「人がいつ心を失くしたのかは知らないが、その言葉すら性善説が根底にあるように思えてくる」ミッシング Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
人がいつ心を失くしたのかは知らないが、その言葉すら性善説が根底にあるように思えてくる
2024.5.18 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(119分、G)
娘の失踪に揺れる両親を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は吉田恵輔
物語の舞台は、静岡県沼津市
そこに住む主婦の沙織里(石原さとみ)は、娘の美羽(有田麗未)を弟の圭吾(森優作)預けて、数年ぶりにアイドルのコンサートに出かけていた
だが、圭吾は所用で美羽を自宅まで送り届けず、それが原因で美羽は行方不明になってしまった
夫の豊(青木崇高)が帰宅し、異変を感じて沙織里に連絡するものの、彼女はライブに夢中で気づかず、それが原因で初動が遅れたのでは、とも囁かれてしまう
現在は、地元のテレビ局の記者・砂田(中村倫也)のクルーたちが取材に来る程度で、大々的に報道されなくなっていた
ビラ配りをしてくれるボランティアの数も減り、事態の変化もないために、テレビ局も報道する意味を感じなくなってくる
そんな中、砂田は打開策として、「最後に美羽と会った圭吾」への取材を敢行する
沙織里は藁にもすがる思いで、無理やり圭吾を引きずり出すものの、その報道は却って「弟が犯人じゃないのか」という疑念を抱かさせるに過ぎなかったのである
物語は、幼女誘拐事件に巻き込まれる家族を描き、感情的になって取り乱す母親と、冷静になって色んな手を考える父親という構図を描いていく
沙織里は、自分のせいで美羽がいなくなったと思い込んでいて、夫とは温度差を感じている
だが、それらは全て彼女の思い込みであり、夫はやるべきことはしていたし、それに気づいて思い直す沙織里が描かれていく
映画は、石原さとみの怪演というふれこみになっているが、ややオーバーアクトに見えるような感じになっている
だが、狂乱する母親のキレ方というのはこんな感じなので、実際に遭遇した人ならばオーバーアクトとは思わないだろう
また、SNSの時代なので、誹謗中傷に苛まれることになるのだが、沙織里としては「悪意の中にも本物があるかもしれない」と感じていて、心を痛める覚悟を持って、書き込みなどを読み込んでいた
夫は「便所の落書きに価値はない」と考えていて、そこに書かれるそれっぽいものは全部嘘であると感じている
さらに、警察を名乗る電話がかかってきたり、美羽らしき子どもを見たと言って会う場所や時間を決めてドタキャンする悪質な人も登場する
このあたりは実際に起こっていることがベースになっているので、脚色とも思わないし、現実ではもっと狡猾で、酷いものはたくさんあるように思える
なので「いつから人は心を無くしたのか」というキャッチコピーは「まだ性善説側のコピーなんだな」と思えてくるのである
いずれにせよ、今では性善説で考えられる時代ではなく、性悪説の中に一縷の希望があるかもしれないという程度になっている
彼女たちを支援するボランティアたちも、ボランティア活動そのものに心を奪われている人も多く、本当の意味での協力者は類似事件の被害者ぐらいしかいないかもしれない
報道側も様々なパワーバランスの中で番組を配信していくのだが、「真実が一番面白い」という言葉に勝るものはない
現在の日本では、他人の不幸がお金になる時代で、それをいかにオブラートに包むかという世界になっている
なので、実際にこのような事件が起こると、募金詐欺とか、手伝うふりして足を引っ張って喜ぶというような、過酷なことは普通に起きると思う
映画のラストでは、ほぼルーティンと化しつつある搜索が描かれていくのだが、そこに類似事件の被害者(大須みづほ)が手を貸すという展開になっていた
そこでようやく感情的になるのが夫なのだが、このシーンゆえに本作はかなり締まったものになっているように感じた