ブルックリンでオペラをのレビュー・感想・評価
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終わりよければ─
よくあるようなラブロマンスを、複雑であまりないような家族構成でもって見せられ、しかも内容も非現実的なものを感じてしまったために、最初はすんなりと受け入れることができませんでした。しかも、華麗に映し出されるアン・ハサウェイ─かなり魅力的なのですが、相当の違和感・・・また、最初の劇中オペラが全くいいものには見えないのに劇中では絶賛される違和感・・・まぁそれはそれで結構笑えるんですが─しかもあのアン・ハサウェイの違和感はここに帰結するのか!と思ったし。
意外と音楽的なこだわりは薄い作品かもと思いながら見ていましたが、次のオペラの感動的なことと絡ませ方の見事さに、そしてまた最後のブルース・スプリングスティーンなんかで、結局は音楽だったんだと─いや、あのオチだったのか?めっちゃおもろかったけど、アンさんあれで良かったんですかねぇ
めちゃくちゃ長く感じた
20周しておもしろいのかも?って考えたすぐ後に21周してやっぱおもしろくないなと思って終わったときには25周くらいしてやっぱりずっとおもしろくなかったなという感想。
初めてスティーブンが船に乗るまでは面白いかも?と思っていたけどその後からずっとおもしろくなくて見終わったとき3時間くらい見た気がして調べたら104分でビックリした。
オッペンハイマーより全然長く感じたし一緒に行った人は隣で完全に寝ていた。
パトリシアとスティーブンの夫婦にもっとフォーカスを当ててたらもう少しおもしろかったのかもしれないけどメインがどこなのかも分からないくらい全部中途半端だった。
結局この映画はなにがテーマでなにを伝えたかったのか?
見ている間ずっと考えてたけど「多様性を訴えたいのか?」と、それしか感じなかった。
ただアン・ハサウェイがめちゃくちゃ綺麗だった。
面白いっていえば面白いけど、なかなか観る人を選ぶ映画かもしれない。
レベッカ・ミラーの短編小説が原作で、脚本、演出も彼女が担当している。レベッカは「セールスマンの死」のアーサー・ミラーの娘でもともとは舞台女優。その後、映画の制作に関わるようになった。ほら、映画のなかで「She came to me」のリハーサルがあって(スティーブンがいろいろ口を挟むので前に進まない場面です)演出家のスーザンだっけ?が出てくるのだがあれがレベッカ本人だと思いますよ。
作品自体はニューヨーク派というか都市型というか。スティーブンの身体的特徴はもちろん、パトリシアがユダヤ系でありながら敬虔なカソリック信者であること、パトリシアの連れ子ジュリアンの肌の色が黒いこと、テレーザの母親が移民であり娘をアメリカ人の養女にしていること、などなど。まさに人種、宗教、信条の多様性の渦巻く中、現代のおとぎ話がのっかるかたちになっています。なかなか我々日本人には理解しにくいしひょっとしたらアメリカ人でも西海岸やローカルの人はそんなに分かってないかもしれない。
でも映画のポイントが二つ。
一つ目は曳き船に着目したこと。映画の中で説明された通りアメリカ東海岸では現代でも海運は隆盛であり車での移動が当たり前のアメリカ社会では、船に乗って他の州に移動することが盲点になっているようです。
二つ目はテレーザの養父トレイの人物像。法廷速記者であり法律には詳しく警察にもコネがある。
そして南軍のコスチュームマニアという設定。
アメリカのいわゆるオルタナティブ・ライトは南軍マニアと親和性があるようです。国会議事堂襲撃事件の時、南軍旗が掲げられていて実行犯には南軍軍装を身にまとった者もいたでしょ?
