落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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ちょっと違った法廷もの
「犯人は妻か」の真相を解き明かす法廷ものではなくて、一つの家族のドラマでした
思っていたのと違ったけど、主人公サンドラ演じるザンドラ・ヒュラーと子役の男の子、この2人の演技がすごかったと思います
自分も裁判に参加しているような気持ちでいろんな証言や検察の言い分を聞きながら進むストーリー
物的証拠が出るわけじゃなくて、出てくるのは状況証拠ばかり
だからザンドラも怪しく感じるし、息子の証言も本当の事なのかと疑ったり、みんなが自分の思惑通りに裁判を進めようとしているように思えて真相は何なのかラストまでずっと考えていたけど、そういう終わり方なのか…でした
この作品にはあの終わり方が良かったようにも思います
ストーリーには全然関係ないけど、やっぱり子供にとって両親が仲良いのが一番だとつくづく思いました
息子さんの今後が心配になった。
題名が「落下の解剖学」とか・・・大変意味深長に感じましたので、当初医学的な見地から真実に辿りつくミステリかと思いました。
しかし、検死のシーンなどあったもののそこに言及するのはほんのわずかで、殺人事件の法廷シーンを軸とした家族ドラマ、人間ドラマがメインの構成です。
殺人の容疑がかけられた女性作家が、自身の無実を証明するために、旧知の(元恋人?)の敏腕弁護士と共に法廷で戦いますが、自殺、他殺のライン・・・いずれも決定的な物的証拠はなく状況証拠を積み上げていくしかない状況。また、被害者の第一発見者である息子は事故で視神経に障害があり、かつ彼の証言も現場検証時に矛盾してることなど決定打に欠けます。日本の法廷じゃ物的証拠に乏しいから推定無罪だろうけど、フランス司法はどうなんでしょか?
法廷闘争が進むにつれ検察側は夫婦間のいざこざや女性作家のスキャンダラスな一面をクローズアップし彼女を有罪にしようと画策します。息子さんは母親の隠された事実に直面し、ショックを受け絶望しますが・・・という話。
この映画において観客が求めてるのは真実であって裁判の結果じゃあないのは言うまでもないのです。
しかし真実をあえて「ハッキリさせない」ことで観客の各個人的な検証や憶測を創出させ、作品にある種の余韻を持たすことにはまあ成功してると思います。
ただちょっと気になる点が。息子さん、何か・・・(優れた聴覚記憶で)認知しながらも母親が裁判で不利にならぬ様に「何かしら隠蔽」してませんでしたかね?
彼の今後のメンタル面がとても心配になりました。
まあ、これこそ私の憶測に過ぎないのだけれども(笑)。
証拠が無い場合、どう裁くのか。主役より子供と犬の名演が印象的。
証言や、録音など、次々に提示される中、なかなか真相がわからない展開に、150分の長さを感じませんでした。
最近、「結末は観客に委ねる的な」真相の直前でブラックアウトしてエンドロールという映画が多い気がしていて、本作もそうなるのではという予感がしていました。
個人的には、それでは、意見を提示せず観客のせいにする作品、脚本、監督が無責任だと思っています。
結局、本作では、裁判の結果は描かれますが、「真実」は描かれません。
劇中でも証言や録音の映像化はあっても、回想シーンはありません。
仮にラストで回想シーンで、本当は・・・と明かされても興ざめするだけなので、この結末には納得します。
真相は、本人しか知らないわけで、観客は劇中の被告人以外の人々と同様に、それまでに提示された情報、息子の証言を元に想像するしかない。
本編のセリフにもあった、有罪か無罪か判断が難しい場合でも、明確な証拠がない場合は、それまでの状況から、判断するしかない、というのと同じ状態に、観客も置かれることになって終わるのが素晴らしい。
