ぼくたちの哲学教室のレビュー・感想・評価
全44件中、1~20件目を表示
そろそろ自分の頭を使え。"でも“と問い返せ。
道を舞うゴミ、無数の金網フェンスと壁、曇天、威圧的な壁画、画一的な長屋、、。美や調和から程遠いこのような物に囲まれていると、そりゃ心も荒み、争いも起こりやすくなるだろう。唯一、最後のシーンの「完成した小学校の壁画」だけは、周囲を美しい調和のある場所に変えていた。美や環境ってほんと大事。。。
ケビン先生を見ていると「健全な精神は健全な体に宿る」を再認識する。(筋トレ!テストステロン!)
子供らがいい。純真。目がキラキラ。笑顔が堪らない。スポンジのように吸収するこの時期に、どういう先生に出会い、どういう教育を受けるかは、その後の人生に大きな影響を与える。願わくばこの学校のように先生が子供一人一人に寄り添ってくれることを。知識の詰め込みで無く、考える力、想像する力、相手の身になれる力を身につけさせてくれることを切に願う。教師ってほんと重責、そしてとてもやりがいのある仕事。
教育は、争いやドラッグ、分断に対抗できる、唯一の光なのではないか。「争い・しない・平和」これ口ずさみやすいイイ標語!
「殴られたら殴り倒せ」と私は教えていたので考えさせられた。そんな大人が多いから世の中から戦争がなくならないんだな。暴力で返さない、でも舐められない。。難しいが逃げずにやらねば。
「指の体操」落ち着く。素晴らしい発見!
善く生きるための授業
アイルランド、ベルファストの男子小学校の哲学の授業を撮ったドキュメンタリー映画だ。小学生が哲学を学ぶのは早すぎると感じるかもしれないが、ここで教える哲学は頭でっかちな学者が難しい言葉を振り回すようなものではなくて、自ら人生や社会について考える力を身に着けることを目指している。本来、哲学は難しい概念を振り回すことが目的じゃない、本当の哲学の目的は、ソクラテス風に言うと「善く生きること」だ。この小学校の哲学の授業はまさに「善く生きるため」の学びを実践している。
ベルファストは、ケネス・ブラナーの映画でも描かれたようにカトリックとプロテスタントの大きな対立があり、悲劇的な紛争を経験している。いまだに町は分断されており、争いの火種はくすぶっている。そういう町に生きる子どもたちに、争わずに生きる方法を教える一つの方法が、哲学の授業なのだろう。
教育のあり方として見習うべき点が多いのも注目だが、中心的な存在である校長先生ケヴィンさんのキャラクターがいい。エルヴィス・プレスリー好きで筋トレが趣味、地域の顔役のような存在になっていて、誰からも信頼されている。地域と教育のつながりのあり方としても参考になるものがいくつもある。
ルイス・キャロルからバズ・ラーマンへ。アイリッシュ魂が受け継がれたドキュメンタリー
アイルランドのダブリン市街地にあるその男子小学校には校長が直接教える特別な授業がある。
エルヴィス・プレスリーをこよなく愛するスキンヘッドの先生は、子どもたち一人ひとりの瞳を見つめながら哲学を教えている。
では、哲学とは何か。
それは自分に対して問い続けること。正解もなければ結論もない。しばしの思索の過程で子どもたちには気づきがもたらされる。
その行為は是か、非か。
急ぐことなく、慌てることなく、心に問いかけてみる。間を置くと言っても良いかも知れない。湧き上がる怒りの感情に任せて即断せずに、しばしの間考える。殴りかかることは是なのか非なのか。相手を捻じ伏せることで満たされるのは、ちっぽけな自尊心だけではないのか。
キャロル・リード監督の名作『邪魔者は殺せ(けせ)』(1947)では、ベルファストの街を舞台にIRAの男の長い一日が描かれる。アジトでの会合の後、銀行強盗でしくじった男は、銃弾を受けて防空壕に逃げ込む。その後、居場所を求めて右往左往する。ベルファストの街を陰影深い映像に収め、行き場を失った男の心象を見事に掬い取った傑作だ。
