関心領域のレビュー・感想・評価
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ソフィーの選択?
楽しい映画ではありませんが、心に響くものがありました。「自分の損得ばかり気にして周りに無関心になる」この妻の様な素質が自分にもあるかも?と思い怖くなりました。このヘス家は「ソフィーの選択」でメリル・ストリープ演じる主人公が勤めていた所みたいです。ソフィーという人物が出てくる様なので、かけているのでは?両作品とも再度鑑賞したくなりました。
となりはアウシュビッツです、ということを知らないままこの映画をみて...
となりはアウシュビッツです、ということを知らないままこの映画をみて、最後の最後にそれをにそれを明かされたらどう思うかなあと考えながらみた。
子育てにベストな環境。失いたくない幸福なわたしの暮らし。
となりが収容所というのは極端だけど、みたくないもの、ききたくないものすべてにふたをして、自分の信じるもの以外はすべて無視できるメンタルは盲目的でぞっとするが、ぜんぜん別世界のことでもなくて、知らず知らずのうちに自分もそうなっていたらいやだなあ、と少しこわくなった。
むぅ
面白くはない。
気が重くなる。
しかし、完成度は高く
視点は鋭く深い。
現在のアウシュビッツがでてくる
描写には驚いた。
イスラエルはガザで虐殺を行なっている。
遠い将来、パレスチナに記念館が
できるのだろうか。
塀の向こう
以前ホロコーストの実録や近年ヒトラーための虐殺会議を観た私にとって、この映画は大変キツいものでした。
スクリーンに映しだされる幸せそうなヘス一家。その向こうに見えるアウシュビッツの施設、煙突から常に出ている煙、聞こえてくる音…そして映画ではわからない匂いもあったはず。観ている間ずっとそこで何が行われているか想像している自分がいました。
ラストエンドロールで流れる音楽は殺されたユダヤ人の沢山の悲鳴のように聞こえ怖くなりました。人間て恐ろしいと思える映画でした。
ナチスの恐ろしさではなく、人間の恐ろしさ
戦時中というと、戦場やそれに準ずるような修羅場や緊張状態が想像されるが、この映画が映し出しているのはなんとも幸せそうな家庭の姿。父の誕生日を祝い、ケーキを食べ、休日に子どもと川に遊びに行き、友人や母が訪れては楽しく談笑する。ヘス一家のみならず、どの国にもこういう日常を過ごした家庭はあったのだろう。
一般的には、映画に登場するナチス(というか主人公の敵国兵士全般)というのは、明確な悪役として登場し、信じられないような非道をおこなう。それらの大半はもちろん事実に違いないが、糾弾する表現目的を持っているがゆえに、まるで悪魔や鬼の所業のように受け止められる。実際には、誰かには慈愛を注ぐような人間が史実としておこなったものであるという事実をなかなか実感できない。そこを解決した映画だと思う。
この作品にはテンポチェンジがほぼ無く、淡々と日常が描かれている。
史実を知った上で注意深く見なければ、普通の営業マンがただ普通にマジメに仕事をしに来た、子どもが珍しいものを手に入れて興味深く観察している、仕事のストレスを抱えた父親が娼婦を呼んで妻にバレないように入念に陰茎を拭いた、奥さんがヒステリーで家政婦に八つ当たりをした、ちょっとイライラすることもあるが、いたってノーマルな日常である。
史実を知っているからこそ、営業マンがいかに死体を効率よく焼けるかという信じられない話をしていることや、子どもが虐殺されたユダヤ人の遺品をオモチャにしていることや、ヘスがポーランド人に一定の差別感情がありながら手軽にセックスを済ませたことや、奥さんがポーランド人家政婦に対して塀の向こう側にぶち込むぞと言ったことがいかに恐ろしいことか、といった事を理解・想像できる。
僕らが博識だからではない。ただ遠い未来の人間だからこういった想像で補完ができ、批判的な立場を取れるのであって、当時のドイツに生まれ住んでいたらやはり淡々とした日常としてなんとも思わなかったのだろう。
