関心領域のレビュー・感想・評価
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自らが正しいと信じることの「不確かさ」を痛感できる
アウシュビッツ強制収容所に隣接する屋敷で、所長一家が平穏な暮らしを営む様子が淡々と描かれる中で、BGMと言えるような音楽は一切流れない。 その代わり、ドドドドっといった重低音が絶えず響いていて、その他にも、散発的な銃声やかすかな叫び声が聞こえてくる。 やがて、この重低音が、遠くで煙と炎を上げている「焼却炉」のものであることが分かってくると、そこで普通に生活している登場人物たちの神経が疑われて、ゾッとさせられた。 それでも、もしかしたら、妻は、何も知らないのかもしれないとも思ったが、家に遊びに来た母親が、そうした環境に耐えられずに帰ってしまったことを苦々しく感じている様子を見て、収容所で何が行われているのかを明らかに理解していることが分かる。 仕事とは言え、「生産性」を追及して新型の焼却炉の導入を進める夫も夫だが、転出する夫を単身赴任させて、自分はアウシュビッツでの「理想の暮らし」を続けようとする妻も妻で、人間の良心や善悪の判断は、ここまで麻痺してしまうものなのかと空恐ろしくなった。 ところで、少女が、おそらくユダヤ人に与えるために、作業場にリンゴを隠す場面があるのだが、そこだけ赤外線のような映像になっているのは、単に、真っ暗闇での出来事を分かりやすくするためだったのだろうか? よく、残虐なシーンなどでは、その生々しさを和らげるために、ネガフィルムのような映像が使われることがあるが、ここは、そのようなショッキングなシーンでもなく、演出の意図がよく分からなかった。 その他にも、花々を映し出す映像が真っ赤な画面に変わったり、終盤で、現在のアウシュビッツの史料館の様子が映し出されたりと、いくつかの印象的なシーンがあるのだが、どれも、それほど効果を上げているとは思えない。 それから、強制収容所内での出来事をまったく描かないことには、確かに「視点」の斬新さが感じられるのだが、仮に、そのことを知らなかったならば、これが何の話だかまったく理解できない訳で、そんな、観客の「常識」を試すような姿勢にも、あまり好感が持てなかった。
調べたら原作があるそう。でも映画とは全然違うと思う。小説で音は聞か...
調べたら原作があるそう。でも映画とは全然違うと思う。小説で音は聞かせられないから。 監督はこのアイデアを思いついた時、気持ち良かっただろう。「勝った!」って思っただろうな。それぐらいのアイデアだと思う。 ちょっと食い足りない気もしたけど、でもかなりの作品だと思う。
頭クラクラです。。
東京の映画館の多くは毎週火曜に上映スケジュールが更新されます。私の場合、多くの上映作品の中から「劇場で観る」と決めた作品の中でも「(サービスデイではない)初日(金曜)に」が付く場合は、それなりに特別な作品であることが多いです。本作は賞レースで話題になったこともあり、やはり初日を狙っておりました。その結果、上映時間の都合と安価に観るための手段(リピータークーポン使用)を考慮し、本日は久しぶりに新宿まで足を延ばしました。(実際に往復歩いています)公開初日の新宿ピカデリー、朝一回の大きめのシアター2はほどほどの客入りです。或いは、公開規模からしたら若干淋しいかな、と。 で、観終わった直後の率直な感想は「あったま痛…」。事前に凄いとは聞いていた劇中にずっと鳴っている「音」と、ポイントで執拗に鳴り響き続ける音楽。アカデミー賞音響賞は納得ですが、実際かなり削られました。半端ないです。 