この映画ではトレイを徹底的にコケにすることによって潜在的なレイシストの存在を告発しているともいえるのです。逆にいえばアメリカ人でも信条的にちょっと違うなと思う人もいるかも。
最後にアン・ハサウェイについて。この映画は彼女の映画ではありません。原題の「She came to me」の「She」は曳き船船長カトリーナのことだから。でもさすがの存在感で出てきただけで画面を全部さらってしまいます。なるほど彼女の連れ合いはピーター・ディンクレイジくらいの個性がないと勤まらないはずです。でもまだ老け込む年でもないので今度はぜひ本当の主役としてロマンティックコメディに出演して欲しいものです。
#08 自分らしさを探す旅
期待度○鑑賞後の満足度○ 配給会社の人は邦題の付け方に悩んだのじゃないかしら。曳き船を舞台の一つにしたのは大変宜しい。
①最後に全て伏線回収されるけれども、それまでがとっ散らかっている。
群像劇だからとっ散らかっているのは当然、ではなくて群像劇でも統一感は必要。
最初はエピソードがあっちこっちを行ったり来たりするが、面白い!というより困惑させられる。コメディタッチのシーンも散見されるがさして面白くない。
②登場人物の殆どは病んでいる人たちだが、それが映画の面白さに繋がっていないのが惜しい。
アン・ハサウェイ(年齢を感じさせるようになってきましたねェ)は、病んでいる人を治療する精神科医の筈が自分も病んでいて、潔癖症が高じて尼さんになる、という美味しい役ながら哀しさと可笑しさがあまり出ていないのも惜しい。最後にぶちギレちゃうシーンが可笑しかったくらい。
ピーター・ディングレイジも上手い俳優さんだが、彼でなくてはならない、という役でもないし。
アン・ハサウェイの息子の彼女のお母さんはこの映画では病んでいない普通の人だが、ヨーロッパからの移民にする必然性があったのかよくわからない。
アン・ハサウェイの奥さんが尼さんになる道を選んだ心の揺れとか、ピーター・ディングレイジの旦那がいつからマリサ・トメイに愛を感じ始めたかも一つわからない(最後のプロポーズはお決まりの展開だが、やや突然すぎる感あり)とか、総じて各キャラクターの心の動きの描き方が物足りない。
ということで、やはりここはマリサ・トメイの役者としての達者さが作品の要というところかな。
【”様々な出会いと夫々の新たなる人生。”恋愛依存症の人達が巻き起こす、心地良くコミカルな恋愛群像劇。それにしても、ヤッパリ自由恋愛が良いよね。今作は人間の善性溢れる作品でもある。】
■スランプになったオペラ作家スティーブン(ピーター・ディンクレイジ)は精神科医の妻パトリシア(アン・ハサウェイ)の勧めで犬の散歩に出かける。
散歩途中でバーに寄り、ウィスキーを飲んでいると、引き船の船長カトリーヌ(マリサ・トメイ)と出会った事で、彼女の引き船を見に行くことになる。
すると、恋愛依存症のカトリーヌに、寝室で迫られて・・。
◆感想
・登場人物達の関係性が、徐々に明らかになる過程が巧く描かれている。
1.カトリーヌを恋愛依存症と診断したのは、パトリシア
2.パトリシア家の家政婦マグダレナ(ヨアンナ・クーリグ)の16歳の娘テレザとパトリシアの18歳息子ジュリアンは恋人。
で、テレザの父トレイはジュリアンを訴えると息巻く。
・スティーブンがカトリーヌとの間の出来事をオペラにしてしまった事から、それを見たパトリシアはお冠。カトリーヌはマタマタ恋愛依存症一直線。
オタオタするスティーブン。
ー 幾ら、スランプだからと言って、カトリーヌとの関係をオペラにしちゃうってどーなのよ!で、再びカトリーヌに迫られ、劇場のWCの非情口から逃げ出すスティーブン。
因みに後半にもオペラが一本描かれるが、それはジュリアンとテレザの恋愛を描いたものである。-
