ソフト/クワイエットのレビュー・感想・評価
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連邦議会襲撃事件を彷彿とさせる
「アーリア人団結を目指す娘たち」という不愉快極まりない会合を開き、パイを食べながらレイシズム全開の最低発言を繰り返す女性たちが、あれよあれよという間に最悪の事態に陥っていく。
連邦議会襲撃もこんな感じで起こったのかと思うと、劇中起こる惨劇も簡単に現実になるのだと気づき、寒気がした。
卍のパイが素晴らしい擬似ワンカット。
白人至上主義の面々が、会合をひらき、卍のパイのアップにぞっとさせられる。カメラはしばらくパイを撮っていて、これから、何か悍ましいことが起こるという不吉な予感を誘われる。
このパイが、全編を牽引する起爆剤になり、客は一気に引き込まれる。なかなかの好スタート。
神父に追い出された瞬間、表示が凍るエミリー、人格が瞬時に変わってしまったかのような、ギアが入り、ゾッっとさせられる。
舞台は
スーパーにうつり、
ワインを買いなさいよ…とアン達につめたく放つエミリー、また彼女にギアが入る。
その後も取り乱すたびに、冷静になる為にひと息つき、ドンドンとギアアップしていくエミリー。
、人格にヒビが入っていく様子はホラー映画のヒロインとして相応しい。演じた女優さんも素晴らしかった。
最後は白いシャツが血まみれになるのを期待していたのは私だけか…
スーパーでようやく事件の発端が起こる。
嫌な不吉なことが現実に起きようとする
私たちは観客として自己投影し愛着を持ちつつある主人公たちが、どうか事件や事故を起こさず平安であれ、と潜在的に願っている。
だから、何か問題が起きそうで、しかも銃が出てきた瞬間には胃が縮みそうなくらい不安が掻き立てられる
。
しかし、ヒートアップは瞬間的で、これからだ、というところで、二人の有色人種はかえってしまう。いま思えば、不安のマックスでエンタメ、アトラクションのピークはあの場面であった。
あの場面をもっと引っ張って欲しかった。
不安をもっといたずらに煽って欲しかった。
そのために冒頭から、会合で有色人種差別のイデオロギーを高め合ってきたのに。
その後、一行は、また舞台を映す。
(ワンショット映画として、デイからイブニング、ナイターへの移り変わりが素晴らしい。リアルタイムのマジックタイムが美しかった。四日間かけて撮影したらしいが、ところどころ、擬似ワンショットにみせるための、カットの編集点を作って時間を区切って撮影しているのだろうが、陽の光の繋がりが素晴らしかった。)
アンの家での出来事も描写が粗末で、、
痛ぶるまでもなく、アレルギーで死ぬ妹…
拍子抜けだ…。なんだつまらん…それでは白人グループが、魔女に変貌していく様が見れない…。
しかも、すぐにあっけなく死なせてしまう。アンももう少し妹を助ける努力したらいいのに…。
その後、レイプにみせかけるとか言いつつ、あっけなくクッションでアンを窒息死させるが、窒息死には時間が短いし、手足の拘束解けたアンを放置して会議する面々…。
エミリーとの過去のわだかまりも、引き合いに出さずにあっけなく死なせる…。
人種への憎悪より、個人的怨恨も、エミリーたちの復讐の動力源になっていたはずなのにそれも解決されず…
妹を失って、アン自身が精神崩壊する様も見たかった。被害、加害の転換、弱者が被害者になり、急に加害強者になり、主人公たちを追い詰める様を描いてほしかった。
カメラと彼女たちがリアルタイムで出来ることの都合上、描写があまりにも雑で…。そのあたりから興醒めして陳腐なものをみせられてガッカリする気持ちになった。やはり、新人監督には…力不足か…
さいごに
しかし、まあ、エミリーのお片付けがなんと雑なこと…(教会のサロンは誰がどうやって片付けたのかしら、、まあ、お片付けの苦手なエミリーのことだから、パイの食べかすとか、散らかしまくってるんだろうな…)
黒人清掃員のカートをひきづる不快な音しかり、アンの家での家電製品のなる運転音…
まあ、不快な音響効果…ワンショット映画はフレームの外のセリフや効果音の設計が普通の映画以上に効果を発揮することがわかって勉強になりました。
隣の怪物