一方で、内容についてはと言うと、怖からずに正直な言い方をすれば、「好きな作品とは言えないし、早々にはもう一度観たいとは思えない」なのですが、「斬新な表現に見えて、これが特別ではなく誰にでも当てはまる(ハンナ・アーレント的な思考)」と思わざるを得ず、好き嫌いだけで評価は下げられない圧があります。或いは、我慢してでももう一度観ればまた新しいものが見えてくるだろうと思いつつ、逆に一度観ただけに、より一層の覚悟が必要だと解り、そのハードルの高さを感じます。 そもそも、この場所やそこで行われている所業と、それを何食わぬ顔で取り仕切る人間たちを見れば、はっきりそこに向けて怒り、そしてそれを責める気持ちで自分の正当性を確認できた気になれるのですが、見せられる多くは普通の生活と多くの子供を含む家族の様子。周りには奴隷同然の立場であるお手伝いの人たちの存在と、時折、その距離感すら生々しく感じる怒声、そして銃声が聞こえる生活。そこで淡々と暮らしている様子を信じられないと思いながらも、ふと考えれば「レベルの違い」こそあれ、現代の自分たちの世界と生活にだって置き換えられないかと気が付いてゾッとします。 そして観ているうち徐々に、同じ家で生活する家族にもそれぞれ違いが見られるのですが、なかでも妻であり母であり、且つ娘でもあるヘス夫人・ヘートヴィヒ(サンドラ・ヒュラー)の執念と発言にはさすがに言葉を失います。或いは、その異常さに「自分は彼女とは違うし、この世界観はどうかしている」と思えばこそ、これが映画だと思えるのかもしれません。また、一点、説明のしようもないため観ていただくしかないのですが、終盤に差し込まれるシーンがまた違った意味でゾッとしますよ。 いやいや、観終わってクラクラしつつ暑い中2時間歩いて帰ったけど、何なら頭の方はそれくらいがクールダウンに丁度いい作品です。これからご覧になる方は覚悟してどうぞ。
タイトルなし
自分の半径5メートルを守るためにある不条理には目隠しを。絶えず鳴り響く不穏な音達は、ホームドラマに集中することを許してくれない。 その物を描かず、鮮やかなコントラストでこちら側へ訴えきった手腕。すばらしい。
収容所内のワンシーンの意味は
冒頭の黒みと音というか音楽というか悲鳴約5分。 単なる黒みなら20秒で充分。 なぜ? 製作側のメッセージは、 【映画館】 と、 スクリーンの向こう側、 【現在も中東や東欧でおきている事】 【ヘス家族】 と、 【収容所】 収容所の塀、 映画館の黒いスクリーン、 無関心の壁、 関心を持たせる為のオープニングなのかもしれない。 もちろん、 それに観客がどう反応しようと観客の自由だ。 しかし、 それを前提で、 あえて、 関心が集まるような言葉を使うと、 会議のアジェンダになっていただろう、 KPI、 KGI、 大規模経営方法、 大人数オペレートのノウハウ、 は、 現代の世界中で人気のあれやこれやに、 どのように活かされているのか、 関心があれば、 すぐにでも調べることができる領域だ。 凄惨な現実をどこまで表現するのか、撮る撮らない、 音のみ、実景のみ等々。 劇中で出てきた、 現在のアウシュビッツ収容所、同じ場所、同じ建物、煉瓦造りのガス室もそのままだ。 犠牲者の遺品の靴やカバンのカットがあった。 その横には膨大な量の剃髪された毛髪、 メガネが置いてある。 何故、こんなに乱雑に展示してあるのか、 現在の収容所のスタッフに聞くと、発見された時に近い状態で展示しているそうだ。 その理由は、 凄惨な扱いを受けた怒り、嘆きをできるだけリアルに感じとってほしいそうだ。 明日が来ない収容所その領域その行程(汽車が劇中にも出ていた)、 それを日本語も含めた世界中の言葉に翻訳、 後世に伝えるという強い執念を感じた。 その毛髪は劇中には出てこなかった。 表現に関しての、 描写の抽象度の上げ方下げ方は、『サウルの息子』で書いているので省略。 