ミッシングのレビュー・感想・評価
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ポップコーンすすまない映画NO1
映画を見てしんどすぎて一時停止したくなったのは初めての体験だった
うわあすごいの見ちゃったなって感じ
ただ内容が内容なので迂闊に人には勧められないね
あんのことと2日連続で見たらぶっ倒れていたと思う
エンドロール行かないでええ!
エンドロールが一番しんどかった
全くポップコーンがすすまなかった
予告見た時は見つかる?見つかんない?みたいな話かなと思ってたらそこがメインじゃないみたい
見つかんなくても祈り続ける姿をドキュメンタリー風に撮っていた
石原さとみさんはこの映画のためにボディーソープで髪を洗いやさぐれ感を出したんだって感無量
ただ時折見えるやつれた不健康な顔はそれはそれで色気があった
なんなら逆に妖艶に見えちゃったのがもったいない(僕のせい)
全然うちのお母さんの方が石原さとみさんより崩れた顔できるよ
中村倫也さんが誠実に報道と向き合ったところで、そもそもマスコミのシステム自体に歪みがある
そして何と言っても事実がもう面白い
どんな悲劇でも他人から見たら消費するエンタメでしかないんですねえ
やっぱ社会人半端ねえわ 幸あれ
あと映画の2年後史上あんなに何にも解決していない2年後は初めて見た
2年後も全員同じ顔をしていた
狂った世の中でも、いつか必ず
以前吉田恵輔監督の『空白』を見た時、胸苦しくなりながらも非常に引き込まれた。
あれ以来の感覚。吉田恵輔監督が再び放つ衝撃作。
幼い少女・美羽が行方不明になって3ヶ月…。
母・沙織里と父・豊はビラ配りや呼び掛けなどして、日々捜し続けている。
が、行方どころか有力な情報さえ全く得られず…。
そんな時、地元TV局の記者・砂田が密着取材を…。
子供の行方不明。バッシング受ける言い方かもしれないが、よくある事件。
しかし我々はそれに、どれほど関心を持っているか。
心配。大変。早く見つかるように。…口ではそう言うけど、一つのニュース/事件としか認知しない。
その家族にとっては、身内の死に匹敵するほどの最悪な出来事。
一生ものの心の傷。苦しみ、悲しみ…。
しかし本作は、被害者家族を同情煽るようには描かない。
ネタバレになるが、娘の行方、犯人や事件解決なども明確にはしない。
『空白』を見れば明らか。吉田監督は事件そのものより、渦中の家族とその身内、関係者。マスコミや社会=SNSの姿などを辛辣なまでに描き出す。
娘が行方不明になり、懸命に捜す母。
同情煽るが、沙織里の精神が不安定なのは見てすぐ分かる。
演じた石原さとみからいつもの魅力やキュートさはナシ。頭はボサボサ、お洒落にも無関心。憔悴し、疲れ切っており…。
時々ヒステリーも起こす。ふとした事で苛立ち、ふとした事で泣き叫び…。
美羽は唇を鳴らす癖があった。それに似た音に過敏に反応。美羽に似た背格好と同じ年頃の女の子を美羽と思い込んだり…。
もうとっくに平常心は崩壊。苛立ちから周りに対して悪態も多く、狂気すら滲み出る。
そんな沙織里に対し、豊は平常心を保つ。なだめ役であったり、制止役であったり、時には沙織里の突飛な言動を否定。
それ故事件以来、沙織里と口論や衝突が多くなった。
沙織里に言われる。本当に美羽を捜そうとしていない。思っていない。私と温度が違う。
一方が取り乱している時、もう一方は落ち着かなければならない。もし二人して取り乱したら…。それこそさらに混沌を招く。
何言われようとも、内心ではどう思っているかだ。
娘の事を思ってない訳ない。ビラ作成を頼み、職場や後援会にも協力を頼み、周囲や関係者への頭下げは沙織里以上。人知れず。
あるシーンで同年代の両親と幼い娘の幸せそうな家族を見て、目にうっすら涙を浮かべ、込み上げてくるものを抑える姿は胸打った。
豊だって本当は泣き叫びたいだろう。しかし、ここで俺が堪えないと。
例えどんなに言われ、険悪になりながらも、妻を支えている。
決して世間が思い描くような悲しみを支え合う夫婦のワンパターンじゃない。時にヒリヒリさえも。それがまた見るこちらの胸を突き刺す。
事件の重要関係者がもう一人。沙織里の弟、圭吾。
美羽が居なくなる前、最後に会っていたのが、この若い伯父。
コミュ障か精神を少し病んでいるのか、挙動不審。
取材の類いは拒否。例え受けたとしても、ぶっきらぼう。
それがさらに沙織里を苛立たせる。美羽と最後に会っていたのはアンタ。その責任を追及。事件以降、姉弟間も険悪で…。
世間からは疑われている。犯人なんじゃ…?
