首のレビュー・感想・評価
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たけしの戦国時代劇スペクタル映画と思い ワクワクして観に行ったら ...
たけしさん" も "、監督&大根役者 で "晩節を汚す"
本年1番の期待映画で、予告編の面白さから、
本作を楽しみに鑑賞をしましたが。。。
本作は「予告編(Official Trailer)」を作る為だけに、本篇を誂えた"超駄作品"だった。
フランス人に媚を売った作品作りのつもりだろうが、
近年の映画業界では 本作の様な残酷シーン等は"映画のレギュレーション・コード"から逸脱し過ぎて、
海外では評価されないし、一般上映館さえも限定されてしまうので、
いくら、著名監督でも 予告編がよくできていても、評価と上映は非常に難しいだろう。
"宣伝映画"なので、
映像美は世界的にも非常に高い次元で行われ、
撮影・カメラ・照明も完璧
炎の音 や 衣服のすれる音 も、丁寧に拾い、
効果音も超高次元
芸術面だけをみれば、黒沢監督作品にも匹敵する"日本最高次元の作品"です。
考証は、各階層の服装や武具は、まずまずだが、武田家の「ムカデ」は伝達役の印であり、武家の指物ではない。
秀吉配下兵の"持ち槍"にカバーを付けているシーンが2か所あったが、このカバーは江戸時代に成って、数十年経ってからです。。。
信長は 桶狭間以降は、信長本人も 月代(さかやき)にし、尾張訛りも控えていたと考えられています。
本作には2つの方言監修が入っていましたが、目新しさを出す為なら、その程度の演出は許される範囲かもしれませんけど
信長と同席できる重臣は ほぼ全員月代ないと、違和感が先にでてしまいます。
キス(接吻)の概念は、明治以降であり、日本人にとって 一般的な愛情表現に成るのは、大東亜戦争後です。
またこの時代の"男色"を、面白半分で、受けを狙って、斜に理解している点も、滑稽でもあった。
電話やメールがない時代、文章・手紙は非常に重要な意思伝達機関であり、
毎日多くの文章が敵味方に飛び交い
戦国大名や重臣達は、その範囲を
部下や重臣、小姓に至るまで広げ、あらゆる人達に対して、絶えず気を配らねば、
いつ寝首を掻かれかねない時代でしたので、
相手の心を 近くに寄せる為に、男女の恋文の様な表現も たえず使っていましたが、
それを 肉体関係と勘違いする生半な研究者や小説家がたまにいますが、それは林を観れない
あまりにも稚拙な解釈者です。
最高な出来の"予告編"でも、秀吉は、大河ドラマ(令和5年)以上の違和感があり、
演技も超ド級の下手で、予告編どおりに ロレツも回っていない。
誰か たけし監督に助言できる人間はいないのか?
主役交代すれば、もう少しましな映画になったかもしれない。
まともな秀吉が観たくなったので、「のぼうの城(2012)」を観る事にします。
あんときの浅草のあんちゃん
秀吉(≒ビートたけし)の根城を、かつての浅草六区周辺、フランス座にしている感があって面白かった。
たけし城内のあの雑多で猥雑な感じが水を得た魚のようでとても作者に似合っていた。
思えば、他はちょっと窮屈そうに見えたが、あっこの一連だけ活き活きしてた。
衣裳も含め信長の人物造形も興味深かった。
ネトフリのじゃなく、是非今度は照れずにホームを描いて欲しい。
R15+は大正解
当時の性と暴力
サワガニ
本能寺の変は男色を利用した策略だよ
というお話。
冒頭の、清流での死体に群がる蟹を
見た時に、
蛆ではないところがいいなと。
エッジがあって、