ED音楽はリズムもメロディも、 ほとんどサスペリア、 レディオヘッドじゃない方、 じゃない方、 ホントはトム・ヨークが、 じゃない方。 【蛇足】 『AVALON』のシナハン時 (正確にはシナハンというよりも、英仏独で制作した場合の試算との比較で、戦闘ヘリ、戦車等々、軍の協力要請、ワルシャワ国立フィル、フルオケフルコーラスの録音方法の交渉等々)、 セリフでも出てきたポーランドのクラクフに行った時に、 アウシュビッツ収容所に見学に行った。 戦闘ヘリ、ハインドの撮影時の珍エピソードはyoutubeで話して、、、たかな、、、
悪魔の所業も個々は私達と何も変わらない
今年のアカデミー賞に多数ノミネートされた本作、国際長編映画賞の受賞は当然で、さらに並み居るハリウッド大作を押しのけての「音響賞」を本作に与えたアカデミー会員達は、けだし慧眼であった。左様に本作は「音で観る」革新的な映画でありました。その音で観客の想像力を刺激し、魂の沈殿する深いところで人間の意識の有り様のリアルを突きつける。 オープニングから漆黒の画面が延々と続き。複雑なもっと正確に言えばノイジーな音だけが聞こえる。やがて小鳥のさえずりがメインとなり、豊かな水量を湛えた河辺で一家の夏のピクニックの様子を捉える。印象派の名画の趣で、限りなく豊穣を感じさせ、さらに車で帰宅してからのその邸宅の有り様の美しさ、まるでこの世の天国のような造りに驚かされる。ただし、隣接する塀は延々と長く、その向こうからは諸々の「音」が聞こえてくるが・・・。 そこはアウシュビッツ強制収容所であり、絶望の嘆息・悲鳴・銃撃音・破裂音・そして焼却炉の音などであり、だからこの邸宅はこの収容所の所長であるルドルフ・ヘス一家の邸宅と言うか一種の社宅のようなものでした。この前提条件だけで、一家の日常を覗き見る感覚で描きます。室内でも殆ど撮影の為の照明を全く感じさせず、自然光だけの中で見せられる仔細な日常がポイントでしょう。彼らの意識と私達の意識との違いを観客に問うてくる構造です。 新しい焼却炉は一度に500体の「荷」を焼却できます、なんてセリフが、画面の中の人はごく事務的に、聞かされる観客は凍り付くような恐ろしさに聞こえる仕掛け。ゴージャスな毛皮のコートは無論、塀の向うで裕福なユダヤ人が着用していたもので、幾ばくかの服は使用人達に分け与えている。3~4人いる家政婦達も多分ここに送り込まれたユダヤ人からチョイスしたのでしょう、使用人に対する物言いの冷徹さにそれが判る。 起きうるトピックスは妻の母親の来訪と夫の転勤くらいなもの。サンドラ・ヒュラー扮する妻はもちろん、母親も隣で起こっているコトは百も承知で、それは夫の重大な仕事である事も承知している。けれど母親は深夜にも耳に入る「騒音」への違和感を抑えられず翌朝早々に家を出てしまう。しかし、ヘス所長は塀の向うへ出勤し、帰って凝れば子煩悩な父親でもあり、その一方でユダヤの女を犯すことすらしてしまう、実に下衆な野郎でもある。同様に妻ヘートヴィヒは夫の転勤が分かっても、折角のこの天国のような暮らしを最優先する凡人ぶりを見せつける。なにしろ母親とて、以前掃除婦として働いていたリッチなユダヤ人邸宅の素晴らしいカーテンが欲しかったのに、別の人が持って行ってしまったと愚痴る、そのユダヤ人が塀の向うで虫けら以下の扱いだと言うのに。 まさに塀の向うの悪魔の所業ではなく、塀のこちら側である関心領域内においては実に私達と何ら変わらぬ俗物根性の持ち主であることが分かる。関心領域外に思いを馳せたところで、第三帝国の組織下において役割を履行しているだけであり、良心の介在する余地はないはず。ユダヤ人があまりに可哀そうだから、こんな暮らしは嫌、なんて言えますか? ここに本作最大の恐ろしさが仕込まれているのです。 無関心を続け、気が付いたら取り返しのつかないとこまで来てしまった。