劇場公開日 2023年11月10日

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「映画と心中した女」花腐し かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0映画と心中した女

2024年6月30日
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『やわらかい生活』で原作作家との間に裁判沙汰を起こした荒井晴彦監督であるが、監督4作目となる本作は、芥川賞受賞原作小説をかなり脚色した作品になっている。「シナリオはシナリオ作家の著作物である」と公言して憚らない強気の姿勢は本作においても健在で、今年喜寿を迎えた昭和のシナリオライターだけに肝の座り方がちょっと違うのである。

さて、その荒井監督が本作でやりたかったこと。それは“ピンク映画へのレクイエム”と“(溝口健二の)雨月物語”だそうなのである。同じ女を好きになった2人の男栩谷(綾野剛)と伊関(柄本佑)をピンク映画関係者に設定を変更。その2人の恋人であった祥子(さとうほなみ)は、売れない劇団員からピンク映画女優へ、女優になる夢を諦めきれない女として登場する。

アパート立ち退きを金貸しから頼まれた栩谷は、そこでマジックマッシュルームを栽培し、中国人女をかこっている伊関という怪しげな男と出会う。その場で意気投合した2人は、酒をくみ交わしどちらともなく、初恋の女=祥子との同棲生活を話題にし始める。ある性癖と中絶経験者という共通項から同じ女の話で盛り上がっていたことに気がつく栩谷。あーなる?ほどねっと合点がいく感じなのだ。

しかし、伊関と祥子が出会った居酒屋で、祥子は飲めない酒を飲まされてトイレでゲーゲー吐いていたはずであり、栩谷が知っているめっちゃ酒の強い祥子とはちょっと食い違っているのである。作為的にそうしているのか、はたまた荒井監督の単なるミステイクなのか、そこんとこハッキリとお聞きしたいものである。

東京オリンピック開催に伴う再開発や、原発再稼働問題を通奏低音にして、東京に流れていた川がことごとく埋め立てられ高速道路と化していくことにより、東京人がいな日本人が腐ってしまったことを嘆く伊関。そんな腐った東京なんて天災にでもあってぶっ壊れてしまえばいい、と酒がまわった栩谷は『火口のふたり』の柄本佑と同様に、現代日本に向ける眼差しは実に冷ややかなのである。

ピンク映画の衰退とともに映画にただすがって生きていた栩谷は、祥子がどうして自分を捨て他の男との心中に走ったのか、どうしてもその理由がわからなかったのである。家庭人としておさまりたがった伊関の子供をおろした祥子だが、栩谷との間にできた子供を流産したことでショックを受けふさぎこむ。「愛があると正常位しかできなくなる」と愛とSEXを区別していた栩谷に祥子は、借金までして映画を撮ろうとした男=映画と心中することにより、もう一度“(映画)愛”を思い出させようとしたのではないだろうか。

伊関が書いたと思われる“花腐し”の原稿の一説を書き直す栩谷。『雨月物語』の陶芸士(森雅之)は田中絹代演じる女房の幽霊に、(夢幻に過ぎない)立身出世よりも家庭の大切さを思い知らされるのだが、幽霊と化した祥子は腐りかけていた栩谷にこう気付かせるのである。愛なきSEXが“死”ならば、そこに愛がある限りピンクであろうとなかろうと映画は死なないのだ(『さよならの向こう側』のあなた→映画に置き換えると分かりやすいです)、と。たとえ現在(いま)は卯の花を腐らせるほどの長雨が続く“雨月”だったとしても。

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かなり悪いオヤジ