みずみずしい感性のある絵や
ドキドキが
北野作品として味わえる、
楽しみと
思ったのですが‥
話がすすんでも、
えぐれるようなドキドキも
美しい絵も
クスりと笑う場面も
魅了されるものが
なかったです。
切れるけど研いでないので
切口がイマイチな包丁の
ようでした。
何ヶ月も楽しみに
してたのになぁ
北野武 ミーツ 東宝
予備知識なしだったもので冒頭で驚きました。
あ、東宝なんだ。松竹のイメージが強い。
北野武が東宝で時代劇とくれば、黒澤明でした。
そこかしこにオマージュがみられます。
話も七人の侍を下敷きにしているのは明らかです。
北野武が考える菊千代は中村獅童なのかもしれません。
秀吉、秀長、官兵衛のやりとりは隠し砦の三悪人なのかな。
こすられまくった本能寺の変にうった新しい基軸は衆道をベースにした恋愛のようなもので、それは信長を中心にしたハーレムでもあります。
その信長を狂人として描いていることで、なぜ家臣たちは信長のそばにいるのかが今一つ理解できない。
アニメなどで一人の男に複数の女の子がアタックしてくるハーレム物と呼ばれるものは、中心となる男がいい奴でないとなんでこいつがと思ってしまい、乗り切れないと言われていたのを思い出しました。
この映画のみどころは役者陣の顔でしょう。
だれもかれも情報量の多い顔。
木村祐一VS大竹まことはいいマッチメイクでした。
仁義なき戦いもパロディに
初日初回に観に行き『首』面白かった!男色はノーサンキューでしたが、バイプレーヤー達が最高。遠藤、加瀬、荒川など上手く特徴活かしてる。一番笑えたのは六政(安国寺恵瓊)の仁義なき戦いの大友のセリフのパロディ!(広島ヤクザ同様の喋り方w)たけしはやっぱり天才ですが、役者としては歳をとったなあという感じ。ワンテンポ遅いんだもん!ちなみにグロ苦手な方は見ない方がよい。川を渡るたけしのゲホは虹にして欲しかった😊
情治統治
有岡城での荒木村重の謀反から明智光秀の最後までの信長の、家臣たちの様子を北野武の解釈で描き下ろした悪ふざけスペクタクル。
親方様の乱痴気っぷりに振り回されながらも虎視眈々と天下を狙う武将たちの、策略と色恋と主に秀吉周辺のずっとポケ合戦に、暗躍する茶人に棚ぼた農民等々をみせていく。
明らかにギャグな描写も多いけれど、秀吉を主体にみせていく話し全体が史実をもとにしつつも悪ふざけですよね…あまりに歴史に明るくない自分には少々難しい…(´・ω・`)
とはいえ、そんな自分にもそういう体にしているということがわかるところや、そんな訳ないだろと思える揶揄した描写も多々あるしとなかなか面白かったので、この時代の歴史に詳しい人はもっと楽しめるのかなとという感じ。
シリアスor喜劇?
暴力描写
もう二度と北野武の才が蘇ることはないのだろう。「その男、凶暴につき...
もう二度と北野武の才が蘇ることはないのだろう。「その男、凶暴につき」「ソナチネ」には。パンフレットには、20〜30年前からもう脚本はあった、とある。その頃の武が撮っていたら、と考えてしまう。元々中村獅童が主役だった話が変わっていったように見える。
しかし、それでも、このレベルの邦画を撮ることが出来る監督が今いるだろうか。いない。死体と争いが絡むショットは天才。
また、最後にあそこで話を終わらせることの出来る人間がいるのか。今や北野武と三宅唱だけだと思う。
傑作ではない。しかしこの境地にたどり着いた邦画ももう見ない。それが悲しい。三宅唱、もうあなたしかいない。
衆道外道
戦国バイオレンスBLコメディと言った感じの本作 今まで神格化されて...
