関心領域のレビュー・感想・評価
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塀の外関心の外には収容所があり、虐殺が行われている
塀の中では幸せな家族の暮らしがある
虐殺の音は途切れなく、数となった人を焼く煙が立ち上る
この設定は私たちの現在を撃つ
そうだろう、イスラエルよロシアよアメリカよ日本よ
絵本の闇に動く少女が心にのこる
映画は盛り過ぎているように感じる
ホロコーストに、人間の無関心があったと感じる作品
1945年、ポーランドのアウシュピッツ強制収容所の隣で暮らす、収容所の所長であるヘス司令官の家族の日常を描き、収容所の中やユダヤ人を一切出すことなく、ホロコーストの恐ろしさを炙り出すという作品。
強制収容所から聞こえる叫び声や銃声、そして機械音や焼却炉から立ち上がる煙。それらを何ら気にせず、戦時においても優雅に暮らす司令官の家族やメイドたち。淡々と暮らすも、それぞれがある種の部分で破綻している。
収容所のことを一切気にしない家族の生活を通じて、人間の異常性をキャストそれぞれが生活の端々に漂わせながら、無関心とは何か、実際の収容所で起きていること、それらを観る者が読み取っていくという、かなりマニアックな展開。
ホロコーストの実態映像は一切なく、起承転結も特にないストーリー。受け止める側の感性がないと、全く伝わって来ないであろう、商業映画とは対局にあるような作品。
音を重視した造りで、映像を自然光のロングショット、固定カメラで撮影する手法。ユダヤ人の存在をスクリーンからも関心の外に置くことで、ホロコーストの異常性をじんわりと伝えてくるという珍しい類の映画。
家族それぞれが持つ異常性や暗視カメラのように描かれるシーンなど、観賞後にレビューすることで見えてくるものもあるが、倫理観の麻痺という中々理解が難しい問題作。
いつなんどきも思うのだがアウシュビッツの将校たちはその後どうなったのか、と。
『落下の解剖学』で100点満点の演技を魅せたサンドラ・ビューラーが此処でも最低の糞女っぷりを見事に演じた。
後ろからドロップキックをお見舞いしたい様な歩きっぷりもこれまた良し。
そしてワンコは80点。
しかし内容的には・・・もう少し頑張れ。
いびき掻いて寝てた爺さんを隣の婆さんが起こしたのは100点。
二度とするなよ
ずっとずっと不協和音。この映画の場合、星の付け方が分からないです。
壁に隔たれて見えないだけで環境音があれってどうかしてる。子供たちに最適な環境であるわけがない。軍事的な異動に夫婦の心を揺り動かされてるシーンで呆れるのはすぐ近くで何が起きているか知っているから。この映画がにおいもしていたら本当に恐ろしいものになるところだった。
残虐な歴史を知っていると鑑賞中キツイです。効率的にどれだけ大量に殺戮するか真面目に議論したり構造を考えたりキツイ。
エンドロールで客席が段々ざわめくのが分かって、つまらないから離席っていう感じではなかった。上映後がすごく静かでした。
二度とするなよという子供のセリフが印象に残っています。
無関心人間の悪と滑稽さと儚さと、、、
大胆な単色画面と示唆的な音響から始まる冒頭から、ミーハー心に思った。配信のみの作品を対象にしない、スクリーンで観て価値のある「カンヌが好きそうな」映画だな、と。
「リメンバー アウシュビッツ」的なメッセージを斬新な切り口で描いた作品かと思って見始めたのだが、途中から「違うそうじゃない」と思えてきた。見たいものしか見ない、自分の幸せが他人の不幸と隣り合わせ(というかその犠牲の上で)で進行していることに対する
無頓着さ、狭い世界の幸せを永遠の楽園のように捉えて支配しようとする(この場合は偶々)専業主婦の愚かさ、、、これは人間の愚かさを描く一例なのだなと。
「2度とするなよ」と、一番下の男の子は独り言で呟いた。収容所の子どもを厳しく折檻する親ナチスの声を耳にして。その他にも、染まってない子どもたちの言動が救いだった。
