「音!」関心領域 sewasiさんの映画レビュー(感想・評価)
音!
視覚は目を閉じるだけで簡単に遮断できるが、音はなかなかそうはいかない。2時間ずっと、発電所のような運動会の喧騒のような、さまざまな「音」が混ざり合ったものが聞こえていて、人によっては体調を崩すのではないかと思うほどだった。映画が始まって最初の3分間は、映像がなく音だけが流れていた。
この作品では、虐げられる側は一度も映されない。ずっと「加害者」の日常生活だけが描かれている。そして、アウシュビッツを題材とした作品でありながら、一度も壁の中には入らない。
カメラワークは、特徴的な演出はなく、観察者の視点に近い。所長の妻が使用人の女性に対して「わざとやってるの?」「あんたも灰にするからね!」などと焼却炉行きを仄めかすようなヒステリックな言葉を投げかける場面でも、カメラは本人達の表情に向かうことなく、同じ画角のまま映し続けている。まるで盗撮映像のようだ。
2時間の上映時間の中で、一度だけ「音」がエスカレートしていく場面がある。その夜、何かの事情で「処理件数」を大幅に増やさなければならなかったのだろう。煙突から上がる煙は噴き上がる炎に変わり、夜空を照らし、カーテンの隙間から部屋の中にちらちらと光が差し込む。そして、その「音」の正体が明らかになる。それは、地獄そのものだった。
娘夫婦の成功を祝うために泊まりで訪問していた老いた母親は、その夜のストレスに耐えきれず、翌朝、誰にも声をかけずに荷物をまとめて出て行った。
この異常な環境下でも、所長一家は幸せそうに暮らしている。しかし、子どもたちにはどこか病んだ雰囲気がある。小さな娘は夢遊病のように夜中に無意識で廊下に座り込んでいるし、兄は弟を温室に閉じ込めていじめている。小さな弟は、壁の向こうから聞こえる音に耳を傾けながら、人形ごっこをしながら「次からはもうやるんじゃないぞ!」と監視人のような言葉を口にする。飼い犬はいつもそわそわしていて、赤ちゃんはずっとけたたましく泣き続けている。
この映画は「戦争と平和」をテーマにしたものではなく、ブラック企業における成功や、普通の会社でも程度問題で起こりうる話だ。「慣れなきゃね」という積み重ねが、アウシュビッツに通じるものがあるという内容だ。
自分たちは民族浄化のために、歴史上誰も成し得なかった「偉業」に取り組んでいる、という自己認識が描かれている。
この「音」は、当時の収容所で実際に聞こえていた音を可能な限り正確に再現したものらしい。生々しい音を隠すためにカモフラージュとして使用された音も多く、例えばエンジン音のようなものを出し続ける作業を担当する収容者もいたらしい。
パーティー疲れで調子を崩した所長の嘔吐が収まったところで映画が終わったが、地獄の底の釜から噴き上がり続けるようなエンドロールの変則的な音楽が悪魔的でずっと気持ち悪く、今度は観ている側が吐きそうになる。
途中、女の子が塹壕横の盛り土のような場所に次々とリンゴなどを埋めていく場面がある。最初は何かをイメージした映像かと思ったが、2回目ではさらに具体的な映像となり、遠くから自転車でやってきて、その作業をしている様子が描かれる。現場には大量のスコップが置かれており、収容者がそこで作業をするのだろう。そこにリンゴがあったら、常に空腹の収容者はこっそり食べるはずだ。唯一、救いを感じる場面だった。
並行して映される所長が子どもを寝かしつけるために読み上げるヘンゼルとグレーテルの一節には「魔女をかまどに押し込んで殺した」とあり、この女の子も捕まって殺されてしまうのではないかとハラハラしたが、それはなかった。ちなみにヘンゼルとグレーテルは現代ではマイルドな童話になっているが、当時はまあまあグロテスクだったらしい。
この女の子は所長一家とは無関係だが、印象的な存在だった。
女の子は現場で缶を拾う。その缶の中にはお菓子ではなく、紙のようなものが入っている。翌日、そのグシャグシャになった楽譜を広げ、ピアノでメロディをなぞる場面があるが、このグシャグシャの楽譜が缶の中に入っていたものだと思われる。字幕で詩が流れるが、おそらく収容者が書いた詩だろう。それも缶の中に入っていたのかどうかは分からない。
この女の子の行動も、収容者が現場に置いた楽譜も、実話だという。最近になって、この二人がテレビの企画か何かで実際に会ったらしい。なかなかの奇跡だ。
大阪の都島にある拘置所を取り囲むように、立派な高層マンションが建ち並んでいる。家賃が安いのか気になる。
アメリカのリッチランド高校の校章には原爆のキノコ雲の絵が描かれている。この町は核兵器の開発で栄えた。戦争を終わらせた大きな力として、市民は原爆を誇りに感じている。
沖縄の基地周辺に住む人々も、基地がもたらした生活や文化に感謝している人が多い。そういえば、厚木周辺もそんな感じだったのを覚えている。とても立派な市民公園の真上を、戦闘機が爆音を立てて何度もかすめていく。
また、原発のある町にも多額の補助金が出ており、市民の生活は豊かになっている。
あるいは、こういうこともあるだろう。システム開発の会社に就職して、与えられた仕事がアダルトサイトのメンテナンス。生理的に合わないなと思いつつ、給料がいいから働く。
アウシュビッツの所長職も、待遇はいいし、当時としては最新技術を駆使したそれなりの仕事だ。民族浄化という使命も背負っていて、むしろそれなりにやりがいを感じる仕事でもあった。
でもそれは「時代が変われば価値観も変わる」といったことではなくて、バイアスに翻弄された面は大きいだろうけど、絶対的な感覚は誰しもあるはずだと思う。程度問題ではあるが、時代がどういう方向に向かっているのか、常に注意深くいたい。実際は、30年くらい前と比べると、かなりまずい状況になっているようには感じる。もちろん、よくなった状況もあるが。