ミッシングのレビュー・感想・評価
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見ていてずっと苦しかった。 大切な我が子が突然いなくなってしまった...
見ていてずっと苦しかった。
大切な我が子が突然いなくなってしまった苦しみなんて、
味わっていない人には到底理解できないものだが、
今作では気持ちが痛いほど伝わってきた。
今作のように行方不明家族に密着したドキュメンタリーを見たことがあるが、どこか他人事で、見つかればいいなぐらいにしか思っていなかった。
映画を見ている時も構成的には見つかることなんてないんだろうな、と思ってはいても、美羽ちゃんが保護された、と聞いた時には画面の外で小さくガッツポーズをしている自分がいた。それほどまでに引き込まれる演技をする石原さとみ、青木崇高、森優作の演技力に脱帽。
最後には美羽ちゃんが虹の橋を渡ってしまったのかな。
グラスが反射してできた光の虹が美羽ちゃんに架かり、
それを母親が影で撫でているのが見ていて辛かった。
どんなに言葉を尽くしても、映画の良さを上手く伝えられない。
進展が無くてつまらなかった!!
終始ピリピリしているだけで、誰かが捜査してくれるという事でもなく、ストーリーに動きがないまま終わります。YouTubeで犯罪ものや未解決事件ものを良く聴くのですが、事件ものを期待すると何も進展が無くてつまらなかったです。中村倫也が苦手なのですが、案の定声が小さくて声質も聞き取りづらかったです。しかも、やはりショボい役でした。同じ監督の前作「神は見返りを求める」の方が、遥かに良いと思います。まあ犯罪被害者の夫婦を描写するというだけの事なのでしょうが、今回は住所バレでショボい奴が来るとSNSプチ炎上くらいしか無いのも、石原さんが全部曝け出すには、起爆剤が全然足りないです。警官に食ってかかるとか、犯人を刺すとか無理ですかね。他所の子が見付かって、良かったね良かったねと泣くシーンは良かったです。
人間の隙を表現するのが抜群に上手い
当たり前の話だがこの世に完全無欠の聖人君子など存在しない。しかし、何か事件などが起きるとこぞって粗探しをする人たちが現れる。自分達だって決して褒められたものではないのに。違いがあるとすれば、世間的に注目を集める事象の当事者になるかどうかだけでみんな等しく普通の人間なのだ。
この映画の主人公もそんな普通の人間の一人だ。この主人公はライブに行った事をネットで責められるが、2年ぶりだったと反論する。ネットで誹謗中傷する人間がおかしいのは確かだが、一般的な感覚で2年ぶりというのは決して長くは感じない。つまり主人公は子供は大切だけど、自分のやりたいこともちゃんとしたいという価値観なのだ。それが良いか悪いかは置いといて。落ち度とまでは言わないがこの主人公には隙があった事は確かなのだ。
さらに細かいところで言うなら主人公の持っているスマホ。状況とは不釣り合いに相当いい機種を使っているのだ。少なくともお金に困ってる状況では相当違和感がある。ここからも主人公の人物像は伺える。だからと言って主人公が悪いとかそういう事ではなく、自己矛盾もまた人間なのだ。
この映画は一見、失踪事件がテーマのように見えるが人間を描くことに重きを置いていると強く感じた。実際に起きた事件を描いただけと思う人も一定数いるのだろうが、表現されているのは事件ではなく人間なのだ。
“伝える”ことに焦点を当てている
「何でもないようなことが幸せだったと...」虎舞竜の歌詞を口にした沙織里(石原さとみ)の失禁や嗚咽、発狂など迫真の演技に魅せられました。
沙織里だけでなく、いろんな立場の人の氣持ちを描いていて、ツッコミどころも登場人物がしっかりツッコミを入れてくれて、痒い所に手が届いていました。
序盤は怪しい人をピックアップします。
報道の裏側やネットに書き込まれる憶測、番組を見た人たちの思い込みについても描いていて、情報操作についても考えさせられました。
伝えるということの深さについては、言葉では伝えきれません。
ビラの印刷をオマケして持ってきてくれたシーンから、行方不明の子が保護されるシーン、壁の絵に虹がかかるシーン、保護された子を連れた母親が路上で声をかけてくれたシーン、弟の圭吾(森優作)と二人でクルマの中で泣くシーンなど、闇に差し込む光が徐々に増えてくる感じがたまらなく素敵で泣けました。
ラストは自分の子を愛するように人の子を愛する沙織里の中に人類愛のようなものも感じ、とても素晴らしい作品だと思いました。
どうにもならないそれぞれの葛藤が痛い
どの役の方も、素晴らしい演技。
いや、演技なのか?
