夜の外側 イタリアを震撼させた55日間のレビュー・感想・評価
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5時間40分に無駄な場面なし
1978年、イタリア首相を5度も務め、当時はキリスト教民主党の党首であったアルド・モーロ氏が極左武装グループ「赤い旅団」によって誘拐され、55日後に遺体となって発見されました。本作は、イタリア現代史に暗い影を落とすこの事件を、政権内部・教会・家族・犯行グループなど様々な視点から描いた5時間40分の巨編です。その上映時間を見ると腰が引けてしまいますが、実際にスクリーンと向かい合うと、「これだけの物語なら、そりゃあこれだけの時間が必要だな」と、お話に引き込まれながら納得しました。無駄な場面は全くありません。
当時のニュースで聞いてはいましたが、本事件にこんな複雑な背景があっただなんて全く知りませんでした。
バチカンが200億リラ(現在の為替レートで16億円)もの身代金を秘かに調達していたって本当?
拉致中のモーロから政府に届いた命乞いの声明は、赤い旅団に無理矢理書かされたの?
その声明を見ての「モーロは狂った」との各方面からの声は本気だったの?
当時のアンドレオッティ首相は、モーロ見殺しも仕方ないと内心思っていたの?
学生の間では赤い旅団への支持も相当数あったの?
の疑問が次々湧き上がると共に、
それまで冷えた夫婦関係を嘆いていたモーロの妻が夫を救おうと敢然と闘い始め、
モーロを父と慕う内務大臣が、捜査の行き詰まりに心がどんどん蝕まれて行く様
は、胸を打ちます。
ユーロコミュニズムなんて言葉を当時聞きかじって分かった気になっていましたが、その最前線はこんなに血まみれだったのだと言う事に慄然としました。
それにしても、と毎度同じことを繰り返します。日本の映画は、なぜ現代史を実名の物語として描こうとしないのでしょう。次の戦争が終わってから、「あの頃は仕方なかったんだ」って言い訳するのでしょうか。
誘拐事件を前後編で340分で6話構成の力作ですが、知らずに観るとミスリード的演出で混乱するかも😵💫
50代以上のイタリヤ人なら多分大体の人が知っている、事件の実話を元に事実とフィクションを交えた作劇と構成になっており一話冒頭のからミスリード的な始まりがあり、事件を知っていたり感の良い方なら分かると思うが、誘拐後開放された?アルド・モード党首が病院のベッドで横になりながら、見舞いにきたジュリオ・アンドレオッティ首相を真っ直ぐ見つめる場面から物語はその前の過程を語りだすのだか、映画を最後まで観るとこの部分の見方が変化すると思う。
もしかすると同じ場面の最初に最後で演出的な違いがあるのかもしれないが、一回しかみてないので比較は出来ないですが…
一話目はアルド党首の誘拐までの生活と当時のイタリアの情勢が、赤い旅団の暗活と共に語られており、静かだか不穏な空気感とサスペンスフルな演出で引き込まれる。
そして誘拐時の襲撃場面は、迫力を出しつつ抑制の効いた演出で犯人側の焦りも伝わる見事な描写でありマルコ・ベロッキオ監督の力量がわかる。
この一話を見るとアルド・モード党首の人となりが、さり気無く提示されており、大学での毅然とした姿や特に深夜に帰宅して目玉焼きとパンでひっそりと食事をする場面などにも、誠実さが見え魅力的でもある。
二話と三話から別の視点と人物から語りをしていて特に内務大臣の振る舞いや行動は、コッポラ監督の映画『カンバセーション 盗聴』を想起させる。
アルド党首と親友でもあるローマ法王パウロ6世の見る幻覚に近い妄想も冒頭のミスリード的な絵図と演出がここでも入ってきて結構のみこみ辛い部分もあるが、前編はやはり一話目が頭抜けて良かった。
後編の4・5・6話はそれぞれ赤い旅団の側とアルド党首の奥さんの視点から物語が語られており、テロリストでもある赤い旅団のメインでもある男女二人の行動と顛末は、なかなかにシビアで、活動に参加した女性アドリアーナは、映画の『ワイルドバンチ』でのヒロイックで破滅的殉死と解釈して自分に見立てて嘯く男の相棒に自分は「子供や家族を捨て中絶までして戦っているのになんだ!」怒る場面も今も多くある男達の身勝手への問い掛けであろう。
『ワイルドバンチ』1969年の作品なので、1978年頃が舞台のイタリアで上映されているのは偶然ではなく、アウトローでもあるワイルドバンチが、体制側であるマパッチ将軍を撃ち殺す場面を引用していると思うが、もう一つ引用的に名前が上がる映画があり、一話でアルド・モード党首が呟く作品が、フランチェスコ・ロージ監督『エボリ』(1979年イタリア)で、原作は政治犯で反ファシズムのコミュニスト作家レービの体験を元にした映画で、未見ですが内容からしてキリスト的な生き様も含めアルド・モード党首の思想の現れてとして提示される。後はイタリアの闇とも対峙してきた先人でも映画人フランチェスコ・ロージ監督へのリスペクトも兼ねているのだろう。
