劇場公開日 2023年11月23日

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「北野武監督からの三つのテーマを受けとりました」首 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0北野武監督からの三つのテーマを受けとりました

2023年12月1日
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鑑賞方法:映画館

首とは何でしょうか?

首とはトロフィーのこと
武将達にとっては自らの戦功を証明するものです

もし映画界なら映画賞のトロフィーを獲得したようなもの

国際映画賞のグランプリなら天下人になったようなもの

首なんかどうだっていいんだよ!
ラストシーンの秀吉の台詞です

秀吉にすれば光秀が死んだのか確かめられさえすれば良いのです
本当に自分が天下人になったのかどうか確信できるものが欲しいだけのこと

世界的な映画監督北野武は、自分は本当に日本の映画界の天下人なのか?
それを確かめようとしているのだと思います

だからといって国際映画賞のグランプリのトロフィーが欲しいわけじゃない
欲しいのは映画界の天下人であると誰もが認知することです

コメディアンのビートたけしと、映画監督の北野武が同一人物であることは誰だって知っています
しかし映画監督の北野武とコメディアンのビートたけしを分けて考えていないか?

俺は映画だけの男じゃない
コメディアンであり、小説家でもあり、映画監督でもある
その全人格で天下人なのかどうなのか?
それを世界中の人間にわからせたい
これが本作の第一のテーマなのだと思いました

現代の日本の映画監督で誰がこのような大規模な映画を撮れるのか
映画監督の北野武ではなく、コメディアンのビートたけしがそれをやってみせるのだ
だからわざと過剰にコメディアンとしてのビートたけしとして出演しているのです

カメラだってコント風のカメラワークで撮らせているシーンがあるほどです

それゆえに感嘆するような芸術的な色彩表現などは本作ではほとんど見られません
そんなことは本作ではどうだっていい

このような強烈な自負心が溢れていると思いました

一方でもし黒澤明が生きていて同じストーリーの映画を撮ったならどんな映画になっていただろうか?
それを意識してに撮っているように思えます
我こそは黒澤明の後継者だということを示す
それが本作の第二のテーマです

真昼の戦場の野原に横たわり放置されている無数の死骸
その光景を監督はドローンの空撮で真上から撮影させています
ウクライナの戦争のドローンからの空撮映像で見たことのある光景と瓜二つです
わざと似せさせた意図的な演出だと思います

戦争が一旦起きれば、このように暴力と死が日の光のように誰にも降り注いぐのだ
それは日本の戦国時代もウクライナの戦争も変わりはしない
まして現代の日本が戦場になるなら同じ光景が繰り返されることは間違いないのです

戦国時代は人の命は軽く簡単に首が飛ぶ
それは現代の戦争であっても少しも変わりはしない

本作では首が簡単に文字通り飛びます
序盤ですぐ首がすぐ飛びました
非戦闘員の人間が、数人づつ機械的に首を切断されるショッキングな映像もあります
妊婦、幼児までその列に待機させられています

ウクライナのブッチャなどの各地でロシア軍がやった大量虐殺とどこが違うのでしょうか

竹矢来の向こう側の無数の野次馬はむごいことするなあとは口では言いますが、殺害された骸から遺品を奪いあうのです

この醜い野次馬はテレビでウクライナやガザの戦争のニュースを見る私達の姿そのものです

野次馬達は口々に斬首を非難します
しかし所詮はひとごとなのです

もし黒澤明がウクライナ戦争を目撃したなら、このような切り口で映画を撮るのではないか
そういう黒澤明の後継者を任ずる北野武監督からのメッセージだと思います

そして第三のテーマ
過剰な男色表現は一体なぜなのでしょうか?
男が男をレイプするシーンは何を意味しているのでしょうか?

信長は過剰ななほどデフォルメしたハラスメントの大魔王として徹底的に演出されています
北野監督の強い意志を持った意図的な演出だと思います

森蘭丸もそうです
信長の小姓という秘書的役割を超えて
信長が求めるなら己の肉体を信長に与えないと生き残れないし出世も得られない人間として登場させています

信長に楯突いたならどうなるのか
松永弾正はそれをいきなり本作の冒頭でやった結果を本作は延々とみせます

弱い立場の者が高位の権力者に刃向かうならどうなるのかを本作では首が簡単に飛ぶシーンで簡潔に説明するのです

秀吉も、家康もしかりです
彼等だって下の立場の者をいとも簡単に犠牲にします
それが当たり前と平然としています

明智光秀と松永弾正との男色関係は、性的ハラスメントの関係ではなく恋愛関係そのものです
しかし邪魔になった途端に弾正は文字通り捨てられます
男から女へのハラスメントの関係性と変わりないのです

黒人の弥助を登場させ、重要な役割を持たせるのも人種差別というハラスメントへのメッセージです

信長の姿はかっての超ワンマンの黒澤明監督を極端にデフォルメした姿なのだと思います

黒澤明監督亡きあと、もうそんな大魔王はいないし、そんなことが通る世の中でもありません

しかし映画界の中には、いまもミニ信長がいっぱいいることでしょう

某映画監督による女優への性的ハラスメント事件はちょっと前のこと
某有名芸能事務所の事件はついこの間のこと
某歌劇団のイジメ問題は現在進行形です

信長はとっくの大昔に本能寺の炎の中に消えたのです
光秀みたいな連中なんか目じゃない
これからの天下はコメディアンという百姓から映画界の天下人に成り上がったビートたけしこと北野武の世の中だ
もうこれからはそんなデタラメはやらせない
分かったか!
なんという強烈な自負心でしょうか

これらの三つのテーマで構成された映画というのが、本作の正体だったのだと、自分にはそのように感じて仕方ありませんでした

自分は圧倒的に支持します

あき240