ミッシングのレビュー・感想・評価
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小さな光を感じた物語
心の埋め方。その苦しみに焦りや怒り、悲しみや空虚感などを丁寧に描いた作品。
一人の子供の失踪をきっかけに、様々な人々の生活が一変する。
それを役者陣が見事に演じており、特に中村倫也や青木崇高は良かったです。
やはり何と言っても石原さとみの頑張りですね。
演ずるキャラクターもあってか少し浮いていましたが、その熱演は見応えがありました。
結婚・出産・育児を経験した彼女には、とても良いタイミングでの役所だったのではないでしょうか。
事件は何も解決していないし、皆が悲しみの中にいるまま。
そしてそれは、きっと時間だけがゆっくりと解決してくれるんでしょう。
そんな風に過ぎる時間と共に、少しずつ前に歩き始めているように見えました。
そんな姿に小さな光を感じた物語です。
とにかく石原さとみがすごい。
終映日に、観る踏ん切りをつけることができました。
お腹に子どもたちが宿った瞬間から、私のアキレス腱は、ふたりの子どもだ。
彼らが、20歳までつつがなく育ってくれたことは、私の人生の中でも一番の祝福である。
この「ミッシング」は、予告編を観た時から、観るのが怖いと思った。
感情移入しすぎて、映画館で静かに観れるか不安だったから。
けれど、どうしても、スクリーンで観たくて、終映日のレイトショーに出かけた。
普段、レイトショーは人がポツポツなのに、それなりに埋まっていてビックリ。
自分と同類かもと思うと、ちょっとホッとする。
沙織里を演じた主演の石原さとみさんに圧倒された。
20代の彼女は、キラキラでかわいくて、パステルカラーのイメージだった。
「そして、バトンを渡された」で、私は初めて、石原さとみさんを女優として認識した。
今回の「ミッシング」では、彼女の女優として生きていく覚悟を受け取った。
それくらい、胸に迫るあり方だった。
夫役の青木さん、弟役の森さんも、ホントに素晴らしかった。
おさえた演技の中に、抱える苦しみが体現されていて、感情を出しにくい男性特有のしんどさを感じた。
沙織里の携帯に、半年間行方不明の美羽が保護されたというイタ電を掛けた奴には、生まれて初めて、明確に殺意を抱いた。
これ、自分が沙織里の立場で、相手が特定できたら、殺すかもしれない案件だわ。
そのくらい、頭に血が上った。
けれど、こういうことをする人が、現に日本にはいるのかもしれないなと残念な気持ちにもなった。
ラストも、よかった。
改めて、我が子が手をのばせば触れることができる幸せを実感する。
そして、全ての母親が、そうであることを祈った。
⭐︎3.4 / 5.0
舞台挨拶でそら泣くわな
何か自分の中で消化できなくて、レビューするのに時間かかったな。思い出すのは道志村の失踪事件(事故)。多分この映画のモチーフにも使われてるんだろうけど、あの件自体は事故であっても、それに連なる出来事は立派な事件だった。当時これは何の根拠もなく母親がネットで私刑にあうパターンだ、と思って危惧していたら本当にそうなったのを覚えている。中には「いや待て。まだ母親を叩くのは早い。」とか、あたかも自分は良識のある人間と信じて疑ってない、人をリンチして良いという前提に疑問すら抱いていない書き込みを目にして、暗澹とさせられた。何も知らない部外者がなんだよ“叩く”って。何の権利があって?しかもこういった空気感が、今現在も社会全体に蔓延しているから本当に根深いなと思う。それが人の在り様と諦めて易きに流れるのもいいが、本当にそれでいいのだろうか?
石原さとみの演技は立派だった。堪らなくなる映画だけど、観てよかったなと思う。
リアル?
