ミッシングのレビュー・感想・評価
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実際に子供の失踪は結構起きている
実際、世界中で結構な数の児童の失踪が発生している。これは事実だ。
幼いやんちゃな男の子を育てている俺は時々思う。遠出した先でこんな自分の家もわからない子が迷子になったらどうなるだろうか? その時の親の気持ちを感じたくてこの映画を観た。
大きな展開の無いストーリーだが、その分所々の母親の狂うシーンが際立って2度涙した。そりゃ狂うだろうさ。映画の中ではあまりフォーカスしていないが、責められるべきはとにかく犯人だろうが。
映画の作りとしてはとにかく主役女優の演技の良さを中心においた作品で、人に近い目線で作った自然な映像だった。エンドロールに向かう風景や光の映像もしんみりとしてよかった。
ありがとう。
最後まで集中して鑑賞できた。
悲しみに飲み込まれた
悲しみに満ちみちた物語。
いなくなった子供を探し心が壊れ掛けた母親。
その過程を描くのではなく、失った子供を探すことへの執着と報道のあり方を模索するテレビマン。
子供を探す親を追う報道のあり方を描き、そのあり方を主体としたいのもわからなくはないのだが。
出来れば子供を失った親がこれからどう新たな扉を開くのか?そこをもっと丁寧に描いた終わりにして欲しかった。
失っている間の悲しみの共感は得られるが、それのみを描かれても物語として満足できなかった。
綺麗・品性を投げ捨てた女優石原さとみを見よ
MISSINGの意味は「行方不明」「抜けている」等の意味がある。この映画では冒頭娘が「行方不明」になったことが描写されるが、この映画のMISSINGは、夫婦のもとから娘が「抜けて落ちてしまって」今までの日常生活が維持できていない様を強烈に描出する。
それは妻沙織里役の石原さとみが、夫に八つ当たりするイライラ感のテンションの高さ、テレビの報道番組の取材に出演した後のSNSの口コミに思わず口走る汚い言葉、何かの衝動に一瞬で衝き動かされる目付きと身体。沙織里の日常は維持できないというより崩壊しているのだ。ただ妻に八つ当たりされる夫も深い悲しみの底にいて沙織里がイライラをかかえて先走るのをなんとかフォローし家族を維持しようとする姿も描出している。
吉田監督は、この映画で報道、SNSのありかたを見る者に提示している。テレビ局の記者砂田とその後輩駒井の報道姿勢をとおしてである。報道の原理原則は「事実をしっかり伝える」ことだ。二人の報道姿勢もこの原理原則から逸脱していない。多くの人が気軽に日常的に使用しているSNSについても夫婦や妻の弟がいわれもない誹謗中傷を受けている実態を描写している。二通りの報道姿勢とSNSの実態を見る者に提示し考えさせているのだ。
夫婦は二度SNSに振り回される。その時のショックな姿が痛々しい。匿名で無責任な発信者。これらのシーンにおいての石原さとみの落胆ぶりは筆舌に尽くしがたい。そこにはテレビでいつも見る綺麗で品性がある石原さとみは存在せず、娘を探し出そうとする一心の母を演じる女優石原さとみが悲しく崩れ落ちているのだ。
同じ町で女児行方不明事件が起きる。沙織里は、我が娘とのかすかな関係性をいだいて懸命にビラを配り事件解決に奔走する。可能性はわずかしかないが、行動していなければ自らのバランスを崩すように必死になる。まさに心の底の感情が描出されている。
哀しみのトーンで描かれた映画のラストにおいて七色に光る虹の光線が浮かび上がった。この光を見て沙織里が微笑する表情が美しかった。
石原さとみの演技力
は良かったと思うんだけど、話の展開が予想を上回らなくて演出も単調。鶴瓶と中居くんがやっている世界仰天ニュースは30分たらずでも見せ場は多いし心に残るもんなぁ。
