東京組曲2020のレビュー・感想・評価
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三島有紀子監督がサンプリングしたコロナ禍
「幼な子われらに生まれ」「ビブリア古書堂の事件手帖」「Red」の三島有紀子監督の新作はドキュメンタリーと言って良いのでしょうか。
上映後、監督と6人の役者さんたちによる興味深い舞台挨拶があった。裏話をたくさん聞くことができた。
コロナ禍で初の緊急事態宣言が発令された2020年4月、三島監督はコロナウイルス感染の第一波における日常を記録しようと、約100人の役者さんたちに各々のありのままの生活を撮影するよう依頼した。
膨大な映像が集まったそうで、その中から20人に絞り込み、ある人には再撮影を依頼し、ブラッシュアップを図ったとのこと。
役者さんたちがセルフ・プロデュースした映像がサンプリングされ、再構築されて、紛れもない三島作品になった。
そう、ここには第一波の中でまったく先が見えず迷う人がいた。今となっては可笑しいほどウイルスに過剰反応する人がいた。あの時の空気がよみがえった。
何年かおきに観たい
ほぼかつての日常が戻ってきていて、つい3年程前のことなのにあの頃の事がぼんやりとした記憶になってきつつある今だからこそ観てほしい映画だと思う。あの頃の気持ちを役者さん達の姿を通して思い出し、そして考える。あの時望んでいたこと、したくてたまらなかったこと、それがほぼできる状況になった今、私達はそれを実現しているのか、感謝の気持ちを忘れていないか、改めていろいろ考えさせられる。数年おきに繰り返し観たい、観るべき映画だと思った。
世界が初めて一つになった瞬間
「静かだという事」「不安だという事」「ひとりだという事」「自分を見つめなおすという事」「孤独だという事」「寂しいという事」「悲しいという事」そして「会いたい」と思う事。だから「愛おしい」のだという事。
世界はこんなにも広くて静かだ。
あの時、沈黙の中で、人類はひょっとして初めて、一つに繋がれたんじゃないのだろうか?
人を愛おしいと思えば、争いは起こらない。
でもウクライナ。
ミャンマー。
ウルグアイ。
チベット。
スーダン。
中東。
あの時、あの瞬間だけ、いろんな神様は人間に考え直す時間を与えてくれたんだと思った。
忘れてはいけない
今やコロナ前の生活にほぼ戻りつつあるけれど、あの異常な社会現象を、その中で人知れず悲鳴を上げていた人々を通して記録に残すことの意義に強く共感した。
劇中の実家に帰って自主隔離を敢行する娘へ、母からの「おかえり」と「明日あえるね」のメモカードには涙腺が崩壊したよ。
改めて当時を思い返して。。
あの頃、自分は なにを思ってたかな。と改めて思い返して、落ち込んだり苦しかったり、ネガティブな思い出は無かったけど、それが当たり前では無かったことを思い知らされたというか。。仕事は休業ながらも給与も変わらず、在宅で出来る仕事もあり、帰る場所も話せる人もいて、、いかに自分は恵まれた環境下だったのか、、と実感しました。
あの頃の自分の過ごし方は、最初の役者さんと似てたなぁ。
映画で心を救いたいという言葉は、すごく刺さりました。監督の気持ちなのかなぁ。とも感じたり。。
世の中には色んな人がいて、それぞれきっと救いがあるはずで、誰かに寄り添える その救いの1つになりたいと、そんな想いで作ってくれてる人たちがいることを知りました。
そして映画を通して、当時は気付かなかったけど私がネガティブにならず救われてたのは、家族だったんだなと、見ながら自然と涙が出ました。
朝焼けの空は とてもキレイで、
猫はいつだって可愛いです。
ありがとうございました。
本当に良かったです。
コロナ禍により日常を奪われた人々の受難の有様を奏で継ぐシンフォニー
冒頭、当時の安倍首相の初の緊急事態を宣言する甲高い声がスクリーンから響き渡ると、日頃から喧騒とした様の見慣れた渋谷、新宿界隈の光景が、無人と化した衝撃のショットが連なり、観客は一気に3年前の緊急事態宣言下に引き戻される。
作品は、2020年春のコロナ禍による初の緊急事態宣言下、日常を奪われた人々の受難の有様を組曲(オムニバス作品)にして奏でている。
ある者は慣れないテレワークの中、プライベートの時間と勤務時間との境が取り払われ生活のペースを乱していく。また、ある者は両親の下に帰郷し自ら一定期間の隔離を決めて一室に籠ったものの極度のストレスに襲われ嗚咽を堪えることができなくなる。
