AIR エアのレビュー・感想・評価
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バスケ好きのコンビニ店員
バスケットの神様の発掘
アメリカ流 プレゼン・交渉術のデモンストレーション
折り混ぜられる80年代の映像がエモい
スポーツビジネス、半端ねえ!
スポーツに疎い私でも知っている、マイケル・ジョーダン。
そして彼が履く「エア・ジョーダン」。名前なら知ってる。
結果がわかっている話の実話って、どうかなと。
コンバース、アディダスに次ぐ第3位の、ナイキ。
バスケ部門撤退か?の崖っぷちから、這い上がる様。
どれだけジョーダンが、社運をかけるほどの逸材なのか?。
どうすれば、ナイキシューズを履いてくれるのか。
開発者、スカウト、代理人、セールス、CEO等。
話の展開に、圧倒されました。
マットとベンアフ以外も、クリス・タッカー等配役もナイス。
考えたなあ、と思ったのが。
契約交渉等、ジョーダンが出てくるけど、背中だけ。
顔は映らない。なんでやろ?。最後でわかりました。考えたね。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「ただの靴も、誰かが履けば意味が生まれる」
my adidas!!(当時)
1984年の発売以来、今なお存在し続けるNIKE社の大人気スニーカー『エア・ジョーダン』誕生に至るまでのお話。なつかしいですねぇ。私は、高校生の頃にようやくエア・ジョーダンというスニーカーを認識しました。5ぐらいですね。みんな、アルバイトして買って履いてました。黒の詰襟変形学生服に、ハイカットのエア・ジョーダンですよ。すっごい変じゃないですか。私はまだコンバース、アディダス派でした。高校生にもお求めやすかったですから。
当時、ナイキは今ほど知名度も高くなかったような気がします。それが、後のバスケ界の神となるマイケル・ジョーダンとの契約を取り付けた。ナイキはイヤだ!と明言していたMJ本人や、やり手婆のお母さんを相手に。
サラリーマンのおじさんに響きます。
ジョーダンママ最高
最強の神器
マイケル・AIR・ジョーダン!
90年代に世界を席巻したNBA人気、その騎手となり史上最高のアスリートと言われたマイケル・ジョーダン。
ナイキ独自のエアジョーダン・ブランドの立ち上げとそれを仕掛けた男たちの物語。
【ストーリー】
マジック・ジョンソンやラリー・バードが牽引し、80年代に絶大なる人気を誇っていたNBA。
アディダス、コンバースといったスポーツブランドは、彼らにシューズを提供して、その販売に力を注いでいた。
そこにどうしても割って入りたいナイキだったが、予算も少なく毎年お茶を濁すような二流〜三流の選手としか契約できない。
だがその年のドラフト3位にまだ卒業前の3年生、1年生で大学バスケットボールの優勝を決めたミドルショットを成功させた選手あがったのだ。
その名はマイケル・ジョーダン。
土壇場で上級生エースではなく、やせっぽちの1年生になぜそのショットを任せたのか、それを多角的に分析し、主人公ソニーは社長に、全予算を投じてマイケル・ジョーダンの一本釣りを提案する。
エージェントを介さずにジョーダン家に乗り込んだソニーは、そこで母親のデロリスと会えた。
大学時代からジョーダンを支配したとまで言われたデロリスは、賢く鋭く辛辣だったが、ソニーはそこから大きなインスピレーションを得た。
会社に戻ったソニーは、まわりに先行する同業他社の今までどおりの保守的なプランを蹴っ飛ばすような、痛快なブランド立ち上げを提案する。
そして完成したエア・ジョーダン1。
それは今までのシューズの歴史を塗り替えるような、最高のシューズとして、マイケル・ジョーダンたちに披露されたのだ。
主演はマット・デイモン、監督と助演は盟友ベン・アフレック。
当時の映像をふんだんに使ってリズミカルに展開を描き、こちらをグイグイと80年代の空気(AIR)に引きずりこみます。
まず、マイケル・ジョーダンというアスリートがどれほどの存在だったのかをおさらいしておきましょう。
ドラフト一巡目3位で当時弱小フランチャイズだったシカゴ・ブルズに入団し、デビューからその高い身体能力を活かしたスコアリングマシーンぶりを見せつけ、均整の取れた空中ポーズでスラムダンクを連発して雑誌の表紙になりまくって大人気選手となり、3年目には2位以降に大差をつけて得点王となる。