挙動不審どころか、何か隠している節も…。
一方の沙織里のある行動もバレ、さらに状況は悪く…。
砂田の取材。真実や現実、ありのままを伝えようとするのがモットー。
取材の過程で知ってしまう。別に隠し事ではないのだが、沙織里はあの日、美羽を圭吾に預け、推しのアイドルのライブへ…。
子育て中の母親だって、一時でもいい、息抜きは必要。ライブに行く事は悪い事じゃない。
タイミングが悪かった。悪すぎた。最悪だった。ライブではしゃいでいたまさにその時、美羽は…。
砂田はそれも含め取材、放送。
決して沙織里を問い詰めるつもりはなかった。沙織里も取材の中で後悔していた。
が、世間はそれをどう見たか…? 言うまでもない。
砂田は真面目な報道マン。自身の取材が誤解を招いてしまった事に後悔。
しかし、それが視聴率が良かった事もあり、局はその路線で行く事に。即ち、何か大きな話題。視聴者が興味持つような…。
砂田は疑問。人として、報道マンとしての在り方を。
真実や現実を、ありのままに報道するんじゃなかったのか。自身のモットーを、局や上司は視聴率の題材としか見ていない。
そんな時上がってきたのは、圭吾の秘密…。
何か隠し事をしているような圭吾。
一歩も外出していないと言うが…。
圭吾が外出していた証言。監視カメラの証拠。
何故そんな嘘を…? その時圭吾は誘われて違法カジノに行っていたから。
それを隠す為。
それを報道すれば、犯人と疑われていた圭吾の疑いは晴れる。
しかし…。美羽が居なくなった時、沙織里はライブへ、圭吾は違法カジノへ…。
沙織里や圭吾のイメージは悪くなる。
砂田は以前の報道で誤解を招いてしまったので、今回のこの新たな秘密の報道には消極的。
局の方針は言うまでもない。
って言うか、砂田は案じているものの、局や上層部は美羽の行方不明より、関係者の秘密暴露を寧ろ面白がっていないか…?
それが真の報道か…? 視聴者や世間はそれを見たがっているからと言うが、だとしたら本当に“マスゴミ”だ。
醜聞を求める世の中も…。
人や世の中は、基本善意だと信じている。
だが中には、頭のおかしな輩がいるのも事実だ。人の不幸を喜び楽しみ、SNSを使って他者を貶め…。
美羽らしき女の子を見たという電話が。沙織里と豊は遠方へ赴く。しかしいくら待っても約束の場所や時間に現れない。しまいにはアカウントが削除され、連絡が付かなくなり…。ただのデマ。
美羽が保護されたという報せが…! 大急ぎで警察へ。が…。そんな情報も連絡も一切無い。全くの嘘、嫌がらせ。その時の沙織里の絶叫。絶叫の上に失禁も…。
デマや嘘に踊らされる被害者家族の姿を何処からか見るか想像して、笑い転げているに違いない。
見ていて怒りが沸いてきた。マジ、ブチ○したいこういう連中! でなければこういう連中に直に会ってぶん殴ってやりたい。
こんな奴らが世の中他者を貶めて面白可笑しく生きているかと思うと…。
本当に世の中、どうなっているんだ…?
