首のレビュー・感想・評価
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新解釈「本能寺の変」。1回の鑑賞で理解は不十分かも。
公開日に映画館で鑑賞。北野武監督。プロモーションにて「構想30年」「今までにない本能寺」「狂ってやがる」などを目にし、期待大で映画館へ。
あらすじは、今更説明不要。「本能寺の変」に至るまでのストーリー。
見たままの感想としては、可もなく不可もなくって感じの作品。「首」に固執しそれぞれが狂っているっていう、見たままの感じで捉えていいいのかは分からない。
「首」というタイトルが何を意味しているのか。北野監督が何を伝えたかったのかを考えると「難しかった」が本音。他の方のレビューなども見てみようと思う。
個人的に良かった点としては、
1つ目は信長・光秀・秀吉・家康といった各人物の描き方。特に加瀬亮さん演じるイカレ信長の演技は必見。まさに狂人。
2つ目は本能寺の変の解釈。(秀吉たちの謀略とはいえ)信長が家康を葬るために光秀を本能寺に呼んだっていう解釈は新鮮で面白かった。戦国最大の謎とも言われる「本能寺の変」。いくらでも解釈があるのが歴史ロマンですねぇ。
3つ目は、最近の時代物としては迫力のある合戦シーン。
切腹や首を刎ねるといった文化は日本人ならあまり驚きはないけれども、それがそもそも狂っているってことなのだろうか。先に書いた通り他の方のレビューが気になるところ。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 壮大な戦国絵巻コメディ。綺麗事の多い戦国時代劇の中で此の様なリアルな描写の戦国ものがあっても良い。でもリアルさだけを求めた映画ではない(矛盾してますが)。そこが北野武映画。
①学校の歴史の授業で教えてくれないだけで、昔の日本では女とするのと男とするのとあまり認識に差はなかったらしい。家を続かせる為には勿論子を成さねばならなかったけど。
特に戦国時代は顕著で、何故か本作では登場しないけれども前田利家と織田信長とは肉体関係があったし(恋愛感情が有ったかどうかは分からない)、織田信長と蘭丸との関係は有名というか、元々小性はそれもお務めの一つだったし。
明智光秀と荒木村重とがそういう関係だったという話は読んだことは無いけども(ただ有っても不思議ではない時代です)。
武田信玄が家来(だったかな?)に熱烈なラブレターを出していることも有名な話。
上杉謙信は、女っ気がないところから「上杉謙信=女」説も有るが、単に男一筋だったからかも。
だから多分当時は少なくとも武士の間では「バイセクシャル」という観念はなかったと思う。みんなやってたから。
もし織田信長が天下を取っていたら男同士の関係に現代ほど偏見はなかったのでは、と思う事がある。
女好きだった豊臣秀吉と徳川家康が天下を取ったので今みたいになっちゃった気がする。
明治時代に西洋の文化(キリスト教文化)を取り入れた際に同性愛は良くない!みたいになっちゃったけど、かつて其方の方面では先進的だった日本が今では欧米に遅れを取っているのは皮肉。
江戸時代迄は辛うじて「武士のたしなみ」という形で残ったけれど。
戦(いくさ)の前や後ではアドレナリンが出てテストステロンも多く出ただろうからセックスがしたくなる。でも戦場の中まで女性を連れてこられない。だから男同士でする、という実用的な面もあったんでしょう。
それに「人をみたら泥棒と思え」じゃないけど、いつ裏切られるか分からない、味方でもいつ首をかかれるか分からない、相手に情けなんかかけていられない(劇中で何度も“忠誠心”を問われたり会話に出てくるのもそれゆえ、でも下剋上の世界だから当たり前なのだ)中で唯一信頼出きるのが(体の)契りを結ぶこと、恋愛関係になることだったという側面もあったと思う。
ただ、“サムライの惚れたはれたは××××××”との明智光秀の台詞にあるように絶対的なものでもなく、契りをを信じた人の良い荒木村重の末路と、織田信長のふいをつけた明智光秀との違いをみせるドライな視点も北野武ならでは(史実では、生き残るのは荒木村重の方ですが)
②と、前置きが長くなったけれども(一度書き留めて置きたかった)、描写はリアルだけど(本当に人を切ったらあれ程血が出るし-というか、もっと迸る様に思う、首を集めて並べて洗ったのも本当、戦国時代の女たちは男達が挙げてきた首を洗いお歯黒をつけ如何にも身分の高い武将の様にみせた-報酬が高くなるから-という下級武士の娘が書いた実録記も残っている)、戦国時代を描いた映画を作るのに実際に近い描写をしているだけで、リアルさだけを描きたかったわけではないと思う。