実際に娘が行方不明になった事件をいくつか知っていますが、鬼畜なマスコミ、容赦ないSNSなど、事件の当事者はこんな大変な目にあっているんだという事はよく伝わりました。でもそれが作品の面白さには繋がっていないと思います。
仰天ニュースの演出家に撮らせれば良かったのにと思いました。
タイトルなし
小さな光を感じた物語
心の埋め方。その苦しみに焦りや怒り、悲しみや空虚感などを丁寧に描いた作品。
一人の子供の失踪をきっかけに、様々な人々の生活が一変する。
それを役者陣が見事に演じており、特に中村倫也や青木崇高は良かったです。
やはり何と言っても石原さとみの頑張りですね。
演ずるキャラクターもあってか少し浮いていましたが、その熱演は見応えがありました。
結婚・出産・育児を経験した彼女には、とても良いタイミングでの役所だったのではないでしょうか。
事件は何も解決していないし、皆が悲しみの中にいるまま。
そしてそれは、きっと時間だけがゆっくりと解決してくれるんでしょう。
そんな風に過ぎる時間と共に、少しずつ前に歩き始めているように見えました。
そんな姿に小さな光を感じた物語です。
とにかく石原さとみがすごい。
終映日に、観る踏ん切りをつけることができました。
お腹に子どもたちが宿った瞬間から、私のアキレス腱は、ふたりの子どもだ。
彼らが、20歳までつつがなく育ってくれたことは、私の人生の中でも一番の祝福である。
この「ミッシング」は、予告編を観た時から、観るのが怖いと思った。
感情移入しすぎて、映画館で静かに観れるか不安だったから。
けれど、どうしても、スクリーンで観たくて、終映日のレイトショーに出かけた。
普段、レイトショーは人がポツポツなのに、それなりに埋まっていてビックリ。
自分と同類かもと思うと、ちょっとホッとする。
沙織里を演じた主演の石原さとみさんに圧倒された。
20代の彼女は、キラキラでかわいくて、パステルカラーのイメージだった。
「そして、バトンを渡された」で、私は初めて、石原さとみさんを女優として認識した。
今回の「ミッシング」では、彼女の女優として生きていく覚悟を受け取った。
それくらい、胸に迫るあり方だった。
夫役の青木さん、弟役の森さんも、ホントに素晴らしかった。
おさえた演技の中に、抱える苦しみが体現されていて、感情を出しにくい男性特有のしんどさを感じた。
沙織里の携帯に、半年間行方不明の美羽が保護されたというイタ電を掛けた奴には、生まれて初めて、明確に殺意を抱いた。
これ、自分が沙織里の立場で、相手が特定できたら、殺すかもしれない案件だわ。
そのくらい、頭に血が上った。
けれど、こういうことをする人が、現に日本にはいるのかもしれないなと残念な気持ちにもなった。
ラストも、よかった。
改めて、我が子が手をのばせば触れることができる幸せを実感する。
そして、全ての母親が、そうであることを祈った。
⭐︎3.4 / 5.0
舞台挨拶でそら泣くわな
何か自分の中で消化できなくて、レビューするのに時間かかったな。思い出すのは道志村の失踪事件(事故)。多分この映画のモチーフにも使われてるんだろうけど、あの件自体は事故であっても、それに連なる出来事は立派な事件だった。当時これは何の根拠もなく母親がネットで私刑にあうパターンだ、と思って危惧していたら本当にそうなったのを覚えている。中には「いや待て。まだ母親を叩くのは早い。」とか、あたかも自分は良識のある人間と信じて疑ってない、人をリンチして良いという前提に疑問すら抱いていない書き込みを目にして、暗澹とさせられた。何も知らない部外者がなんだよ“叩く”って。何の権利があって?しかもこういった空気感が、今現在も社会全体に蔓延しているから本当に根深いなと思う。それが人の在り様と諦めて易きに流れるのもいいが、本当にそれでいいのだろうか?
石原さとみの演技は立派だった。堪らなくなる映画だけど、観てよかったなと思う。
リアル?