沙織里の台詞にもあったが、世の中狂ってる…。
局の命令通り、報道。案の定…。
沙織里はちょくちょくSNSの書き込みを見ている。
誹謗中傷、炎上は火に油を注ぐかのように過激に…。
被害者家族なのに、犯罪者扱い。
姉弟間もさらに悪化。SNSに心無い事を書き込む輩と同じような事を、LINEで圭吾に執拗に。
圭吾は仕事を辞め、住んでいたアパートも出…。
以来、沙織里は圭吾と絶縁。砂田も沙織里らと距離を置く。
その間も沙織里と豊はビラ配りや呼び掛けを…。砂田はその姿を見掛け…。
美羽が行方不明になって3ヶ月。経過して半年。終盤では2年。沙織里たちには長いが、それしか経ってないのだ。
5年だろうと10年だろうと深刻だが、3ヶ月や半年や2年でこの世間の関心の薄さ、冷え方…。
子供が居なくなったのだ。
他人事のように思っているのかもしれないが…、それがいつ“自分”になるか。絶対無いとは言い切れない。
その時私は、あなたたちは、無関心や他人事、誹謗中傷して愉快でいられるか…?
もう一度言う。世の中狂ってる…。
2年後。別の幼女行方不明事件が発生。
捜査していく内に、男女間のもつれが原因で誘拐された疑いが濃厚で…。
美羽はおそらく関わりナシ。が、沙織里は関与の可能性を。全くのゼロではないのなら。藁にもすがる思いで。
この事件はスピード解決。犯人や動機は疑いの通り。尚、美羽の事件とは無関心だった。
不条理にも感じた。一方は見つかり、無事解決。しかし一方は…。
事件の中身や状況もあるだろうが、この違いは何なのだろう。
今も苦しんでいる被害者家族は救われないのか…?
保護され、再会を果たしたニュースを見た沙織里の胸中は…。
“良かった”。
とっくに壊れていたと思われた沙織里の心。
そこにほんの少しの温もりと安堵が…。
なら、美羽だって…。
石原さとみの間違いなくキャリアベストの熱演。この年末、河合優実と主演女優賞を争うだろう。
青木崇高の“支”演。中村倫也の苦悩。
圧巻だったのは、圭吾役の森優作。
終盤(2年後)、絶縁状態だった圭吾が警察の厄介に。仕方なく沙織里は迎えに行く。他人の家を覗いていた変質者として逮捕。
もうほとほとうんざりする沙織里。が、この時、何故そんな行為をしてしまったのか、過去にあるトラウマが…。
ずっと苦しんでいたのだ。自分と似た状況の美羽の事を思っていたのだ。そして後悔。涙ながらに自分の無責任さに謝罪。沙織里はまたキツい口調になるも…。
この後、沙織里からLINEの動画が。事件など起こると思ってもいなかった頃、美羽と遊ぶ圭吾の姿…。楽しく、無邪気に。圭吾も優しい優しい伯父さんなのだ。
泣く圭吾。森優作の名演に打たれた。
本作は実際の事件をベースにしているなどは無いようだ。完全なフィクション。
真実ではなく、結局虚構。そんな厳しい声もちらほら...。
確かに実際の事件ベースではない。が、実際に起きている事なのだ。
映画は真実(リアル)を真実(リアル)に描くだけじゃなく、虚構を真実(リアル)に描く力がある。
ドキュメンタリーでもノンフィクションでもフィクションでも、それが映画の力だ。
失われたもの、奪われたものは大きい。あまりに大きい。