観た後の胸糞さ・不愉快さは、別ベクトルではありますが昨年観た『セルビアン・フィルム』に匹敵する全編ワンシーン・ワンカット(ワンショット)のスリラー映画。
行き過ぎた白人至上主義の自称“模範的な一般白人女性”の狼藉っぷりに終始顔をしかめることになりました。スリラーとしては『セルビアン・フィルム』同様に悔しいことに最悪によく出来ている。
冒頭アジア系の清掃員を見る目から違和感がありましたが、話が進むに連れて露呈する作中女性の差別意識の高さには唖然とします。
しかも、主人公のエミリーの職は幼稚園の先生ですから世も末ですよ。まあ、清掃員への理不尽なクレームを教え子にさせて、それを「闘う」と称したのを聞いた親御さんがドン引きしてたので「普通にコイツだけおかしい」ってわかったのはまだ救いですけど。
でもこんなのが後から4人集まります。やっぱり末だわ。
しかし、彼女達は至って自分が健全だと信じていて、仲間内で食べ物を持ち込みながら日々の愚痴を溢す会を開いています。
まあ、いくら差別意識があったとしても身内間での愚痴で済ますならまだしも、会名が「アーリア人団結を目指す娘たち」なのは一発アウトじゃボケ。
会の参加者は不妊に悩んだり、会社で出世できなかったり、貧乏だったりと、それぞれに問題を抱える女性です。
そのことに不満を持つには別に構わないし、愚痴って鬱憤を晴らすこと自体はむしろ健全だとすら思います。……が、原因を全て他人種に押し付け、差別することを捌け口にしている時点で人道を大きく外れています。
厄介なの本人達は自分たちが絶対に正しいと信じており、マイノリティを淘汰することで社会が良くなると本気で思い込んでいるということ。
その「善意」を他人に押し付けるもんだから、社会で孤立しているワケなんですが、都合よくその社会で普通に暮らす人々のことは「洗脳」されていると捉えて内に、内に…と籠っていくのです。
なんかもうこの広大なインターネット世界でもよく見る流れだな……
こうした自浄作用のないコミュニティはロクなもんではありません。
ただ、コイツら口では「自分達は正しい」と宣いながら「自分達の会話が外に漏れるとマズイ」ってことはちゃんと認識しているのが珍妙で滑稽な部分ではあります。社会的に間違っているってことは何となくわかっているんですよね。
そもそもが自身の不遇を弱い者(と彼女達は認識している)を虐めることで発散してるだけのダサくて幼稚な卑怯者なんで、その部分と向き合うのが怖いのでしょう。
ボロが出るのも早くて、人を動かす能力がないだけなのに「コロンビア人に管理職の座を“盗られた”」と主張するマージョリーは、後半で起こった不測の事態にオロオロと泣き喚くだけで全く役に立たないことを証明してくれます。
まあ、そんな聴くに堪えない稚拙な優生思想を散々浴びせられる前半の時点でゲンナリですが、それが実際にターゲットを定めて暴れ出した時のアレっぷりに関しては想像を絶していました。
倫理をとことんブチ切っているんですが、だからこその面白さ(と言うと死ぬほど語弊があるな…)はちょっとあるんですよ。
この辺を突き詰めていくと、何故『セルビアン・フィルム』や『ファニーゲーム』と言った胸糞悪いだけのスリラー映画がこの世に存在しているかってコトにも繋がってくるんですよね。
そういうモノを娯楽とする怪物性も確かに我々の中には確かにある。相当人を選ぶ悪趣味な娯楽というのは承知の上だし、そういうの駄目な人からは「一緒にすんな!」とお叱りを受けそうなんですが、むしろそうやって断罪しちゃうのもマジでマズイことなんじゃないかって思う部分があります。
本作に出てくる奴らを「理解不能のカス!」、本作自体を「ただの悪趣味映画!」と評するの、その言葉の通りではあるんですが、いざ我が身を振り返って本当に自分の中にそういった要素が微塵もないかというと断言は絶対に出来ません。
エミリー達が口にする「優生人種によって劣等人種は管理されるべき」って思想に賛同する人は極々少数だと思う(と信じたい)んですが、じゃあ同じように語られた「(結婚アプリかなんかで)容姿の悪い男にあたると最悪!」とか「マッチョと細身の人、どっちが好き?(ぽっちゃりは除外されている)」とかは自分含めた結構な人が極々自然に言ってる言葉だと思うんですよ。