「ここには人生のすべてがある」…だから離れたくない。
ケネス・プラナーの『ベルファスト』(2021)で最も心に突き刺さったセリフは、愛してやまない故郷を離れたくないと願う母の願いだった。アイルランド出身のカトリーナ・バルフが演じた母は、子どもたちの未来のためにロンドンへの引っ越しを決意する。諍いで問題が解決することはない。頭では解っていても心は理解しない。今もその連鎖は続いている。
みんなで手を取り合って歩ける世界を夢見ることができれば、それは叶う。
なのに、僕の夢は叶わない。
『僕たちの哲学教室』の前にバズ・ラーマンの『エルヴィス』(2022)を観ておいて本当に良かったと思った。何故ならば、この作品の冒頭と結びに、アイリッシュの血を汲んだエルヴィス・プレスリーの名曲『If I Can Dream』が流れるからだ。
夢見る強い力を持ち、心を解き放てば、僕たちは羽ばたけるはずだ。
目の前で起こる諍いに対して、エルヴィスは初めて自分の言葉を歌った。校長が愛するエルヴィス、その出自は1775年に移民したウィリアム・プレスリーの血を汲む。
人と人がつながり、映画がかくも人をつなぐ。このドキュメンタリーはとても素敵なことを教えてくれる。
哲学の授業が子供たちにもたらすものとは?
北アイルランドの首都、ベルファストにある公立学校、ホーリークロス男子小学校で実践されている哲学の授業風景と、背景にある社会的な問題にフォーカスした本ドキュメンタリー。ベルファストと言えばケネス・ブラナーが監督した同名の劇場映画が描いたように、街を分断するカトリック教徒とプロテスタントの長い対立が市民にもたらした悲劇を想起させる。
本作のベースにもそれがあって、子供たちに対して「怒りを怒りで返すことは無意味」と説き続ける先生の切実な願いが、画面を通してひしひしと伝わってくる。哲学教室の担当で校長でもあるケヴィン・マカリーヴィーの教え方は徹底して子供たちの視点に立っていて、「やられたらやり返す」と答える少年と、「そんなこと続けているともっと酷いことになる」と反論する少年とを対話させることによって不戦の意味をじんわりと浸透させていく。そのプロセスが実に微笑ましく感動的で今日的なのだ。
根底にあるユーモアが生々しいテーマをソフトに包んでいる。マカリーヴィー校長はスキンヘッドのエルヴィス・ファンで、鼻歌混じりで学内を歩いている。校長室にはエルヴィスの人形が飾られている。そんな校長を"ボス"と呼ぶ生徒たちは、毎朝、登校時に出迎えてくれる校長と嬉しそうにハグし合っている。厳しい現実と笑いが台頭に渡り合っているところが本作の最大の魅力だ。とにかく、子供たちの笑顔を見ていると、絶対に彼らを守らなくてはいけない。そう思わせるのだ。
In a Corner of the UK
Reminded me of the 2002 French documentary To Be and to Have. It follows a schoolmaster and his work educating young Belfast youth to live good lives in what I didn't know were still the rough streets of Belfast, a city that took some Oscar cinema spotlight last year. It's a supplement of slice-of-life existentialism in a corner of modern Western society. The mood-setting soundtrack is on point.