③現代人の感覚ではあまりにもアッサリと人が殺されるが、“日本人はすぐ人を殺すのにはビックリした”と安土桃山時代に来日したルイス・フロイスの日記に書いてある。
④登場人物の内面が一切描かれていないのも興味深い。そういう面から見ると実にハードボイルドな映画だ。
⑤ビートたけし扮する豊臣秀吉が、豊臣秀吉を演じているよりビートたけしそのもの、というのも計算ずくのことだろう。
⑥ビートたけしの豊臣秀吉、大森南朋の丹羽長秀、浅野忠信の黒田官兵衛のトリオの芝居は殆ど漫才みたい。
ボケ役のビートたけし、ツッコミ役の大森南朋はともかく、浅野忠信は真面目な芝居をしているのに何とも言えぬ可笑しさが漂う。
⑦小林薫扮する徳川家康に関しては、影武者説は特に目新しくはないけれども、しつこいくらい何度も描かれるのが段々可笑しくなってくる(影武者にされた者の顔面のひきつりも描いているのに)ダークなユーモアのセンス。
⑧織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も、その天下取りも、実際はこんなもんだったんじゃない?という面白いけれどもシニカルな視点も北野武ならでは。
扮する俳優陣の、その視点に添った人物造形。
(確かに、シリアス好きな日本人の心性、カリスマを求めたがる一般人の心性が後々形成される信長像、秀吉像、家康像を作って来たのかも知れない)
⑨明智光秀が織田信長を討ったのは、織田信長の悪魔のような諸行に耐えられなくなった為ではなく、魔王の様に想い従って来た信長が世襲を考える単なる普通人だったから、という解釈は面白い。
なお、織田信長を討ったので明智光秀は悪臣扱いされるが、当時としては当たり前のこと(下剋上)を行動に移しただけ。
主君を討つのが「悪」と見なされるようになったのは徳川の世になってから。
⑩大した芝居はしていないようで、佇まいだけで腹の底が知れない千利休を造形する岸田一徳の存在感。
⑪声に出して笑ってしまったのは二箇所。
一つ目は、高松城水攻めを締め括るシーン。介錯を頼んだ荒川良々扮する清水宗浩が(普通は腹に刃を刺した時点で首を落とすんじゃなかったっけ?それはもう少し時代が下がってから?)、首を落とされる前に顔を上げたら秀吉の兵が高松城に攻め込んで行くのを見て“ええっ”と言ったところ。その後落とされた首を家来が水に飛び込んで拾うシーンも併せ(本来悲壮感溢れて描かれる場面なので)不謹慎だと思いつつ笑わずにはいられなかった。
もう一つは、「中国大返し」のエピソードの中で力士のような男達に担がれた渡しに乗った秀吉が酔ってゲロを吐くところ。笑ってしまった。
色んな映画やTVで観てきた「中国大返し」だが、このシーンも含め、本作の描き方が一番実態に近かったのではないかと思わせた。
⑫史実では、荒木村重の謀叛の後、織田信長は荒木村重の妻子・側妻を小屋に閉じ込めて火を放ち焼き殺したのだが、本作は河原での打ち首になっていたのは“首”というテーマを強調したかったためか。
⑬サムライなら誰もが欲しがる“首”を農民だった秀吉は蹴っ飛ばす(秀吉と同じく農民ながらのし上がりたかった茂吉が“首”に拘って友達を殺したり命を落とすことになったのとは対象的-中村獅童好演)ラストに北野武監督の本意(反骨精神)が表れている様に思うし、題名を“首”にした意味もそこに有るのではと思うけど、どうだろう。
⑭茶化し、とリアル。この二つを違和感なく融合したことが本作のユニークさ且つ面白さだろう。
加瀬亮の信長が新しい
映画館で鑑賞。
あまり事前情報を入れないように観に行ったので、実際みたら中々ビックリな内容だった。
「戦国アウトレイジ」かと思ったら全然違うじゃんっていう。
一方で映像的には、邦画では久しぶりの大型時代劇でもあり、黒澤明のカウンターではないけど黒澤明の時代劇の北野武流パロディという印象。
これは座頭市の時もそうで、当時多くの人が共通認識として持っていた「勝新の座頭市」をパロディにしているわけだけど、たけしさん自体、時代劇、座頭市の本質的な部分を理解・リスペクトした上で脱構築してるからこそ「たけしオリジナル」として成立してるんだと思う。
劇中では、加瀬亮演じる織田信長がとても良くて、これまでのある種カリスマヒーローとしての信長ではなく、方言丸出しでがなり散らす、身も蓋もなさが新しいと思ったし、これが他の作品だったらいくらなんでもオーバーアクトになっちゃうけど、本作の織田信長に関しては、あれくらいのオーバーアクト具合が絶妙にいいと思った。