これらもルッキズムによる差別と言えば差別でして、そこら辺を無視して断罪する側に回っちゃうのもまた非常に危険です。
最近でも某ディズニー絡みで「LGBTQが過ぎるからクソ映画(その逆も然り)」とかの言説がバズったりしてますけど、この一概に決めつける雑な意見も危うい思想に踏み込んでる感じがある。この辺は一度、決めつけないで深く考えてみないと駄目だなァ…とは常々思います。
ぶっちゃけた話、誰もが誰かにとっての差別(と感じられる)発言は避けられないとは思いますし(もちろん節度や程度はある)時代によってその在り方も変容するものではあります。過去を遡及して糾弾するのも、勝ち馬に乗るかの如く皆が悪いというものを悪いと叩くのも良くないと思うけど、同時に止められないという諦念もある。
だからこそ、大事なことは常に自分を省みることだと思うんですよ。自己肯定感も大事なことですが、狭く籠って肯定ばかりしていてもロクなことにならないのも事実。視野を広くもって、いっちょ噛みするより前に調べて思考して改めていくことが必要になってきます。
その必要な過程を経ず、ロクなことにならなかった自分こそ、銀幕で大暴れしている本作の怪物どもであり、そういう意味では決して本作は他人事ではないのです。
本作が全編ワンショットという手法を取った最大の意義は、この自分事の延長線上(もしくは身近)に怪物が巣食っていることを際立たせることにあるのだと思いますし、そういう意味でもよく出来たスリラーたらしめています。
……と、こうした本作におけるワンショット演出の意義を考察した上で、本作の技術的な部分に対する不満点なんですけど、これ本当に全編ワンショットでやる必要ありましたかね?
確かにノンストップで無法を映すことで最悪さは増幅されてましたし、前述の我々と同じ軸にコイツらがいるって証明にはなっていますが、他のマイナス面があまりに目立ちすぎている気がするんですよね。
前半の会議の場面はとにかく単調、かと思えば移動するとカメラはブレるしところどころボヤける。車での移動シーンもありますが、移動距離が極端に短く感じる部分が気にかかりますし、終盤のボートの場面に至っては真っ暗闇で何をやっているのか全くわかりません。
いや、その前の場面であらかた説明してるから補完は十分に可能なんだけど、どのみち画面の見せ方としては最悪の部類ではあります。
昨年の『ボイリング・ポイント』は物凄く好きな映画なんですが、そちらはワンショットの技術が凄い極まっていて、見せ方が流れるようにスムーズだったんですよ。
その上で職場の焦燥感というワンショットならではの付加価値も生まれてましたし、作中時間と現実時間がズレているという映像の嘘も巧みに吐いていました。
僕が定義する優れたワンショット映画の条件って
①撮影技術の高さ
②ワンショットをやるだけの意義
③やった上での付加価値
なんですけど、本作の場合は②が部分的にあるかな…ってくらいで、正直他は基準を満たせてなかったかな…って。何ならワンショット部分による撮影の制限が足を引っ張っていた部分は凄くある。
なので、本来なら売りになるはずのワンショット映画としては全然推せないですね……単純に胸糞悪いスリラーとして推す方がまだわかる。
そんな部分もかなり両極端に寄っている問題作なのだなァ……
強烈な胸糞悪映画
ワンショット撮影で描かれる、田舎の「優秀なアーリア人女性」を名乗る女たちのやらかし。
恐らくは皆三十代の社会人女性なのに、やってることは頭の悪い10代のヤカラと変わらない。
根っこはもちろん黒人ユダヤ人アジア人といった、自分達とはちがう人種に対する強烈なヘイト。でも、それは動機の部分で映画自体はノンストップ・バカ犯罪です。
理性を持つ男性が2人いるが、ストッパーにはならない。
彼女たちを突き動かすのは、根拠の薄い選民思想。(明らかに彼女らの方がビンボーだし)そこにすがりつくことしかできない、社会や知性に対する憎悪は物凄い。
といったテーマは置いといて、ノンストップ犯罪ドラマとして見るべきかと。
誰にでもおすすめはできないけど、一見の価値アリです
【聖地には蜘蛛が巣を張る】を見たとき、 ここまで気分を害する映画が...