主人公の妻の熱演よりも、目の見えない息子の名演に注目。
さらに、飼い犬のスヌープの名演技に見入ってしまった。
真実は観る側に委ねられる
フランスの山間部に住むある家族に起こる事件と、その事件の裁判を介して、この家族の関係性を浮き彫りにする作品。
冒頭、爆音で鳴り響くラテン音楽(恐らくクンビア?)とフランスの山々との不思議なコントラストが印象的だった。因みに個人的にはこの音楽は好みだったが(夫とは趣味が合う!)、作中の奥さんには嫌がらせと受け取られるほど大変苦痛だったようだ。
音楽が流れている間、弱視の息子は盲導犬と一緒に雪溶けの山道へ散歩に出かけるが、帰ってみると父親が血を流して倒れている。この、散歩帰りの息子の足下から盲導犬が遺体へ駆け寄るまでのパンが、何とも素晴らしいシーンだった。
本作については、最初は典型的な謎解きミステリーと認識されるよう、ある種確信犯的に作り手にミスリードされる構成となっていると感じた。(雪山→死体→アリバイ工作→謎解き→ドーパミンじゅわ〜のお決まりパターンを想像してしまったが、それも観る側の先入観だと思い知らされる。因みに私は、映画と音楽さへあれば、アスピリンもエスシタロプラムも不要な人間です…)
中盤から後半に掛けては、法廷シーンが続くが、ある音声証拠をきっかけに、その前後でこの夫婦に対する見え方が大きく変わってしまう。
エンディングで判決が出るが、真相は観る側に委ねられるといった構成で、モヤっとしたまま終了。
個人的感想は、真相は判決とは異なると思う。途中、弱視の息子は当初の証言を変えるが、視覚が奪われた人間は、逆に聴覚や触覚、その他の感覚が研ぎ澄まされるというが、息子の当初の発言は「勘違い」では無かったと思う。
この作品は、謎解きを目的としているのではなく、家族の関係性、特に夫婦関係と母子関係を描いていると思う。それから、真相が不明な事柄は、社会のシステムとして裁判により裁かれるが、判決は必ずしも真実と同じとは限らない様を描いていると感じた。ただ、作品の構成は特徴的だけど、テーマ性としては特に目新しいものでは無く、描かれ方も目を見張るような印象的な表現は無かった。結果、個人的にはそこまで惹き込まれる内容では無かった。
本作の比較対象として思い出したのは、昨年に見た「ザリガニの鳴くところ」、それから、昨年のカンヌ映画祭の審査員長も務めたリューベン・オストルンド監督の「フレンチアルプスで起きたこと」。前者は法廷ものとして、後者は家族における夫や父のあり方をブラックジョーク満載で自虐的に描いているが、テーマ性では本作に通じると思う。
追記:
夫が爆音で掛けていた音楽だが、調べてみるとドイツのスチールパン・ファンクバンド Bacao Rhythm & Steel Band(日本でいうところのリトルテンポみたいなバンドかな?) がラッパー50cent の PIMPという楽曲をカバーした音源のようですね(法廷でも言及されていた気がするが、理解できていなかったw)。てっきりクンビアか何かかと思ったのだけど、何れにせよ嫌いじゃない音楽だったからさっそくAmazon music でダウンロードしてしまった。爆音で流さないようにだけ気を付けたい。。。
神経がすり減る感じがした
タイトルや予告から推測するようなサスペンス、ではない。が、夫はなぜ亡くなったのかを辿っていくストーリー。夫婦が胸中を曝け出して言い合いをする場面。互いへの思いやりを失った時、人は傷つけることを厭わず言葉を吐き出し続けてしまう。ここで初めてサンドラの母国語は英語でもないことを知り、いろんなシーンで言い淀んでいたのは何かを隠してるからではなく、的確な表現を探していたからだったのかと気付く。終審後のサンドラの感想が自己中心的に思えた。この人は壊れた家庭に取り残された子どもとちゃんと向き合えるのだろうか。