期待しすぎた
新解釈「本能寺の変」。1回の鑑賞で理解は不十分かも。
公開日に映画館で鑑賞。北野武監督。プロモーションにて「構想30年」「今までにない本能寺」「狂ってやがる」などを目にし、期待大で映画館へ。
あらすじは、今更説明不要。「本能寺の変」に至るまでのストーリー。
見たままの感想としては、可もなく不可もなくって感じの作品。「首」に固執しそれぞれが狂っているっていう、見たままの感じで捉えていいいのかは分からない。
「首」というタイトルが何を意味しているのか。北野監督が何を伝えたかったのかを考えると「難しかった」が本音。他の方のレビューなども見てみようと思う。
個人的に良かった点としては、
1つ目は信長・光秀・秀吉・家康といった各人物の描き方。特に加瀬亮さん演じるイカレ信長の演技は必見。まさに狂人。
2つ目は本能寺の変の解釈。(秀吉たちの謀略とはいえ)信長が家康を葬るために光秀を本能寺に呼んだっていう解釈は新鮮で面白かった。戦国最大の謎とも言われる「本能寺の変」。いくらでも解釈があるのが歴史ロマンですねぇ。
3つ目は、最近の時代物としては迫力のある合戦シーン。
切腹や首を刎ねるといった文化は日本人ならあまり驚きはないけれども、それがそもそも狂っているってことなのだろうか。先に書いた通り他の方のレビューが気になるところ。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 壮大な戦国絵巻コメディ。綺麗事の多い戦国時代劇の中で此の様なリアルな描写の戦国ものがあっても良い。でもリアルさだけを求めた映画ではない(矛盾してますが)。そこが北野武映画。
①学校の歴史の授業で教えてくれないだけで、昔の日本では女とするのと男とするのとあまり認識に差はなかったらしい。家を続かせる為には勿論子を成さねばならなかったけど。
特に戦国時代は顕著で、何故か本作では登場しないけれども前田利家と織田信長とは肉体関係があったし(恋愛感情が有ったかどうかは分からない)、織田信長と蘭丸との関係は有名というか、元々小性はそれもお務めの一つだったし。
明智光秀と荒木村重とがそういう関係だったという話は読んだことは無いけども(ただ有っても不思議ではない時代です)。
武田信玄が家来(だったかな?)に熱烈なラブレターを出していることも有名な話。
上杉謙信は、女っ気がないところから「上杉謙信=女」説も有るが、単に男一筋だったからかも。
だから多分当時は少なくとも武士の間では「バイセクシャル」という観念はなかったと思う。みんなやってたから。
もし織田信長が天下を取っていたら男同士の関係に現代ほど偏見はなかったのでは、と思う事がある。
女好きだった豊臣秀吉と徳川家康が天下を取ったので今みたいになっちゃった気がする。
明治時代に西洋の文化(キリスト教文化)を取り入れた際に同性愛は良くない!みたいになっちゃったけど、かつて其方の方面では先進的だった日本が今では欧米に遅れを取っているのは皮肉。
江戸時代迄は辛うじて「武士のたしなみ」という形で残ったけれど。
戦(いくさ)の前や後ではアドレナリンが出てテストステロンも多く出ただろうからセックスがしたくなる。でも戦場の中まで女性を連れてこられない。だから男同士でする、という実用的な面もあったんでしょう。
それに「人をみたら泥棒と思え」じゃないけど、いつ裏切られるか分からない、味方でもいつ首をかかれるか分からない、相手に情けなんかかけていられない(劇中で何度も“忠誠心”を問われたり会話に出てくるのもそれゆえ、でも下剋上の世界だから当たり前なのだ)中で唯一信頼出きるのが(体の)契りを結ぶこと、恋愛関係になることだったという側面もあったと思う。
ただ、“サムライの惚れたはれたは××××××”との明智光秀の台詞にあるように絶対的なものでもなく、契りをを信じた人の良い荒木村重の末路と、織田信長のふいをつけた明智光秀との違いをみせるドライな視点も北野武ならでは(史実では、生き残るのは荒木村重の方ですが)