【聖地には蜘蛛が巣を張る】を見たとき、
ここまで気分を害する映画があるんだと衝撃だったけど、
これはもっとすごかった
でも映画としてはよくできている
夢中で見た
弱いものイジメではなく、強いものへの反抗でもなく・・この感情は何だろう?
行き過ぎた人種差別撤廃に憤りを感じる白人女性が、集会で意気投合して、たまたま口論になったアジア系女性に恨みを持ち、ちょっとした仕返しをするつもりが最悪の事態を招く。
かつて冷遇されていた黒人、ヒスパニック系移民が公平な立場を獲得していく中で、標準未満の生活をしている白人は立場が逆転してしまうような恐怖を感じて、その結果攻撃してしまうということだろうか。
日本でも明らかに外国人が増えていて、特に通勤電車の中で疲れた顔の日本人とは対照的に、陽気に喋りまくるセレブ風な外国人を見ると、低賃金で働く日本人とそれを安く利用する外国人の図に見えて、なんだか理不尽な気持ちになります。
それより遥かに根深い問題だと思いますが、行き過ぎた優遇は不平等感を生んで、問題をより深刻化させていく気がしますね。
面白かった!
白人至上主義者は、アメリカには、多い!
卍印のピザが恐ろしい。
私もLA5に行った時レストランに入るのを断られた経験がある。アジア系は入るなと!
映画は、アーリア人の集まりに来た女性達が飲み直しで立ち寄った売店からはじまる。ワンカット映像だ。
観ててつらい!ご主人は、腰抜けで自分だけ逃げたな。
どうなるんやろ。完全犯罪?
ラストは、びっくり!
Noise
ブラムハウス製作作品となると観なきゃなという気概で鑑賞。土曜日の昼間という事もあり大盛況でした。
いやこれは中々にエグい…、というか辛く痛い物語でした。タイトルとは相反するノイズだらけの身勝手さが強く表に出ている作品です。
まず冒頭、エミリーが黒人の清掃員を目の敵にして、生徒に強くいてほしいという名目の元、清掃員に注意を促してくる様子を見て、エミリーの異常性が早速垣間見えます。
この生徒の母親以外、まともな白人女性は出てこないという末恐ろしさがあります。
白人至上主義グループを結成して、とにかく褐色人種を見下しまくる6人の女性、「白人男性に似合うのはこんな女性(エミリー)と自分を称える描写も中々に不快でしたし、その他のメンバーもやたらと差別的な発言を意気揚々とするのでこの時点で苦虫を噛んでる気分になりました。
このメンバー間の中でも見下し合いが起こっており、言動の品の無さとか服装とか行動とか、とにかく全員が全員自分を1番だと思って行動しているので、人の悪さが滲み出していて気持ち悪かったです。
イタズラという名のイジメの様子は、スクリーン越しであっても観ているのが痛々しかったです。やってる事が幼稚で、マヨネーズで髪を塗りたくったり、ピーナッツを口の中に放り込んだり、飲み物を無理やり飲ませたりと、その上アレルギー反応が起こって死んでしまうというもうやめてくれよ…という映像の連続でした。
しかも死んでしまった事を他人になすりつけるわ、見なかったふりをしようとするわ、これでもかというレベルのクズっぷりが展開されます。
しかも作戦立案をしたのにずっと慌ててはキレての繰り返しだったエミリーが、レスリーに完全に主導権を取られて怯えてるのも年功序列が逆転している様子が見事に描かれているなと思いました。ムショ上がりだから気は相当強いですし、平気で人質を殺しますし、人を殺した状況下でエミリーにモデルの交渉をするあたり、真の怪物はレスリーだったんだなと後半ドドっと明らかになっていきます。本当にエミリーが怖かったです。
少し残念だったのは、夜のシーンが真っ暗すぎて何やってるのか分かりづらいのが惜しかったです。ワンショット撮影なんで仕方ないとは思いますが、死体遺棄のシーンはおどろおどろしいはずなので、そこがしっかりしてればなぁと贅沢にも思ってしまいました。