それにしても、あの奥さんを演じていた女優さん、「落下の解剖学」の時とキャラは違えど、ホントにそんな人みたいに人をイラつかせる演技力というか圧の出し方が実に上手いなあと思った。
蛇足になりますが、もっとわかりやすく切なかった映画「縞模様のパジャマの少年」を思い出し、改めて胸が締め付けられた。
隣人領域
端的に言えば、105分の映像の形をした風刺画。
冒頭、機器の故障かと疑うほど映像が映らない。
中途にも長めの暗転が多様されるが、一度だけあった赤齣はどういう意図だったのだろう。
内容としては、ひたすらに(やや不快な)一家の日常。
その背景として、微かに怒号や銃声、悲鳴が漏れ聞こえてくる。
会話のほとんどにも、劇中で最も大きな転属という出来事それ自体にも、恐らく大した意味はない。
庭師の作業や掃除、身体を洗うカットなんかは塀の中のメタファーだろう。
(『虐殺』ではなく『剪定』や『洗浄』という感覚)
ヘートヴィヒの母が黙って帰ったのは、ヘス一家が慣れきった“日常”を耐えきれない“異常”と感じたからだろう。
…と、色々察するにしても、母の手紙の中身は一切明かさないなど、いちいち不親切。
屋敷の周辺というワンシチュエーションでいくかと思えば、終盤は司令部(?)にも場面が移る。
ここで“軍部”という直接的な描写をもってくるのは中途半端に思えた。
最後にルドルフが嘔吐するのだが、吐瀉物は落ちてない(どころか出てもない)のは何故?
モノクロの少女も理解できなかった。
“意味が分かると恐い話”的なものを想像してたのだが、自分は歴史や文化に対する教養が足りなさ過ぎた。
だが、それが備わっている人にこのような作品が必要なのか。
自分のような人間にこそ伝わるような、或いは調べる意欲をそそる内容であるべきではないのか。
メッセージ自体は粗筋で読めるし、ちょっと意識が高過ぎてターゲットが分からなかった。
ん?観てるこっちを試してんのか?
なんだ?冒頭のなかなかの時間(たぶん数十秒)の放送事故のような黒い画面! 邦題、関心領域ってタイトルだというので、なんらかのメッセージなのか?とか色々考えてしまった。気をてらいやがってとちょっと腹も立ちました。
ちゃんと観れてたのか?ぼくには難しい映画でした。
評価に迷う
アウシュビッツ収容所の隣で、優雅に暮らす収容所長一家を描いた問題作。
音などの間接表現に徹し、ストーリー性皆無なので、映画としてはどうなのかなあ、と評価に迷う。
モノクロ・ネガの画面で、少女がやっていたことは何だったのか、そこだけはさっぱり分からなかった。どなたか、教えていただけませんか?
耳をすませよ!見えていない所こそ見よ!
冒頭からのスクリーンを覆う無地の画面に度肝を抜かれる。
演劇で言うところの暗転だ。
映画では暗転する必要も無い。
演劇では限られた舞台で大勢の戦士や殺された人を出すことはできないから、見せずにナレーションやセリフで描くことが多い。
できないからそういう演出で物語性を高め感動を導く。
しかし、映画ではどれだけたくさんの数の兵士でも殺される人でも、エキストラを使えば直接的に描くことはいくらでも出来る。
あえてそれをしない。
そしてこの映画ではセリフは全く重要では無い。むしろセリフ以外のガヤ音の中アウシュヴィッツの収容所の状況が微かに表現されていく。
ぼーっと観ていたら聞き逃す音にこそ自分の関心領域以外の世界がありそこを感じ取り想像することが大事なのだ。
故にセリフ以外の音をちゃんと聴けよ!と注意喚起の異音が所々で鳴る。観客にさあ、耳を研ぎ澄ませよと言わんばかりに。
無映像の色だけのシーンもそうだ。
その背景で残虐なことや悲しいことが起きていることをさあ!想像せよ!とばかりに色分けも不気味さを増す。
舞台装置を転換するための暗転とは訳が違う。観客の頭の中に「想像」のスイッチを入れるための時間だ。
さて、現代の平和ボケ日本にいる私の関心領域はどこにあるのか。
ほぼ妻と似たような大人の女性としての幸せに関心がある。子どものことや美しいドレスや花や家やまつ毛が確かに大事。
だけど、夫には夫の、娘には娘の、ベビーにはベビーの、使用人には使用人の関心領域がある。
他人の関心領域にも想像を膨らませよ!