僕は焼肉を食べる時に、大量の牛が屠殺される目的で生まれ、屠殺され、皮を剥がれ、全身をバラバラにされるのを想像したりはしない。自分が食べてるのはカウではなくビーフだと思っている。知らないわけではなく、想像しない。無意識に関心を持たないようにしていると思う。
ナチスにとってホロコーストがそういうものだったというのを、擁護するでもなく、過剰に糾弾するでもなく、フェアな視点でリアリティを追求して描いた作品だと思う。
ここで表現されているのは、ナチスの恐ろしさではなく、人間の恐ろしさだ。
楽しそうに笑う彼らを許せない。
どうかこの罰当たりな人達に破滅が訪れますように。
楽しそうに笑う彼らを許せない。
上映中に私が考えていたのはこんなことばかりでした。
皆さんどんな感想を書かれておられるのかと気になって見てみたら、やはりと言うべきか冷静な論評ばかりで、いやはやさすがと感心しきり。
彼らが何の変哲もない普通のドイツ人であったことにこそ脅威を感じるべきなのでしょう。また、いかにも日本人が陥りそうなリスクなだけに、深刻に受け止める必要が大いにあると感じます。
この映画から受け取ったものに満足していますが、イスラエルを擁護する人達は放っておいても高いレーティングを付けるでしょうから、バランスを取るために敢えて低めに設定します。
ちなみにヒトラーがオーストリア人だったことをオール讀物のコラムで最近知り驚きました。
現実に繋がる
序盤の展開、なかなかついていけず。
悲劇の史実をサプライズ的に用いてるのでは、
と疑問に思った。
”いたずら”に使われてるのではないかと。
しかし、壮絶な現実を目にした母の姿、
近所に住む少女のある行動で、我々はわずかな光を見る。
そのお返しである「音楽」という芸術が、
どれだけ意味のあるものであったかを物語る。
本来、あるべき姿でようやく出てきた芸術である。
人を救う、音楽である。希望である、音楽である。
そして、ラスト。
ド直球に地続きであると見せられる。
観客は、思い切り関心を向かせられることとなる。
というかやっぱり、これを忘れちゃいけないよ
人間の罪の歴史。歴史の中に置かれた布石。
アウシュビッツ。いつか行かなければいけない。
おぞましい
残酷な画は映りません
血も流れません
直接的なグロ・ゴア描写は一切ない
それでも、こんなにおぞましい映画はそうそうないでしょう
映画冒頭から切れ切れに聞こえてくる銃声
「何」を燃やしているのか明らかな焼却炉の煙
庭でその臭いを嗅いで咳きこむ家族
なのに、旦那の転勤には着いていこうとしない妻
不快で不穏なBGMとあいまって、鑑賞中ずっと胸がザワザワする体験を味わえました。
人間の負の歴史を観ておきたい人にオススメの映画です。
慣れって怖い
広告で大まかな内容は知っていたけれど、物語としてどう展開されていくのかはわからず、最後まで観れるかなと思って鑑賞。
結局あっという間の2時間でした。
ただ物語を楽しんで、というよりはただただある家族の日常を観てるだけ、本当にただそれだけ。
それなのに何故こんなに退屈せず鑑賞できたのかというとその日常が一般人からしたら非日常であって、この家族がなかなかに狂気じみてるからだと思う。
人を殺してるわけでも何か悪さをしてるわけでもなく、ただただ平然と暮らしてるだけ。それがこの映画では一番異質。
これこそ映画館で、特に夜観るべきだと思う。
というか日中観たらその日が台無しになる、それくらい気持ちが複雑にで、もやもやした気持ちにさせてくる。
気になってる人はぜひ映画館で。あまり人にお勧めできない、ちょっと暗い気持ちになる映画でした。
この生活に耐えられる?
大量虐殺が行われている近くで
楽園を築ける
根性?はどこから??
司令官より、司令官の奥様が怖くて
奥様のお母さんも
アウシュビッツ敷地にある豪邸を
殺戮が繰り返されている事がわかっているのに
良いところねと褒め称えた
えっ?
