ソフト/クワイエットのレビュー・感想・評価
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不快感極まることで引き込まれる
今年一番、胸糞の悪くなる不快感極まる作品でした。
それでいて、つまらないわけじゃない、というかむしろ引き込まれる、強いフィルムでした。
黒人清掃員への侮蔑の眼差しと、直接喋るのを厭い教え子にクレームを入れさせる、主人公である幼稚園教師のクソ女の描写から始まり。
鉤十字の模様の入ったパイでナチ思想にはまった白人至上主義者なのを見せつつ。
アーリア人以外全ての人種への差別的発言と行動はエスカレートする一方で、そりゃもう酷さ全開。
行き着くとこまで行くんですが、観ていると最初に恐怖を感じ、次に腹の底から湧く怒りに支配されました。
監督自身、アジア系アメリカ人の母と、ブラジル出身の父をもち、様々な差別を受けてきた人。
彼女には暴走する白人至上主義者は「どこかにいる危険な人」ではなく、「隣人としてそこにいる危険」。
その監督が今まで見て感じてきた「アメリカで起こった真実」を描くという視点で作られているので、こんなにリアリティ溢れる作品に仕上がっているのだなと。
難点は、音楽。
怖いことが起きるシーンにやたら怖さを誘導する曲を被せるので、予想が容易で身構えさせられ、意外性や驚きが半減する感じ。
この点はもったいなかった。
続きが見たい
白人保守層の一般女性のグループが、エスカレートしてアジア系の女性を襲う様を、ノンストップで描く。
リーダー格の女性はブロンドのストレートロングヘアで普段は子どもを愛する熱心な幼稚園?の教師。世間体を気にする常識人だが根っからの白人至上主義者でそのためなら息をするように嘘をつく。
彼女は仲間と教会の一室を借りて集会をしていたが教会には疎まれていて追い出され、酒屋を経営する女性と若いメンバー、その日が初日の若い女性の4人でメンバーの酒屋へ行き、お酒を選んでいると中国系の女性2人(姉妹)が入店してくる。「出て行け!」と罵ってケンカになり、客の捨て台詞が彼女達に火をつける。実は昔からの知り合いで相手が湖のほとりの高台に住んでいることもわかっているので、嫌がらせをしようと先回りして家に侵入。4人で証拠が残らないように家中を荒らしふざけていると、立ち去る前に2人が帰宅。口封じのため2人を縛り上げた上、口の中に食べ物を詰め込んだり髪にマヨネーズを塗ったり、服を脱がせたりといった、イジメのような嫌がらせをする。アジア系なので見るのが辛い。すると片方がナッツのアナフィラキシーショックを起こし、注射も間に合わず死んでしまう。残された片方も同じように倒れ込む。
4人は焦って、乗ってきた車にあったデカいバッグに2人を詰め、湖に沈めようと考える。その際、疑いが女性の自分達にかからないように、レイプの擬装をする。
罵り合いつつもなんとか死体を湖に沈めて証拠隠滅に努める4人だったが、アナフィラキシーショックを発症していない方が実は死んでおらず、湖の水面で息を吹き返したのだった。
観ている方も「もう1人は?何が原因で死んだの?」と思っており、また車内でもバッグが映るので、ラストは「やっぱりね」という感じではあるが、被害者にはNetflixの韓国ドラマ「グローリー」のように復讐してほしいと思ってしまう。
しかしまぁ彼女達が話していたように、白人とそれ以外の言い分を公平に聞き判断、捜査してくれなければ、泣き寝入りということにもなりかねないが。
映画館から逃げ出したくなるほどの恐怖
同時期に鑑賞した「聖地には蜘蛛が巣を張る」以上に後味最悪のソフト/クワイエット。
いちばんのトラウマ級映画だった。