女優・大高洋子の組曲では、映画や舞台を仕事とする俳優に襲いかかった受難が描かれている。初の主演映画作品上映の舞台挨拶に向けて当日着用する服選びを夫と楽しそうに歓談するシーンから、上映延期の電話連絡を受けるシーンに切り換わると、スクリーンから乾いた冷気が漂ってくる。20年春という時期から察するに、これは当初同年春に公開予定だった天野千尋監督の「ミセス・ノイズィ」が延期になったことを背景にしたノンフィクションであると察っせられる。結果的に「ミセス・ノイズィ」は半年遅れの年末に無事に上映に至ったものの、当時のまだいつ上映されることになるのかの見当もつかなかった絶望の最中、夜の公園に佇み、辛さと悔しさの滲み出た大高洋子の表情のショットには、当時の誰もが抱いていた悲痛な思いと不安感がリアリティをもって刻印されている。
ラストシーンでは、深夜の一室、どこからともなく啜り泣く声の合間に発せられる「会いたい」という呟きが、万人の思いとして聞こえてくる。やがて時を経てコロナ禍が過去の出来事として語られる日に至った時、この作品は当時の受難の有様を赤裸々に綴った譜面として、観る者に対し、当時の思いを永遠に奏で継ぐシンフォニーと化すことであろう。
今みんな元気でよかった
2020年春のコロナの頃に役者さん達が自らを撮影した半分ドキュメンタリー映画。
ドキュメンタリー映画を見たことがない、または苦手な方もこの映画はお勧めです。
20人ほどの役者さんの3年前の実体験が3年前の自分の経験やあの頃の思いと重なり、いろんなことが思い出されました。そして、今の自分に頑張ったねと褒めたい気持ちと、自分は生き残ったんだから何かやろう!という気持ちになりました。
半分ドキュメンタリーの画であり本音の心からの声だから、誰かの表情に、誰かの声に心が動かされ、でもそれが3年前の出来事だから、今前向きな気持ちになれ、そして大切な人に会いに行きたくなったのだと思います。
映画が終わった後、役者さんの舞台挨拶の声を聞いて、本当に今みんな元気でよかったと嬉しくなりました。
人と会えないこと、離れていることが、人にとって辛いことで、人と会えるだけで幸せなんだと改めて思いました。
辛い時代の記録ですが、幸せを感じられる映画です。
朝焼けの空
コロナ禍、他人の日常生活を家庭内まで入り込んで見たことなど勿論ない。
このドキュメンタリー映画の役者さんの大きな苦しみ。そして小さかった苦しみがだんだんと大きくなってゆく様を隣でみたような気がする。
そして、自分だけではなく全世界の人たちひとりひとりが苦しんできた事実を、この映画を観て再認識した。
エンドロールの朝焼けは、そんな時を過ごして来た全ての人々に対する三島有紀子監督の希望のように見えた。
コロナ禍、不要不急とされた人たちのリアル。
この映画は、コロナ禍の記録、セミドキュメンタリーだ。
登場するのは、医療従事者でも、飲食店や宿泊業ではたらく人でも、政治家でもなくて。
俳優たち。不要不急とされていた人たち。
たった3年前。
緊急事態宣言でだれもが「何が起こるのか」「どうなるのか」がわかっていなかった。
不要不急だった映画の世界。映画館は閉まっていた。
多くの映画の制作はストップした。
本作を監督した三島氏も、予定されていた撮影がストップしたという。
そこで「この状況を記録しなければ」と本作が発案されたそうだ。
三島監督は、ワークショップなどで一緒になった役者たちに声をかけ、
本作の制作を始めたという。
彼らがコロナ禍で何を感じていたのか。それがスケッチされた。
初めての主演作の公開が延期になった人。
淡々とクリームチーズを作る人。
家族4人、家の中で密になり、子育てで行き詰まる人。
親友とリモートで話すも、より孤独を感じてしまう人。
副業をリモートで続ける人。
親からの心配の電話にイラつく人。
不安で駄目だと思いつつ、実家に帰ってしまう人。
だれもが、分断されていると感じていたあのとき。
それが丁寧に記録されている。
この映画を見ると、あの頃の自分を間違いなく思い出す。
ネタバレになるが、映画の最後で、「だれのものともわからない泣き声」を登場人物は耳にする。
三島監督が2020年4月、眠れぬ夜に耳にした泣き声に着想を得たそうだ。
松本まりかさんが演じたその声を聞いた登場人物の「素の反応」を撮影したという。
そこには優しさがあったように思う。
だれもが自分のことで精一杯で、不安で。
でも「だれの声かもわからない嗚咽」を耳にして、心が動いている。
他者への優しさがそこにある。
それがあれば、大丈夫だ。人は立っていられる。
いつかコロナ禍も風化するだろう。
でもこの映画の中にそれが遺される。
ただの記録として、だけではなく、そこで見つかった大事なものと一緒に。
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