他国の関心領域に想像を膨らませよ!物事は一面では描けない。
最近観た戦争の映画三本。
ゴジラ-1.0は極めて日本的キャラクターのゴジラを使った、ファンタジーの中の日本目線の戦時中の人間ドラマ。
オッペンハイマーは科学者目線でもあるが広島長崎の描写はセリフ二言だけでおおむねアメリカ目線。
無名は日本と国民党と共産党の二重スパイの話で中国目線で長期にわたる戦争を描いた。
これらは1本の映画につき、ひとつの国からの目線。
戦争ではなくとも複数の視点でひとつのものごとを描いているのは芥川龍之介の「藪の中」であり黒澤明の「羅城門」で、それぞれの言い分や目線をひとつの物語の中で描き、真実は藪の中だ。何が正義は読んだ者、観た者に委ねて終わる。
それも素晴らしかったが、そこまでだった。
でも関心領域はそれとはまた違う視点で五感で感じろと投げかけてくる。
今、自分の関心領域の外にあることにもっと耳を傾け、見えないところこそ想像せよと。
赤ちゃんは物心着いておらず泣き叫ぶ事で自分を表現する。関心領域はほぼ生理現象だ。
女は美しいものや家や生活がいちばん大切だ。
男は戦争に加担したり子どもにヘンゼルとグレーテルの物語を読んであげたり妻が単身赴任先に着いてこなかったものだから女を連れ込んだり。
娘はまだまだ女にはなっていない。物語の世界の中で生きている。女になる前、大人になる前の彼女にしか見えない少女世界がある。
幸せな暮らしを共有している家族でもこれだけ見ているものが違うと見せつけてくれる。
今この瞬間にも紛争は起きている。
後から振り返ったら第三次世界大戦は既に始まっていたなんてこともありうる。
見えていないこと聞こえていないことにも関心領域を広げたいと思わせてくれた。
アウシュヴィッツを何もリアルに見せずに嘔吐と無数の靴や清掃のシーンだけで全てを語ってくれた。
監督の視点に感服。
エンドロールも侮ることなかれ。異音にどんどんかぶさっていく人々の声。それがまさに「世界」だ!
答えはひとつではない。
企画倒れか
企画コンセプトは面白いが、戦況が悪くなってからもあの生活のままでは違和感があるので、ほんの一時を切り取った演出にすれば成立したのかも。
後半は「ヒトラーのための虐殺会議」みたいな内容で、夫婦のやり取りも邪魔にしか感じなかった。「希望の灯り」「落下の解剖学」のザンドラ・ヒューラーが見られてまあ満足。
父役のクリストファー・フリーデルって
鑑賞後調べたら、ルドルフ役は、「ヒトラー暗殺、13分の誤算」でこれまた主人公のゲオルク役。
役柄が真逆なので、もう背丈から違って感じたし、ビックリしました。
妻役のサンドラ・ヒュラーは、「落下の解剖学」でも妻役。
彼女はどちらも圧のある役でしたが、この映画では顔のアップは少ないけど、歩き方が多少ガニ股で、ちょっとヤケクソ感を感じました。特に自分の母がこっそりと帰った時など、メイドに暴言を吐き、当たり散らして。
夜中にりんごを、置きに行ってた少女のシーンは、なんとも言えないモノクロ画面でインパクトありでした。
でも善意で隠したりんごのせいで、ユダヤ人の取り合いが見つかり、罰で銃殺!