叫び声と銃声が聞こえる生活を?
子供の幸せって?
こんな環境で子供が真っ直ぐ育つとでも?
司令官の部屋に入ってきた女性は娼婦?
ユダヤ系に見えたんですが
その女性は殺されてないだろうかとか
色々考えを張り巡らす
奥様のお母さんはこの環境に耐えられず、黙って出て行ったと推測
手紙にはなんて書いてあったのか
司令官が昇進して
ここを離れないと行けないとわかって怒りまくる奥様
そんなにここ良い?
自分が育てた庭や素敵な部屋があるから?
お手伝いの方も身体に支障が出てきて
子供達の遊びも戦争にまつわる遊び
夜はちゃんと寝れてなさそう
女の子はいつもベッドじゃないところにいる
実はどんどんこの環境に、生活に蝕まれている
司令官も身体の調子が悪い。
やったことは全て自分に返ってくる
因果応報
そして、エンドロールの音楽めっちゃ怖い。
本当にあった怖い話
ふざけたタイトル名ですが、こんなタイトルじゃないとあなたはこの駄文に関心を示すこともなかったでしょう?これもある意味で関心領域です。
ごめんなさいふざけました。でもタイトル名は本心です。今も昔も当然のように戦争があり、民族憎悪があり、人が人を殺す。誰もこれらに対して見て見ぬふりは出来ない。でも出来ないはずなのに無意識的にやってしまうのが私達人間です。
要はこの映画は単純なホロコースト映画ではないと言いたいんです。ユダヤ人がどうこうナチスがどうこうの話ではなく人間が自分自身で自覚できない穢れを戦争を通して描いている映画だ、と言いたい。
ですが戦争には勝者と敗者がいて、勝てば官軍負ければ賊軍という言葉がまさに当てはまる事になります。被害者・加害者に分かれます。義と悪にラベリングされる訳です。そんな状況で"人間誰しも持つ"無自覚な穢れの話が通用する訳がありません。「お前は被害者を悪く言うのか、加害者の肩を持つのか」って奴です。勝者敗者を曖昧にしようとしてもそれぞれに対するイメージは固定されます。我々日本人だってそう。3か月前に日本公開の伝記映画オッペンハイマーを観てすべてをすんなり受け入れた人はいないでしょう。バーベンハイマ―を知っていたらなおさら。日本って敗戦国なんだなと時空を超えて思わされましたよ。でも他方で日本が植民地支配した国々の人たちは今でも良くない印象を持ってることも少なくないでしょう。
ドイツも日本もアメリカも、そしてユダヤ人とイスラエルも誰かによって苦しんだし誰かを苦しませた。戦争が終わり勝者敗者の立ち位置が出来て、良いやつ悪いやつといった固定されたイメージは80年後の今でも変わらないまま。こんな環境で無自覚な穢れの話は出来ないですよ。すぐにアイツが悪いこっちは正しいなんて言い始めるでしょうから。
そして私はどうしてもこの映画を人間の悪としてではなくユダヤ人、ナチスといったラベリングで見てしまう。だから本当にあった怖い話であり、現在進行形で怖い話なんです。民族の問題ではなく人類の問題なんです。ナチスは良い事もしたとか、そんなことを書くつもりは全くないですよ。でもユダヤ人可哀そうナチスひどいみたいな典型的な視点で観るなら別の映画を観た方がいいんじゃないかとさえ思います
予習が必須の映画だった
オッペンハイマーに続き予習必須の映画だった。
アウシュビッツやナチスドイツに詳しい人が観ればわかるかもしれないけど漠然としか知らない者からすると音声だけで自宅の隣のアウシュビッツの惨状を想像させるという狙いもそこまで効果は発揮していないかも・・・
正直観終わって詳細な情報を書いているコラムを読むまでほぼ何も分からなかった。
かなり音にこだわったという記事を読んだけれど、それもそこまでこだわって作ったにしては少し弱い気もする。
ただ、1つの映画としてあらゆる手法で新しい試みをしているなと観ながら感じたのでその辺はこれからの映画界においていい挑戦なのでは、と思った。
隠語等の意味も分かって観るとまた違う気がするのでサブスクに入ったらもう一度観たいと思う。
アウシュビッツ強制収容所の見学を疑似体験
ユダヤ人大虐殺が進行するアウシュビッツ強制収容所。
一枚の壁に隔たれた家に暮らすドイツ人家族の暮らし。
敢えて彼らの日常だけを写し隣から聞こえてくる音によって
歴史的な人類の過ちを描く意欲作。
恐ろしいことが起きているすぐ側でさえ
人は無関心でいることができる。
本能レベルの愚かさを見事に露わにした。
以前、アウシュビッツ強制収容所に訪れたことがあるのだが
当然ながら誰もいない空間なのにもかかわらず
絶望だけが満たされているような感覚に陥った。
この作品はそんな現地の見学を
擬似体験できるような作品だった。
第二次世界大戦中、アウシュビッツ収容所。 所長のルドルフ・ヘス(ク...