多様性が重視される現代社会の中で、白人こそが差別されているという偏見から、有色人種や移民に反感を抱く女性たちが、過激な思想を話し合う密やかな集会から始まって、恐ろしい犯罪へと堕ちていく、ホラー映画といってもいいほど怖い作品。
全編ワンショット&リアルタイムで撮影された聞くに堪えない差別的発言と見るに堪えない暴力行為に、劇場から逃げ出したくなった。どんなスラッシャー映画でもスリラー映画でも感じたことのない恐怖だった。
標的になるマイノリティがアジア系の姉妹であり、あまりにも理不尽で酷い集団リンチを体感させられ、まるで自分がその現場に居るような、卑劣な行為を止められずにリンチに加担しているかのような気持ちにさせられる、過去いちの恐怖映画だったかもしれない。
最後はアッと驚くトリックのようだった。
4日連続で一日中カットなしの連続撮影を行い、90分のリアルタイム映像を完成させた監督も役者も尊敬するし、演じてる役者達はとんでもなく辛かったのではないだろうか。映画を作る人達ってすごいや。
これが現実だと認識せねば
21世紀も20余年過ぎているがいまだにKKKは存在しており、日本では送還すれば殺されるかもしれない難民を送還せよと法案を作り国益は人権より優先と恥ずかしげもなく国会で述べるクソ議員がおり、SDGsはただの金儲けの合言葉。長回しの緊張感は、視覚にも訴えるが聴覚へのインパクトもすごい。ほんとにソフトでクワイエットなつもりなのよ。ヤマトナデシコならぬ白人至上主義者はアーリア人の美しく清いお姫さまであり力強い同種族模範的夫との結婚と家族形成(男女アーリア人の夫婦のもと生まれた子どもがいること)家しなければならず(これもどこかの国と似てますな)、男を立ててナデシコ的フリをしながら、しかし違法行為だからやめろと真っ当なことをいう夫をコテンパンに罵倒チキン呼ばわりで、他人の人権は認めないが自分の権利は声高にハードにラウドに主張、筋肉隆々マッチョな男なんか役立たずのヘナチョコ野郎、自立して戦えるのは私たち女よ、と外国人移民への襲撃に突っ走る。某政権与党が高市とか杉田とかマッチョな差別勢力の威勢の良さも、所詮制度の中で利用されてるということもさもありなんということか。
衝動的であまりにも適当な差別行為、犯罪行為をとにかくノンストップで見せつける。
今、事態はここまで深刻に、ディープにハードに推移しており、ヨーロッパより差別勢力、差別行為、差別者の既得権益にゆるゆるなアメリカだと、こんなふうに鉤十字付きのパイを作ったりヒトラー式敬礼をしてしまったり、でもアメリカでは(日本でも)こんなこと、おふざけで通ってしまう。政権与党が世襲で議員稼業よろしく、KKKも今も家系により継がれ世間体やダイバーシティという風潮のなかより意固地に強固になっているようだ。彼らはプチエリート的な人も混じってる(ので仲間内での差別も)理想的な人生を歩めずそれを移民のせいに移民に富が収奪されていると考え自らを正当化する。そんな彼らはたぶんパスポートなんて持ってない、外国なんて行けない行かないからだ。だから移民女性の家でパスポートを探し出し、ほら移民だからパスポート持ってるんだ!と大はしゃぎする間抜けぶり。間抜けではなくまじで地獄。少しでもおふざけに巻き込まれたら、うっかりハイルしてしまうかもしれないし、いずれは白人アーリア人が数の上でマイノリティとなるかもしれない恐怖、世界の警察でも覇者でもなくな流かもしれないアメリカの焦燥から本作のようなクラブ、サークルが巨大化するかも、いやすでになんとかアノンがアメリカでも日本でも巨大化している。そしてこれらの差別者は仲間内にも外と同じく人の下に人をつくる。ギャーギャーワーワー、ドタンバタン騒音が耳をつんざくなか、ひたひたとソフトにクワイエットに私たちが包囲されていることを思い知る。
ワンショットでこれだけの作品を作るとは!