音だけでも、非道でやるせない、、、
壁の向こうであるが、、、
海の向こうではあるが、、
私達も、そんな立場にいる感じです。
私の関心領域って…
ほぼ予備知識なしで映画館へ。
アイヒマンの名が登場しましたね。何気に映画マニアの琴線に触れます。
妙にストーリーの流れが悪いと云うか、飛び飛び状態の映像になっているのは、やはり、この映画のタイトルが原因ですね。誰の関心領域を映像化しているかは、各自の判断に任せられているようです。良く言えば、御見物の想像力を掻き立てる。悪く言えば、不親切。どう思うかは、貴方しだいですけど。
ここで、事前にお断りしますが、私は、ある特定の思想を否定するつもりはありません。ただ、私の最近の関心領域から、コメントします。この映画、誰が、何のつもりで創ったのか分かりかねますが、かつて、世界一、非道い扱いをされたユダヤの民。今後、同じ轍を踏まない為には、あらゆる犠牲を厭わない。無関心な世界を敵に廻しても、全て排除する。モーセの教えのみが、選ばれし民の証なのだから。それ以外に関心はない。…と、考えているヒトのバックボーンになっているような…。
繰り返しますが、過去の出来事を否定するつもりはありません。ただ、過去の出来事が、傷つけ合うだけの未来を導くならば、それは、ちょっと…。
傷負い人が傷を癒すには、他者を傷つけるしか方法はないの?。だとすれば、新たに傷を負ったヒトは、どうすればいい?。
この映画に、罪があるわけではありませんが、今の私の関心領域から見える世界は、以上となります。
「アンネの追憶」
アンネの日記を映像化するには、憚れる描写があるので完全にはできないとのことですが、アンネの関心領域は、本作でご確認下さい。余力のある方は
「縞模様のパジャマの少年」
「サウルの息子」
「ハンナ・アーレント」
「パラダイス・ナウ」
「オマールの壁」
をどうぞ。皆様の、領域展開の手助けになると思われます。
追記
やはり、私の関心領域は、映画の外みたい。先日、ネット記事を拾い読み。ユダヤの迫害と言えばナチスドイツと思いきや、それ以前から、キリスト教圏では、多かれ少なかれ、迫害があったらしい。イスラエル建国に、欧米が強く関与したのは、言葉選ばずに言えば、厄介払いの側面が、見え隠れするとのこと。
キリスト教圏の関心領域。ユダヤの関心領域。数千年にわたり、その地に暮らすパレスチナの関心領域。その全てが、1つの地域に集約された結果が、絶望的なテロと殺戮でしかないとすれば、私達の関心は、何処に向かえばいいの?。
希望のともしびが、憎しみの業火に呑み込まれる様を、見ているしかないのかな。
無関心の恐ろしさ
「こんなんマトモやない!」
劇場の明かりが灯った後に思うた感想です。それほどまでに、今まで観てきた映画とは違う斬新な衝撃を受けました。
ストーリーの舞台は、第二次世界大戦中のアウシュヴィッツ強制収容所。そこの所長は、あろうことか収容所の真横になかなか豪華な家を構え生活している。所長の妻は言う、「望む以上の生活を手に入れた」と。子供たち共々と仲睦まじい生活を送る家族。しかしある日所長に対し、“転属”が言い渡される。今までの功績による栄転なのだが、理想以上の生活をこの家で得た妻は強く反対する・・・てな感じです。
・・・すでにおかしいと思うんです。アウシュヴィッツの隣にある家での生活が理想以上のものであり、しかもそこで暮らすだれしもが“当たり前”と感じて日常を送っているなんて。隣では大虐殺が行われてる施設があるというのに。
しかし、それをこの家族が(所長は“仕事”なので別だが)その現場を見ることはない。だって収容所の周りをそこそこ高い塀が囲っている。だから見ることはない、が、
音は届いてくる。
ブォーンという不気味な、怒号や悲鳴が混じっているのか、ただの風なのか、しかしよくわからない音・・・。それだけは届き、観ながら塀の中では何が起こっているのか嫌でも気になり、想像してしまう。
ここが自分の中では斬新な衝撃ポイント。本作は音、それも“環境音”に工夫を凝らすことで、見えているモノ(=塀の外)と見えていないモノ(=塀の中)を併せて不協和な感じを作り出していると思うのです。ゆえに本作は不気味なんです。
不気味さはそれだけではない。意外と所長の顔がよくわかるシーンが少ない。ロングショットで何を考えているかわからないような、それとも感情をなくしたのかと感じてしまう。所長の妻は喜怒哀楽をきっちり表すが、所々で真面目な顔でマトモな内容やない会話を素でやっている。そして子供たちは、隣で何が起きているが、程度の差こそあれ薄々気づいているような。しかし結局全員が、「何かが起こっている」ことを感じ取りながら、それに対し興味を感じていない。
