「批判的主張はない。多分あるのは「そこにある愛」」私たちの声 penさんの映画レビュー(感想・評価)
批判的主張はない。多分あるのは「そこにある愛」
Me Too運動が象徴的な米映画界にあって、「女性に関する、女性による、みんなのために作られた」コンテンツ制作をスローガンに掲げている非営利の映画製作会社「We Do It Together」のプロデユース作品。家内がみたいというので同伴で鑑賞しました。
男性と女性は必要以上にその差が強調されていて、それがジェンダー格差に結びついている面は否定できないので、ものいいには慎重であるべきと思いますが、男性と女性はやはりその特性において違いがあるように思います。あえていうと父性の「力」に対し母性の「愛」とでも言いましょうか、男性にも母性的要素はあるし、女性にも父性的要素はある。個人差はあると思います(ちなみに私は母性的要素が強いと思っています。娘からは小さいころ、よくママと呼ばれてましたので(^_^))が、世の中の男性と女性を、父性的要素と母性的要素がどれだけあるか一人一人調査して平均を取ると、やはり男性は父性的要素に勝り、女性は母性的要素に勝るということになるのではないかと思います。あたりまえのようですが、この「平均」というところが肝要で、社会の仕組みはこの二つのグループを切り分け、一人一人の人間をどちらかに押し込めることで、格差の有無とは別次元で、効率的に社会の秩序を保っているのではないかと思います。
「無限の思いやり」にも「帰郷」にも「私の一週間」にも、その他作品にもこの「愛」という言葉が、ちらちら顔を覗かせているように思いました。しかし大切なのはそのことを声高に主張するのではなく、ただそうありたいと願い、そのままの姿でそこにあるとでもいいましょうか。そこには暴力もセックスもサスペンスも強欲も勧善懲悪も何もありません。そこが新鮮でした。
最近日経で連載されていた「仕事とジェンダー格差」(やさしい経済学)でも、育児の責任は女性にありとする価値観が、若い世代にも色濃く残っていることが伝えられていましたが、役員の女性比率だけでなく、男女間の給与格差なども、先進国の間では一番後塵を拝しているようなので、意識するしないに関わらず「愛」を利用し「力」で搾取している社会構造が日本にはまだまだ残っているのかもしれないな、そんなことを思います。
「女性に関する、女性による」、しかし女性のためだけでなく「みんなのために作られた」映画。特に日本の男性達はこの作品を観て何かを感じるべきかもしれない・・・そんな風に思いました。