劇場公開日 2024年11月22日

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「様々な回顧や引用の果てにみえて来るもの」チネチッタで会いましょう 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0様々な回顧や引用の果てにみえて来るもの

2024年11月28日
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鑑賞方法:映画館

イタリアを代表する映画作家であるモランディが、映画監督ジョヴァンニに扮する自伝的で、私小説とでもいうべき映画。

ジョヴァンニは、十分な資金もないまま、1956年ハンガリー動乱の最中、イタリア共産党の招きで興行していたハンガリーのサーカス一座を擁護したことをきっかけに、イタリア共産党の人びとが、ソ連の共産党から独立してゆく姿を描こうとする。モランディもまた、共産党員であったに違いなく、しかも、その本音と思しき言葉が映画の最後に出てくる。

モランディのジョヴァンニとしての演技は的確、フランシス・フォード・コッポラを引用した暴力に関する議論などは面白かったが、出演する俳優の演技はともかくとして、撮影所に通ってくる時の履物にまで口を挟もうとし、周囲のひんしゅくを買う。彼は、常に演説口調で、教条的。何よりも、40年間、彼に寄り添い、プロデューサーとして歩んできた妻、パオラも別れを考え、カウンセラーの許に通っている。ジョヴァンニは、パオラから思ってもいなかった別れを切り出されて動揺を隠せず、若い頃から抗うつ剤や眠剤のお世話になっていたことを告白する。映画「息子の部屋」の神経質な父親が想い出される。

途中でフランス人製作者の本体がばれて退場し、お隣の国の資本が入って(これが現実)撮影は再開され、カウリスマキを思わせる音楽が流れてくる。モランディは労働者階級の出身ではなく、フランスのフォーレを除けば、イタリアの音楽と言うよりは、ハンガリーのサーカス音楽隊やトルコを思わせる音楽が中心で、出てくる必然性も、音楽と接する喜びも弱い。

大団円に出てくるパレードも、黒澤の「夢」を考えたのかもしれないが、土着性もなく、ましてや笠智衆のような名優の存在も望むべくもない。インド映画の幕切れを思い出すが、場面の切り替えも弱く、踊り、音楽共に精彩を欠く。結局、中途半端なまま作者の暗澹たる衰えを感じさせて終わった。しかし、モランディ自身も含め誰一人として、この幕切れには満足していないだろう。その絶望があるからこそ、ただ一つの可能性が感じられる。皮肉なことだが。

詠み人知らず
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