第二次世界大戦中、アウシュビッツ収容所。
所長のルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)は、妻のヘドウィグ(ザンドラ・ヒュラー)や子供たちと、収容所に隣接する豪華な邸宅で暮らしていた。
整備された庭、広い室内、使用人も多く穏やかな日々が続いていく。
ただし、塀の向こうでは銃声や叫び声が微かに聞こえ、煙突からは煙も上がり、近くの川へボートを浮かべて遊ぶと、突然、大量の灰が流れてきたりはするが、まぁ、それはそんなものだ・・・
といったところからはじまる物語で、おおよそのところ予告編などから想定できる内容。
ヘドウィグの元には街の方から女友だちなども遊びに来、その際には「ユダヤ人たちは宝石を塩壺の中に隠してたりするのよ。頭いいわぁ、はははは」みたいな会話も、何気なく繰り広げられる。
前半で、いちばん恐ろしかったのは、ここ。
で、夫のヘスは収容所運営の手腕を評価されて栄転、収容所を離れざるを得なくなる。
すると、妻ヘドウィグは、「やっと手に入れた理想の生活。行くのはあなた一人、単身赴任して頂戴。上司に掛け合って。なんなら総督にお願いして」という。
うわぁ、怖。
かくしてヘスは単身赴任することになるのだが・・・
個人的には、ここからあとの後半が残念だった。
前半、引いた画面で抑制の効いた演出。
これが後半、動き出す・・・ と期待したが、そうはならず。
単身赴任のヘス中心に描かれ、ヘドウィグと子どもたちの様子は描かれない。
ヘスたちが静かに「最終結論」へと導きながら、ヘドウィグたちは穏やかな(できればホームドラマのようなコミカルさも加えて)生活をしている。
それのクロスカット。
なんとなれば、ヘドウィグは夫ヘスが戻って来るのを待ちわびているのだ。
この、非人間的行為と隣り合わせながらも、それを察知することなく日常に埋没してしまう恐怖を描いてほしかった。
最終盤、「最終結論」を導き出した後にヘスは嘔吐するが、嘔吐シーンの間に、現在のアウシュビッツに様子が挟み込まれる。
ヘスの嘔吐は、劇中のヘスの人間性からの結論ではなく、現在の人々(つまり観客)の嘔吐を誘引するための演出だろうが、それはちょっとずるい演出のように思われる。
映画の締まりとしても収まりが悪く、ラストカットは戻って来たヘドウィグの満面笑みが相応しかったのではないかしらん。
モンスターが現れないモンスター映画。
そのモンスターをヘドウィグに代表させる、という意味で。
関心度の高い意欲作だが、あまり感心できませんでした。
無関心な人たちに、こちらの感情を煽られている気分
ダン、ダン、ダン♪
ダン、ダン、ダン♪♪
劇場出なしな、エンディング、口ずさんじゃってたよ…
劇中曲もそうだけど、良くもまぁ、こんなに不気味な音を作れるものですな。
とにかく、テンションだだ下がりですわ…。
でも、だからといって、まったくイヤなわけじゃなくて…
アウシュビッツ収容所内のことは、ほぼ描いておらず、
流れてくる人の声や、ピストルの音や、煙や、川に流れてくる灰や…
視覚、聴覚でこちらに想像させる…。
プールなめの流れる煙、現代?の展示の画、川面の色の変化などなど
想像する側は、如何様にも関心領域を膨らませられる。
巧いな。
しかし、無関心って、幸せなんだねぇ…。
まぁ、あの奧さんには、若干イラッとしたけどね。