無関心ほど恐ろしいことはない。
無関心は、いつしか人を人と思わなくなってしまう。だってどうでもいいんやから。見捨てることに躊躇いなんてものはない。そして見捨てられたモノは消滅を待つだけ。これを人間に当てはめて行われたとしたら、恐ろしくないでしょうか。要は「いじめを気にしない」ようなものか。どんなけ酷い事が起きてようともどうでもいいんやから。無関心は必ず悪い方へ加勢する。本作はそれに対する警鐘を鳴らしていると思うんです。
無関心は最悪の事態を招くと・・・。
“音”と“無関心”で穏やか且つ強力な“不気味”さを醸し出している本作。自分は今まで戦争やホロコーストを題材にした作品を多く見ているが、本作のような雰囲気を持った作品を知らない。
知ってもいるし、聞こえてもいるのに
目に見える暴力は全く描かれないのだが、だからこそ壁の向こうで起きていることに想像力が向いていく。
知っていながら、聞こえていながら関心を持とうとしないことの暴力は、実はこの家族も蝕んでいるのだけれど、「関心」から最も遠い妻はそれにすら気づいていない。
幸せな家族の団欒も青春の思い出も全てこの場所で起きているということが本当にグロテスク。
そして世界は実はそういうものなのだ。
★2024年劇場鑑賞48★
いつも前情報ゼロで映画に行く自分だが今回ばかりは失敗した。
なんとなくの怖さはわかるけど「なんのこっちゃ」で見てしまった、、。
あとから色々見てゾゾゾっと震えた。
これはもう一回映画館で見ないといけない映画だ。
企画の段階で勝利確定。
少々の知識が有るとさらに楽しめるのはこの手の映画の常。この当時のナチスのユダヤ人殲滅作戦の様子は最近作だと「ヒトラーのための虐殺会議」という映画がわかりやすいかなと。
本作は悪名高きアウシュビッツに隣接する収容所長ルドルフ ヘス(総統代理とは別人)のオシャレ家とステキ家族を描く事によって塀の向こうで起きている大量殺人を全く描かずに音で想像させる仕掛けです。実際のアウシュビッツの隣で撮影され、家の中に沢山の固定カメラを仕掛け客観的切り取りと、編集によるテンポ感を両立させています。オープニングタイトル出てすぐの長い暗転、ゆっくり鳥の声と家族の声が聞こえて来る部分は「本作は耳を使って観るように」というインストラクション導入ですね。
話の中盤まではあまり前に出て来ない収容所内の音だけど時々怒鳴り声や銃声は聞こえる。言葉わかるともっと怖かったろうなぁ。母さんも帰ってしまうような場所だもの。
あと所長家族が何気にユダヤ人から没収した物を、自然におもちゃ、私物化してるシーンがおそろい。カナダとか川に流した灰とか、服とか貴金属、銀歯とか、、パンフに説明あっただろうか?売り切れて買えなかった。(後日入手、カナダの説明はなかった。ユダヤ人から没収した物集積所、豊かな国=カナダ)
難癖つけるとするとネガポジ反転した夜の使用人のシーン、赤外線カメラで撮ったようなあのエフェクトは必要だったのかな?(これについてはパンフで監督の意図がインタビューされてた。納得はしたがやはり要らん気がする)
でもエンディングのあのぶっ飛ばし方は好きだなぁ。
奥様役のザンドラヒュラーは「落下の法則」もあり、当たり年であった。マーベルやDC、ディズニーからも声かかるだろうww。ティルダ様のようにエンタメとアートを行き来出来る俳優になると楽しいなぁ。
「関心」を持たせない、と言う圧力
自由を奪われ、強制的に収容所に連れて来られた罪なきユダヤ人のことを「荷」と語る。就学以上の子供達は生まれながらにして壁の向こうでの出来事を知るのだろう。乳飲み子が泣き続けるのはお腹が空いている訳じゃない、この圧を感じていたのだろう。
ふと、「縞模様のパジャマの少年」と言う作品を思い出した。「関心」を持ったことによって、思いもよらない歯車に乗ってしまうストーリーだ。
自分はアウシュヴィッツ収容所の跡地へ2回行ったことがあるが、衝撃的過ぎて涙が止まらなかった。真実から目を逸らしてはいけない、耳を塞いではいけない。
見ているうちに激しい嫌悪感に襲われる、醜悪な傑作
人間の負の側面、悲惨な歴史が、他人事のように平静に淡々と描かれ、見ているうちに激しい嫌悪感や吐き気に襲われる、醜悪な秀作…傑作でした。
現代社会では有り得ないのだろうと思いつつ、未だ世界の何処かで同じような事が繰り返されているのではと考えると悲しくなります。
アウシュヴィッツ収容所、いつか訪れてみたいなぁ。
全465件中、281~300件目を表示