イタリアといえば食のイメージもあると思いますが、アルド・モード党首が自宅(結構質素)で食事をとる以外の食事場面でもその人の立場が、浮き彫りになる構成は上手いと思う。(法王は親友を立場を思い、ほぼ食事をせず、同じ政党の仲間である首相はジェラートを我慢する程度で済ますとか、アルド・モード党首も監禁先で食をしないなど)
全体を通して事件の事やイタリアの政治体制を知っている方が理解しやすいと思うが、ゼロから見て後でパンフレットなど調べるのも一つの力作だと思う。時間的に厳しそうだと思う方は配信など待って一話ずつ見るのも良いと思う。(ちなみに自分はパンフ買ってません)
個人的にツボなのは、軍や公安の護衛達がサッカーで盛り上がる場面や赤い旅団の射撃訓練が、チンプなプロパガンダ映画みたいな描写だったりとか、70年代後半が舞台なので当時の車や衣装などの小道具も違和感なく配置してあり、それを補うCGの使い方も巧い。
役者も政治家の面構えと赤い旅団側の70年代感もイイ顔を揃えており、変にイケメンなどに見せずにリアルで素晴らしい。(この辺は80年代末の香港映画や今の韓国映画と同じかな🤔)
長いと覚悟してたけど、長さを感じさせず、物語は行ったり来たりはした...
長いと覚悟してたけど、長さを感じさせず、物語は行ったり来たりはしたけど、複層的な展開がドラマ性を増すので、よかった。俳優が皆すごい。歴史的な事件だけに惹かれるし、当時のイタリアの社会が描かれていて、今池まで見たどのイタリア映画よりもイタリアに深く触れた気がした。特にカトリックとキリスト教民主主義同盟の存在、さらに教皇。モーラ夫人はすでに夫との仲は破綻していたけれど、夫を救うために立ち上がりテキパキと行動する姿は凛々しかった。また、死刑の前の告解のシーンが印象的だった。これも実にキリスト教文化っぽい。ファシストの生き残りの軍部たちの愚かさ、アメリカ人のコンサルタントのそれっぽさ、もともとパラノイアっぽい内務大臣の傍受中毒など、人間の描き方か良かった。
フィクションと史実の融合と峻別、そして夢
まるで知らなかった事件についての映画を見るのは難しい。当時のイタリアの政治の空気、冷戦下の世界、アメリカ合衆国とソビエト連邦の綱引き、NATOの中のイタリアの立ち位置、そしてカトリックに代表されるイタリアにおけるキリスト教の重みが分からないから関連資料を読んだとしてもうまく想像できない。ただ、戦後「西側」諸国の中で共産党が勢いを得ていたおそらく唯一の国がイタリアであることとイタリアは当時すでに死刑を廃止していた。その意味は大きいと思った。死刑を廃止した国で政治家が極左グループに殺されていいのか?生きたいと思う自分は許されないのか?党の人間誰一人信用しない、名前まで挙げて憎いと、穏和に描かれていたモーロに言わせ、「生きて戻った」モーロには「赤い旅団」への感謝の意を述べさせるベロッキオ監督。ベロッキオ監督はタランティーノ監督なんだとも思った。歴史を眺めこうだったらよかったのに、こうならいいのに・・・、想像で映画をたっぷり膨らませて観客に謎かけしながら夢を紡ぐ、映画を知り尽くしている二人。
モーロ夫人のブイ、教皇のセルヴィッロ、モーロのジフーニ、3名の名優がこの映画に華と強いアピール力を与えた。そして政治家達の海千山千の面構え!モーロ夫人は全てわかっていた。その貫禄と政治家達への対応ぶりが堂にいってかっこよかった。
予告編と本編の前編で流れるスペイン語の歌詞付きのリズミカルな曲が不思議な雰囲気を醸し出していた。胡散臭い人が出てきたり、役者は真面目な顔なのになぜか可笑しい場面もあって重いだけでない、耐えられる軽さもある映画だった。時間軸動かしや複数の視点からの描写や語りが好きなせいか上映時間の長さは意外に苦にならなかった。難しいが面白い映画だった。
情熱だけの悲劇と喜劇 Passion-Driven Tragedy and Comedy
赤い旅団については名前だけ知っているレベル。
映画で描かれる
彼らが引き起こした事件に関しては
全く知らなかった。
それぞれの立場から
6つに分かれて事件が描かれている構成は
面白い。
事件を引き起こした「赤い旅団」の若者たち、
当時の社会状況に憤りを感じた部分は間違っていないが、
社会がどのように動いているかに関しては
【圧倒的に無知】だった。
これに関しては日本での左翼運動も然り。
知っている人がどれだけいたか?