と、思えるほどの熱が伝わってくる。
どうにもならないイライラを周りにぶつけてしまう母。そのイラつき方が絶妙。ホントは夫が責めてくれたら。いや、支えてほしい。そのどちらも、すべては自分を責め続けている苦しさにある。
いっそ、消えてしまいたい。でも、そしたらもし、もしも、いつか娘が戻ってきたときに会えないじゃないか。いつか、いつか…いつか……いつだよ…。
切ないほどの葛藤を、石原さとみが演じきっている。
子育てって、そんなブラックポケットを抱えながらの毎日。大丈夫だろう…そんな言葉を何度つぶやき、打ち消し、面倒な手続きを時間を割いて、ようやく当たり前の日常が送れるんだ。当たり前じゃないんだよ。
弟のこと、夫のこと、マスコミのこと。どの視点からも手抜きのない描かれ方のように感じました。
秀作です。
悲しみに飲み込まれた
悲しみに満ちみちた物語。
いなくなった子供を探し心が壊れ掛けた母親。
その過程を描くのではなく、失った子供を探すことへの執着と報道のあり方を模索するテレビマン。
子供を探す親を追う報道のあり方を描き、そのあり方を主体としたいのもわからなくはないのだが。
出来れば子供を失った親がこれからどう新たな扉を開くのか?そこをもっと丁寧に描いた終わりにして欲しかった。
失っている間の悲しみの共感は得られるが、それのみを描かれても物語として満足できなかった。
石原さとみの演技力
は良かったと思うんだけど、話の展開が予想を上回らなくて演出も単調。鶴瓶と中居くんがやっている世界仰天ニュースは30分たらずでも見せ場は多いし心に残るもんなぁ。
実際に娘が行方不明になった事件をいくつか知っていますが、鬼畜なマスコミ、容赦ないSNSなど、事件の当事者はこんな大変な目にあっているんだという事はよく伝わりました。でもそれが作品の面白さには繋がっていないと思います。
仰天ニュースの演出家に撮らせれば良かったのにと思いました。
リアル?
特にものすごい展開があるというわけでは無く、ただ子供の失踪事件の家族の様子を追うというストーリー。
実際に家族が行方不明になった経験が無いので、自分に置き換えた時にどうなるのか全く想像がつかない。ここまでヒステリックになるのかどうか、たぶん経験が無いからちょっと引き気味で観てしまった。弟さんも本当に気の毒。かなり辛い立場だと思った。
でも、想像がつかないからこそ、こんな感じなのかな?と思った部分もあり。リアルな感じなのかもなぁと思った。
今まで実際に起きた事件の家族もこんな感じだったのかなぁと、胸が痛くなる思いだった。
糸
藁でも糸にでも縋る
子供が行方不明になら母親なら発狂ものなのは当たり前だろう。それもたった一晩、ライブで跳ねていた時に。
しかし、ライブに行こうが行くのまいが、攫われる時は攫われる。近距離でもなんでも理由はさまざまで誘拐事件というのは起きる。
それでも、自分を責めつづけるサオリ。
きっと一生分を叫んだのではないか。
ビラを配り、テレビの取材を積極的に受け、ネットに沈む少しの情報を探りつつ狂った日々を送る。
常にヒステリーを起こし、叫び、悲劇の母親、ネットの毒親にしたれ上げられる。
支える事で必死に妻を守る夫、職場、印刷会社の手厚い優しさが沁みた。
イタズラに踊らされ、チラシ配りで寂しそうな顔の演技を指示され、ミウの誕生日会をずらしてでも人々の心に訴えかけようとするサオリはもうなりふり構ってられないのだ。縋れるものにはなんでも縋る。
ミウがどの様な子か聞かれて、はた、と止まる瞬間に息を飲んだ。
虎舞龍と笑うカメラマン、ヤクルト1000が無いおばちゃん、商店街でながらスマホでケンカする人、ピアノ教室で一緒になったママ友のバンティー。
彼らにとっても、それは何でもないような事。
サオリにもあったのだ。
弟も実姉からなじられ、プライベートも晒され、職場も辞め、カジノもバレて…でも彼もミウに会いたいのだ、と。
その心を吐露した時にようやく姉と和解する。
ミウにも背中を攻撃されてたね。
3年が経ちテレビ局にも頼れなくなった頃、同様の事件を見てそれに便乗する計画を立てる。
まだまだ縋れるものならなんでも良い。
一見協力だが、本音はミウ。
とにかくミウミウミウミウミウ…
そして、便乗した家族の娘が保護される。
心から涙するサオリ。