その一方、得たものや取り戻したものも少なくない。
夫婦の絆、身内との復縁。
ラスト、ビラ配りを続ける沙織里らにある人物が声を掛けてくる。微力ながらも協力を申し出る。
世の中悪意に満ちているばかりじゃない。善意はあちこちに。
ヘヴィーな作品多い吉田恵輔監督だが、その中の救いの手、優しさ…。
苦しみ、悲しみ、絶望の中の一筋の希望の光が美しい。
いつか必ずーーー。
本年度ベスト候補。
それでも生きていく
気になっていたが映画館で観ることができずサブスクに追加されたため鑑賞
「娘が行方不明になる」という経験のないテーマ故共感こそ出来ないが、日本では年間約8万人もの人間が行方不明になるらしい。もはや他人事ではない。
石原さとみの不安定な演技は素晴らしく、観るこちらが心が痛くなるほど。特に娘が見つかったと警察署へ通報があり、喜んで駆けつけたがイタズラだと知った時の取り乱し様は直視出来なかった。世の中そんなに悪質なことをする想像力のない人間がいるのかとこちらも絶望的な気持ちになる程である。
どれだけ時間が経っても娘が帰ってこない限り終わらない闇。腹を抱えて笑えることも一切ない。それでも残された人間は生きていかなければならない。真っ暗な絶望の中で徐々に、本当に少しずつ立ち上がる人間の美しさを感じることができた。
脇を固める俳優陣の演技も素晴らしかった。青木崇高の妻を支えるために冷静でいなければならないが、時折見せる堪えきれない感情、求められているものと自分の良心の狭間で葛藤する中村倫也の不安定さ、全てが静かに光っていた。
大きな波がある作品ではないが、観た後にじわじわとボディーブローの様に効いてくる作品である。
子を持つ母のリアルな描写
"娘は生きているのか?!最後は見つかるのか?!"をテーマにした作品ではないかと。
我が子が行方不明になり、どうしても見つけたい。探したい。どんなに探しても見つからない。
そんな中、精神的に追い詰められていく母親、それを支える父親などを描いた映画です。
偽の保護通報で泣き崩れる母親の演技は言葉にならない素晴らしい演技でした。
特に我が子が書いた絵を、まるで影を我が子のように重ね撫でる姿は涙が止まりませんでした。
本当は星5にしたかったのですが、個人的に娘さんはどうなったのか、結末がわかるスッキリした終わり方を求めてしまったので4.5にしました😫
わたしたちは、心を失くしてしまったのか?
感想
限りなく哀しくて、愛しくて、優しい物語。
娘が失踪し、出口のない暗闇に突き落とされた家族。どうにもできない現実との間でもがき苦しみながらも、その中で光を見つけていく——。
愛する娘が失踪した。
なかなかヘビーな作品でした。
山場はないですがずっと重く、心苦しかったです。
石原さとみの演技が素晴らしかったです。弟役の森優作も良かったです。姉弟の車の中のシーンは胸が締め付けられました。
テレビ局の記者役の中村倫也の存在も良かったです。
SNSって見なきゃいいとは思うんですが見ちゃうんですよね…。
感情がしんどい作品でしたが観てよかった作品でした。
※地味とか派手とか…視聴率とかって一体何なんですかね?TVって何なんですかね?
※THE虎舞竜?