優勝6回、ファイナルMVP6回、シーズンMVP5回、オールNBAファーストチーム10回、スラムダンクコンテスト優勝2回、あげればキリがないほど、現役期間中にはメチャクチャにタイトルを取りまくり、すべてのアスリートよりも稼ぎまくった恐るべき選手でした。
ハイテクシューズの走りとなったエア・ジョーダンはその後もナイキに莫大な収入をもたらし、今なお有名選手が好んで履いています。
あまりに人気が出過ぎたせいで、少年の間で非常にいたましい事件が起きたほど、それは熱狂的なブームでした。
ナイキのシューズを履くことで罰金を払い続けたジョーダンですが、当時ピチピチだったジャージ規定を破り、ダボダボのジャージを好んで着用したことでこちらも罰金を払いつづけました。
ちなみにシューズもジャージの規定も、皆がジョーダンの真似をするようになって、なくなってしまいました。
彼は瞬く間に最もホットなストリート文化のアイコンになり、現役当時すでに伝説で、バスケットボールの神様と呼ばれるようにまでなったのです。
マイケルを育てたジョーダン家の傑出しているところは、ご両親の潔白さです。
マイケルがいくらお金を稼いでもそれを受け取らず、父のジェームズ氏は亡くなるまでずっとタクシードライバーをしていたそうです。
母親も辣腕ぶりで有名でしたが、サインや写真を求められても決して応じない清廉な人だったそうです。
そのジョーダンが放った、1982年NCAAディビジョンⅠ決勝のシュートは『ザ・ショット』と呼ばれ、その後の華々しいキャリアの突端として今なお語り継がれています。
ザ・ショット。
かっこいい。
撃ちたい。
さて、その一撃で目前の優勝を取りこぼした敵チームのパトリック・ユーイング(和名・ゴリ赤城)は、その後もNBAでジョーダンにやられまくる、可哀想なスター選手になってしまいました。
まあジョーダン現役中は、みんな可哀想っちゃ可哀想なんですけど。
ちょっと名前の出てきたチャールズ・バークレーですが、空飛ぶ冷蔵庫と呼ばれた小柄なマッチョパワーフォワードで、コメントがめちゃくちゃ面白いので『サー・チャールズ』と呼ばれてこちらも大人気になりました。
熱く語りすぎてもうオチも考えつきませんが、プロ・アスリートとしての総収入でいまだに一位を走りつづける生ける伝説マイケル・ジョーダンとエア・ジョーダンブランド、その歴史的な立ち上げを見事に映像化した本作。
これを見た若者たちが熱い夢を胸に抱き、ジョーダンを超える新たな伝説を作りあげることを、願わずにはいられません。
映画館で観ていないことを後悔した。
あのエアジョーダンが生まれるまで!
おもしろかった、
楽しく鑑賞できる
まず始めに結果から言うと、素晴らしい作品でした。ただその印象はどこから受けたのかを考えると、この作品の題材となった「マイケル・ジョーダン」や「NIKE」なのかもしれません。勿論作品に登場したマット・デイモンやベン・アフレックスたちの演技も良かったです。そして80年代を思い出させるように名曲や映像の数々が、ごく自然に我々視聴者を作中の舞台へとタイムスリップさせてくれます。またマット・デイモン扮するソニーがマイケル・ジョーダンを説得するための台詞もとても感慨深くてハートを鷲掴みされてしまいそうでした。そのシーンの直後、マイケル一行が去った後、仲間うちでソニーの言葉が良かったと褒め称え合う中で「おれは忘れられない。」とフィルのつぶやきには笑えました。
これがもしナイキやマイケルが題材で無かったらと考えてしまうのは私だけだろうか。と言うのも作品自体が悪くてもマイケルやナイキというキャラはすでに我々に受け入れられています。また視聴者たちはこのストーリーの結末を知りながら観ているわけですから、エンディングに納得するのも当然の流れなのかと、ふと思ってしまいました。
何はともあれ、楽しく鑑賞出来る素晴らしい作品であったことには間違いありません。
ビジネス映画としても十分観ごたえあり
NIKEの最高傑作が生まれる前夜の物語
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