特にものすごい展開があるというわけでは無く、ただ子供の失踪事件の家族の様子を追うというストーリー。
実際に家族が行方不明になった経験が無いので、自分に置き換えた時にどうなるのか全く想像がつかない。ここまでヒステリックになるのかどうか、たぶん経験が無いからちょっと引き気味で観てしまった。弟さんも本当に気の毒。かなり辛い立場だと思った。
でも、想像がつかないからこそ、こんな感じなのかな?と思った部分もあり。リアルな感じなのかもなぁと思った。
今まで実際に起きた事件の家族もこんな感じだったのかなぁと、胸が痛くなる思いだった。
糸
藁でも糸にでも縋る
子供が行方不明になら母親なら発狂ものなのは当たり前だろう。それもたった一晩、ライブで跳ねていた時に。
しかし、ライブに行こうが行くのまいが、攫われる時は攫われる。近距離でもなんでも理由はさまざまで誘拐事件というのは起きる。
それでも、自分を責めつづけるサオリ。
きっと一生分を叫んだのではないか。
ビラを配り、テレビの取材を積極的に受け、ネットに沈む少しの情報を探りつつ狂った日々を送る。
常にヒステリーを起こし、叫び、悲劇の母親、ネットの毒親にしたれ上げられる。
支える事で必死に妻を守る夫、職場、印刷会社の手厚い優しさが沁みた。
イタズラに踊らされ、チラシ配りで寂しそうな顔の演技を指示され、ミウの誕生日会をずらしてでも人々の心に訴えかけようとするサオリはもうなりふり構ってられないのだ。縋れるものにはなんでも縋る。
ミウがどの様な子か聞かれて、はた、と止まる瞬間に息を飲んだ。
虎舞龍と笑うカメラマン、ヤクルト1000が無いおばちゃん、商店街でながらスマホでケンカする人、ピアノ教室で一緒になったママ友のバンティー。
彼らにとっても、それは何でもないような事。
サオリにもあったのだ。
弟も実姉からなじられ、プライベートも晒され、職場も辞め、カジノもバレて…でも彼もミウに会いたいのだ、と。
その心を吐露した時にようやく姉と和解する。
ミウにも背中を攻撃されてたね。
3年が経ちテレビ局にも頼れなくなった頃、同様の事件を見てそれに便乗する計画を立てる。
まだまだ縋れるものならなんでも良い。
一見協力だが、本音はミウ。
とにかくミウミウミウミウミウ…
そして、便乗した家族の娘が保護される。
心から涙するサオリ。
嫉妬するでもなく羨むまでもなく心から良かったと。
なにも決着をしない。
救出されるわけでもない。
死体が上がる事もない。
何もわからないという事はとても辛い事だ。
そしてサオリの心はゆっくりと穏やかになっていくように見える。
子供を守るため、交通係になりたくさんの子供達の行方を見守り、もうヒスは起こさない。
その代わりミウの唇を鳴らす真似をしてみる。
3ヶ月、半年とサオリの取材をしてきたスナダは世の中の波に乗らず、自身のポリシーを貫き出世もできずアザラシの画像を再び撮り続けるのも印象的でした。
マスコミはやはり、嘘、大袈裟、紛らわしいが前提なんだな。JAROに連絡だ。
行方不明者家族の苦痛の追体験。
やはり吉田恵輔監督は、観ている者の感情をとても不安定にさせる名手だ。
冒頭から最後まで焦り疲弊し続ける石原さとみに心が痛くなることはもちろんだが、所々で差し込まれる不毛な言い争いや感情を露わにする無遠慮な日本人たちの存在が観客をイライラさせ不安にさせその場から離れたいというイヤな気持ちにさせる。
こういった人々が周囲にいる・溢れているという描写は私達の周りには(自分に関係なくとも)SNSなどで誹謗中傷が溢れているという暗喩になっているのだろう。
しかし、そういうネガティブな社会の中でもお互い助け合おうとする心があることをこの映画はしっかり描いている。
とはいえ、やはりなんとも言えない、キツい気持ちになる。
暗中摸索で五里霧中
人間を見事に描いた傑作です
言葉での説明が少ない作品大好きです。
映像でしっかり語ってくれる映画は心地良い
です。
うーーむ、現時点で邦画のベスト級の
作品でした。
吉田さんって、なんていうんでしょ。
人間の心の声が聞こえる方なんでしょうか?