・パトリシアは息子ジュリアンを守るために、16歳で結婚できる(裁判所の許可は必要)デラウェア州へ、テレザと共に逃がそうとするが、陸路はトレイが見張っている。
ー で、スティーブンが思いついたのが、カトリーヌの引き船。ジュリアン、テレザ、マグダレナ、スティーブンは、引き船に乗ってデラウェア州へ向かうのである。
そして、スティーブンはカトリーヌにプロポーズする。-
■そして、夫々の新しい人生が拓けていくのである。
ー パトリシアは精神科医を辞め、修道女になるのである。パトリシアが激怒しながら患者の前で次々に衣服を脱いでいくシーンは笑えたなあ。-
<今作は、随所でクスクス笑える”様々な出会いと夫々の新たなる人生”を描いたコミカルな恋愛群像劇である。
ヤッパリ、自由恋愛が一番良いよな、と思った作品でもある。>
今週、安牌(麻雀ではないけど)はどうみてもこちらか…。
今年132本目(合計1,224本目/今月(2024年4月度)6本目)。
(前の作品 「毒娘」→この作品「ブルックリンでオペラを」→次の作品「リトル・エッラ」)
地獄(?)のホラー映画3連発から、のんびりとアメリカが舞台の音楽(オペラ)をテーマにした映画です。深くは問われませんが、楽譜の読み方や和音(コードネーム)に関すること、また一部の楽器名などは普通に出ますので(「フィドル」など。小型バイオリンを言うが、アイリッシュ音楽では欠かすことができない楽器)注意かなといったところです。
この映画、実にいいなと思ったのが「良いところに隠しタネがある」点で、無駄なシーンがあまりないところです。序盤に何か無関係なシーンがあったよなぁ…といった点は確かに中盤からラスト前まで出てくるんですが、この「無関係なもの」についても見事なまでにクリーンにされているので良かったです。
今週迷ったらまずおすすめの一作といったところです。
一方、法律系資格持ちとして気になった点としては、「裁判官書記(だったか、速記だったか)をやっていた男性」の妙なまでのこだわりの部分です。日本で言えば弁護士であろうと行政書士であろうと、「特に離婚など、当事者の意思が重要なもの」について、要件不備があるとしても、それをどうこういうのは行政(戸籍行政)なのであって、そこに入ってくるかなぁ…という気がします。ただ、映画内では明示的に描写はされないものの「差別論からくる人種差別的な発言から来たもの?」とも思え(映画の描写参照のこと)、この「裁判官書記・速記」のこの方、やや「やりすぎ」な気がします(この点が極端に気になった)。
映画の展開的に「オペラ会場」とは程遠い「ある場所」にいって「ある場所」に向かう展開になりますが(ネタバレ回避)、この展開も序盤の「どうでもよさそうな描写」と、中盤あたりで「壁にぶちあたって悩んでいるシーン」ほかにヒントがあります。もう一つヒントを書けば、アメリカのリアル地理(どこに何州があるか、等)に詳しいとよいかな…といったところです。これ以上はネタバレですよね。
採点上は、確かに「妙に法律ワードを持ち出して混乱させる謎の正義感」からくる一部わかりづらい字幕がある点が気になったところですが、まぁそれとて誤差の範囲だし、良い作品だなと思えるところで減点なし(仮に上記を指摘しても、思想良心の自由に触れる範囲なので大きく引けず、0.2では4.8以上あるためフルスコア)にしています。
なお、この映画であると有利なものは
(ぜひあると有利) アメリカの州の並び方(どこに何州がある?)、州制度
(あると有利) 音楽に関する言葉など
…といったところです(ネタバレ回避のためさくっと書いておきますが、このヒントで少しでも楽しく見ていただければ、といったところです)。
感動のハッピーストーリーか否かは?
予告動画の最後のフレーズは、観る人によって変わるかも?
ただ、劇中の台詞と同様に、「劇的に人生が変わる」ことはあるのかも?