嫉妬するでもなく羨むまでもなく心から良かったと。
なにも決着をしない。
救出されるわけでもない。
死体が上がる事もない。
何もわからないという事はとても辛い事だ。
そしてサオリの心はゆっくりと穏やかになっていくように見える。
子供を守るため、交通係になりたくさんの子供達の行方を見守り、もうヒスは起こさない。
その代わりミウの唇を鳴らす真似をしてみる。
3ヶ月、半年とサオリの取材をしてきたスナダは世の中の波に乗らず、自身のポリシーを貫き出世もできずアザラシの画像を再び撮り続けるのも印象的でした。
マスコミはやはり、嘘、大袈裟、紛らわしいが前提なんだな。JAROに連絡だ。
レンズ越しの世界
missing
情報を提示する上では、脚色が多少なりとも必要になるという点を前提にしても、ともすればそこに「出演する」人々と写し手たちは、批判の対象になりやすい。しかし半ば儀式的に見えた、御涙頂戴に映るシーンの向こう側に本来見る必要があるのは、カメラの無かった世界の風景だ
自由に報道され目に入るそれらにはもう、誰もが「無関係」でないのだから、「誹謗中傷」で関わるくらいならば、助けに行ったほうがいい。それでも一方で、常に意識を払い自らを犠牲にして、というのは現実的に難しい。
活動を続ける、家族とその周囲の頑張りは、流動していく世界の中では留まっているかのよう。
世間やマスコミが騒ぐことでこそ、救われる命がある中で、可能性に振り回され続けるには、しかし(現実の)時間は、あまりにも足りない。
両価的な(勝手な)批評は行き交う、それでも当事者たちの元だけで、輝く出来事はある。
私的好みでない吉田恵輔 監督の演出だからこそ、表現できた時代を切り裂く秀作
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
私的はやはり吉田恵輔 監督の演出は好みではないなと、映画の終盤近くまで思って見ていました。
端的に言うと、娘を行方不明で失った若い夫婦を描いたこの映画『ミッシング』は、大きな柱をいわゆる”マスゴミ”とSNS上の常軌を逸した誹謗中傷の描写が占めていたと思われます。
ただ、吉田恵輔 監督の演出の仕方は、そこかしこで人間の悪意を肥大化させた描写になっていたと思われます。
表層極端に表れるSNSの誹謗中傷はともかく、テレビの報道スタッフもあそこまで悪意が肥大化した振る舞いをし続けるのはちょっと極端ではないか、との疑念は個人的には感じていました。
娘を行方不明で失った主人公・森下沙織里(石原さとみさん)の振る舞いも、多くの場面で人間の嫌な部分が肥大化され崩壊気味に描かれていたと思われます。
この人間の、悪意や嫌な部分を極端に描く吉田恵輔 監督の演出は、やはり好みが分かれるとは思われました。
人間には多面性があり、1人の中の良/悪をもう少しバランス良く描いた方が、広く普遍的にリアリティをもって受け入れられる作品になるのになと思われています。
ただしかしながら、仮にそのような1人の中の良/悪をもう少しバランス良く描く演出のやり方では、吉田恵輔 監督が監督をする必要は一方でなくなるでしょう。
また、吉田恵輔 監督の脚本演出でなければ、今回の時に狂気に満ちた石原さとみさんの卓越した演技もなかったと思われます。
そして、吉田恵輔 監督の脚本演出でなければ、ラスト辺りの、森下沙織里の夫の森下豊(青木崇高さん)が、同じ娘の行方不明の境遇を経験した母親に助けの声を掛けられた時、自分がいかに狂った世界にこれまでいたのかがあふれ出る自身の慟哭の涙で彼が気がついただろう場面の到達も、なかったと思われます。
ラスト2シーンの、主人公・森下沙織里の、部屋の中の光のシーンと、横断歩道のシーンは美しく、この映画のラストの到達は、吉田恵輔 監督の演出が好みでない私のような者にも僭越、2024年を代表する邦画作品の1つだと確信、思わされました。
胸に迫りくるものが…
娘が行方不明になって2ヶ月後?くらいからの物語。
初期の捜査が一段落して、手がかりも情報も少なくなってきたころ、娘を見つけるために、何かしたい、何かしていないと、ギリギリで保っている精神すらも崩壊してしまいそうな日々…
ヒリヒリした感じがこの上なく伝わってきて、涙が止まらなかった。