考える人を育てる試み
アイルランドで実際に行われている、子供の哲学教室。
古くから存在する哲学を学ぶことは、思いやりを持った人間を育てるために、今の時代にも大切だと思う。
だけど、どうやって教えるかということが、難しい。
また、健全な教育のためには、平和な環境も大切だということを実感した。
長きにわたる紛争の後に傷が癒えない街で
人の意見を聞いてみること。意見を交換すること。戦い以外の解決方法を哲学教室で子供たちに伝える校長(ぱっと見むっちゃ怖い) と学校のドキュメンタリー。
とても考えさせられるドキュメンタリー映画
子供たちと向き合い常に考えさせるケビン・マカリービー校長率いる教師と子供たちの対話が印象的だった。
子供と向き合い対話し、分かり合い、それでも規則を破る子には毅然とした態度でしつける。
そういう大人のあるべき姿をきちんと見せてくれて嬉しかった。
滋養あふれる「問い」のちから
日曜日に鑑賞。月曜の朝、出勤時になぜか充実した力を感じました。何か旨味と栄養のあるもの食べたかな?と思ったけど、本作によるものだったかも。
毎日まぁ、途切れなく起こるトピック、哲学の種。退屈する間もありません。
子どもたちの表情、心のキャパシティから溢れてしまう涙と言葉、町の歴史と未来、青年期のむずかしさ…。
純粋な会話劇を楽しみました。
疲れたら、路肩に寄せて少し休もう。校長先生が伝えていたのは心の運転技術だったのかな。ぶわーっと沸騰してきたら、客観的にアクセルをゆるめよう。
作中にアンガーマネジメントも登場しますが、やる気マネジメントも大切ではと思います。やっぱり、回転数が過度になりますし、後に「まさかあの人が良からぬことを」なんて展開はつらい。そういう意味では校長先生をちょっと心配してしまう。お体に気をつけて活躍してほしいです。
題材の本質として、とりとめなく、はじめも終わりもないのですが、作品は素晴らしいエンディングをみせてくれます。すーっと澄みわたったような気持ち良さ。
今度、目を閉じて数秒間、君たちの学校のことを思っていいかな…?
「哲学」する子どもたちは素晴らしい!
とにかく「羨ましい」のひと言に尽きる。「哲学」が主要教科になっていて子どもたちは日々「なぜ?」「どうしたらいい?」「どうしたい?」・・・問いかけられ、声かけられ見守られて少しづつ成長していく。他者と対立するのでも従うわけでもなく、対話を繰り返しお互いに認め合える着地点を探って行く姿がとても頼もしく見える。
労働者階級の住宅街に北アイルランドの宗派闘争の傷跡が残るこの地域は混沌とした衰退地区で犯罪や薬物乱用が盛んなこの街の絶望感は映像のあちこちに映し出されている。決してきれいでもなく治安も悪そうな場所で、周りに巻き込まれ流されて行かないように、自分自身で考えて答えを導き出せるようにケビン校長をはじめ教師たちは子供たちに武器として「哲学」を授ける。
大人の覚悟が凄い。繰り返し繰り返し子どもたちに語り掛け、叱ることなく子ども自身で気づけるように導いて行く根気強さに脱帽する。
詰め込み、学力重視で子どもたちを点数でしか見ていない日本の教育にこそ絶対に必要なものだと強く思う。そのためには大人たちも本物の大人になる必要が有る。これは私自身にも言えることでは有るけれど・・・観終わって、心が暖かくなる作品だった。
地道な作業
学校での学びと、それを裏切るような社会環境、そして紛争を経験した親世代からの影響。自分の意見を持つこと、相手の意見を尊重すること、日本に比べたらまだ欧米諸国の方がそうした教育は進んでいるとは思うけど、そうは言っても、そんな簡単に身につくものじゃない。繰り返し繰り返し、同じ失敗もしながら、少しずつ身に付けていく。暴力が何を生むかはケヴィン校長も嫌というほど分かっている。だからこそそうではない方法を哲学を用いながら子どもたちと一緒に考えていく。一つの正しい答えがあるものではないからこそ、豊かに自由に考えられる、そして新たな視点も持つことができるのが哲学の醍醐味だ。
父親から「やられたらやり返せ」と言われてその通り実践した生徒に対して、「そろそろ自分の頭で考えろ」と諭し、「なぜ?」と問う重要性を伝えるシーンは良かった。親だからって正しい意見を言ってるとは限らない。疑って、問う、そして自分の意見を伝える。本当に地道で大変な作業の繰り返し。
校長先生も現実逃避したくなるよなぁ。エルビルプレスリー大好きがめちゃ伝わってきましたよ笑