ナチスSSの奴等とて、私達と何ら変わらぬ俗物なんです。関心を持たなかったツケが自らに跳ね返り、人間性を捨てなくてはならないはめに。私達だって追い込まれれば人間をきっと捨ててしまうでしょう。こんなナチスドイツを例に挙げなくとも、この日本で、このアジアで、私達のご祖先様が過去に辿った記録があると言うのに。政治は政治家のものだけではありません、全国民ひとり一人の生活であり、声を挙げるべきものなのです。手遅れになる前に一票で意志を表しましょう。 本作を難解だとか退屈だとか、観る人を選ぶなんて決めつけないで下さい。退屈なのは私達の日常と同じだからなのです、関心を放棄した挙句の様を馬鹿な奴等とせせら笑ってくれれいいのです。ラストに登場するアウシュビッツは(まだ行ったことはありませんが)多分、現在の博物館の様子でしょう。記憶も薄れる程に時間が経ちますが、決して関心を捨ててはならない決意のために本作はここに輝くのです。 原題の「The Zone of Interest」を「アウシュビッツの隣で」とか「隣で起きている事」なんて凡庸な邦題でなく、ストレートに「関心領域」と堅く無機質に表現した事はお見事です。
え?これだけ? これくらいならそうぞうできるし、 予告とそんなに変...
え?これだけ? これくらいならそうぞうできるし、 予告とそんなに変わらない テーマは良いけれど映画としては、、、 期待し過ぎたか?
重いテーマ。色々、考えさせられる作品
今年のアカデミー賞でも2部門、イギリスアカデミー賞で3部門受賞した 関心領域を観た。 もし、あなたが住んでいる家の隣がアウシュビッツ収容所だったらと思うと 怖さや恐怖も感じる作品だった。ストーリーは平凡そうに見えてジワジワ怖さを 増してくる。観客にこの作品を通じてナチスの虐殺問題について考えてもらいたい 思いがスクリーンから伝わった。見事だ。 ラストも貴方はどう思いますかと画面を通じて問いかけられた気がした。 オッペンハイマー以上に恐怖を感じる作品でもある。 音楽も作品にふさわしいし、タイミングもいい。 サンドラ・ヒューラーは落下の解剖学よりもこの作品の演技が圧巻。 今年の洋画ベスト10候補に入れたい作品。
語らずとも語り尽くす作品
朝イチ封切り初回を新座で鑑賞 映画はアウシュビッツ収容所でのホロコーストの残虐な行為を直裁に描くことなく 塀を挟んだ収容所の司令官宅の平穏な家族の日常を冷酷かつ冷徹に淡々とスケッチしてゆく ネタバレするのでもう書かない おそらく監督は多くを語らず、余白を残して観客に感じ取らせる覚悟なのか、史実をなぞることもせず、一切説明を省いて家族だけを撮っていた ホロコーストの史実に向き合って学んだ者には充分な量の政治情勢も断片的だが盛り込まれていた 怒りで身体が熱くなることもなく、戦争犯罪を犯して来た日本を含めて多くの国々のことも脳裏をかすめながら、ココロも身体もジワリ芯から冷えて体温が3℃くらい下がるA24らしい夏向きの作品に仕上がってる あまり深く学習する機会も持ち得ない我々日本人はネットでホロコーストの復習してから観るべきかもしれないね 記憶に残る映画 カンヌ映画祭グランプリ、納得
問われている
スゴい作品だが、ただ観て面白い映画ではない。そういう種類の作品じゃない。 表面的に、塀の「こちら側」で繰り広げられるのは言ってみれば「ホームドラマ」であって、そこにはガーデニングするお庭だったり、旦那の仕事だったり転勤だったり、ちょっとした諍いだったり、よくある家庭と同じものしかない。それは婦人にとっての「理想の暮らし」のようなものだ。 しかし塀の向こうに見える煙だったり、聞こえてくる犬の声や悲鳴、銃声、使用人なのか収容者なのかが撒く灰の正体など、本当に怖ろしいものには「関心」を持たず、思い至ることもない。そうした人間のあり方をはっきりと描いている。 これは現在の、ガザやウクライナ、シリアなどの人道危機に目を向けず、生活を楽しんでいる我々の姿そのものではないか。そういうところを問われている。 本作でマトモなのがおばあちゃんだけだったように、我々の世界も狂ってるのだと、問われている…