石原さとみが嫌いになりそう…
演技上手くて石原さとみさんが嫌いになりそう…
私の苦手な犯人わからず作品でした
静岡の沼津が舞台なので、ビラ配りのシーンは清水駅前?とか静岡県民としてはワクワク(笑)
今は閉店した洋品店のトラヤが出て来たのは感動しました
リアリティ溢れる
ネット上の誹謗中傷を受けながら、行方不明の娘を探し続ける母親と、
自分の信念と会社の方針、行方不明家族の思いで板挟みになる記者、
主にふたりの心情にフォーカスして見終わった後も切ない気持ちになる映画でした。
結局娘さんは見つからないまま終わりましたが、「めでたしめでたし」で丸く終わらせなかったことで、登場人物らの心情にリアリティをもたらすというか、終わった後もちゃんと考えさせられる仕組みになっているなあと。
石原さとみさんはどれ出ても似てるなあと思ってましたが、今回は、必死さやイライラ、絶望感、今まで見たことない表情でした。
ほかの俳優陣もあっぱれでした。
ドラマ仕立てな余計な間が全然なくて、何気ない短いシーンが多く、ドキュメンタリーを見ているように全登場人物に感情移入してしまいました。
この映画は偏見を生むだけの映画だ。
こう言った映画を鑑賞する事で、被害者に対する同情心に対して、寄り添うつもりなのだろうが、正確な状況を何一つ偏見なく科学的に検証して映画は作られなければ駄目である。全くのフィクションであり、映画制作者のオリジナルストーリーなのだから、誇張され過ぎるのもどうかと思う。そう、
軽率なストーリー展開である。
こんな状況なら、愛の無い AIにでもストーリーを作らせれば、良いんじゃ無いか。
この中でのテレビ局はコンプライアンスをぶっ飛んで、愛の無いAI以下にしてしまっている。
そして、
それを鑑みれば
旧国営放送は、アナウンサーをAIにして行くようなので、ちょこっと、お節介を語る。
そうさ!放送局も映画制作会社も全部を、愛の無いAIに代えれば良いのだ。相変わらずの商業主義的な報道なんだからね。
インターネットやSNSがおかしいと言うが、眉唾だ。むしろ、
いずれにしても、テレビは完璧に終わっていると思った。
ついでに、映画も終わっているのかなぁ?
また、行政や司法、立法の違法行為を糾弾して、責任を追及していく姿勢はバッシングとは別である事も忘れてはならない。この国のマスコミの類は三権分立を全く理解していない。
性犯罪と政治的違法行為は別である。
タイトルなし(ネタバレ)
見ていてずっと苦しかった。
大切な我が子が突然いなくなってしまった苦しみなんて、
味わっていない人には到底理解できないものだが、
今作では気持ちが痛いほど伝わってきた。
今作のように行方不明家族に密着したドキュメンタリーを見たことがあるが、どこか他人事で、見つかればいいなぐらいにしか思っていなかった。
映画を見ている時も構成的には見つかることなんてないんだろうな、と思ってはいても、美羽ちゃんが保護された、と聞いた時には画面の外で小さくガッツポーズをしている自分がいた。それほどまでに引き込まれる演技をする石原さとみ、青木崇高、森優作の演技力に脱帽。
最後には美羽ちゃんが虹の橋を渡ってしまったのかな。
グラスが反射してできた光の虹が美羽ちゃんに架かり、
それを母親が影で撫でているのが見ていて辛かった。
どんなに言葉を尽くしても、映画の良さを上手く伝えられない。
進展が無くてつまらなかった!!
終始ピリピリしているだけで、誰かが捜査してくれるという事でもなく、ストーリーに動きがないまま終わります。YouTubeで犯罪ものや未解決事件ものを良く聴くのですが、事件ものを期待すると何も進展が無くてつまらなかったです。中村倫也が苦手なのですが、案の定声が小さくて声質も聞き取りづらかったです。しかも、やはりショボい役でした。同じ監督の前作「神は見返りを求める」の方が、遥かに良いと思います。まあ犯罪被害者の夫婦を描写するというだけの事なのでしょうが、今回は住所バレでショボい奴が来るとSNSプチ炎上くらいしか無いのも、石原さんが全部曝け出すには、起爆剤が全然足りないです。警官に食ってかかるとか、犯人を刺すとか無理ですかね。他所の子が見付かって、良かったね良かったねと泣くシーンは良かったです。