あるアメリカの片田舎で、移民や有色人種の存在やダイバーシティや多様性を日頃から鬱陶しく思っている白人女性達、本人たちは普段自分の境遇が悪いのは、逆差別を受けているせいだと思い込んでいるのだが、実は本人の資質に原因がある。集会後メンバーの経営する店でのアジア人親子とのちょっとしたトラブルが、最悪の事態に陥っていくまでを、ワンカットで描く。いつもながらこういう作り方は、何度も練習したのだろうなと、舌を巻かざるを得ない。威勢だけは良い白人女性だが、おつむと思慮が足りないので泥沼に陥っていくのが哀れではある。
なんか、こんな感じかもな
不妊治療に悩んだ奥さんが軽くナチ寄りになって、差別をして、そこに「ここで引いたらナメられる」っていう集団心理が加わって、とんでもないことしてく話なんだよね。
やってることはとんでもないんだけど「なんか、こういう人いそうだな」というのが恐いの。そう思って観てしまっている自分も恐い。
映画だから当たり前なんだけど、主人公をずっと追い掛けてくんだよね。それで差別意識のところ以外はだいたい普通の人たちなの。なので、つい、感情移入をしてしまう。犯罪が見つかりそうになる場面で「ざまあみろ」ではなく「早く逃げて」みたいな心情になった。恐い。
差別から、とんでもないことをしてしまうときって、こんな感じなのかなと思いながら観たよ。
スケープゴートとエスカレート
白人至上主義の人間が周りにいないからイメージがつきづらい。映画とかで出てくるのもネオナチっぽい屈強な男たちやKKKの白マントを被っているイメージしかない。でも、彼らも普段はアメリカ社会で普通に生活しているんだよなと本作を観ると思い知らされてしまう。
教会の一室で開かれたのは白人至上主義の女性グループの会合。幼稚園の先生してたり、スーパー経営していたり、普通に勤めていたり、見た目だけでは主義主張なんてわからない。そんな「普通の」見た目の女性たちが語る差別発言の数々。少し笑ってしまうくらい極端な意見が飛び交っていた。後半よりもむしろ前半の会合シーンが怖い。
そんな彼女たちがどんどん暴走していくという流れ。バカみたいな選択の連続ででとんでもない方向に転げ落ちていく。胸糞悪いんだけど、どうなるんだ?と目が離せなかった。
満たされない人生にはスケープゴートを求めがち。誰かのせいにする方が簡単だから。そして暴力は単独ではなくグループになるとエスカレートするということだ。似たようなことが周りで起きる可能性が十分あるからこそ怖い話なんだよな。
胸糞悪さ一級品
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開始3分で違和感を感じ
残り約90分、ずっと不快感と嫌悪感に襲われ
珍しく途中退席しようかと思ったほど…。
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最近では珍しくないワンショットですが
ワンショットで撮られていることを思うと
その緊張感が物語のソレと相まってヒリヒリと
観る側に伝わってきます。
歯止めが効かなくなった女たちのヒステリックな感じが
同じ女としてたまらなく気持ち悪くて不快極まりない
(映画としては褒めていますw)
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ラストは想定内の展開になったけれど
終わり方が、これから起きるであろう展開を想像させて
不気味です。
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本作が初監督作品というベス・デ・アラウージョ監督
女性ならではの視点と感性、そして自らも人種差別
される側としの経験が、本作のエミリーを生み出したかと思うと
まだまだ根強い白人至上主義社会の欧米諸国には
本当に行かれん🤣
でもね、アリエルはやりすぎだと思うのよ、Disne…(ry
パイを焼いたら鉤十字になっちゃった、てへ
白人至上主義の女性集団が引き起こすヘイトクライムの一部始終を、ワンショット撮影で切り取った超胸クソ映画。
集まって有色人種や移民に対する悪口で盛り上がっていた集団が、ふとしたキッカケで一線を超えてしまうまでがあまりにスムーズ過ぎて怖い。
この作品、ワンショットというのがミソでカットがかからない一続きの流れの中で、あれよあれよと事態がエスカレートしていく様に圧倒される。
救いのないヒドい話なのだが、最後の最後にちょっとだけホッとさせられ、後味がマイナス100からマイナス80くらいになった。
うむ
多様性とか受容とか
そういう言葉ばかりフィーチャーされるが
内実はどうなの?っていうのを
おそらく監督の経験から作り出した作品
表向きは寛容そうに見えても
裏ではまだまだ差別者が溢れてる
しかも、また時代を戻そうとしている
そんな現実にもありそうな事を
刻々と描いていた。
KKKとか出てきた瞬間、ほんと震えたよ
まだ残ってる……っていう恐ろしさ
あの人らが話してる事って自分を棚にあげた話だし
あの人らが守りたいメンツとかプライドとかで
虐げられている人たちの命が失われてるってことに
気づいているのかな。
外見至上主義、優生思想、被害者意識
その全てに失望した。吐き気した
ただ展開として、個人的には
あの白人集団の中に内通者?密告者?がいて
全部がひっくり返るような展開とか
裏切りとかが見たかったなー。
やっぱり実害が加えられるのは
見ていても苦しいよ
事実あり得る事件なのかもしれないけどさ。
でも鑑賞後、人間を大事にしないと!
っていう単純な感情になったし、
悪い映画では無いのかもしれない…。
ブラムハウスの新作。そう来ましたか!