想像通り
確かに音や音楽で恐怖感を感じさせる意図は理解できるのだが、観ているこっちとしてはある上流家庭の平和な日常の生活を送っている中、隣の建物の中では全く違う恐ろしい世界が繰り広げられている事が、あらすじと「いろいろな音」またそれを創造させる現象「人骨」「無数の靴」「毛皮のコート」「人の口紅」また奇妙な白黒映像表現での描写など、全て想像でしか恐怖感を感じられない、音楽に例えると興味のない難しいオーケストラの演奏を永遠と1時間40分聞いていたような気分、また最後はどのような展開で盛り上げるのかと期待して観ていたが結局何も起らないで終わってしまったという消化不良の映画 きっと映画通の人や欧米の人にはこういう映画が受けるんだろうなと感じる映画でした。 カンヌ国際映画祭やアカデミーの国際長編映画賞を受賞したから見たけれど 自分としては、前予想であまり期待していなかった点がまさにその通り的中した映画というのが感想。
決して万人受けはしない
評判から分かってはいたが、物語が難しいというより何も起こらない日常生活の話。 慣れなのか?あの家族が悪な訳では無い、時代がそうさせたのか?時代、政治のせいにしていいのかを考えさせられる映画。 物語が無いのでキャラクターに感情移入出来ない、しかし何となく心情がわかるような作りにはなっている。 実験映画のよう、流石はA24。
隣人の苦難に関心を持てるか?
ナチスドイツがポーランドに建設したアウシュビッツ強制収容所の所長だったルドルフ・ヘス一家が、収容所の隣にあった自宅で暮らす様子を描いた異色作でした。ナチスドイツがアウシュビッツで行った人類史上稀にみる非人道行為により、ユダヤ人を中心に110万人が虐殺された訳ですが、本作は壁一つ隔てたヘス家の自宅こそ画面に登場するものの、収容所内の映像は一切ありませんでした。しかしながら遺体を焼却する焼却炉の建設計画の会議シーンなど、収容所内部の概観が想像できる場面が散りばめられていたほか、何と言っても収容所内の残虐行為の”音”が、恒常的に聞こえて来るのが最大のポイントでした。銃を撃つ”音”、棒や鞭で打ち付けるような”音”、そして”叫び声”などが、ずっと聞こえて来る訳ですが、こんな環境下において、ヘス一家は全く”音”に反応することなく、普通に暮らしています。まさに”関心領域”に一切入っていないというのが驚きでした。 これまでもナチスドイツの残虐行為を取り上げた映画はたくさんあったと思いますが、ここまで間接的な形でそれを描いた作品もなかったのではないかと思います。そして間接的だからこそ、残虐行為とその傍観者という構図が、ナチスが跋扈した時代に留まらず、現代性をも帯びた形で観るものに訴求して来る流れになっており、実に意義深い作品だったと感じました。 そして極めて皮肉だと思ったのは、アウシュビッツで憂き目に遭ったユダヤ人国家であるイスラエルが、今やガザ地区のパレスチナ人に対してジェノサイドとも言える行為をしている現実です。この辺りは人類の馬鹿さ加減に絶望せざるを得ないところですが、問題はこうした現実を目の当たりにして、壁を一つ隔てた場所にいる我々が、どれだけこうした現実に目を向け、声をあげられるかということかと感じたところです。 全然話は変わりますが、題名の「関心領域」と言う言葉は、ナチス親衛隊がアウシュビッツ周辺地域を表現するために使った言葉のようですが、実は全く異なる場面でも聞いたことがありました。