人間の隙を表現するのが抜群に上手い
当たり前の話だがこの世に完全無欠の聖人君子など存在しない。しかし、何か事件などが起きるとこぞって粗探しをする人たちが現れる。自分達だって決して褒められたものではないのに。違いがあるとすれば、世間的に注目を集める事象の当事者になるかどうかだけでみんな等しく普通の人間なのだ。
この映画の主人公もそんな普通の人間の一人だ。この主人公はライブに行った事をネットで責められるが、2年ぶりだったと反論する。ネットで誹謗中傷する人間がおかしいのは確かだが、一般的な感覚で2年ぶりというのは決して長くは感じない。つまり主人公は子供は大切だけど、自分のやりたいこともちゃんとしたいという価値観なのだ。それが良いか悪いかは置いといて。落ち度とまでは言わないがこの主人公には隙があった事は確かなのだ。
さらに細かいところで言うなら主人公の持っているスマホ。状況とは不釣り合いに相当いい機種を使っているのだ。少なくともお金に困ってる状況では相当違和感がある。ここからも主人公の人物像は伺える。だからと言って主人公が悪いとかそういう事ではなく、自己矛盾もまた人間なのだ。
この映画は一見、失踪事件がテーマのように見えるが人間を描くことに重きを置いていると強く感じた。実際に起きた事件を描いただけと思う人も一定数いるのだろうが、表現されているのは事件ではなく人間なのだ。
“伝える”ことに焦点を当てている
「何でもないようなことが幸せだったと...」虎舞竜の歌詞を口にした沙織里(石原さとみ)の失禁や嗚咽、発狂など迫真の演技に魅せられました。
沙織里だけでなく、いろんな立場の人の氣持ちを描いていて、ツッコミどころも登場人物がしっかりツッコミを入れてくれて、痒い所に手が届いていました。
序盤は怪しい人をピックアップします。
報道の裏側やネットに書き込まれる憶測、番組を見た人たちの思い込みについても描いていて、情報操作についても考えさせられました。
伝えるということの深さについては、言葉では伝えきれません。
ビラの印刷をオマケして持ってきてくれたシーンから、行方不明の子が保護されるシーン、壁の絵に虹がかかるシーン、保護された子を連れた母親が路上で声をかけてくれたシーン、弟の圭吾(森優作)と二人でクルマの中で泣くシーンなど、闇に差し込む光が徐々に増えてくる感じがたまらなく素敵で泣けました。
ラストは自分の子を愛するように人の子を愛する沙織里の中に人類愛のようなものも感じ、とても素晴らしい作品だと思いました。
どうにもならないそれぞれの葛藤が痛い
どの役の方も、素晴らしい演技。
いや、演技なのか?
と、思えるほどの熱が伝わってくる。
どうにもならないイライラを周りにぶつけてしまう母。そのイラつき方が絶妙。ホントは夫が責めてくれたら。いや、支えてほしい。そのどちらも、すべては自分を責め続けている苦しさにある。
いっそ、消えてしまいたい。でも、そしたらもし、もしも、いつか娘が戻ってきたときに会えないじゃないか。いつか、いつか…いつか……いつだよ…。
切ないほどの葛藤を、石原さとみが演じきっている。
子育てって、そんなブラックポケットを抱えながらの毎日。大丈夫だろう…そんな言葉を何度つぶやき、打ち消し、面倒な手続きを時間を割いて、ようやく当たり前の日常が送れるんだ。当たり前じゃないんだよ。
弟のこと、夫のこと、マスコミのこと。どの視点からも手抜きのない描かれ方のように感じました。
秀作です。
悲しみに飲み込まれた
悲しみに満ちみちた物語。
いなくなった子供を探し心が壊れ掛けた母親。
その過程を描くのではなく、失った子供を探すことへの執着と報道のあり方を模索するテレビマン。
子供を探す親を追う報道のあり方を描き、そのあり方を主体としたいのもわからなくはないのだが。
出来れば子供を失った親がこれからどう新たな扉を開くのか?そこをもっと丁寧に描いた終わりにして欲しかった。
失っている間の悲しみの共感は得られるが、それのみを描かれても物語として満足できなかった。
リアル?