爽やかな気分で劇場を出たい人にはお勧めしません。じつに不快な映画ですが、血がドバドバ、肉片がピューンのスプラッターではありません。普通の女性たちが、これも一種の「ノリ」なのでしょう、どんどんヤバい方向に行ってしまう話です。ワンショットで撮影されたのが売りですが、中盤までは特別にその良さは感じられませんでした。物語の終盤、ある理由で汚れた部屋を綺麗にしなければならなくなりますが、その片付け風景を延々と見せられることになります。なぜならワンショットだから省略がありません。主人公の後悔とうんざりがよくわかって、あれは並みのスプラッターより私の心がやられました。予告編でやってた同じくブラムハウスの「M3GAN」が楽しみです。あのロボット、なぜか若い頃の中谷美紀さんに似ている。
連邦議会襲撃事件を彷彿とさせる
卍のパイが素晴らしい擬似ワンカット。
白人至上主義の面々が、会合をひらき、卍のパイのアップにぞっとさせられる。カメラはしばらくパイを撮っていて、これから、何か悍ましいことが起こるという不吉な予感を誘われる。
このパイが、全編を牽引する起爆剤になり、客は一気に引き込まれる。なかなかの好スタート。
神父に追い出された瞬間、表示が凍るエミリー、人格が瞬時に変わってしまったかのような、ギアが入り、ゾッっとさせられる。
舞台は
スーパーにうつり、
ワインを買いなさいよ…とアン達につめたく放つエミリー、また彼女にギアが入る。
その後も取り乱すたびに、冷静になる為にひと息つき、ドンドンとギアアップしていくエミリー。
、人格にヒビが入っていく様子はホラー映画のヒロインとして相応しい。演じた女優さんも素晴らしかった。
最後は白いシャツが血まみれになるのを期待していたのは私だけか…
スーパーでようやく事件の発端が起こる。
嫌な不吉なことが現実に起きようとする
私たちは観客として自己投影し愛着を持ちつつある主人公たちが、どうか事件や事故を起こさず平安であれ、と潜在的に願っている。
だから、何か問題が起きそうで、しかも銃が出てきた瞬間には胃が縮みそうなくらい不安が掻き立てられる
。
しかし、ヒートアップは瞬間的で、これからだ、というところで、二人の有色人種はかえってしまう。いま思えば、不安のマックスでエンタメ、アトラクションのピークはあの場面であった。
あの場面をもっと引っ張って欲しかった。
不安をもっといたずらに煽って欲しかった。
そのために冒頭から、会合で有色人種差別のイデオロギーを高め合ってきたのに。
その後、一行は、また舞台を映す。
(ワンショット映画として、デイからイブニング、ナイターへの移り変わりが素晴らしい。リアルタイムのマジックタイムが美しかった。四日間かけて撮影したらしいが、ところどころ、擬似ワンショットにみせるための、カットの編集点を作って時間を区切って撮影しているのだろうが、陽の光の繋がりが素晴らしかった。)
アンの家での出来事も描写が粗末で、、
痛ぶるまでもなく、アレルギーで死ぬ妹…
拍子抜けだ…。なんだつまらん…それでは白人グループが、魔女に変貌していく様が見れない…。
しかも、すぐにあっけなく死なせてしまう。アンももう少し妹を助ける努力したらいいのに…。
その後、レイプにみせかけるとか言いつつ、あっけなくクッションでアンを窒息死させるが、窒息死には時間が短いし、手足の拘束解けたアンを放置して会議する面々…。
エミリーとの過去のわだかまりも、引き合いに出さずにあっけなく死なせる…。
人種への憎悪より、個人的怨恨も、エミリーたちの復讐の動力源になっていたはずなのにそれも解決されず…
妹を失って、アン自身が精神崩壊する様も見たかった。被害、加害の転換、弱者が被害者になり、急に加害強者になり、主人公たちを追い詰める様を描いてほしかった。
カメラと彼女たちがリアルタイムで出来ることの都合上、描写があまりにも雑で…。そのあたりから興醒めして陳腐なものをみせられてガッカリする気持ちになった。やはり、新人監督には…力不足か…
さいごに
しかし、まあ、エミリーのお片付けがなんと雑なこと…(教会のサロンは誰がどうやって片付けたのかしら、、まあ、お片付けの苦手なエミリーのことだから、パイの食べかすとか、散らかしまくってるんだろうな…)
黒人清掃員のカートをひきづる不快な音しかり、アンの家での家電製品のなる運転音…