特にものすごい展開があるというわけでは無く、ただ子供の失踪事件の家族の様子を追うというストーリー。
実際に家族が行方不明になった経験が無いので、自分に置き換えた時にどうなるのか全く想像がつかない。ここまでヒステリックになるのかどうか、たぶん経験が無いからちょっと引き気味で観てしまった。弟さんも本当に気の毒。かなり辛い立場だと思った。
でも、想像がつかないからこそ、こんな感じなのかな?と思った部分もあり。リアルな感じなのかもなぁと思った。
今まで実際に起きた事件の家族もこんな感じだったのかなぁと、胸が痛くなる思いだった。
糸
藁でも糸にでも縋る
子供が行方不明になら母親なら発狂ものなのは当たり前だろう。それもたった一晩、ライブで跳ねていた時に。
しかし、ライブに行こうが行くのまいが、攫われる時は攫われる。近距離でもなんでも理由はさまざまで誘拐事件というのは起きる。
それでも、自分を責めつづけるサオリ。
きっと一生分を叫んだのではないか。
ビラを配り、テレビの取材を積極的に受け、ネットに沈む少しの情報を探りつつ狂った日々を送る。
常にヒステリーを起こし、叫び、悲劇の母親、ネットの毒親にしたれ上げられる。
支える事で必死に妻を守る夫、職場、印刷会社の手厚い優しさが沁みた。
イタズラに踊らされ、チラシ配りで寂しそうな顔の演技を指示され、ミウの誕生日会をずらしてでも人々の心に訴えかけようとするサオリはもうなりふり構ってられないのだ。縋れるものにはなんでも縋る。
ミウがどの様な子か聞かれて、はた、と止まる瞬間に息を飲んだ。
虎舞龍と笑うカメラマン、ヤクルト1000が無いおばちゃん、商店街でながらスマホでケンカする人、ピアノ教室で一緒になったママ友のバンティー。
彼らにとっても、それは何でもないような事。
サオリにもあったのだ。
弟も実姉からなじられ、プライベートも晒され、職場も辞め、カジノもバレて…でも彼もミウに会いたいのだ、と。
その心を吐露した時にようやく姉と和解する。
ミウにも背中を攻撃されてたね。
3年が経ちテレビ局にも頼れなくなった頃、同様の事件を見てそれに便乗する計画を立てる。
まだまだ縋れるものならなんでも良い。
一見協力だが、本音はミウ。
とにかくミウミウミウミウミウ…
そして、便乗した家族の娘が保護される。
心から涙するサオリ。
嫉妬するでもなく羨むまでもなく心から良かったと。
なにも決着をしない。
救出されるわけでもない。
死体が上がる事もない。
何もわからないという事はとても辛い事だ。
そしてサオリの心はゆっくりと穏やかになっていくように見える。
子供を守るため、交通係になりたくさんの子供達の行方を見守り、もうヒスは起こさない。
その代わりミウの唇を鳴らす真似をしてみる。
3ヶ月、半年とサオリの取材をしてきたスナダは世の中の波に乗らず、自身のポリシーを貫き出世もできずアザラシの画像を再び撮り続けるのも印象的でした。
マスコミはやはり、嘘、大袈裟、紛らわしいが前提なんだな。JAROに連絡だ。
行方不明者家族の苦痛の追体験。
やはり吉田恵輔監督は、観ている者の感情をとても不安定にさせる名手だ。
冒頭から最後まで焦り疲弊し続ける石原さとみに心が痛くなることはもちろんだが、所々で差し込まれる不毛な言い争いや感情を露わにする無遠慮な日本人たちの存在が観客をイライラさせ不安にさせその場から離れたいというイヤな気持ちにさせる。
こういった人々が周囲にいる・溢れているという描写は私達の周りには(自分に関係なくとも)SNSなどで誹謗中傷が溢れているという暗喩になっているのだろう。
しかし、そういうネガティブな社会の中でもお互い助け合おうとする心があることをこの映画はしっかり描いている。
とはいえ、やはりなんとも言えない、キツい気持ちになる。
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