特にものすごい展開があるというわけでは無く、ただ子供の失踪事件の家族の様子を追うというストーリー。
実際に家族が行方不明になった経験が無いので、自分に置き換えた時にどうなるのか全く想像がつかない。ここまでヒステリックになるのかどうか、たぶん経験が無いからちょっと引き気味で観てしまった。弟さんも本当に気の毒。かなり辛い立場だと思った。
でも、想像がつかないからこそ、こんな感じなのかな?と思った部分もあり。リアルな感じなのかもなぁと思った。
今まで実際に起きた事件の家族もこんな感じだったのかなぁと、胸が痛くなる思いだった。
糸
藁でも糸にでも縋る
子供が行方不明になら母親なら発狂ものなのは当たり前だろう。それもたった一晩、ライブで跳ねていた時に。
しかし、ライブに行こうが行くのまいが、攫われる時は攫われる。近距離でもなんでも理由はさまざまで誘拐事件というのは起きる。
それでも、自分を責めつづけるサオリ。
きっと一生分を叫んだのではないか。
ビラを配り、テレビの取材を積極的に受け、ネットに沈む少しの情報を探りつつ狂った日々を送る。
常にヒステリーを起こし、叫び、悲劇の母親、ネットの毒親にしたれ上げられる。
支える事で必死に妻を守る夫、職場、印刷会社の手厚い優しさが沁みた。
イタズラに踊らされ、チラシ配りで寂しそうな顔の演技を指示され、ミウの誕生日会をずらしてでも人々の心に訴えかけようとするサオリはもうなりふり構ってられないのだ。縋れるものにはなんでも縋る。
ミウがどの様な子か聞かれて、はた、と止まる瞬間に息を飲んだ。
虎舞龍と笑うカメラマン、ヤクルト1000が無いおばちゃん、商店街でながらスマホでケンカする人、ピアノ教室で一緒になったママ友のバンティー。
彼らにとっても、それは何でもないような事。
サオリにもあったのだ。
弟も実姉からなじられ、プライベートも晒され、職場も辞め、カジノもバレて…でも彼もミウに会いたいのだ、と。
その心を吐露した時にようやく姉と和解する。
ミウにも背中を攻撃されてたね。
3年が経ちテレビ局にも頼れなくなった頃、同様の事件を見てそれに便乗する計画を立てる。
まだまだ縋れるものならなんでも良い。
一見協力だが、本音はミウ。
とにかくミウミウミウミウミウ…
そして、便乗した家族の娘が保護される。
心から涙するサオリ。
嫉妬するでもなく羨むまでもなく心から良かったと。
なにも決着をしない。
救出されるわけでもない。
死体が上がる事もない。
何もわからないという事はとても辛い事だ。
そしてサオリの心はゆっくりと穏やかになっていくように見える。
子供を守るため、交通係になりたくさんの子供達の行方を見守り、もうヒスは起こさない。
その代わりミウの唇を鳴らす真似をしてみる。
3ヶ月、半年とサオリの取材をしてきたスナダは世の中の波に乗らず、自身のポリシーを貫き出世もできずアザラシの画像を再び撮り続けるのも印象的でした。
マスコミはやはり、嘘、大袈裟、紛らわしいが前提なんだな。JAROに連絡だ。
レンズ越しの世界
missing
情報を提示する上では、脚色が多少なりとも必要になるという点を前提にしても、ともすればそこに「出演する」人々と写し手たちは、批判の対象になりやすい。しかし半ば儀式的に見えた、御涙頂戴に映るシーンの向こう側に本来見る必要があるのは、カメラの無かった世界の風景だ
自由に報道され目に入るそれらにはもう、誰もが「無関係」でないのだから、「誹謗中傷」で関わるくらいならば、助けに行ったほうがいい。それでも一方で、常に意識を払い自らを犠牲にして、というのは現実的に難しい。
活動を続ける、家族とその周囲の頑張りは、流動していく世界の中では留まっているかのよう。
世間やマスコミが騒ぐことでこそ、救われる命がある中で、可能性に振り回され続けるには、しかし(現実の)時間は、あまりにも足りない。
両価的な(勝手な)批評は行き交う、それでも当事者たちの元だけで、輝く出来事はある。
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