まあ、不快な音響効果…ワンショット映画はフレームの外のセリフや効果音の設計が普通の映画以上に効果を発揮することがわかって勉強になりました。
隣の怪物
観た後の胸糞さ・不愉快さは、別ベクトルではありますが昨年観た『セルビアン・フィルム』に匹敵する全編ワンシーン・ワンカット(ワンショット)のスリラー映画。
行き過ぎた白人至上主義の自称“模範的な一般白人女性”の狼藉っぷりに終始顔をしかめることになりました。スリラーとしては『セルビアン・フィルム』同様に悔しいことに最悪によく出来ている。
冒頭アジア系の清掃員を見る目から違和感がありましたが、話が進むに連れて露呈する作中女性の差別意識の高さには唖然とします。
しかも、主人公のエミリーの職は幼稚園の先生ですから世も末ですよ。まあ、清掃員への理不尽なクレームを教え子にさせて、それを「闘う」と称したのを聞いた親御さんがドン引きしてたので「普通にコイツだけおかしい」ってわかったのはまだ救いですけど。
でもこんなのが後から4人集まります。やっぱり末だわ。
しかし、彼女達は至って自分が健全だと信じていて、仲間内で食べ物を持ち込みながら日々の愚痴を溢す会を開いています。
まあ、いくら差別意識があったとしても身内間での愚痴で済ますならまだしも、会名が「アーリア人団結を目指す娘たち」なのは一発アウトじゃボケ。
会の参加者は不妊に悩んだり、会社で出世できなかったり、貧乏だったりと、それぞれに問題を抱える女性です。
そのことに不満を持つには別に構わないし、愚痴って鬱憤を晴らすこと自体はむしろ健全だとすら思います。……が、原因を全て他人種に押し付け、差別することを捌け口にしている時点で人道を大きく外れています。
厄介なの本人達は自分たちが絶対に正しいと信じており、マイノリティを淘汰することで社会が良くなると本気で思い込んでいるということ。
その「善意」を他人に押し付けるもんだから、社会で孤立しているワケなんですが、都合よくその社会で普通に暮らす人々のことは「洗脳」されていると捉えて内に、内に…と籠っていくのです。
なんかもうこの広大なインターネット世界でもよく見る流れだな……
こうした自浄作用のないコミュニティはロクなもんではありません。
ただ、コイツら口では「自分達は正しい」と宣いながら「自分達の会話が外に漏れるとマズイ」ってことはちゃんと認識しているのが珍妙で滑稽な部分ではあります。社会的に間違っているってことは何となくわかっているんですよね。
そもそもが自身の不遇を弱い者(と彼女達は認識している)を虐めることで発散してるだけのダサくて幼稚な卑怯者なんで、その部分と向き合うのが怖いのでしょう。
ボロが出るのも早くて、人を動かす能力がないだけなのに「コロンビア人に管理職の座を“盗られた”」と主張するマージョリーは、後半で起こった不測の事態にオロオロと泣き喚くだけで全く役に立たないことを証明してくれます。
まあ、そんな聴くに堪えない稚拙な優生思想を散々浴びせられる前半の時点でゲンナリですが、それが実際にターゲットを定めて暴れ出した時のアレっぷりに関しては想像を絶していました。
倫理をとことんブチ切っているんですが、だからこその面白さ(と言うと死ぬほど語弊があるな…)はちょっとあるんですよ。
この辺を突き詰めていくと、何故『セルビアン・フィルム』や『ファニーゲーム』と言った胸糞悪いだけのスリラー映画がこの世に存在しているかってコトにも繋がってくるんですよね。
そういうモノを娯楽とする怪物性も確かに我々の中には確かにある。相当人を選ぶ悪趣味な娯楽というのは承知の上だし、そういうの駄目な人からは「一緒にすんな!」とお叱りを受けそうなんですが、むしろそうやって断罪しちゃうのもマジでマズイことなんじゃないかって思う部分があります。
本作に出てくる奴らを「理解不能のカス!」、本作自体を「ただの悪趣味映画!」と評するの、その言葉の通りではあるんですが、いざ我が身を振り返って本当に自分の中にそういった要素が微塵もないかというと断言は絶対に出来ません。
エミリー達が口にする「優生人種によって劣等人種は管理されるべき」って思想に賛同する人は極々少数だと思う(と信じたい)んですが、じゃあ同じように語られた「(結婚アプリかなんかで)容姿の悪い男にあたると最悪!」とか「マッチョと細身の人、どっちが好き?(ぽっちゃりは除外されている)」とかは自分含めた結構な人が極々自然に言ってる言葉だと思うんですよ。
