「視聴率至上主義に毒されるマスコミと炎上をエンタメ化するソーシャルメディアの狂気」ミッシング 臥龍さんの映画レビュー(感想・評価)
視聴率至上主義に毒されるマスコミと炎上をエンタメ化するソーシャルメディアの狂気
ある日、街で幼女失踪事件が発生する。両親はあらゆる手段で娘を捜すが、有力な手掛かりを得られぬまま3カ月が経過する。次第に世間の関心も薄れ、焦る母親は次第に正気を失っていく。
そこに追い打ちをかけるように面白おかしく事件を騒ぎ立て、家族を誹謗中傷するソーシャルメディア。それを見てさらに正気を失う母親と、そんな妻を冷静に我慢強く支える夫。この映画では、そんな容赦ない世間の声に苦悩する家族の姿が描かれています。
ソーシャルメディア(SNSや掲示板)を通じ、誰もが自由に意見を発信できる時代となった一方、ひとたび事件が起きればソーシャルメディアにとっては格好の餌場となり、誰か落ち度のある人間を見つければ、たちまち炎上して集中砲火を浴びせられる。
この映画では娘の行方不明が報じられると、被害者家族の傷に塩を塗るかのようにその落ち度を責め立て、さらに『これは自作自演ではないか』『実は両親が殺害したのではないか』など、憶測に基づいた根拠のない誹謗中傷が続々と書き込まれる。
さらに被害者家族が藁にもすがる思いで情報提供を求めると、虚偽の情報提供で被害者家族を振り回し、絶望に追い打ちをかける。
人の不幸をツマミに事件を娯楽化し、被害者家族に集団で石を投げつけるようなソーシャルメディアの鬼畜の所業にはただただ怒りがこみ上げてきます。
また、この映画では、被害者家族の苦悩と真摯に向き合い、事件を風化させまいと粘り強く取材を重ねる担当記者と、メディアとしての社会的責務を忘れ、視聴率至上主義に奔るマスコミの姿も描かれています。
事件が視聴者の興味を引くよう面白おかしくドラマ仕立てに編集を加え、ネットが炎上したと見るや、視聴率を稼げるコンテンツとして、せっせと燃料を投下し騒ぎに便乗する。話題性(ネットがどれだけ騒いでいるか)で取り扱うニュースを決め、視聴者が飽きると取り上げなくなる。
さらに酷いのは、無実である母親の弟を『挙動不審で怪しい』というだけの理由で、証拠もなく、まるで犯人かのように取り上げ、視聴者の誤認を誘って冤罪を作り出す。それがひとりの人生を狂わせてしまうかもしれないのに。
映画はこうした報道のエンタメ化や視聴率至上主義、大衆迎合に奔るメディアの姿勢にも一石を投じたかったのでしょう。
この映画では事件の担当記者である砂田だけが唯一、そんな報道姿勢に疑問を持ち、幾度となく『これはおかしいのでは?』と上層部に声を上げるも、そんな砂田の声は組織の都合が優先され掻き消されます。この映画では砂田の良心との対比により、マスコミの異常性がより際立つ形で描かれています。
また、この映画には事件の結末(行方不明になった子供の顛末)は描かれていません。それにより観客はどこかモヤモヤしたまま映画を見終えることになるのですが、あえて事件の結末を描かないことで、この映画の主題である『ソーシャルメディアの狂気と大衆迎合的なマスコミの姿勢』により目を向けさせたかったのかもしれません。
余談ですが、この映画は自分には『山梨キャンプ場女児失踪事件』と重なって見えました。事件は2019年にキャンプ場で女児が失踪し、16日後に捜索が打ち切られ、それから2年間、家族はチラシを配り、ネットで情報提供を呼びかけたものの音沙汰なく、家族はソーシャルメディアで誹謗中傷に晒され、そのうち何人かは名誉棄損などで有罪となりました。残念ながらこの事件は3年後に女児の遺体発見という結末を迎えてしまうわけですが、『あの家族もこんな状態、こんな気持ちで何年も過ごしていたのかな』と思うと、やるせない気持ちになりました。
こんにちは。共感ありがとうございます。
インターネットが便利な一方、叩いたり吊し上げたり、イヤな世の中になりましたね。この映画はつらい話ですが、とても意義ある作品と思います。
余談のところ、そうですよね。私もあの事件がモデルかと思いました。