「外国人の方が見ることを想定されているように思える作品。」首 yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
外国人の方が見ることを想定されているように思える作品。
今年396本目(合計1,046本目/今月(2023年11月度)28本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
そこそこ長い映画で(140分ほど)、ストーリーというストーリーは存在するものの、タイトル通り「首」をどんどん斬り落としていくだけに後半なってしまうので(この意味で積極的なストーリーが見出しにくい)、やはりこの映画、狭い意味での外国人(観光で来ているなど。日本に適法に長期在住している外国人を除く)の視聴がある程度想定されているように思えます。ストーリーというストーリーを見出しにくく、日本の歴史ものを本気で取り上げようとすると(狭い意味での)外国人にはなかなか厳しく、このレベルの描写が事実上上限になりうるから、という実際の問題です。
※ そういえば、来週(12/1)の「ナポレオン」はどうなるんでしょうか…(日本から見た観点で。高校世界史程度では返り討ちにあいそうな予感。公式サイト参照のこと)。
こういった事情があるため、「積極的に」日本人が見ることをあまり想定していないところが多少なりともあります。歴史ものではありますがこの事情そのものは小学社会の歴史の範囲で、当然あることないこと付け加えられない一方で当時は資料もあまり残っていなかったのである程度着色しているのであろう点など考えると、(広い意味での)日本人には(ここでは、日本に適法に長期間在住していて日本の歴史もある程度理解できる外国人も含む)ほぼほぼ常識扱いの描写がずっと続くからです。
こうした理由(ちなみに大阪市では「ゴジラ-1.0」の英語版字幕まで放映されていました。このように「外国語版」そのものは字幕の有無だけなので、「海外進出」というより字幕を差し替えればいいだけの模様)から、「あまりこう、積極的に見に行って感想を書き込むのが難しいかな」といった特殊な映画ではあります(海外進出を想定しているのかストーリーは極めて平坦だし、よってストーリーうんぬんを語ることが難しい)。
評価に関しては以下の通りです。
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(減点0.3/「役不足」の意味)
・ 当時の日本語でも今の日本語でも「役不足」は映画のような用法(いわゆる現代日本語における誤用法とされるもの)はしません。
(減点0.2/「くのいち」について)
・ この点はご存じの方も多い通り、当時はこのような使い分けがなかったため(男女の差で使い分けることがなかった)、歴史考証が甘いように思えます。
(減点なし/参考/宣教師が出たりエンディングロールの「スペイン語監修」とあるもの等)
・ 日本での鉄砲文化やキリスト教文化はいわゆる「南蛮文化」としての扱いですが、当時はポルトガル語でした。ただ、「あえていえば」そうであり、当時はスペイン語とポルトガル語はそれほど明確に分けられていなかった、という事情が実はあります(なので、当時日本に入ってきた「ポルトガル語」は、「ポルトガル語」と「スペイン語」を混ぜたような言語だった)。
また、リアル世界事情に目を向けると、純粋な意味でのポルトガル語(イベリアポルトガル語。要は、ポルトガルで話される言語)と、ブラジルポルトガル語(ブラポル語)では後者のほうが圧倒的に使用者が大きく(愛知などに在住しているブラジル人の方々が使われているのもブラポル語です)、歴史に即せば「純粋な意味でのポルトガル語」による監修にすべきでしょうが、上記のようにそもそも「当時は2言語が明確に区別されていなかった」こと、さらに実際上の問題として「イベリアポルトガル語」(ポルトガルにおける正式用法というべき使われ方)を監修できる方が日本において少ない、といった事情もあるものと思われます。
※ 実際に、現在のリアル日本でもポルトガル語を学習できる環境はほとんどなく(愛知・静岡など特殊な地域を除く)、スペイン語と一定の互換性があるため、これら外国人の取扱いを目指す行政書士が「代替言語」としてスペイン語を学習することがあるのは、こういった事情です(大阪市ではそもそもポルトガル語を学習できる環境すら存在しない)。