どんな些細な情報にもすがって、娘を見つけるために必死の母親。追い詰められている母親を支えながら、できることを見極めながら動こうとする父親。
娘を見つけたいという2人の思いは同じなのに、向き合い方が違うだけで、こんなにもすれ違ってしまう…まさに「温度差」という言葉がぴったりで、同じ状況に陥った経験はもちろんないのだけど、リアルさが際立っていた。
ラスト近く、それまで、過度にのめり込むことなく、冷静な対応をとっていた父親が、感情を爆発させるシーン。
それまでは、母親のギリギリの精神状態が表立っていたけど、父親も、追い詰められてギリギリを保っていたんだな、と感じた。
壁に書かれた落書きの娘の頭をなでるシーン。悲しくて、切なくて、どうしようもなくて…。
事件としてはなに一つ進展がないけれど、それでも生きていかなければならない登場人物の心の変化をていねいに捉えた、良い映画だと思います。
登場人物それぞれの立場での苦しみがある
幸せだったころの回想と両親のビラ配りという対照的な場面からスタート。
石原さとみさんはこの役になりきってそれは心を削っただろうし、演技も素晴らしかった。
そして実際に我が子が行方不明になったりしたら自分も、夫婦関係や姉弟関係もこんなもんじゃ済まないんだろうなと思いながらも、どうしても最後まで映画に入り込めない自分が居た。
一番共感できたとすれば弟の圭吾。
行方不明になる直前まで自分と一緒に居て、一番責任を感じつつも、違法賭博に手を出してそこに居たことを隠したいために本当のことは言えないもどかしさ、辛さ。そこを取材で暴かれ、姉にバラされた時の気持ちはたまらなかったろう。
母親は母親で、ライブに行っていたときに行方不明になったという負い目があり、弟を責めることができなかったのが、事の真相を知り、一気に責め立てる。
それでも終わる直前に、姉弟で抱き合い、和解できたこと、あとは類似事件の女の子が無事だったことだけがこの映画の救い。
どうやって行方不明になったのかもわからず、結末もわからず、ただただ苦しい映画となってしまった。
TVマンの砂田を観ていて、映画「凶悪」の新聞記者藤井を思い出した。
相手に共感するあまり、相手に飲み込まれてはいけない。
取材するものはあくまでも対象に寄り添いながら冷静な第三者の目で取材をしなければいけない。そんなことを思った映画だった。
助かった女の子の母親から手伝わせてくださいと言われて、最後に父親が泣き崩れるシーンの印象が強く残り、悲しみと苦しみが増した気がした。
救いが…
ミステリーのつもりで観に行ったら、事件は一切進展しないまま終わり、これから先もこの夫婦は自分を責めて、周囲に批判され、都合よく搾取されながらも、生涯子供を探し続けるのかと思うとあまりにも救いが無さすぎてツラい。
何の進展もなく何十年も行方不明のままの事件が実際にある以上、リアルな結末かも知れないけれど、フィクションの世界くらい何らかの形で決着つけて欲しかったなと。
石原さとみさんの演技が非常にリアルで、こちらも母親の心情に引き込まれて、本気でどうか子供が無事に見つかって欲しいと思うし、途中で保護されたって話が出た時は安堵で思わず涙が溢れたし、イタズラとわかった時の絶望感たるや…それだけ引き込まれたからこそ、本当に何らかの決着が欲しかった…。
視聴者目線
自分という型を壊したいと懇願した母親役の石原さとみさん。強い口調、暴力的、イライラ感と
ヒステリー。感情を剥き出しにした熱演だった。
それを支える夫役の青木崇高さん。
奥さんに対しブレーキをかけ、チラシや家計の
やりくり。冷静に動き対応していく。
自分がもし、その立場になったらあのように
出来るのかと不安も感じた。
森優作さんの怪しいコミ障の演技は上手だった。映画内で引き立つ。
テレビ局が視聴者目線で製作しなければならない
局側と記者。嫌な部分もそれが視聴者側が興味を
持てば良いなんて……。
世間の無関心な人々がメディアにより
関心され色々な波紋と亀裂をお越し
人間を蝕んでいく。あんな誘導尋問を
強要される記者も製作人も尋問された方も
同じ人間なんだ。いびつなパズルだ。
極限迄追い詰められた人間の感情を
ギリギリまで出させる吉田監督はある意味凄いし
怖い。
終始重苦しい
吉田恵輔監督の映画は初めてでした。
身動きも出来ない位衝撃的な感銘を受けました。