脳の海馬・扁桃・嗅内野の大部分のことを”関心領域”というそうで、認知症になるとこの領域に委縮が見られるそうです。はじめ「関心領域」という題名を聞いた時、この脳の海馬付近の話とか、認知症のことに関連付けた話なのかと思いましたが、全然違いました。因みに「関心領域」の原題は「The Zone of Interest」ですが、脳の”関心領域”の英語表記は”Volume of Interest”だそうで、英語にすると表記が異なるため、制作者が意識した訳でもないようですね。 そんな訳で、本作の評価は★4とします。
おぞましい
表題の通り。 怖い話を少し。最初に見て、みんなのレビューを読んだり、自分なりに調べて2回目の鑑賞。見逃していた場面や字幕に気づいたり、わからなかった箇所の意味がわかったり。なのに、衝撃は明らかに小さくなった。怖いでしょ。たったの2回なのに。ただ、エンドロールの音楽だけには慣れなかった。 <最初のレビュー> こんな思いでエンドロールを聞いたのは初めて 途中、耳を押さえたくなった。 たぶん、音響が大切。 家のテレビで見てもこの不気味さは一部しか伝わらないかもしれない。(それでも充分不気味) 「ヒトラーのための虐殺会議」の演出と対称的。 みんな見た方がよいのだろうけど、なかなか人には勧めにくい。 「生産性」という言葉が何度か出てくる。 何か気晴らしをしてからでないと家には帰れない。
無関心を抉る「音」
ジョナサン・グレイザー監督ら主要スタッフ3名がオンライン登壇するティーチイン試写にて。 第2次大戦時のアウシュビッツ強制収容所の隣の屋敷に住む収容所所長ルドルフ・ヘスとその家族の暮らしを描いており、カメラが終始一定の距離を取って撮影したのは、監督曰く「家族の生活を“観察”する感覚で撮った」。確かに観る方は、家族の生活を“覗き見”しているような感覚になる。 一見は何気ない普通の家族の平穏な生活だが、彼らの背後で起こっている出来事は惨たらしい。でも家族はそれを何とも思っていない(幼い子供は事態を把握していない)、このコントラストが戦慄。加害者=ナチス側視点の作品は多数あれど、この斬新な切り口は天晴としか言いようがない。 ただ、その惨たらしい出来事は直接映像では見せない。その代わりに使われるのが「音」。『オッペンハイマー』の音響もすごかったが、それとはベクトルが異なる。試写劇場が比較的普通の音響設備だったとはいえ、脳や神経を脅かされた。多分、音響設備が素晴らしい劇場ならよりそのエグさが伝わるだろう。 老齢によりホロコースト生存者が年々亡くなっていく現状。つまりそれは、その過ちを後世に伝えていく人が減っている事でもあり、今生きている人々が“無関心”になってしまう事にもつながる。無関心になっていけばいくほど、過去の過ちを繰り返す恐れがある。いや、もうそうなっている。
音の圧倒的な存在感
耳に残る音と画面に映る色が恐怖感を煽ってきます。 壁の向こう側は収容所。 毎日行われている虐殺の直接的な表現は無く感情移入はなし。うめき声や銃声、焼却炉から出た煙、川に流れ着く人骨が静かに存在を示していました。 慣れと当たり前が生んだ無関心こそが最も残酷。
誰もが知っている