プレゼン・コンペティション「落下の解剖学」
予告編を観た限りでは、サスペンスミステリーの様相だった「落下の解剖学」だが、もし一言で表現しなければならないとしたら、タイトルに書いた通り「プレゼン・コンペティション」になると思う。
数々の映画賞で脚本賞も受賞しているこの作品の最大のオリジナリティは、「立証不可能な変死事件」をどう解釈するか?という話しかしていないことだ。
頭脳明晰な名探偵も出てこなければ、観客にそのポジションを与えることも許さない。人物の表情を捉え続け、背景は申し訳程度にしか映されない。この作品に謎解きは不要で、我々が可能な事といえば「誰の話に最も心動かされたのか」を選択することだけなのである。
思えば人生はたった一つの真実で出来上がっているものではない。ある点では自分は恵まれていると感じ、ある点では不幸だと感じる。
性格だって、長所と短所は紙一重で、結局はどう感じるか・どう思ったかの違いでしかなく、全ては結局受け手の「好き嫌い」をフィルターに審査された「その場限りの真実」なのだ。
話を映画に戻すと、作家サンドラの夫・サミュエルの死を巡り、様々な人物が様々な角度から持論を展開する。他殺を疑うもの、自殺を疑うもの、事故だと考えるもの、全員の主張が入り乱れ、家族の過去や秘密が暴露されていくが、全ては事件と「関係があるかもしれない」出来事の列挙でしかない。
しかも実は序盤から裁判までにかけて、全ての可能性がやんわりと否定されているのだ。
事故だとするなら、夫サミュエルは内部に断熱材を貼る作業中、何故か内開きの窓を開けて外に身を乗り出した事になる。
サンドラがサミュエルを殺した場合、凶器で彼を殴りつけた後、体格の良い夫を突き落とす必要があるが、彼女は高い所が苦手で屋根裏では常に梁を掴んでいるくらいなので、例えバルコニーが現場だったとしても実行は恐らく無理だろう。薬物によるオーバードーズなど、彼女が実行可能な殺し方は別に存在する。
自殺については衝動的な飛び降りの可能性は否定できないが、3階程度の高さから雪の積もった地面への飛び降りで死ねるかどうかは疑問だ。首を吊るなり、手首を切るなり、屋外で睡眠薬を服用して凍死するなり、もっと確実と思える方法があの山小屋には存在する。
つまり、この事件は最初から「有り得ない事件」なのだ。
だからこそ、証人たちは僅かな記憶や感覚や事象を頼りに、自分の知る限りの「印象」で事件にストーリーを与え、自分や周囲を納得させようとしているのだ。
むしろ一番「事実」にこだわっているのは、最も不利な立場に追い込まれたサンドラであると言えよう。
もう一つ、この脚本で興味深いのはあらゆる現代社会の要素が盛り込まれていることだ。性的指向、障害、共働き家庭の分担率、国際結婚。どれをとっても正解などなく、当事者にとって暮らしやすいスタイルは常に自分で模索していくしかないものだ。
傍聴席にはアジア系やアフリカ系がさり気なく配置され、彼らの目に映るこの事件は彼らのアイデンティティを通して考えた時、どの説にどんな説得力を与えるのだろうか。
裁判の最後に再び証言したのは、サンドラの息子・ダニエルである。今まで自分が知らなかった両親の姿や、壮絶な夫婦喧嘩、テレビやインターネットが事件を娯楽化していく様は、彼を著しく傷つけるとともに大きな選択を迫ってもいた。
大人たちが喧々諤々の議論を展開する事件で、少年が「事実」を見つけるのは不可能である。どれも不確かでどれも尤もらしいと思える世界に放り出された時、決めることが出来るのは「自分の心」だけだ。だから彼は選んだ。自分が最も確実だと思うストーリーを。
そして、彼が語った見解が最も参審員や観客である我々の心を動かしたのである。