石原さとみの演技は、見ているこちらの心まで壊れてしまいそうな凄まじさでした。
心が抉られるようでした。
石原さとみだけでなく他の俳優達も演技が素晴らしかったです。
中村倫也さんは目だけで訴えるような名演技、
弟役の森勇作の完璧な演技。
知的障害を疑わせる不審さから
悪いことをしていないのに上手く言葉に出来ず疑われて胸が痛かったです。
そして終盤の青木崇高(旦那)の、まるで暗闇の中に一筋の光を見たかのような嗚咽には魂が揺さぶられ、胸に突き刺さり涙が抑えられませんでした。
本当に重く辛い、苦しい気持ちになりました。
でも最高に素晴らしい大傑作だと思います。
考えることがたくさんありすぎる映画ともいえます。
視聴率至上主義に毒されるマスコミと炎上をエンタメ化するソーシャルメディアの狂気
ある日、街で幼女失踪事件が発生する。両親はあらゆる手段で娘を捜すが、有力な手掛かりを得られぬまま3カ月が経過する。次第に世間の関心も薄れ、焦る母親は次第に正気を失っていく。
そこに追い打ちをかけるように面白おかしく事件を騒ぎ立て、家族を誹謗中傷するソーシャルメディア。それを見てさらに正気を失う母親と、そんな妻を冷静に我慢強く支える夫。この映画では、そんな容赦ない世間の声に苦悩する家族の姿が描かれています。
ソーシャルメディア(SNSや掲示板)を通じ、誰もが自由に意見を発信できる時代となった一方、ひとたび事件が起きればソーシャルメディアにとっては格好の餌場となり、誰か落ち度のある人間を見つければ、たちまち炎上して集中砲火を浴びせられる。
この映画では娘の行方不明が報じられると、被害者家族の傷に塩を塗るかのようにその落ち度を責め立て、さらに『これは自作自演ではないか』『実は両親が殺害したのではないか』など、憶測に基づいた根拠のない誹謗中傷が続々と書き込まれる。
さらに被害者家族が藁にもすがる思いで情報提供を求めると、虚偽の情報提供で被害者家族を振り回し、絶望に追い打ちをかける。
人の不幸をツマミに事件を娯楽化し、被害者家族に集団で石を投げつけるようなソーシャルメディアの鬼畜の所業にはただただ怒りがこみ上げてきます。
また、この映画では、被害者家族の苦悩と真摯に向き合い、事件を風化させまいと粘り強く取材を重ねる担当記者と、メディアとしての社会的責務を忘れ、視聴率至上主義に奔るマスコミの姿も描かれています。
事件が視聴者の興味を引くよう面白おかしくドラマ仕立てに編集を加え、ネットが炎上したと見るや、視聴率を稼げるコンテンツとして、せっせと燃料を投下し騒ぎに便乗する。話題性(ネットがどれだけ騒いでいるか)で取り扱うニュースを決め、視聴者が飽きると取り上げなくなる。
さらに酷いのは、無実である母親の弟を『挙動不審で怪しい』というだけの理由で、証拠もなく、まるで犯人かのように取り上げ、視聴者の誤認を誘って冤罪を作り出す。それがひとりの人生を狂わせてしまうかもしれないのに。
映画はこうした報道のエンタメ化や視聴率至上主義、大衆迎合に奔るメディアの姿勢にも一石を投じたかったのでしょう。
この映画では事件の担当記者である砂田だけが唯一、そんな報道姿勢に疑問を持ち、幾度となく『これはおかしいのでは?』と上層部に声を上げるも、そんな砂田の声は組織の都合が優先され掻き消されます。この映画では砂田の良心との対比により、マスコミの異常性がより際立つ形で描かれています。
また、この映画には事件の結末(行方不明になった子供の顛末)は描かれていません。それにより観客はどこかモヤモヤしたまま映画を見終えることになるのですが、あえて事件の結末を描かないことで、この映画の主題である『ソーシャルメディアの狂気と大衆迎合的なマスコミの姿勢』により目を向けさせたかったのかもしれません。
余談ですが、この映画は自分には『山梨キャンプ場女児失踪事件』と重なって見えました。事件は2019年にキャンプ場で女児が失踪し、16日後に捜索が打ち切られ、それから2年間、家族はチラシを配り、ネットで情報提供を呼びかけたものの音沙汰なく、家族はソーシャルメディアで誹謗中傷に晒され、そのうち何人かは名誉棄損などで有罪となりました。残念ながらこの事件は3年後に女児の遺体発見という結末を迎えてしまうわけですが、『あの家族もこんな状態、こんな気持ちで何年も過ごしていたのかな』と思うと、やるせない気持ちになりました。