ラストショットで少しだけ安心しましたが、なんにせよ人殺しに関わった4人には痛い目にあってほしいと思うばかりです。
今年観た作品の中でも不快指数の高い作品でした。それがクセになり、鳥肌の立ちまくる作品になっていました。全編ワンショットで撮られているのもあり、一度のミスも許されない撮影の緊張感がヒシヒシと伝わってきました。役者陣、製作陣の皆様、本当にお疲れ様でした。
これがデビュー作とは…ベス・デ・アラウージョ監督追いかけていきます。
鑑賞日 5/20
鑑賞時間 14:10〜15:50
座席 D-1
凄いものを観た。
胸糞映画を覚悟して観に行ったが、なんか凄いものを観せられた。
全編ワンショットという作品は今までもあったけど、実験的試みだったりワンショットであること自体を目的とした自己満足みたいなものだったと思う。
今作はワンショットで撮られていることが100%活かされており、一瞬も目を離すことが出来ない。どうやって撮ったんだろう、現場のスタッフ・キャストは最高の仕事をしている。途中で誰かひとりでも躓いたら、最初から撮り直し。失敗は許されない。特にラストなんて。
現場の緊張感が画面から伝わってくる。本気度マックス。
音楽も緊迫感を盛り上げたり、突き放したりと効果的。
主人公エミリーの何気ない仕草、会場を提供したものの会合の中身に気づいて追い出す神父、止めようとして止められない夫、等々、とても初監督作とは思えない。
自業自得とはいえ巻き込まれて、巻き込んで、加害者になっていく恐怖。犯罪の現場なんてあんなもんなんだろうな。これこそ、最後まで行く。
白人至上主義者のあからさまな本音。仕事や地位、住むところまで奪われて(アリエルまで取られちゃったからね)、実際にああやって思っている白人はたくさんいるんだろう。
だけどこれ観てると白人が優れているなんてとても思えない。
日本人も他人事じゃないな。
アレルゲン
ワンカット風(多分、空や風景にパンしたところが編集点と推測 勿論証拠無)撮影技法を用いながら、これでもかと胸くそ演出をスクリーンに描いてみせた制作陣の勇気に違った意味で拍手を送りたい 映画に悪手はないと思っているのが自分の信条なので、どんどん露悪的な限界を更新していって欲しいモノである
グロやリョナ、そしてエロがその表現領域を狭めているコンプライアンスの時代、勿論その方向性は間違っていない事は自分でも理解出来るしそうなって欲しい そして映画界が発見した新たな"刺激"が『イジメ』なのかもしれない 複合的な要素が絡まることであっさりと殺人に発展してしまうプロットは、日常に潜む悪夢を見事に炙りだしていた展開である 短い上映時間はその手法に依る、観客の疲労度を計算に入れてのモノであろうが、そういう意味では充分ケアを施した心配りでもあったというと、穿ち過ぎか?(苦笑
人種差別や性差別、とにかく差別という名前が付くモノの根源は、報われない物言わないマジョリティの鬱屈が煮こごり状になって初めて存在化する アメリカの政治活動"Teaparty運動"の流れをストーリーの起点にしているところも理解し易い 偏差値が高いとされる職業である、不妊治療中の教師を中心に、主婦や商店主の妻、その商店で雇われている元受刑者、単に自分の能力不足(努力では如何ともし難い、持って生まれたレベル)を認めない女、等々、ベーシックな鬱屈を抱えながらその捌け口を求めて"同志"を集う会に運悪く参加してしまった女性達の顛末のストーリーテリングがまるで画に描いたような堕ち方で、分りやすい構図に落とし込まれている