で、そんな戦国武将たちのすったもんだを、一歩引いたところから茶化す秀吉、黒田官兵衛、秀長の3バカは現代語で話してるんだけど、そこに違和感がないのは、この3人は観客代表としてこの群像劇を批評的に見る役柄だからだと思う。
多分首が斬られるシーンや生首の数は歴代時代劇最多だと思うし、不謹慎だけど笑えるシーンも多いので劇場で観て損はしないと思う。
明治維新の
ここまでハマると驚嘆しますね
北野武映画大体観たが、何か物足りなさを時々感じていたが、その謎が解けた気がする。それは、戦国時代のような容赦のない時代観なのだと思う。人物描写に復讐や、成り上がり、現代人には到底理解できない無茶苦茶な心理この混沌とした感情、人の命が軽い時代、それこそ北野武映画に必要だったのだ、戦国時代はどういうものか、それは実感がないためわからない、しかしここに真実があるのではと思える迫真さが胸を打つ。織田信長が狂い、明智光秀が策士で、羽柴秀吉が策略を練る、徳川家康は狸、そういう一つ一つが嘘だと思いながら本物に感じる。
今までの北野映画にはない輝きがある、現代人がやると過激過ぎて、嘘すぎて滑稽に見える物を戦国時代に置き換えた時、進化をするのだと思った。歴史映画と呼べるほど高尚では無いあくまで娯楽映画ではあるが、ただ笑うだけでは勿体無い力を感じた。昔の武映画は大体が傑作だ、キッズリターンしかり、ソナチネしかり、諸々のそこで受けた衝撃に決して負けはしない、観た後の心地よさはそれ以上かもしれない。
それにしても出てる俳優は皆力のある凄い役者ばかりなので、その力は大きいかな。
後予告とか、番宣で重要なシーンかなり使ってると改めて思う、観なきゃわからないけど予告とかで良いシーンやりすぎだね、ここが現代の映画の嫌なところだ、なんの予備知識無しで観たいと今更ながらわがままを思いながら、この心地よさに浸ろうと思う。
23-137
これまでには無さそうな戦国時代の映画ではあるけど
外国人の方が見ることを想定されているように思える作品。
今年396本目(合計1,046本目/今月(2023年11月度)28本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
そこそこ長い映画で(140分ほど)、ストーリーというストーリーは存在するものの、タイトル通り「首」をどんどん斬り落としていくだけに後半なってしまうので(この意味で積極的なストーリーが見出しにくい)、やはりこの映画、狭い意味での外国人(観光で来ているなど。日本に適法に長期在住している外国人を除く)の視聴がある程度想定されているように思えます。ストーリーというストーリーを見出しにくく、日本の歴史ものを本気で取り上げようとすると(狭い意味での)外国人にはなかなか厳しく、このレベルの描写が事実上上限になりうるから、という実際の問題です。
※ そういえば、来週(12/1)の「ナポレオン」はどうなるんでしょうか…(日本から見た観点で。高校世界史程度では返り討ちにあいそうな予感。公式サイト参照のこと)。
こういった事情があるため、「積極的に」日本人が見ることをあまり想定していないところが多少なりともあります。歴史ものではありますがこの事情そのものは小学社会の歴史の範囲で、当然あることないこと付け加えられない一方で当時は資料もあまり残っていなかったのである程度着色しているのであろう点など考えると、(広い意味での)日本人には(ここでは、日本に適法に長期間在住していて日本の歴史もある程度理解できる外国人も含む)ほぼほぼ常識扱いの描写がずっと続くからです。
こうした理由(ちなみに大阪市では「ゴジラ-1.0」の英語版字幕まで放映されていました。このように「外国語版」そのものは字幕の有無だけなので、「海外進出」というより字幕を差し替えればいいだけの模様)から、「あまりこう、積極的に見に行って感想を書き込むのが難しいかな」といった特殊な映画ではあります(海外進出を想定しているのかストーリーは極めて平坦だし、よってストーリーうんぬんを語ることが難しい)。
評価に関しては以下の通りです。
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(減点0.3/「役不足」の意味)
・ 当時の日本語でも今の日本語でも「役不足」は映画のような用法(いわゆる現代日本語における誤用法とされるもの)はしません。
(減点0.2/「くのいち」について)
・ この点はご存じの方も多い通り、当時はこのような使い分けがなかったため(男女の差で使い分けることがなかった)、歴史考証が甘いように思えます。
(減点なし/参考/宣教師が出たりエンディングロールの「スペイン語監修」とあるもの等)