生徒が考え意見や行動を決める。これが教育だと思います。
小学生の時期に何か悪い事をした時に、叱られるのでは無く、何故この様な事が起きたのか?どうすれば解決出来るのか?子供達に考えさせる。とても素敵な教育です。何より先生達が子供達と一緒なって楽しんで居ます。本当に素敵な先生達と学校です。映画館で観て良かったです。ずっと住職に諭されている感じでした。
ドキュメンタリー fromベルファスト
エルヴィス・プレスリーが好きな校長先生、校長室には、かけ時計、ポスター、フィギュア、いたる所にエルヴィスが(笑)
着うた、まで(笑)
同じエルヴィス好きとして親近感わきます(笑)
そんな校長先生が代表を務める小学校に密着したドキュメンタリーです。
アイルランド、ベルファスト、って聞くと、パンク好き音楽好きとして血が沸きあがりますが、
僕みたいに音楽方面から興味を持って観ても楽しめます。
やっぱ、ベルファストって街並みもオシャレでイケてる♪
ドキュメンタリーなので、リアルなベルファストが観れて、興味深い。
小学生と先生から発せられる言葉が、心に響き、胸を打ち、考えさせられます。
定期的に観たくなりますね。
皆さんに、オススメです。
若きプラトンたちの対話に希望を見いだす
若きプラトンたちの対話に希望を見いだす
映画のの原題は “Young Plato”、「若きプラトン」である。プラトンはソクラテスの弟子であり、哲学を学ぶ子どもたちといったとも言い換えられるか。エマニュエル・カントは「哲学は学ぶことはできない。哲学することを学びうるだけである」と言った。そう言う意味では、この映画の登場人物たちは子どもだけでなくその親や先生も哲学を実践しようとしている。完全なドキュメンタリーなので、出演者の行動は自然だ。ここまでカメラの前で自然に振る舞えるまでにどれほどの時間を要したのだろう。撮影期間は2年に及んだと聞くが、この映画に盛り込めなかったものもさぞ多かろう。
止血状態の平和
この舞台となっているホーリー・クロス男子小学校の所在するのは北アイルランドのベルファスト、かつてカトリックの住民とプロテスタントの住民の対立で多くの血が流れた場所だ。和平が成立していることは筆者も報道で知っていた。ただ和平の実態は実に微妙だ。街は「平和の壁」と呼ばれる分離壁で分断されている。もちろんカトリックとプロテスタントの住民を分断するためなのだ。つまり流血状態を分離によって止血処置をしたというほうが当を得ている。今では整然とした街並みが平和を取り返したかのように映し出す一方で宗派対立の名残や薬物問題などの問題が剥き出しの壁画として主張している。このドキュメンタリーで登場する壁画はこの街の心情を写し出す。壁が無くなればまた血が流れるのだ。
決して平和へのサクセス・ストーリーではない
この映画の主人公であるホーリー・クロス男子小学校の校長先生ケヴィン氏は子どもたちと哲学の実践を試みる。子供たちの間で日常的に生じる対立を徹底的な話し合いで解決に導いていこうとするのだ。それが日本語タイトルでいうところの「哲学教室」なのか、物事の捉え方、考えかた、行動の仕方を自ら考え、話して、他の人の意見を聞いて、お互いの違いを認識して、理解へ繋げる。それでも短絡的に「哲学が平和への処方箋だ」というストーリーではない。誰でも経験するように喧嘩して仲直りしてまた喧嘩する、これを繰り返すのはどこにでもある風景でこの学校も例外ではない。それでも決して議論による解決をあきらめない。
聖者ではないケヴィン校長
この映画に出てくる子どもたちや教職員みなが日々それぞれにストレスを抱えながら生きている。ケヴィン校長も過去の失敗談をもっていて告白する。今もエルヴィス・プレスリーの音楽に浸ったり、激しい運動をするのも日々のストレスとは無縁でないことの表れに見える。ベルファストという特別な土地柄を除けば、彼も周囲の人物も決して特別ではない普通の人間なのだ。そんな普通の人々がケヴィン先生に促されて対話を尽くそうとしているところにこの映画が示す平和の道標が浮かびあがる。
子どもたちの争いの中に世界の対立の縮図が写し出される