いや、そういう期待をもって生きると、いろんなものが違って見えてくるんだろうな…と。
それで良いの?と思わなくもなかったけど、まあ、これはこれ(結局2つのカップルがなくなって、2つのカップルが生まれる)でアリかな…と。
親世代の群像劇
行き詰まっているオペラ作家、信心深くて潔癖症なカウンセラーのその妻、前夫との18歳の息子、その16歳の彼女、彼女を20歳で産んだ移民の母親、法廷速記者で警察にコネがあるその夫、そして船長をしている恋愛依存症の女性。
スランプに陥ったオペラ作家が犬の散歩中にたまたま入ったバーで船乗りの女性に出会い、気圧されていたすが、それは気の迷いと彼女から逃げ帰る。しかしこの経験をオペラにするのだった。
カウセリング中にクライアントからヌードを想像していると告げられ困惑する妻。潔癖症なので家政婦を雇うが、それが息子の彼女の母親だった。
娘の付き合っている相手を全く知らなかった女性は、娘の部屋から相手が撮った半裸の大量のポラロイド写真を見つけ、ショックで夫に相談する。2人を別れさせるために、18歳と16歳の関係は法的に認められないことを利用して父親は相手を訴えようと考える。前科がついてしまうので阻止しなければならない。若い2人は16歳でも結婚できるデラウェア州で婚姻届を出すことにするが、陸路では警官にコネがある父親が先回りするので、男の子側の父親が船長の女性に頼んで船で移動することにする。
一方潔癖症の妻は教会に通ううち今の豊かで恵まれた生活よりもっとシンプルな暮らしを望み、尼僧に憧れるようになる。いつものクライアントに対して嫌いな物の克服法の話から自分の全裸を晒し、体調を崩し、尼僧になることを決心する。
息子と娘の恋愛をオペラに書き、絶賛されるオペラ作家。その劇場には尼僧になった元妻も含め、全員がいるのだった。
大人のこんがらがった人間関係と、十代の2人の純粋な恋愛が対照的。何か明確なメッセージがあるというより、人生いろいろだよね、という感じ。
映画館でなくても良いかなー。
タイトルから想像できない予想外の展開
半分くらい来たところまで、我慢の映画だった。
何度も書いているように、週刊文春の映画評で高評価だったので鑑賞してみた。
ところが半分くらい観ても、どこが高評価なのかわからない。息子の恋人のお父さんが、娘(義理)を不純異性交友で警察に訴えるところから俄然面白くなる。
人間、誰でも人に言えない秘密や悩みを抱えている。それにどう向き合うかが、この映画の肝だろう。まぁ、我慢の映画である。主人公が現代オペラの作曲家と言う設定。オペラの作曲家で食い扶持を稼げるのか、アメリカは違うなと感じた。オペラの演出、音楽は素晴らしい。
最後の宇宙が舞台の音楽は、ここだけ聞いても感動させる。
主人公は小人症の設定になっている。最初は違和感を感じたが、そう言えばロートレックも小人だった事を思い出した。
それにしても、アン・ハサウェイの眼は本当にデカいと思った。
なんだかな…
キャプテンは魔女
魔女と間男
恋愛映画の効能
〝愛を終わらせない方法〟についてスッキリしなかった自分にとっては、ほどよい口直しになりました。これなら恋愛映画として及第点!
少しホッコリ、そして思ったよりじんわりと沁みできます。
自分の気持ちに素直に行動する。
当たり前のようだけれども、世の中そんなに簡単にはいくわけがない。
第一、自分の本当の気持ちだってちゃんと把握できているのかすら、かなり怪しい。
だから、せめて映画の中では上手くいって欲しい。
そして、それを見届けた時、不思議に心だけでなく身体的にも心地よい、ということを再認識しました。
それはさておき。
こんなに愛しているのに分かってくれない。
そこからの発想だけだと単なるストーカーになりかねない。
好きな人の心が自分からは離れていく。
諦めきれないあまり、相手やその好きな人を責めたり、暴力的になったり…挙げ句の果て、すべてが自分に跳ね返ってきて、この上なく惨めな気持ちになる。
そういうドロドロした負の感情ばかりになると、そもそも愛ってなに?早く終わったほうが良くないですか?
と嫌味の一つでもいいたくなる。
この映画、そのドロドロがないのです。
潔いというか、他の生き方、他の居場所がちゃんと用意されているのです。
世の中はこんなに広いのだから、こういうことがきっとどこかの誰かには起こっている!
そう思うだけでとても暖かな気持ちになれるのです。
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