と言われれば、大半の人々は知らないのだ。
これは今も変わらない。
ただ、人々の【生活、経済】ということに関しては、
知るチャンスがあったかもしれない。
いかんせん、学生だったり、
すごく若かったりした故、
世の中が動く、清濁併せ吞むことに関しては
圧倒的に経験と知識がなかった。
そこから導かれるのは、
トップの親玉を何とかすれば、
その親玉グループを何とかすれば、
世の中は変えられる、だ。
彼ら彼女らの【見えている範囲】では、
行けそうな雰囲気があったかもしれない。
ただ、挿げ替えた後、彼ら彼女らに
【清濁併せ吞む】覚悟があったのか?知っていたのか?
しかし、日々の営みがある
大半の人たちにとって、
彼ら彼女らの理想は、
【なんだそれ?】
だったに違いない。
誘拐された政治家、護衛した人たちにとっては悲劇で、
彼ら彼女らにとっては、喜劇でしかない。
約半世紀後から、この映画を見ると、
そんな風に感じてしまった。
I only knew the name "Red Brigades."
I had no knowledge of the incidents they caused as depicted in the film.
The structure of the film, which divides the events into six parts from different perspectives, is intriguing.
The young members of the "Red Brigades" who caused the incidents—they were not entirely wrong in their anger towards the social conditions at the time, but they were overwhelmingly ignorant about how society actually functioned. The same could be said for the leftist movements in Japan.
How many people actually understood this? Most people didn't, and that hasn't changed even now.
However, there might have been a chance to learn about issues related to people's livelihoods and the economy.
But, since they were students or very young, they lacked the experience and knowledge about how the world operates, about the necessity to accept both the good and the bad.
What they derived from this was the idea that if they could just take down the top leaders, or the group around them, they could change the world.
In their limited perspective, it might have seemed feasible. But after replacing those in power, did they have the resolve or understanding to accept both the good and the bad?
To the majority of people, who are engaged in daily life, their ideals must have seemed like, "What is that?"
For the kidnapped politician and the guards who protected him, it was a tragedy. For the perpetrators, it was nothing more than a comedy.
Half a century later, watching this film, that's the impression I was left with.