空白、Blue、神は見返りを~などなど、
過去作品でも、周辺や不特定の人間たちの
本心(悪意?)に翻弄される
姿を見事に描き、それがまぁ腹の中が
ズゥゥゥンと重くなるんですよね。
だって現実世界だってきっとそうだから
人間の嫌ぁぁぁぁな、どす黒さを
リアルに滲み出してくるんですよね。
なんだろうなぁ。。。会社などの人間関係
の中で聞きたくもない陰口を耳にした
時のような感じに似てるかなぁ・・・。
ほんのちょっとの善意と大量の悪意に
包まれているこの世の中をこれほどまでに
見事に描けるなんてすばらしい。
そして、変わっていく周辺の人間たちの
当事者たちとの関わり方、興味の温度差が
産み出していく違和感と不協和。
あぁ。。。居心地が悪い描写の連続で
ひりひりする。
・・・やってること同じなのに、世間との
意識のズレは当事者に狂気に感じてしまうなんて。
けど、これが世間、人間社会なんだと思います。
困っている人が追い込まれていく、マイノリティが
生きにくい、決して悪いことをしているわけでは
ないのに。
それが今の世の中なんでしょうね。
徐々に徐々に追い込まれていく様は胸が
締め付けられていきます。ラスト近く、
朗報を受けて警察署に駆け込んだ主人公が
受ける仕打ちと後ろ姿に涙が止まりません。
人間が巻き起こす様々なネガティブを
これでもかと巧みに描いてくれた本作ですが
でも最後は人間の強さを信じたい・・・という
メッセージを感じるエンディングでした。
不条理に立ち向かう強さ。
扇風機のブルブル音にさえ反応していた沙織が
見せるラストシーンの姿にそれが表れていると
おもいます。
どうかどうか、彼女らに心の平穏が訪れますように。
傑作です。必見です。
あ、石原さとみさん、熱演です。
これまでの評価変わりました。
実生活でも母になったからかなぁ?
素晴らしかったです。
見る価値あり
レンズ越しの世界
missing
情報を提示する上では、脚色が多少なりとも必要になるという点を前提にしても、ともすればそこに「出演する」人々と写し手たちは、批判の対象になりやすい。しかし半ば儀式的に見えた、御涙頂戴に映るシーンの向こう側に本来見る必要があるのは、カメラの無かった世界の風景だ
自由に報道され目に入るそれらにはもう、誰もが「無関係」でないのだから、「誹謗中傷」で関わるくらいならば、助けに行ったほうがいい。それでも一方で、常に意識を払い自らを犠牲にして、というのは現実的に難しい。
活動を続ける、家族とその周囲の頑張りは、流動していく世界の中では留まっているかのよう。
世間やマスコミが騒ぐことでこそ、救われる命がある中で、可能性に振り回され続けるには、しかし(現実の)時間は、あまりにも足りない。
両価的な(勝手な)批評は行き交う、それでも当事者たちの元だけで、輝く出来事はある。
私的好みでない吉田恵輔 監督の演出だからこそ、表現できた時代を切り裂く秀作
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
私的はやはり吉田恵輔 監督の演出は好みではないなと、映画の終盤近くまで思って見ていました。
端的に言うと、娘を行方不明で失った若い夫婦を描いたこの映画『ミッシング』は、大きな柱をいわゆる”マスゴミ”とSNS上の常軌を逸した誹謗中傷の描写が占めていたと思われます。
ただ、吉田恵輔 監督の演出の仕方は、そこかしこで人間の悪意を肥大化させた描写になっていたと思われます。
表層極端に表れるSNSの誹謗中傷はともかく、テレビの報道スタッフもあそこまで悪意が肥大化した振る舞いをし続けるのはちょっと極端ではないか、との疑念は個人的には感じていました。
娘を行方不明で失った主人公・森下沙織里(石原さとみさん)の振る舞いも、多くの場面で人間の嫌な部分が肥大化され崩壊気味に描かれていたと思われます。
この人間の、悪意や嫌な部分を極端に描く吉田恵輔 監督の演出は、やはり好みが分かれるとは思われました。
人間には多面性があり、1人の中の良/悪をもう少しバランス良く描いた方が、広く普遍的にリアリティをもって受け入れられる作品になるのになと思われています。
ただしかしながら、仮にそのような1人の中の良/悪をもう少しバランス良く描く演出のやり方では、吉田恵輔 監督が監督をする必要は一方でなくなるでしょう。
また、吉田恵輔 監督の脚本演出でなければ、今回の時に狂気に満ちた石原さとみさんの卓越した演技もなかったと思われます。
そして、吉田恵輔 監督の脚本演出でなければ、ラスト辺りの、森下沙織里の夫の森下豊(青木崇高さん)が、同じ娘の行方不明の境遇を経験した母親に助けの声を掛けられた時、自分がいかに狂った世界にこれまでいたのかがあふれ出る自身の慟哭の涙で彼が気がついただろう場面の到達も、なかったと思われます。
ラスト2シーンの、主人公・森下沙織里の、部屋の中の光のシーンと、横断歩道のシーンは美しく、この映画のラストの到達は、吉田恵輔 監督の演出が好みでない私のような者にも僭越、2024年を代表する邦画作品の1つだと確信、思わされました。
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