これらもルッキズムによる差別と言えば差別でして、そこら辺を無視して断罪する側に回っちゃうのもまた非常に危険です。
最近でも某ディズニー絡みで「LGBTQが過ぎるからクソ映画(その逆も然り)」とかの言説がバズったりしてますけど、この一概に決めつける雑な意見も危うい思想に踏み込んでる感じがある。この辺は一度、決めつけないで深く考えてみないと駄目だなァ…とは常々思います。
ぶっちゃけた話、誰もが誰かにとっての差別(と感じられる)発言は避けられないとは思いますし(もちろん節度や程度はある)時代によってその在り方も変容するものではあります。過去を遡及して糾弾するのも、勝ち馬に乗るかの如く皆が悪いというものを悪いと叩くのも良くないと思うけど、同時に止められないという諦念もある。
だからこそ、大事なことは常に自分を省みることだと思うんですよ。自己肯定感も大事なことですが、狭く籠って肯定ばかりしていてもロクなことにならないのも事実。視野を広くもって、いっちょ噛みするより前に調べて思考して改めていくことが必要になってきます。
その必要な過程を経ず、ロクなことにならなかった自分こそ、銀幕で大暴れしている本作の怪物どもであり、そういう意味では決して本作は他人事ではないのです。
本作が全編ワンショットという手法を取った最大の意義は、この自分事の延長線上(もしくは身近)に怪物が巣食っていることを際立たせることにあるのだと思いますし、そういう意味でもよく出来たスリラーたらしめています。
……と、こうした本作におけるワンショット演出の意義を考察した上で、本作の技術的な部分に対する不満点なんですけど、これ本当に全編ワンショットでやる必要ありましたかね?
確かにノンストップで無法を映すことで最悪さは増幅されてましたし、前述の我々と同じ軸にコイツらがいるって証明にはなっていますが、他のマイナス面があまりに目立ちすぎている気がするんですよね。
前半の会議の場面はとにかく単調、かと思えば移動するとカメラはブレるしところどころボヤける。車での移動シーンもありますが、移動距離が極端に短く感じる部分が気にかかりますし、終盤のボートの場面に至っては真っ暗闇で何をやっているのか全くわかりません。
いや、その前の場面であらかた説明してるから補完は十分に可能なんだけど、どのみち画面の見せ方としては最悪の部類ではあります。
昨年の『ボイリング・ポイント』は物凄く好きな映画なんですが、そちらはワンショットの技術が凄い極まっていて、見せ方が流れるようにスムーズだったんですよ。
その上で職場の焦燥感というワンショットならではの付加価値も生まれてましたし、作中時間と現実時間がズレているという映像の嘘も巧みに吐いていました。
僕が定義する優れたワンショット映画の条件って
①撮影技術の高さ
②ワンショットをやるだけの意義
③やった上での付加価値
なんですけど、本作の場合は②が部分的にあるかな…ってくらいで、正直他は基準を満たせてなかったかな…って。何ならワンショット部分による撮影の制限が足を引っ張っていた部分は凄くある。
なので、本来なら売りになるはずのワンショット映画としては全然推せないですね……単純に胸糞悪いスリラーとして推す方がまだわかる。
そんな部分もかなり両極端に寄っている問題作なのだなァ……
強烈な胸糞悪映画
ワンショット撮影で描かれる、田舎の「優秀なアーリア人女性」を名乗る女たちのやらかし。
恐らくは皆三十代の社会人女性なのに、やってることは頭の悪い10代のヤカラと変わらない。
根っこはもちろん黒人ユダヤ人アジア人といった、自分達とはちがう人種に対する強烈なヘイト。でも、それは動機の部分で映画自体はノンストップ・バカ犯罪です。
理性を持つ男性が2人いるが、ストッパーにはならない。
彼女たちを突き動かすのは、根拠の薄い選民思想。(明らかに彼女らの方がビンボーだし)そこにすがりつくことしかできない、社会や知性に対する憎悪は物凄い。
といったテーマは置いといて、ノンストップ犯罪ドラマとして見るべきかと。
誰にでもおすすめはできないけど、一見の価値アリです
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