「夜の銀座に響く鍵盤の音にちょっとノンシャラントが過ぎた感じがしなくもない作品です。」白鍵と黒鍵の間に 松王○さんの映画レビュー(感想・評価)
夜の銀座に響く鍵盤の音にちょっとノンシャラントが過ぎた感じがしなくもない作品です。
ジャズが好きなので楽しみにしていた作品を鑑賞しました。
で、感想はと言うと…ちょっと思ってたのと違うかな。
惜しいと言えば、惜しい。
池松壮亮さんが一人二役で時間軸の違うそれぞれの役を演じてますがちょっとややこしいので、鑑賞前に前情報が無いと頭が追い付かなくなる。
変化球でもあるし、ファンタジーテイストがある不条理劇でもあるのでそこをどう受け止めるかによるかと。
個人的には予備知識無しのポスタービジュアルだけのイメージだけで鑑賞して、結構ハードルを上げて観たからなんですが、もっとハードボイルドな感じで、1986年に公開された角川映画の「キャバレー」のようなイメージかなと思っていたら全然違いましたw
銀座らしからぬ場末感漂うキャバレーでの懐メロの生演奏から始まるスタートは期待感満載で自身が求める演奏のチャンスをひたむきに求める博と夜の銀座界隈でピアニストとして顔になりつつある南。それぞれのジャズの入り口と出口が夜の街、銀座に垣間見得る。良い感じで進んでいくんですよね。
銀座と言えば高級クラブが軒を連ねる街でジャズのスポットも沢山ありますし、近くには「コットンクラブ」なんかもありますが、どちらかと言うと銀座より西側の方が東京はジャズ色が強く感じて、銀座はジャズに関しては些か「硬い」イメージ。
ただ、東京を代表する夜の街で屈指の高級繁華街。様々な権力者が闊歩し、ジャズの色を変えられていくには相応しい街でもあるかと。
様々な癖のありつつも味のある面子が織り成す銀座のジャズナイトは時間を追うごとに深みに入っていくんですが中盤辺りからコミカル要素も入りつつ、まあこれもジャズとしてはアリアリと思いながら、だんだん脱線していく感じ。
途中から“…これって脚本は三谷幸喜さんじゃないよね…”と思ってしまうくらいに群像劇にコミカル要素が強く感じていくんですよね。
もちろん、締めるところは確りと締めているので完全コメディにはならないんですが、それが逆に中途半端にも映ってしまう。
もう少し、ジャズの持つビシッとしたイメージを醸し出しても個人的には良かったのではないかと。
そうしないと森田剛さん演じる“あいつ”がコメディリリーフになってしまうんですよね。
様々な個性豊かな顔ぶれの中でも個人的には三木役の高橋和也さんが良い感じ♪
あと、クリスタル・ケイさんが出演していだけでジャズの薫りが漂うのは流石です。
中盤からのコメディ感はまだ良いとしても個人的には劇中でキーとなる「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を許可なく演奏したと言うことで南が銀座の顔役、熊野に詰められるところから、どうも終わり所を間違えた気がするんですよね。
変にいろんな意味や意図を孕んで伸ばした感があり、ちょっと欲張り過ぎたのでは?と。
例えて、言うと煮込み過ぎたカレーに必要以上に隠し味を足してしまったと言うんでしょうか。
これをノンシャラントと言えば、そうなんだけど、ここにノンシャラントを詰め込み過ぎたかな…
日本ではジャズは大人なイメージが強いんですが、アメリカなんかだともっとアバウトと言うか、悪く言うと胡散臭いと言うイメージなんだとか。
なので、劇中で何度か出た「ノンシャラント」は「無頓着」と言う意味だけど、他にもいろんな意味があって、「落ち着いて」や「動じないで」と言う意味も孕んでいて、作品の本筋での意味や意図は無頓着と言うイメージだったらしいんですが、仲里依紗さん演じる千香子が南に何度も発したノンシャラントは「落ち着いて。それでいて拘らないで行こう」と言う意味も含まれていると思うんですよね。
ジャズは本来、自由と言うか即興性を重要視されるんですが、ただ単に自由なのではなく、決められた枠の中で最大限に自由に行こうと言うのがジャズのルールであり、そこが面白さかと。
そう考えると監督とこちら側(少なくとも自分には)に枠のズレがあったような感じがして、そこにノンシャラントが入ってしまったかとw
観る側の思い違いと言えばそれまでなんですが、もう少しジャズの心地好さと少し背伸びをしたような雰囲気を醸し出しても良かったかなと。
だから、冒頭の「二人でお酒を」は良いとしても、他にもいろんな渋い曲があるのに、酔っ払ったからといって何故顔役が「アキラのズンドコ節」なんすかとw どうもアレもアカンのですよね。
ちょっとノンシャラントが過ぎた感じがすると言うのが個人的な一意見として捉えて頂ければ幸いです。