我々は正解を探しがちだ。正解や真実が最も客観的で最も公平だと思うからだ。しかし実際の世界はそんなに甘くない。正解の無い問い・正解が複数の問いは無数に存在し、そのたびに曖昧な中にも折り合いをつけ続けなければ人生を前に運べない。
エンディング、サンドラは夫の書斎のベッドに横たわる。「今夜は親子2人で」、とダニエルを見ていたベルジェに気遣われるが、ダニエルと会話した後彼女が選んだのは、愛する夫の残り香と共に眠ることだったのだ。
真相はわからない。わかるのは彼がもうこの世にいないことと、彼とサンドラの間にはかつて幸せや愛や絆が確かに存在していたことだけ。
そんな彼女に夫と重なる存在であるスヌープが寄り添ってくる。いつかスヌープも夫サミュエルと同じように、サンドラとダニエルの前からいなくなってしまうのだろう。けれど、彼らが家族であった事はいつまでも変わらない「真実」だ。
本作、何が評価されているのか全く理解できなかった
冗長で退屈すぎて、何度も寝落ちしそうになって、メチャクチャ辛かった2時間半
最後は“やっと終わった・・・”という気分
これが全米で大ヒット、しかも今年のオスカーレースでまあまあ健闘中の作品なのかぁ、ホントにぃ?という感じです
失礼ですが自分の中では2時間モノのサスペンスドラマと大して違わず、法定シーンも長くて退屈だし、真相は観客に委ねるズルい演出と脚本
全然、本作の良さがわかりませんでした
何を信じるか選ぶ時、どうするか
カンヌやアカデミー賞など、各賞レースを席巻中で大注目のヒューマンサスペンス。
真実を求める「謎解き」ではなく、人間の多面性や、信じること選ぶための要素、事実と想像の曖昧さなど、人の感情の複雑さや人間の多面性を目の当たりにし、なんともスッキリしない作品でございました。(褒めてます)
不審死した夫の妻が被疑者となるなかで、キーパーソンになるのは視覚障害を持つ息子。彼の目が見つめる先にある、以前は揺るぎない信頼と愛情でしかなかったものが、様々な姿を見せることで心が揺さぶられ自分でも分からなくなっていく様が見事。愛犬スヌープを演じたメッシ君の最高の演技と共に、とても印象に残りました。
ラストの余白もまた良き。
観たあと感想を聞いたり言い合ったりするのもまた楽しいタイプの作品なので、これからの反芻も楽しみです。
作中の息子さん、こんなの一生背負うよね
幾つかの意味が掛けてある『落下_Fall』であって、夫婦・親子・メディア・その他、現代人のすぐそばにある人間関係・人とは?を感じさせられる。
濃い裁判モノだが、サスペンス色はほぼ感じないし、なんならモヤモヤしか残らない。
素晴らしい脚本だと思うが、個人的にスコアは作品が面白いか?の観点であるので、そこからすると少し厳しいか…
家族を心から理解して、心から愛してると言えるか
家族の問題というのは、時には当人も気づかないほど繊細でカオスなものである。それを法廷で事実のみを抽出して客観視するというのは、観ていても辛く耐えがたい。
ハンディカメラやわざとらしいカメラアングルの映像がいい意味でノイズとなっている。
【ベストセラー作家の女性が夫の殺害疑惑により、法廷に立った時に次々に明らかになる真実。今作は被告の人間性を暴く法廷劇であり、相手の立場や心を理解する大切さ、寛容さを鑑賞側に問いかけて来る作品である。】
■ベストセラー作家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が自宅で女子大生からインタビューを受けている。すると上の階で民宿にするために自宅を改造していた夫、ヴィンセントは大音量で音楽を掛け始め、インタビューは中止になる。
その後、散歩に出ていた事故により目が不自由になったダニエルが父の遺体を発見する。
自殺か、他殺か、様々な捜査が行われ、サンドラは被告人として法廷に立つ。
◆感想
・被告人席に座ったサンドラは涙を流すことなく、毅然とした態度を取っている。そして次々に判明する事実。