楽しめたけど微妙
誘拐されたモーロ元首相が、最後どうなるかの歴史的事実(結果)は知っているのに、手に汗しながらドキドキと観てしまいました。
羅生門メソッドに近いような6部構成で。
(前編)
1.アルド・モーロ本人目線
2.コッシーガ目線
3.教皇目線
(後編)
4.赤い旅団のメンバーのアドリアーナ目線
5.モーロの妻目線
6.第三者 神の目線
で、映画的な想像や創作も交えながら、事件の事実を再構築していました。
全編を通して、捜索を指揮するコッシーガ内務大臣(キリスト教民主党/DC)が、政治家として親同然の「師」と慕うモーロを必死に探す描写がありました。
ところが、コッシーガの上役で、モーロと政策上対立し首相・大統領の座を競っていた(いわば政敵)、同じDCのアンドレオッティ首相・閣僚評議会議長は、作中でその対立は明確に描かれないものの、心配するふりだけして真っ先にモーロを切り捨てるんですな。
そして、政権は対赤テロリストのスペシャリストをアメリカから呼ぶのだが、(これまた明確に描かれないが)「司令で来た」「帰る」のセリフがある以上、反共狙いでイタリアに圧力をかけに来ていたCIAのエージェントという描写なのだろう。
その2人からの圧力でコッシーガは、モーロを「助けたい、見つけたい」という気持ちと「国の威信や立場を考え、また様々な圧力がある以上、見捨てねばならない」という現実に挟まれ苦しむという描写がされていました。
しかし、現実のコッシーガって、アンドレオッティに尻尾ふって翌年には首相、85~92年には大統領になったし、この長期にわたる腐敗政権の中枢に居続けた男なので、この描写が滑稽なくらい白々しく感じてしまいました。
そもそもアンドレオッティなんか、マフィアとつるんで犯罪や暗殺事件にも関わり、賄賂受けまくりがのちにバレて、政官界の大規模汚職摘発でDCを潰した原因の一人ですからね。
(しかも、NATOやアメリカなど反共勢力に庇われて、その後の裁判で無罪を勝ち取る厚顔無恥なクソ野郎です)
その辺を「周知の事実」として一切描かないのは、イタリア人じゃない普通の日本人にゃ、なかなかわからないはずですよ(私はたまたま他のノアール映画…『イル・ディーヴォ』だったかなんかで知っていましたが)。
コッシーガがモーロの目撃情報を元に、精神病院や映画撮影ロケ現場に捜索しに行き、落胆するとか、モーロが無事に救出され病院で再会する白昼夢を見るとか、よく言えば「希望を感じるifな創作」、悪く言えば「腐敗した政界の矛盾をビジュアル化した醜悪な嘘」が盛られていて、なんかこう、ラストの方はイラっとしました。
しかも、そもそも「テロ組織・赤い旅団は、親ロシア親共産党へ傾きつつあったモーロを暗殺するための、アメリカとアンドレオッティの自作自演的に仕込まれた、使い捨てのバカなただの駒」ともとれる、陰謀論じみた「匂わせ」まで入れていて。
なにが真実なんだか、なにがフィクションなんだかわからない、「メタ」作品に仕上がってた印象です。
それが映画のスリラー的な緊迫感を生んで面白くもあり、作りすぎだろって醒めてしまう部分でもあり、楽しめたけど微妙な作品だなぁとしみじみしました。
1978年、伊元首相アルド・モーロ(ファブリツィオ・ジフーニ)が、...
1978年、伊元首相アルド・モーロ(ファブリツィオ・ジフーニ)が、極左武装集団『赤い旅団』に誘拐される。
モーロは、キリスト教民主党(略称:DC)の党首であり、政界のフィクサー。
ローマ教皇パウロ6世(トニ・セルヴィッロ)とも親しい間柄である。
当時の伊政界は混迷を極めており、保守派キリスト教民主党政権与党であるが過半数に満たず、伊共産党と連立で政権を担おうとしていた矢先のことであった・・・
といったところからはじまる物語で、6章仕立てで描いていきます。
章のサブタイトルは数字のみだが、各章に中心となる人物がい、彼(彼女)らの視点で物語が語られます。
第1章はアルド・モーロの視点で、誘拐されるまで。
政情などの背景が描かれます。
第2章は内務大臣コッシーガ(ファウスト・ルッソ・アレジ)、第3章はローマ教皇パウロ6世。
前者は政権の中心人物でかつ事件解決に向けて捜査などの陣頭指揮を執り、後者はキリスト教指導者(かつ政権与党の密接な関係者)としての立場から事件解決に向けての行動を執った。
この第2~3章は、いわば事件の「外側」から描いた部分で、サスペンスドラマで頻繁に描かれる立場といえましょう。
通常のサスペンスドラマとほぼ同様なので、面白いといえば面白いのだけれど、まだるっこしいも言えるかしらん。
ここまでが前編。
つづく後編、第4~5章は、事件の「内側」から描くもので、第4章・犯行グループの女性メンバー・アドリアナ(ダニエーラ・マッラ)
からの視点。
このエピソードが時系列的には最初期からで、シングルマザーが社会変革に燃えてグループに加わるも、徐々にグループ内部の結束が弱まっていく様子などが描かれ、興味深いです。
第5章はモーロの妻エレオノーラ(マルゲリータ・ブイ)。
前半にも少し顔を見せるが、モーロ誘拐後のエピソードなので、被害者家族として憔悴しながらも、気丈夫に振る舞うようすなど、マルゲリータ・ブイをキャスティングしただけのことがあります。
6章は、事件の結末。
ここは特定の視点はなく、いわば監督の視点。
仕掛けが施されており、冒頭、コッシーガほか政府・党の重要人物が病室を訪れるシーンが撮られており、事件の顛末を知っているであろうイタリアの観客は、ある種、疑念のようなものを抱いて観ることになる。
(日本の観客でも、事件の顛末を知っていれば、そうなるのだけれど、わたしは知らなかった(か忘れていた)ので、そうはならなかった)
誘拐事件の結末は・・・
まぁ、事実ベースの映画なので、調べればわかることなので、ここでは省略。
この6章に続くエピローグで、事件後の関係者の実際の映像が用いられているのだけれど、「もし事件の結末が、あれではなかったならば、現在のイタリアは・・・」という監督の思いが込められているように感じました。
5時間40分の超長編ですが、それほど長く感じないのはテレビドラマのような章仕立てにしたことによるでしょうが、同じ時点を繰り返し見せられるので、「ありゃ、またか」と思ってしまうのと、テレビ的なので重厚さが欠けてしまうデメリットもありました。
視点を変えての繰り返し描写を省いての数珠繋ぎ、3時間ぐらいに収まっていればよかったかなぁ、というのが個人的感想です。
全然知らなかった事件なのに、 この時間ずっと飽きずに見られたってこ...