悲しみに押しつぶされると人は…
姉弟
弟は最初のインタビューの時から涙を浮かべてた。
弟は姪のことをとても可愛がっていた。あの日もお家まで送ればよかったとずっと後悔していたのだろう。
うまく言葉にできないけれど、姪を亡くした悲しみは伝わってきていた。受け取る側によるのかな。
言葉にするのが苦手だったりうまく表現したりするのが苦手、コミュニケーションが苦手な人もいる。悪いことしてなのに勘違いされてしまう。
車の中で弟が姉に謝るシーンに涙した。
みうちゃんと遊んでる動画も良かった。涙が出た。とても可愛がってたんだね。
夫
感情を押し殺して奥さんを支えている。
常に冷静、おかしいと思ったり違和感を感じることはちゃんと伝えられる。
ホテルの外の喫煙コーナーで親子3人を観ながら涙を流す場面が切なかった。
映画終盤、行方不明になって保護された女の子とお母さんに声をかけられた時、堪えられなくて流した涙が本当の顔なのかな。
さおり
とらぶゆーはカメラマンのツッコミより先に思った。きっと観客はみんなそう。
弟への態度がすごい。家族だからって許されるのだろうか?
言葉が汚くてびっくりしたが悲しみの極限に立たされたり、精神的に辛すぎるとあぁなるのかな?
ちょっと怖かった。
他の女の子の行方不明事件でビラを配ったり自治会を巻きこんで行動したりすごい。
見つかった時も本当に喜んでて、ブラックな部分が消えてきた。
小学生のために安全を守るボランティアをはじめたり。
行動がすばらしい。癒えることも忘れることもないけれど、少しずつ受け止めてられるようになって行くのかな。
健全なネット文化のために、本作こそ文部省推薦の教育映像映画になってほしい
「一縷の望みを託す」といいますが、一縷とは「細糸一本のように今にも絶えそうな。かすかな。」という意味だそうです。いっぽうでインターネット関係の用語「ウェブ」とは蜘蛛の巣のこと。藁にも縋る思いは、デメリットのほうが多いと判りつつもネット情報を読み、案の定こころ搔き乱されるだけに。
ネットを悪者にするのは何かにつけ昨今の流れですが、悪い面がこれほど強調されても遠ざける向きにならないのは、原発と同じで必要悪の位置付けに収まっているからでしょう。
弟がらみのあやしい事情も結局はなんでもなく、振り返ってみればこの映画では登場人物に悪い人間はいませんでした。いたずら電話の声、石を投げた者、誹謗中傷の訴えでの逮捕者、かれらは影も写されません。
そのあたりから私は、子供の失踪に加えてもうひとつの焦点をこの映画に見出しました。捉えにくい表現しか思いつきませんが、それは「実像を現わさないでいる人間の悪意のほど」です。
wwwww と並べたり、……じゃね?という言葉遣いを選んだり、ググレカスといったネットスラングに通じることがネットを使えている人だと錯覚している人が少なくありません。かくいう私もそのひとりでしたがさすがに卒業しました。そして今思いますのは、ネット越しであってもリアルに対面している状態と同じ心境で他者と接することができてはじめてネット1年生だということです。ハンドルネームを使っていても。
しかし世の中はまだまだネットを特別視していて、特別視しないといけない限り未熟の域を脱せないジレンマから抜け出せそうにありません。
かつての2ちゃんねるが育んだ感のある、なにかにつけディスって楽しむ悪習や、邪推先行のレスポンス、それらの書き手は姿を現さないのではなく、視点を引いてみればそういう世界を容認している自分たち自身の罪でもあると受け取りたい。そして、いささか衝撃は強いですが、いや強い衝撃だからこそ伝わると期待して、こういったネット越しの倫理観を啓蒙してくれる本作のような映画作品をこそ、文部省推薦の教育映像映画として、学校をはじめとした教育機関での上映をおこなってほしいと思いました。
憑依的演技を目の当たりにし、他者の絶望的不幸が親身に重なる、その洗脳級の衝撃を受けたのですが、そのレビューは書いてみれば自分でも意外に、ネット文化の啓蒙に一石投じたい云々の、こんなところに落ち着きました。
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