1.ダニエルはヴィンセントが付き添うはずだった時に、世話役に夫は仕事を委ね車に撥ねられて、視力を失った事。サンドラはそれを恨んでいた事。(最初は数日・・、と言っているが、そんなことはないだろう。)
2.ヴィンセントはロンドンでサンドラと出会ってから作家を目指していたが、芽が出なかった事。そして、サンドラがそれを詰り、経済的にも追い詰められた二人が、彼の故郷の山奥の仏蘭西の家に越してきた事。
更に、サンドラのヴィンセントの小説のアイディアを自分の本のネタにしたのでは、と言う疑惑。
ー ドイツ生まれのサンドラとフランス生まれのヴィンセントとの言語の溝が、彼ら夫婦の溝に繋がっている事も良く分かる。-
3.ヴィンセントの死の前日の二人の間に、激しい喧嘩があった事。(彼がUSBに記録していた。)
ー サンドラはヴィンセントが作家として芽が出ないのは、努力が不足している事を激しく詰る。サンドラがヴィンセントに対し、如何に不寛容で冷酷だったかが分かるシーンである。ー
4.サンドラがバイセクシュアルであり、過去に浮気をしていた事。(回数はサンドラに寄れば一回。)
- これだけ、新事実が出てくれば有罪が有力視されるが、検察も決定的な証拠が出せない。-
・膠着状態の中、裁判は長引く。
そんな中、ダニエルは裁判官から出廷しない回(夫婦の喧嘩が、暴露される回。)を申し渡されるが、ダニエルはその回にも敢えて出廷し、両親の間に何があったかを聞こうとする姿が、健気である。
■サンドラは、ダニエルの最終心理の前、裁判官から息子と家の中で出来るだけ会わないように言われて、初めて車の中で大粒の涙を流すのである。
サンドラは確かに様々な事実を隠して来たが、それは息子を思っての事が多かったからであろう。
<最終心理の日、ダニエルは2度目の証言台に立つ。
そして、ダニエルの視力喪失を自分のミスと思い、妻からも常に詰られ、悩んでいた父から車の中で言われた言葉を喋るのである。
”人間は、いつか死ぬんだ。”と運転しながら、淡々としゃべる父の横顔。
ダニエルの言葉を聞き、静かになる法廷の人々。
そして、無罪を言い渡されたサンドラ。
【だが、本当に彼女は無罪なのか?夫を死に至るまで追い詰めたのは、誰であったか!!】
今作は、夫婦間の溝を描きながら、観る側に相手の立場や心を理解する大切さや、寛容さを問いかけて来る作品である。
主演したザンドラ・ヒュラーの名演も忘れ難い、見応え深き作品でなのである。>
恐ろしい映画だった
この手の作品でよく見られる“真実はこうです ”が一切描かれていない。
被告からの視線すら描かれていない。
それは
劇中に語られたように、“真実なんかどうでも良い”のかもしれない。
静かな映画
軒並みそれぞれ登場人物の人生観を深掘りして、高評価がやたら多いようですが、淡々と静かに進行するこの手の映画(フランス映画は、たしかにみんなこんな感じ)は、オイラはちょいと苦手。確かに後半のたたみかける展開の裁判劇は迫力あるはあるが、なんかブツギレ気味の演出になかなかついていけない。ラストも真相は分からず見る側に委ねるわけだが、サスペンスのどんでん返し好きのオイラには期待
外れになるのは致し方ないところ
真実とは何か(否定できないことは可能であること)
2023年。ジュスティーヌ・トリエ監督。フランス高地に住んでいる大学講師の夫、ベストセラー作家の妻、そして視覚に障害を持っている息子。ある日、夫が転落死してしまうが、調べるうちに他殺の可能性が出てきて、妻が逮捕されてしまう。自殺か他殺かをめぐる裁判に息子が巻き込まれていき、という話。