全然知らなかった事件なのに、
この時間ずっと飽きずに見られたってことは、
それだけでも作品として優れているのではないだろうか
途中でちょっと流れを勘違いしてたところがあったので、
事件のこと調べておさらいしてみようと思う
あと、キャスティングも良かった
『それぞれの視点から』って説明文にも書いてあるけど、
そこんところ、すっごく良かった
やられたっ!
全編通して340分ってどんな変態映画だよっ‼️と内心突っ込んではいたものの、蓋を開けてみれば激しく納得✨
Bunkamuraル・シネマさんで章立てⅠ〜Ⅲを前編、Ⅳ〜Ⅵを後編として170分ずつに分けての上映にしてくれたおかげでだいぶ観やすく(いや、それでも長いが)なった💜
実際にはしっかりとした章立てで区切られていて、イメージ以下のような感じ👇️
Ⅰ)プロローグ代わりに…
Ⅱ)政治家たちってヤツぁ
Ⅲ)宗教家の観点から
(1時間休憩)
Ⅳ)テロリストだって人間だもの
Ⅴ)家族の想い
Ⅵ)着地点
1話1時間のドラマを間に小休止入れながら全話一気観したような感覚。そして前半はとにかく眠たい場面が多い🥱後半になると一気に巻き返してくるからソコで諦めるのは時期尚早よ!
最後まで観た感想は『いよっ!お見事っ!!』だね🍀
監督さんの『夜よ、こんにちは』は同じ事件を(本作の“外側”に対して)“内側”から描いているとか。そっちもキニナルぢゃない(´∀`艸)♡♡
ベロッキオ監督が考える誘拐事件
映画の本編の内容に触れる前に説明。
まずこの作品は前編・後編とあり、前編が1〜3部作で成り立ち、後編は4〜6部作という構成だが、モーロの目線、妻エレオノーラの目線、アンドレオッティの目線、ローマ教皇の目線、犯人である極左テロリストの赤い旅団の目線など、ベロッキオ監督が考える事件当時はきっとこうだったに違いないという展開からストーリーがはじまる。
実際の事件の内容とは異なる。
映画ではモーロ元首相には死刑を宣告し、自ら命を絶ち泥沼に遺体を遺棄したという声明文が届いたのをきっかけに必死で氷が張った沼を捜索するシーンがあるのだが、そのシーンはベロッキオ監督が犯人である赤い旅団との交渉を進めたいがために諜報局が独自に動いたニセモノだったとか、実際の事件ではアンドレオッティ率いる政権に対し、赤い旅団は要求していた。
逮捕され拘留されている赤い旅団のメンバーの一員の解放を求めていた。
ところが、マフィアとの闇の付き合いがあるアンドレオッティには、要求を鵜呑みにしては困る内情があった。そのために、テロリストの要求に強気で対応したのが裏目となり、モーロ元首相の死刑宣告が出た日の朝には車の荷台で射殺された。死刑宣告が出てすぐ殺されたが実際の話。
アンドレオッティは政治家生命をかけて自らの保身に走り助けようとしなかったのが正解である。映画では、アンドレオッティをモーロ元首相を助け出そうと邁進したが赤い旅団との交渉決裂の末に救えずと美談化している。
そのあたり、一部フィクションがあり、100%ノンフィクションではない。そこがベロッキオ監督が考えたこうだったら良かったのに〜というストーリー展開で構成されている。だから尺が長い。
55日間に渡る赤い旅団との交渉の日々をベロッキオ監督らしい見解で描き、ラストのモーロ元首相の遺体発見に、現実はこうあってほしかったというベロッキオ監督の思いが340分に凝縮されている。超大作といっても過言ではない。
VIVA ITALIA
1978年3月に発生したイタリア政権与党のキリスト教民主党=DCの党首アルド・モーロが誘拐された実話をベースにした話。
極左武装グループ「赤い旅団」に誘拐されたモーロが釈放されて入院中のところから始まって、章立てて誘拐前からを振り返る体でみせていく。
