「充分な感動ドラマ」はたらく細胞 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
充分な感動ドラマ
37兆個ものお客さん(細胞)に、ただひたすら酸素を運び、代わりに二酸化炭素を回収してくるという赤血球の地道な活動には、感慨を覚えます。
(これだけのエキストラを動員したのも圧巻)
そして、いわば、これら赤血球の活動を支援・保護するための警察部隊・自衛部隊の役割を果たす白血球やNK細胞も、上手に、その役割を浮き彫りにしていたとも思います。
ともすれば「教示的」「説明的」な内容に傾きがちな題材を取り上げながら、漆崎親子(父娘)の実生活を織り込むなど、一編の充分な感動ドラマとして仕上げている細工は、制作陣の力量以外の何ものでもないと思います。
佳作としての評価に、充分な一本だったと、評論子は思います。
(追記)
キラー細胞に行動指令を送るために司令卓に陣取っているヘルパーT細胞が、コーヒー片手にモニターで状況を観察する姿には、「さもありなん」と、思わず笑いました。
別作品「突入せよ!あさま山荘事件」でも、空前の過激派立てこもり事件の現場真っ只中、現場の指揮官たちは、指揮官車の中でミカンを食べながら指揮をしていたのを思い出しました。
(別に非難したり揶揄(やゆ)したりする意味でなく、極度の緊張下では、意識して「忙中閑あり」というシチュエーションを作り出して精神的なゆとり=判断の適正を確保するということは、危機対応などの現場には必要な「生活の知恵」なのかも知れません。)
(追記)
日胡が新を見たときの、彼女の脳内の活性化ぶりには、笑いました。
セロトニンも、エンドルフィンも、ドーパミンも…。
脳内の、いわゆる「しあわせ系」のホルモンが、じゃんじゃん出まくり。
こんな気分…評論子も、毎日とはいわずとも、たまには味わいたいものです。
(追記)
体内の運送屋さん・赤血球と、日胡のお父さん・茂の職業がトラックドライバー(俗に言う「運送屋さん」)。
その設定は(放射線治療の過酷な状況でも最後まで頑張る)赤血球への、ささやかなオマージュだったのでしょうか。
(追記)
営々と「お客様」である細胞に酸素を運び続ける赤血球のひたむきさには感動を覚えたこと前記のとおりですけれども。
電話やネットで注文して、当たり前に品物が届く、この令和の時代をつらつらと考えてみるに、ロジ(物流)関係で働く方々の苦労にも、少なからず思いが至りました。
実は、今年(令和6年)の秋頃から、宅配荷物の配達時間に、最も遅かった20時以降の区分がなくなり、勤め人(ひとり暮らし)の評論子には、最遅の配達時間が19時からになってしまったことに、実は、少なからず不満を感じていました。
(勤務のある平日は、19時までに帰宅することば、けっこう困難)
思えば、いわゆる「ラスト・ワンマイル」のロジを担っているドライバーさんなど負担を考えると、それもやむを得ないのかと考え直すことができたりもしました。
(これからの日本経済は低成長下での安定状態に入ることでしょうから、消費者の側でも、かつての高度経済成長下での「至れり尽くせりのサービスが当たり前」という意識を改めなければならないということなのでしょう。)
赤血球の働きぶりを観ながら、評論には、思わぬところで自省することになった一本でもありました。
(追記)
これだけの組織が有機的に結合して、細菌や外傷などの「外敵」と戦う機構が備えられていること=生命を保って生き延びようと懸命に努力していることにも、素直な感動を覚えます。
そして、こういう努力をすべて無にしてしまう自死という選択肢を選ぶことの無意味さも、脚本にははっきりとは表されてはいなくとも、くっきりと浮き彫りにされているとも思いました。本作には。