それぞれの女達の立ち位置も安直なキャラ設定で、観客に考えさせる負担を減らしている造りであることも特徴的である 映画は多層的、複合的な内面があって初めてその深淵が描かれるのが常なのだが、今作はそれを敢えて排除することも斬新である 勿論それが手法として正しくないことは重々承知しているし、だからこそ今作の露悪さを表現する事への抵抗を否定しない それでも、トランプ的政治を陰で支えていたのはこういった『環境の悪さを他人のせいにする』女達の声なき賛同が支えていたという現実を表現することに特化した作品としての評価は無視できない 散発的には描かれたであろう、南部の女達の拗らせた情念をこうしてカリカチュアしていくのは、勿論真実ではないにせよ、一つの現実として世に知らしめる大事な内容なのだと感慨に耽る
そして殺した筈の女の甦りで、このどうしようもない哀しい女達への粛清の幕が切って落とされるというオチは、唯一登場する神父や夫といった男達にどう響くのか、男から女への緩い洗脳の先の贖罪を暗喩させるラストに、我が身も身を竦む思いを抱かざるを得ない内容である
是非とも、登場人物達に、自分の力では及ばない摂理を、苦い薬を飲む感覚でゴクリと喉に投下する人生観に巡り会って欲しいと願う、上映後の感想である
胸糞悪いクズ女どもをワンショットで観る映画
2023年劇場鑑賞112本目。
内容知らずに鑑賞。エロいかクリーチャーが襲ってくるかどっちかだと思っていたら全然違ってたぜ!
差別主義者の白人女たちがなんの罪悪感も持たずに悪事を行う様を最初から最後までワンショットで描く作品。
後悔のかけらもない悪は本当に腹が立ちますね。コイツら全員ひどい目にあってくれたらいいな。
「不快」以外の感情が何も湧かない映画
本作が米国で上映され、そしていくつもの賞の対象になったということにまず驚く。
また監督がアジアの血を引く女性という事に更なる衝撃を受けた。
まあ、それ故の受賞なのかも知れないが。
自分もかつて5年ほどL.A.で生活していた事があるが、多くの白人が自分達は優れた人種であると言う認識を持っている事は否定しない。
そして中流未満のお金に困っている人々の中には職に就けなかったり、仕事が上手くいかないのは、口に出さないまでも、自分以外に問題があると思っているのは事実だと思う。
本作はそういう人達が思っている事を実際に行動に出したらどうなるか?という思い付きやすい発想の元に製作された映画であり、結末も至って凡庸で、チャレンジングな意欲作というよりもテーマ性のみで注目を集めただけの作品にしか思えない。
鑑賞後の感想(感情)は唯一「不快」の1点のみで少なくとも自分には何も残らなかったが、一つ言える事は、役者さん達がよくこの作品への出演を許諾したなあという事だけ。
インディーズを主戦場としている方々が多いようだが、その役者魂は賞賛に値すると思う。
特に論理的かつ冷静であろうとしつつも偏った主義主張を隠しきれず所々で露わにしてしまう主演のエミリー役(冒頭であのマーク入りのパイを子供に見せる〇キぶり凄い)と、犯行になるとイニシアチブを積極的に取ろうとするレスリー役の女優さんは強く印象に残ったので、僭越だが彼女達の為に星2つ献上させていただきたいと思う。
観たい度○鑑賞後の満足度◎ ゾクゾクするほど面白い。傑作だと思う。これは、人間は時と場合によって”怪物”になるのではなく、人間はもともと“怪物”を自分の中に持っていると云う話。
①初回鑑賞のみの楽しみではあるが、全体の2/3位までは話がどこに向かっていくのかわからない。
②先ず冒頭で妊娠していないことに涙する優しそうな幼稚園の先生が企画したgatheringが白人至上主義を奉じる女性たちの集まりであることに先ず驚かされる。
ただ、最初の女子会みたいなママ友会みたいな雰囲気の中に既に不穏な空気が漂い始めている。
白人女性ばかりとはいえプア・ホワイトまで参加させると後々面倒な事になるのではないか、と思ったけれど、やはりそうなりました。
仲間がいなくなった途端その陰口を叩くのも女らしい(男にもそういう人いるけど)