・ 日本での鉄砲文化やキリスト教文化はいわゆる「南蛮文化」としての扱いですが、当時はポルトガル語でした。ただ、「あえていえば」そうであり、当時はスペイン語とポルトガル語はそれほど明確に分けられていなかった、という事情が実はあります(なので、当時日本に入ってきた「ポルトガル語」は、「ポルトガル語」と「スペイン語」を混ぜたような言語だった)。
また、リアル世界事情に目を向けると、純粋な意味でのポルトガル語(イベリアポルトガル語。要は、ポルトガルで話される言語)と、ブラジルポルトガル語(ブラポル語)では後者のほうが圧倒的に使用者が大きく(愛知などに在住しているブラジル人の方々が使われているのもブラポル語です)、歴史に即せば「純粋な意味でのポルトガル語」による監修にすべきでしょうが、上記のようにそもそも「当時は2言語が明確に区別されていなかった」こと、さらに実際上の問題として「イベリアポルトガル語」(ポルトガルにおける正式用法というべき使われ方)を監修できる方が日本において少ない、といった事情もあるものと思われます。
※ 実際に、現在のリアル日本でもポルトガル語を学習できる環境はほとんどなく(愛知・静岡など特殊な地域を除く)、スペイン語と一定の互換性があるため、これら外国人の取扱いを目指す行政書士が「代替言語」としてスペイン語を学習することがあるのは、こういった事情です(大阪市ではそもそもポルトガル語を学習できる環境すら存在しない)。
まぁ、予想通り
今年出た集大成的なやつはほぼほぼスカだったな。 エヴァとかジブリの...
加瀬亮の織田信長好き
宣伝の仕方がうまい。
そのひとことに限る気がします。
予告がすべてで、正統派の時代劇を観たい方には
予告以上のものを本編では期待しない方がいいのかも…。
30年もの構想を経てと言われたら
とんでもない作品が生み出されたか!!と
期待爆上がりでしたけど、ビートたけしのコントを
長尺で見せられた。それに尽きるかな。
あと、邦画あるある「せりふが聞き取れん」問題が
本作にも多々あって「あ゛っ?!」って何度もなった👂
あれ、どうにかなりませんかね🤣
北野武作品ならではの、武闘派作品を
時代劇でみれると思っていたので(アウトレイジ時代劇版)
ここまでコント臭が強いとなると
キム兄の「みんなアホか」がそのままの感想になります。
まぁそれを狙っているのでしょう、ただ単に自分が
北野ワールドにハマれなかっただけですね。
豪華キャストには震えるし、個人的には加瀬亮の
織田信長は最高に狂っていて大好きです。たまりません(笑)
めっちゃファンになります🧡
尾張弁に大変苦労されたようですが、立ち振る舞い
悪魔の所業、蘭丸との絡みや明智光秀との想いやらは
わたしの萌えポイントです🤤
ビートたけし(羽柴秀吉)大森南朋(羽柴秀長)
浅野忠信(黒田官兵衛)3人のシーンは
きっとアドリブが多かったんだろうなぁと笑えました。
ビートたけしの壮大なコントかつ、男色感が強いです。
それらが苦手な人にはますます合わない思いますが
個人的には女性が出ていないのはめちゃくちゃ好印象です(笑)
汚い戦国時代劇
北野たけしさんが想像した『本能寺の変』の解釈
壮大なる中途半端。これが集大成か?
期待しすぎたか。。。
信長役の加瀬亮の狂気の演技、秀吉・秀長・官兵衛のアドリブ込みのやり取り、荒川良々の自害時の間の抜けた演技(清水宗治のこれまでのイメージが。。。)とか、は良かったんだけどねぇ。
タイトルの『首』を獲るという戦国時代当時の一番の武功の価値観を皮肉めいて描いたんだろうけど、当時にはそういう価値観があったのをこの時代から皮肉ってもなぁという感じでしょうか。もしくは、現在も残る日本の価値観への皮肉なのか。
期待して初日に観に行きましたが、期待しすぎたか肩透かしを食らった感じです。
まさに戦国アウトレイジ
ここまで生理的嫌悪感と狂気と利己主義感、それでいながらカリスマ的魅力を感じさせる信長を描けるのは北野武以外は多分不可能
家族愛だとか男女愛だとかそういった要素を一切廃して(男色は一生分が一度に摂取できます)徹底的なバイオレンスと死の呆気なさ、綺麗でカッコよく描かれる戦国武将が多い昨今の流行とは完全に対極、登場人物皆自分のことしか考えてなく「色々気持ち悪い」と思える混沌とした世界観はまさに戦国アウトレイジ
氏のかつての戦国物の作品である「座頭市」が万人受け?を目指したエンタメチャンバラとして描いた後だからこそ、この作品を世に出せたのだと思います
本作品は決して万人受けはありえないですが北野作品戦国版を楽しめる怪作です
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