はこぶねのレビュー・感想・評価
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多くを伝えない映画
コテンラジオ、というポッドキャストで障害者の歴史を学んだことがある。 主人公西村のように全盲ではなくても、 コンタクトレンズのない江戸時代では弱視の私は障害者だった。 古代ギリシャのスパルタで生まれたらムキムキじゃない私は障害者だった。 その時代や状況が障害を定義しているだけであって、 100年後の人から見たら、コンタクトを毎日つけて、 年中鼻炎で鼻が詰まっていて、足の遅い私は健常者と言えないかもしれない。 障害をお持ちの方と知り合うと、つい憐憫の情がわいてきたり、勝手に不幸なんだろうなぁと思ったりする。 西村はこの素敵な景色が見れないんだな、とか、片付けが自分でできないのは不便だろうなぁとか。 でもこの映画のように第三者の視点で、丁寧に木村の日常を追い、木村が何を考え、何に怒り、何を喜んだかを想像すると、その人生は決して不幸ではないことがわかる。 監督はあえて感情を描かず、見る側に想像させている気がした。 西村を演じる木村知貴さんの演技はすごすぎる。 朴訥としているようで、ユーモアやちょっとした渇きがみえたり。 はこぶね。 美しいながらも窮屈な街の閉塞性をさしているのか、 仲直りした祖父、叔母、西村のように、 東京に戻っ手挑戦することを選んだアオイのように、 一見不幸にも見える登場人物が実は救われているという ノアの箱舟をさしているのか。 良い映画だった。
日本版「パターソン」
事故による後天性視覚障害の男性ニシムラが、海辺の小さな町で穏やかに暮らす様を淡々と描いた作品。 ドラマチックな展開はほとんどないが、ちょっとした出来事にほっこりさせられる。日本版「パターソン」と言ったら褒めすぎかな。 主人公の中学生時代の同級生オオハタさんとの淡いロマンスも。オオハタさんは入院した母親の介護のため町に帰ってきた女性。 主人公は目が不自由ながらも認知症の祖父の介護を行う。主人公の面倒を見る叔母との関係を含め、様々な形の介護がこの作品では描かれている。
はこぶねは何処へ向かうのか。
『はこぶね』とは何なのだろうか。 観終わったばかりの自分には理解しようがなかった。ただこの映画は心にずっと残り、何気なく過ごす日常の中で、ふと情景を思い出すのだと思う。 時間を掛けて『はこぶね』が何なのかいつか解る時がくるのだと思う。もしくはこの映画そのものが、映画監督としてデビューした大西諒監督を未来に運ぶ『はこぶね』かもしれません。 後天的に目が見えなくなることほど、絶望することはありません。今までやれたことが出来なくなる絶望を胸に納め表に出さない役を、木村知貴さんが大変繊細に演じていました。 また痴呆症の祖父の言動や叔母の心無い言葉に揺れる心情を、不協和音のような音楽がよく表現していました。 それでも人に迷惑をかけず前向きに生きる彼の生き方を観て、自分の生き様が弱く恥ずかしくなる。自分の抱えている絶望などはちっぽけで、明日からまた普段通り頑張って生きようと思う映画でした。 東京ではテアトル新宿のみで上映されています。なかなか観ようと思っても見れない映画です。未来の巨匠になるかもしれない監督の初長編映画をスクリーンで観ることは、一期一会だと思います。是非ご鑑賞ください。
特売にしても安いですね!
伊豆の港町で暮らす10年くらい前に事故で視力を失った元漁師の男と、彼と関わる人達の話。 認知症で時々徘徊する祖父、身の回りの手伝いをしてくれる祖父と折り合いの良くない伯母、母親が病気で5年ぶりに帰省した東京で女優をする中学生の時の3年間だけこの町に住んでいた同級生、そして合併が決まってこの町の漁港での仕事を失う若者等との交流をみせていく。 みんな根本的には良い人だけど、上手く綺麗に生きられず鬱屈した日々を過ごしている中、どこか飄々とまるで無感情の様に、それでいて透明人間にはならない様に生きる主人公。 意識してか無意識か、自分らしく生きる主人公になんとなくみんな影響されてということかな? これという明確な道標があるわけでは無いある意味抽象的な作品だし、痺れる展開が有るわけでは無いけれど、伝わってくるものはあったかな。 そう言えば、元中佐なのに大佐と呼べって言ってたオッサンはフェラーリ乗ってたなぁ…なんて他作品が思い浮かんだw
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