③しかし、彼女らの白人至上主義を日本民族もあまり笑えない。
もともと日本人なんて人種はいなくて、私たちは同じ文化・風俗を共有している日本民族というのが正しい。私達は、古モンゴリアンと新モンゴリアンとの混血であり、また同時に、日本列島が出来て大陸から渡ってきた最初の人々、その後大陸及び日本列島の北と南から渡ってきた後々縄文人や蝦夷と呼ばれる事になる人々、おそらく長江流域から水稲栽培の技術を携えて渡来した弥生人、といった人々の混血人種なのだ。1200年余し前の百済滅亡以降大量の人口流入が無かっただけ。
それでも、未だにある人々は”日本人の純血を守ろう“なんて言ってるし。(そういう私も先祖代々奈良なので心のどこかにヤマト民族の誇りみたいなものを持っている、実はヤナ奴)
④はじめは女子中学生の同級生いじめか、不良女学生の弱いものいじめレベルのノリだったのが、だんだんエスカレートしていく様がリアルで面白い。
程度の差こそあれ、軽い気持ち・浅はかな動機で始めたのが、そのうち暴走し出したり制御不能になって深刻な事態に陥るメカニズム
・自分だけじゃない、仲間がいるという安心感/共犯意識
・人間の持つサディズムへの刺激
・もうちょっと、もうちょっとという欲望の増大と自制心の後退
・弱いものいじめから増幅する優越感の恍惚
おお、怖!でも最後まで見届けないと、と目が離せない。
こういうものって誰の中にも大なり小なり有るんではないだろうか。
話的には姉妹を殺すところまでいくだろうな、と思っていたら妹の方がピーナッツアレルギーで死んでしまうという、こちらの予想を上回る展開。
⑤その後始末中、彼女たちは“ああ、何でこんなことになったの?”としつこい程独り言で或いはいがみ合いながら言い続ける。
だが、そうなる要素は最初から彼女らの考えや行動に潜んでいたわけで、それの表面化・顕在化に過ぎない。
深層心理が解き放たれる場が偶々出来たというか、私達だって何かミスしたり物事が上手くいかないと“何でこんなことになったのか?”と自問するけれども、大概はその原因ははじめから自分の中にあったのだ(無自覚な悪習・悪意であるかも知れないし考え方や無意識な反応かもしれないし)。
何はともあれ、原因は自分ではなくし自分の外にあると思いたがるのが人間というものだし。
彼女らの白人至上主義も裏を返せば、
⑥上の方でプアホワイトと書いたけれど、エミリーだって
怪物だーれだ
今年16本目はイオン桑名で鑑賞
だーれだって言うか怪物だらけだった
酔っ払い集団が暴走してファンブルしまくる話
行動はだいたい悪い方へ
主人公が自分は作戦立案担当と言った時点で
少し前に見たD&Dと同じだなと、どちらも作戦ガバガバだし、こっちは重犯罪だけど。
終始流れる不穏なBGMとカメラの写してない部分の効果音が結構楽しめた
口は災いの元
優秀なアーリア人
白人至上主義者の女性達がやらかす話。
移民を毛嫌いする主婦が集い「アーリア人団結をめざす娘たち」なる団体を旗揚げし、しまいには学校を作ろう!なんてノリノリな状態で巻き起こっていくストーリー。
何でしょうかね…知性の欠片も見えない何が優位なのかも示せないけれどとりあえず私達は有能とか思っているアッフォが馬鹿騒ぎして、人数と銃で言う事聞かせて…。
ワンショットでつくられている割には、なかなかテンポも悪くないし、胸糞悪さはたまらないものがあるし、それでいて第三者目線で見ると虚しさみたいなものも感じられてなかなか面白かったけど、やはり湖畔のあたりでは何をしているのかよく見えなかったりしてもったいないかなと。
そしてオチも一応伝わるけれども、本当ならもっと落として欲しいところで、ワンショットではストーリー的にこれが限界かなという感じ。
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