②と、前置きが長くなったけれども(一度書き留めて置きたかった)、描写はリアルだけど(本当に人を切ったらあれ程血が出るし-というか、もっと迸る様に思う、首を集めて並べて洗ったのも本当、戦国時代の女たちは男達が挙げてきた首を洗いお歯黒をつけ如何にも身分の高い武将の様にみせた-報酬が高くなるから-という下級武士の娘が書いた実録記も残っている)、戦国時代を描いた映画を作るのに実際に近い描写をしているだけで、リアルさだけを描きたかったわけではないと思う。
③現代人の感覚ではあまりにもアッサリと人が殺されるが、“日本人はすぐ人を殺すのにはビックリした”と安土桃山時代に来日したルイス・フロイスの日記に書いてある。
④登場人物の内面が一切描かれていないのも興味深い。そういう面から見ると実にハードボイルドな映画だ。
⑤ビートたけし扮する豊臣秀吉が、豊臣秀吉を演じているよりビートたけしそのもの、というのも計算ずくのことだろう。
⑥ビートたけしの豊臣秀吉、大森南朋の丹羽長秀、浅野忠信の黒田官兵衛のトリオの芝居は殆ど漫才みたい。
ボケ役のビートたけし、ツッコミ役の大森南朋はともかく、浅野忠信は真面目な芝居をしているのに何とも言えぬ可笑しさが漂う。
⑦小林薫扮する徳川家康に関しては、影武者説は特に目新しくはないけれども、しつこいくらい何度も描かれるのが段々可笑しくなってくる(影武者にされた者の顔面のひきつりも描いているのに)ダークなユーモアのセンス。
⑧織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も、その天下取りも、実際はこんなもんだったんじゃない?という面白いけれどもシニカルな視点も北野武ならでは。
扮する俳優陣の、その視点に添った人物造形。
(確かに、シリアス好きな日本人の心性、カリスマを求めたがる一般人の心性が後々形成される信長像、秀吉像、家康像を作って来たのかも知れない)
⑨明智光秀が織田信長を討ったのは、織田信長の悪魔のような諸行に耐えられなくなった為ではなく、魔王の様に想い従って来た信長が世襲を考える単なる普通人だったから、という解釈は面白い。
なお、織田信長を討ったので明智光秀は悪臣扱いされるが、当時としては当たり前のこと(下剋上)を行動に移しただけ。
主君を討つのが「悪」と見なされるようになったのは徳川の世になってから。
⑩大した芝居はしていないようで、佇まいだけで腹の底が知れない千利休を造形する岸田一徳の存在感。
⑪声に出して笑ってしまったのは二箇所。
一つ目は、高松城水攻めを締め括るシーン。介錯を頼んだ荒川良々扮する清水宗浩が(普通は腹に刃を刺した時点で首を落とすんじゃなかったっけ?それはもう少し時代が下がってから?)、首を落とされる前に顔を上げたら秀吉の兵が高松城に攻め込んで行くのを見て“ええっ”と言ったところ。その後落とされた首を家来が水に飛び込んで拾うシーンも併せ(本来悲壮感溢れて描かれる場面なので)不謹慎だと思いつつ笑わずにはいられなかった。
もう一つは、「中国大返し」のエピソードの中で力士のような男達に担がれた渡しに乗った秀吉が酔ってゲロを吐くところ。笑ってしまった。
色んな映画やTVで観てきた「中国大返し」だが、このシーンも含め、本作の描き方が一番実態に近かったのではないかと思わせた。
⑫史実では、荒木村重の謀叛の後、織田信長は荒木村重の妻子・側妻を小屋に閉じ込めて火を放ち焼き殺したのだが、本作は河原での打ち首になっていたのは“首”というテーマを強調したかったためか。
⑬サムライなら誰もが欲しがる“首”を農民だった秀吉は蹴っ飛ばす(秀吉と同じく農民ながらのし上がりたかった茂吉が“首”に拘って友達を殺したり命を落とすことになったのとは対象的-中村獅童好演)ラストに北野武監督の本意(反骨精神)が表れている様に思うし、題名を“首”にした意味もそこに有るのではと思うけど、どうだろう。
⑭茶化し、とリアル。この二つを違和感なく融合したことが本作のユニークさ且つ面白さだろう。
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