚に陥った。冒頭から幾度も出てくる、蝶という表象イメージ。グレイシーとジョーが冒頭で水色とベージュ上下逆になったような服を着ていて、2人の近しさを感じたし、(傍から見たとき)仲睦まじ気に仲良くくっついて画面のセンターを占めるのも、その後の画作りを考えると。そうした何不自由なく幸せな表層に不和が走っていくように、素晴らしくキモい画作りでよかった。やたらと画面の端ギリギリに人を配置したり、画面半分を黒いもので占めたり、何より娘のドレス選びでグレイシーとエリザベスが並んで座っているシーン筆頭に鏡も印象的かつ効果的に使われていた。
そうしている間に、エリザベスがグレイシーに寄せていくことで主人公2人が似ていく同一化。作品全体をかけて対象に共感させていく作りかと思いきや、突き放すラストに観客は困惑し考えさせられるだろう、曖昧かつ複雑な多層的作品。エリザベス中心に長回しのシーンも多く、ジュリアン・ムーア ✕ ナタリー・ポートマン ✕ チャールズ・メルトン = メイン3人の誰も欠かせない力!素晴らしく才能豊かなAリスト・キャスト。"当人同士が愛し合っていれば外野がどうこう言うことじゃなく、それでいいじゃないか!"みたいな落とし所でもなくて、(当たり前だが)明確な答えを与えてはくれない。メスを入れ、掘り下げる心理ドラマ。
刑法で裁けるかどうかとか、そこに本当に気持ちがあったかどうかとかでなく、その後の彼・彼女の未来、子どもたちの人生への影響についてちゃんと考えているか?…ということだ。
I'm naive.
Who was in charge?!
P.S. 個人的にも、『レオン』はリュック・ベッソンの問題が明るみになったり、自分を歳を重ねることで評価が変わってきた作品で、昔は素直に楽しめていたけど今では気持ち悪くも思ってしまい、大好きなゲイリー・オールドマンの抜群な切れ味だけに救われる。
あと余談ながら最近、"映画集中して見れない"病だけど、遂に映画館でも集中できなくなってきたか?