出演している子どもたちは撮影当時の小学生だから当然北アイルランド和平後の世代だ。学校教育で紛争当時の記録をみせられるし、家庭でも聞かされるだろう。痛ましい過去に対しての親の向き合いかたが子どもに反映されるのか、人間の本能なのか、子どもたちの日常に生じる些細な摩擦が暴力に発展していくのを見ていると今日の世界の対立や紛争と驚くほど通じるものがあることに気づく。「やられたらやり返せ!」「カトリックとプロテスタントは人種も言葉も違うから共存できない」子どもの発する言葉のもとは流血の惨事に晒されてきた親世代の鏡なのだ。過去の出来事や既得権益を巡って対立するのは、子供の世界も国家間でも同じなのだ。子どもたちに対話をさせるように国家間でも対話を尽くすことができないのか。「50年も前に起こったことはもう関係ない」「世界はみんな家族だ」「流れている血の色は同じ、同じ人間だ」ほんの数十年前に悲劇が起きた街に生まれ育った子どもたちの発する言葉に重みがある。
「自ら考える力」そして「対話をする力」こそが未来を背負う子供達への真の遺産
ケヴィン先生は常に正解を持っていない。何度も子どもたちに問いかける。答えは子供達との対話の中にあるという姿勢なのだろう。そうすることで子どもたちは自ら考え、他人の言葉に耳を傾ける。人は時に、怒りで考えるよりも先に行動に走ってしまう。ひとりだけの考えだと、どんどんふかみにはまっていく。どうやって怒りを制御するかも、みんなでアイデアを出し合って共有する。考えるためには怒りを抑えなければならないからだ。未来の子どもたちに平和を届けたいというのは、親ならば誰もが持つ希望だろう。民族主義の対立が吹き荒れる今日の世界で、偏狭な歴史教育は対立を煽っていないだろうか。自国の歴史教育を盲信して他国の立場や主張に耳を傾けなければ、対立の溝は埋まらない。対立しているからこそ、話し合いが必要なのだ。
世界中のケヴィン校長の生徒への課題
この映画のように話し合いで解決できるほど国際社会の現実は優しくないと言わざるを得ない。この学校にはケヴィン校長という秩序が存在する。残念ながら国際社会はアナーキー(無政府状態)であり、ケヴィン先生の代わりになるような存在は国際社会には存在しない。多極化する世界では国連安保理を持ってしても無力なのだ。議論するどころかその話し合いさえも拒絶されてしまう。だからと言って対話をあきらめてはならない。ケヴィン先生に学んだホーリー・クロス男子小学校の生徒、この映画を見た世界中のケヴィン先生の生徒がそんな世界の課題に対する答えを探すために対話を続けるだろう。もちろん筆者もそのなかの一人でいたい。
素晴らしい✨
今年観た映画のベスト入り。
「学校に爆弾が仕掛けられる」冒頭から始まる。つまり問題は継続中。
先生方の奮闘に頭が下がるし、生徒たちのバックグラウンドは厳しいが、目はキラキラしている。
数年ぶりにパンフ買いました。
この学校や支援活動を応援しています。
成果の見えにくい挑戦
ベルファスト、こんなにまだ荒れてるのね。
物々しい壁画がつらい。ここに牧歌的な子ども時代はふさわしくない。
でも、場所も時代も選べず、生まれ落ちたところを故郷にして生きるしかない。
哲学を学ぶことの意義が、よくわかった。が、成果が見えにくい挑戦を、私ならば続けられるだろうかとおもった。
ストア派とはギリシア発の哲学みたい。つか、哲学自体がギリシア発じゃね?思考する手段は、そんな時代からあって、一部の人間は実践してきた。でも、2023年でもまだ途中ということに、諦観を覚える。
それは私がペシミストだからかも。
大人が子供に教えるべきこと
やりたいことも好きなものもない、思考停止の植物人間が増えているなか、この学校はまさに考える動物、「人間」を育てる授業をおこなう。
愛嬌たっぷり、それでいて威厳も兼ね備える校長先生自らが、生徒一人ひとりの意見を尊重し、問題があれば丁寧に対話を重ね、教師陣、サポーターも生徒の家族を巻き込みながら一丸となって子供に向き合う。
この教育方針の良し悪しは、子供の反応を見ればよくわかる。
この学校を出た子は将来なにになるんだろう。どんな大人になるんだろう。
ホーリークロスの生徒は、一生ホーリークロス、という言葉にあらわれているように、ここで体験したことは一生、糧となっていくのでしょう。
なぜ、ベルファストなんだろう?という疑問は、映画の中でたびたび触れられる、宗教的な対立が今も過去のものではないというところなのでしょう。
怒りをぶつけてもいいか。やられたらやり返すのか。子供のさまざまな意見(時にものすごくフレッシュ)に、決して「だめ」「違う」と決めつけず、導いていくアプローチには舌を巻きます。生徒をあえて、父親役にするなんて!