壁の向こうで24時間、何が起こり何をしているのか皆、感づいている、聞こえる。自分たちがなぜ高価な毛皮のコートや指輪やらを入手できるのかも知っている。それをグレイザー監督は向こうを見せずに示した。映画監督が自分で自分の手を縛って見せないことを選んだ。 ザンドラ・ヒュラー演じるヘドウィグは5人の子どものお母さん。こんなにたくさん子どもを生んでいれば表彰ものだろう。地元ポーランドの女性を何人も家政婦として雇っているヘドウィグはガーデニングに精を出している。「天国の庭」と呼ばれる庭には色とりどりの花が咲き誇っている。平和だ。彼女は少し滑稽な大股歩きをしていて、幸せかどうかよくわからない表情をしている。時にかなりアグレッシブな物言いをする。お父さんは昼間は壁の向こうで精力的に働いている。会議の後、美しい大理石の廊下に嘔吐した。身体は正直だ。晩はこちら側に戻って眠る前の子ども達にグリム童話を読んであげる。「ヘンゼルとグレーテル」の最後のシーンに心臓を掴まれながら。 上機嫌に妻を「アウシュビッツの女王」と呼ぶ優しい夫。緑に囲まれプールもある素敵な邸宅。川が流れ緑したたる美しい野原にピクニックに行ってポーランドの美しい夏をみんなで楽しむ。誰が見ても普通の、ただかなり豊かな家族の風景だ。その「豊かさ」をなぜこの家族が享受できているのか夫妻も家政婦も、遊びに来るも向こう側から聞こえる音に不安でいっぱいになって何も言わずに帰ってしまったヘドウィグの母親も知っている。でもそれを話題にすることはない。 この映画は壁の向こう側を映さないことで、今も続く豊かで幸せな無関心の世界をうつしている。そして、自分や家族や友人や仲間や祖先が過去に悲惨な苦しみを受けたら、その「自分」が今度は他者に悲惨な苦しみを与える側に立つことは許されるのか?を問いている。 おまけ 特別先行上映で見ました。ナチ時代における女性史研究のスタートは遅かったが流れは早かったようです。当初は女性は被害者という見方、それが女性も主体的にナチに賛同し行動し利益を受けるなど共犯者でもあったことがここ数年の歴史研究で解明されてきたようです(井上茂子「ナチ時代のドイツ女性を再考する」所収『歴史評論』vol.889 /2024.5.より)
音を聴き逃してはならない
怖い怖い。 今まで観たどのアウシュビッツ映画より怖いかも。 特に音が怖い。 具体的な虐殺シーンも虐待シーンも何一つなく、その後ろにあることを断片的な情報と音で、観る人間の知識とイマジネーションに委ねる作品でした。 理想の豊かな地方都市暮らしを手に入れた主婦の幸せそうな姿と、真面目に仕事と子育てに勤しむパパの姿の裏に、「これの背景ではアレが進行している」という時間が延々と描かれておりました。 昔の黒澤明映画や、最近だとアニメ映画『この世界の片隅に』など、自然音、効果音ってすごい作品ってあったじゃないですか。 本作では、幸せそうな家族の背景の自然音が、定期的な銃声や悲鳴…… おまけに不穏な音楽がかぶさり…… 劇場の音響でこそ、この怖さが伝わると思います。 全ての音を聴き逃さず、その意味を考えながら観るのが正解。 さらに言えば、パパ=アウシュビッツ所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスの手記『アウシュヴィッツ収容所』には、「家族は重要所の中で何があったか知らない」「家庭では虐殺を思い出し、収容所では家庭を思い出していて良心に苛まれた」とか書いたことを知っていれば、さらに悍(おぞ)ましいことだとわかるように作ってありました。 いつどんな戦況で、どんな作戦が進行していたかとの答え合わせをすると、底なしの怖さを味わえます。 知識があれば、より恐ろしさが増す内容なのです。 A24にしては珍しく、「感じろ」だけでなく、「知って、考えて、さらに感じてくれ」って珍しいタイプでした。 もはやこれはホラーでしたね。
深く考えさせられる作品
上映後、こんなに静かな映画は初めて。 現在起こっていることと重ね合わせて、この一家を自分に重ねてしまうような作品。 アウシュヴィッツ所長家族の日常を描いていて、直接的に残虐なシーンはないのだけど、かなり精神にきた。だけど見てよかった。
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