「戦後民主主義に否定を突き付ける三島由紀夫の自決への回答を試みた〈観念の闇鍋〉」儀式 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
戦後民主主義に否定を突き付ける三島由紀夫の自決への回答を試みた〈観念の闇鍋〉
三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自衛隊の決起を呼びかけ、その直後に割腹自殺したのは1970年11月25日である。
三島は戦後民主主義と、その起点にある米軍製日本国憲法にはっきりした否定を告げていたが、当日は自衛隊のクーデターによる自主憲法制定を訴えたのだった。
高度経済成長の中、米国製消費文化の波にどっぷり浸かる日本では、三島の主張が顧みられることなどなかったが、世界に誇る大作家・三島の自決が日本社会を震撼させたことは間違いない。そして映画監督・大島は翌1971年、彼の死を日本戦後史を総括するなかで受け止め、投げかけられた問いに回答した。それが本作である。
大島は比喩を多用するが、その喩は不出来な直喩に近いことが多く分かりやすい。本作の舞台・桜田家のネーミングも露骨であり、臆面もなく「この一家は日本の比喩だ」と言っているのであるw
そして敗戦と満州からの引揚げから始まる桜田家の戦後史において、当主・一臣は天皇制を表現している。一家のメンバーの思想の中で堅固な保守的価値観や共産党等の左翼思想の伸長、急進的右翼思想の反動が描かれ、大衆の代表である満州男は無自覚なまま権力に庇護される立場に甘んじている――というのが大枠である。
映画で描かれている個々のエピソードには、それぞれ思想的シンボルの意味が込められている。
例えば様々な思想傾向を持つ子供、孫たちが、実はほとんど一臣自身の子供と設定されているのは、右翼思想も左翼思想もすべて天皇制の刻印を打たれていることを示す。
また、満州男の結婚式には花嫁が現れないばかりか従弟が事故死してしまう。「初夜と通夜がいっしょになった儀式」の場で、満州男が枕を相手に性交の真似事をするのは、戦後日本の大衆社会は何も生まなかった不毛な社会である、という大島流の批判がある。
もちろん立花輝道とは三島由紀夫である。三島は天皇を中心とする日本の伝統回帰を夢見たが、輝道も自分を「家長の一臣を継ぐ資格のある者は自分だけだ」と自認し、ともに自決していく。
しかし、三島が天皇回帰に向け決起を呼び掛けたのとは逆に、大島作品の三島は天皇たる一臣の死に際し、後継者を根絶させるために自殺するのである。大島はじめ関係者の豪胆には驚愕するが、本作は天皇制廃絶を主張する恐るべき作品なのだ。
ラストシーンは三島の死を見た大衆に対し、「膨大な戦死者の犠牲の上に戦後を出発した日本社会の原点を想起せよ」と訴える大島のメッセージだろう。耳を押し付けた地の底からは夥しい死者の嘆きが聞こえ、手にした汚れのない白球は戦後の孕んでいた可能性を示しているに違いない。
小生は本作の製作経緯や、大島が本作を三島の死に対する回答として撮ったかどうか等、何ら知るところがない。ただ、製作時期と描かれた内容から三島を連想させられたため、上記の感想を持った。
とはいえ、この戦後思想ドラマがいわば〈観念の闇鍋〉に過ぎないことも確かである。さまざまな思想が味を吟味するどころか、食えるかどうかも考えないまま、ぶち込まれただけの印象を受ける。換言すれば、監督が戦後史を十分総括しきっていない。監督の志はよしとしても、作品としては内容の貧困を免れない所以である。