「彼女、ワンピースを選んだの。だけど小さくて入らなかったわ。ダイエットするって。ふふふ。」関心領域 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
彼女、ワンピースを選んだの。だけど小さくて入らなかったわ。ダイエットするって。ふふふ。
この映画の題材がなんであるか知らずに観始める人はいないと思うが、もしそんな人がいたとしたら(そもそもそんな人はこの映画を選ばないだろうが)、どのあたりでこの現場がどこなのか気づき、その時どんな感想を持つのだろうか想像していた。衝撃を受けるだろうか。別に何とも思わないのだろうか。何の驚きも起きない人こそ、この中にでてくる連中と同じだ。関心領域。自分の関心の及ぶ範囲。それ以外は、無関心。裕福な家を隔てた高い壁の向こうから、奇妙な音や叫び声が聞こえてこようが無関心。容易く手に入る服や金歯や紙幣が、誰のもので、その誰がいまどうなっているのかも無関心。自分さえよければいい。(ちなみにルドルフにとっての無関心は妻とのSEXのようだ)。どんな物音もすでに日常的な生活音にすぎず、他人の犠牲は別の世界の出来事なのだ。すると人間は不思議なもので、その環境に慣れ、そこに定住したいと希望もし、その生活が子育てに最適だと勘違いもし、永遠にそこで暮らせると思い込んでしまう。ユダヤ人をあれほど毛嫌いするのに植物や動物は手厚く愛でる。なんだそれ、花が好きな人は優しいなんて言葉は嘘だって痛感した。戦争ごっこで遊ぶ子供だって、まるで看守のような言葉を使いだすし知らず知らずに残虐性を増していっている。せめてもの救いは、訪ねてきた母親がこの家庭環境の異常さに気づいてくれたことだ。できればその改善策を施してほしかったが、その無意味さを知ったからこその、翌朝の行動なのだろうと思う。
そして画面は突如現代にかわり、淡々と掃除をする資料館の職員たち。彼女たちにとっても、この悲惨な歴史も関心のないこと。毎日ここで働いているので慣れてしまってること。人は慣れる。まるで、この映画を観ている君たちも日常に慣れてしまっていないかい?世界中には今現在でも戦争、貧困、、、に苦しんでいる人がいるのにと言わんばかりに。だからその代わりになれとか、身を削って手を差し伸べろ、とは言わない。せめて、その現実を知る、そこだけでも人として守って生きていった方がいいと訴えかけられているように思えた。