謎が解決されたり嘘が暴かれてりして真実が明らかになるということではなく、そもそも事故または自殺では納得がいく物語にならないために、そこに人の作為(殺人)の可能性を浮かび上がらせようとすると、否定できないことは可能である、という論法によってなにもかもが疑わしくなっていく。客観的な納得を求める法的な枠組みによって「動機」が探られ、可能性や思惑によって作り上げられ、当事者を混乱させていく。すごいのは、それに対して被告の妻が真実を盾にして戦うのではないことだ。当たり前だが死んだ人間の自殺の動機などわかりようがないので、私がやったのではないと言い募る以外に道はない。むしろ、自分に有利なことをでっち上げようとはしない倫理観を貫いており、真実は夫の自殺なのだろうなと観客に思わせるのもこの倫理観だ。思わせるだけで決定としては提示されないが。
「真実はわからない系」といえば黒澤明「藪の中」という名作があるのでどうしても比較したくなるが、とりあえず、あちらでは関係者それぞれのエゴで意図的に真実が隠されており、最終的にはすべてが暴露されてより高位のヒューマニズムによって乗り越えられている。それに対して、こちらでは真実は意図とは関係なく不明のままであり、それが乗り越えられることはない。
何かの動物に似てない人は信用しない
途中自分が「落下」しないか心配な体調だったが「落下」せずに鑑賞٩( ᐛ )و
事件の「真相」ではなく家族の「深層」が明らかになっていくプロットは秀逸やった。また妻の方が社会的成功を得ていて、夫のプライド、虚勢、妬み、責任転嫁、現実逃避など男のカッコ悪いところが描かれ、もはや「痛かった」
「真相より作家が夫を殺したかもしれないという方がドキドキしますね」や「真実なんてどうでもいい、人から君がどう見られるかなんだ」ほんまに今の流れやね。そこらへんも含めてあのラストなんやなーと感服しました。
にしてもワンちゃんの名演やった(๑˃̵ᴗ˂̵)
①L-11
そんな事まで明かされるのかよ
検察側の追及は容赦ない。そんな事まで明かされるのかよ。弁護側は真実はどうでも良くて陪審員への心象を良くするんだってちょっと厳しい戦いなんじゃない。
ドイツ人とフランス人がロンドンで出会って彼の故郷のフランスでの生活を選ぶ。ドイツ人の彼女は母国語を話す事がなくなり英語で暮らすも裁判では仏語で話す事を要求される。
作家としてヒット作を出した彼女と、その作品は俺のアイデアだったと卑屈になって行く彼。
二人の生活がすれ違って行く。でも言ってみれば当たり前でそれを乗り越えて行くのが人生だとも言えるんだけどなあ。
自分の時間って何だろう?料理したり掃除したり洗濯したり子育てしたり生活の全てが生きると言う事じゃないの。確かに彼女は好きなように過ごしているかもしれないけど、それは家庭内であっても隣の芝生が青く見えるだけかもしれない。
そんな風に思うとどちらにしても動機が弱い。
でももし周囲に彼女への疑惑を抱かせる為に彼が故意にふっかけて録音をしたのだと考えるとまた違った解釈が出来るわね。
そしてラストシーンで彼女に寄り添った犬(スヌープ)は何を知っているの?何を依頼されたの?
「ザリガニの鳴くところ」では無罪判決に「
よっしゃー」と思ったけど今作はそうなりませんでした。
主演女優の演技力を観る映画だった。
予告編を見てこの主演女優に惹かれた。以前、この女優さんが不仲な父親との関係を描いた物語に娘役として演じていた。良い映画だった印象がある。ドイツ人で美人ではないが、しっかりとした演技力がある。前よりも上手くなっている。
物語は夫殺しの容疑を掛けられた人気小説家の話だ。メインは真犯人探しではなく、明らかになっていく事実に主人公やその息子がどう対応するのか、その心理状況を描くのがメインみたいだ。
正直なところ、物語は、あまり面白くない。結局、事故なのか殺人なのか不明だ。状況証拠ばかりだと、人間あれこれ想像して、自分の好きなように解釈してゆくことがわかる。
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