すてきな学校、給食はやっぱり茶色かったけど笑
ベルファストの小学校で実際に行われているという、対話を重んじる授業...
ベルファストの小学校で実際に行われているという、対話を重んじる授業の模様。
宗教での分断対立の象徴のような街ですが。
自分の意見を自分の言葉で言えること、
人と違うことを躊躇しないこと、
異論を受け入れること、
起こしてしまった問題をどう反省するか、再発させないか、
マインドマップ、
アンガーマネジメント、
etc.
日本では、大人子供問わず滅多に見ないような、生産的な会話の模様、
素晴らしく為になりました。
子供達の可能性
夫と子が旅行中なので(o^^o)
映画観まくるぞ!第2弾!!
ずっと観たかった本作!まだ上映館あったよ!ありがとうユーロスペース!
プロテクタントとカトリックが長く対立している北アイルランドの首都ベルファスト。
そこにあるホーリークロス男子小学校を舞台に「哲学」の授業を2年間に渡り記録したドキュメンタリー作品です。
私の学生生活を振り返ると、校長先生ほど遠い距離の先生はいなかった。
在学中は名前と顔が一致する程度で、
運動会などの行事毎に長く話す人。位の印象。。( ̄∇ ̄)
しかし本作のケヴィン校長先生はいつも生徒達の身近な存在としてあり続ける。生徒達からボスと呼ばれ、出会えばハグ、タッチ!生徒達からリスペクトされているとわかる。
エルヴィスを愛するロックな校長、可愛らしい子供達にほっこりするのだが。
ここはベルファスト。
今だに終わらない宗教的な争いがあり
「平和の壁」と呼ばれる分離壁が、今も街を分断している。。皮肉な名だ。
そんな環境に身を置かざるを得ない子供達。
ケヴィン校長は言う。
「どんな意見にも価値がある」
そして問う。
「やられたら、やりかえす?
それでいいの?」
粘り強く問う。
考えること。対話の大切さ。
負の連鎖を断ち切る!終わらせるのだ!という強い覚悟が伝わります。
上から押さえつけるのは簡単。
だけどそれでは何も変わらない。と言われている気がしました。
哲学の授業風景や内容、ケヴィン校長先生など、全て素晴らしく重要なことばかりで考えさせられるのですが。。
1つだけ。ちょっと。
この小学校がカトリック系なので、、
宗教と哲学を一緒に学ぶ点について。
なんというか。。
宗教を語るシーンでは「神」については断定的にうつった。
そこに哲学的な疑問は入る余地がない。。のでは。。
む、難しいです。。
生まれる国、環境、親は誰も選ぶ事は出来ない。
でも私達は考える事が出来る。
ホーリークロス小学校の子供達が、困難な場面に遭遇した時、ケヴィン校長先生の哲学の授業を思い出してくれて、哲学的に解決してくれたらいいなと強く思いました。
私も子に戦争について、対話の大切さについて伝えていきたいと思ったし、
私自身も子供の考えを「待つ」「聞く」事をより意識して接していきたいと思いました。
全44件中、1~20件目を表示