事件にしてもイタリアの政治事情にしても全然知識はなしで観賞。
党名の通りだけど教皇まで絡んでくることにちょっとびっくり。
壮絶な襲撃だったり、死亡説だったり、交渉だったり、章の区切りの前後はそれなりに盛り上がるけれど、それ以外はサラッと終わりそうなシーンを丁寧にみせている印象で、2〜5章は視点を変えて同じ内容を繰り返しみせていくので、逆の視点でみせる4章は結構面白かったけれど、それ以外の特に3と5章はほぼいらない様な…他がなければ観ているその時はそれなりに面白いけれど、シーンが終わった直後にこれいるのか?とかそんなに、引っ張る意味あるのか?という思いが湧いてきて、それが積み重なって非常に長く感じる。まあ、実際長いけどw
ストーリーも展開もエピソードも、面白いものは多いけれど、これだけ長いといらないよね?と感じるものが非常に多くダルく感じる部分が多かった…と思ったら6章もAGAIN?
あーそういうことなのね…なんだそれ?
2〜5章は1つにまとめ、ムダに長いシーンは短くして、せめて半分の尺でみせてくれたらね。
ということで長さとまとまりの悪さで☆-1
長編なので公開方法を検討して
イタリアで実際にあった要因誘拐事件のお話です。
全6話のうち1話のみを見ました。
テロリストの描き方がドキュメンタリーのようで迫力ありました。
1話ではまりました。
劇場公開が170分の前・後編で2週間の予定だそうですが、
年寄りには、170分座りっぱなしは、きついので、
2話×3回で上映をしてほしいです。
#夜の外側
(オンライン試写会は内容に関係せずネタバレ扱い/長すぎて最初の60分のみ公開)
今年264本目(合計1,356本目/今月(2024年7月度)27本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
(前の作品 「街の上で」→この作品「夜の外側 イタリアを震撼させた55日間」→次の作品「化け猫あんずちゃん」(明日予定))
この映画は340分とものすごく長く、実際に映画館でも6話構成であるところ1~3話、4~6話でわけて公開しますという映画館が大半ですが(340分はほぼ6時間なので…)、本試写会も趣旨的に180分も340分もできるわけもなく60分、第1話のみ(6章構成になっている模様)のみの視聴になります。よって、わからない点(2話以降で明らかになるであろうことなど)もあります。
内容の趣旨的に、当時のイタリアを取り巻く政治や政治思想等に関することが大半を占めるので(一部、裁判用語等も出てくる)、これらに詳しくないと1話目(この試写会では1話目)からついていけず脱落する方が出てくるのかな…といった印象です。現代世界史はほぼ高校世界史で扱うことはほぼなく、イタリアといえばイタリア統一と第二次世界大戦への参戦、ファシズム等は扱いますが、それ以上のことは扱わないからです。かつ、340分という無茶苦茶な長さが厳しく(インド映画2本分…)、当日どうなるんだろう…といったところです。
ただ、日本でこうした本格派のイタリア映画が放映されることは少なく(イタリアの公的機関が後援しているのかな?)、長いことは承知の上で(前半後半上映する前提でも180分だし、まして1日通しでみた日には腰をぶっ壊しそう)見る方にはおすすめでしょうし、かなり人を選ぶかなといったところです。
採点上特に気になる点はないのでフルスコアにしています。
映画の特性上、すべてを見たわけではないし(そもそも見られない)、投稿すべきかとは悩みましたが、「こうした知識があるとみるときに有利だろう」という情報提供の意味合いで書きました。
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