後日談で、あの奥さんって、落下の解剖学の奥さんと一緒ね。
いやー、あの奥さんにも、少しイラっとしたから、
この奥さん役のサンドラ・ヒュラーさんって、イラっとさせる演技の天才なのか、
それとも、自然とそういうオーラが出ているのか...。
違う作品で、三度目の正直を試してみたい...。
ある意味無関心領域であることの絶望
アウシュビッツ収容所の周囲40平方キロメートル。ナチ親衛隊は、この地域を「関心領域」と呼んだ。
炎の轟音と人々の叫び声。収容所のすぐ隣に住んでいる所長一家は、毎日その音を聞いて暮らしている。
この一家は、その絶え間ない音に対して一切語ろうとしない。夜になって隣でゆらめく赤い炎を、けっして凝視しない。彼らにとって隣りは、表面上は完全に「無関心領域」なのだ。そこに底知れぬ絶望がある。
豪邸に住む所長の妻は毛皮のコートを洋服タンスに掛けている。しかし、そのコートが、実は隣の人々から身ぐるみはがしたものだと気づいた時、背中に戦慄が走った。
おそらく、彼ら一家はこの「関心領域」から一歩出ると、こんな贅沢はできないのだ。彼らの豊かさが隣の人々の遺品から成り立っていると認識した時、さらなる戦慄が走る。
妻はここを出たくないと言う。戦争が終わったら、この美しい自然に囲まれて農業がしたいと言う。
もしかしたら彼女は、この豪邸を、戦争が終わるまでの一時避難所と思っていたのだろうか。その間は豪邸に住む幸せな家族の幻想に浸っていたかったのだろうか。
夫は、実は明るい未来を描けていたのだろうか。ラストの彼の嘔吐は、絶望にさいなまれた嘔吐ではなかったのだろうか。子供たちの未来は、絶え間ない重低音と叫びのトラウマによってかき消されることはないのだろうか。
そんな疑問のさなかに突如映像が真っ白になる。時が止まり、耳ざわりな音楽と炎の轟音と人々の叫び声だけが聞こえてくる。
この空間に残された自分は、いつまでも無力に疑問に立ち向かうしか術がない。
鑑賞というより体験でした
音の効果が、すごい。
ぜひ映画館で、と言われていた理由がわかった。
「映画を観ている」という感覚よりも、音と映像の現代美術、インスタレーションを体験している、というような感覚でした。
うん、体験。
音でほとんどを物語ってる。すごい。
少しでも気になっている人は、ぜひ映画館で。
あぁ異様。
全く何の説明もなく、なんだか意味深なシーンが淡々と進んでいく。
史実を深くは知らず、前情報もほぼ入れずに観たので「え、どゆこと…!?」がひたすら続く。
あぁ脳みそが。
普段使っていない部分がフル回転。
何とも言えない感覚のまま、帰宅してもなお消化しきれず。
これから史実を調べたり公式情報見たり、他の方のレビューを読んだりして身体に落とし込んでいきたいと思います。
という、「知りたい」を引き出しているというだけでも意味がある映画なのでは、と思います。
こんなことが、本当に実際にあったことなのかと、なんて異様なんだ、なぜそんな平気でいられるんだ、と一生かかっても理解しがたい人たち。これは過去のことだけど、今現在の世界で起こっていることも。
「関心領域」という邦題にしたのは素晴らしいなと感じました。きっと英語のタイトルや他の訳では軽くなってしまう。
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