「思想の左右や時に関わらずイエ制度が今もなお支配している現代日本の現実を突きつける」儀式 Kazu Annさんの映画レビュー(感想・評価)
思想の左右や時に関わらずイエ制度が今もなお支配している現代日本の現実を突きつける
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肉親の突然の事故死など飼育と一部、ストーリーに類似性が有る。映画製作者の個人史を民族史にドッキングしたということか。何故、佐藤慶演ずる桜田一臣、家長は小山明子演ずる息子の意中の人兼かつての自分の愛人を殺したのか等、良く分からないところが少なからず存在する。息子の遺言書を隠し持っていた罰ということ?
戦争を潜り抜けた4名の子供達の歩みが、日本の戦後の歩みの象徴ということは、どうやら理解できた。野球を愛するアメリカ民主主義かぶれに、書物に浸る体制批判的な志士、クーデターを夢見る右翼警官に、男達に振り回される皮肉屋娘、戦後に生きる人間だから何か新しいはずだが、上の世代(共産党員や中国長期抑留員も含む)、さらにその上の世代(戦犯含む)と変わらず相変わらずイエ制度にがんじがらみにされてしまっている。実質よりもかたちに重きを置く儀式が今も昔も変わらない様に、悲しい程変わっていない戦後日本人の姿、これを突きつける、糾弾する。今だからこそ一層、日本の歩みの本質、土着性・非発展性を訴えかけ、絶望感といった胸に迫るものを感じた。
ただ、子供時代に戻った様な球が空を飛んでいく最後のシーンは、何だろうか?死をもってイエを終わらせようとした中村敦夫による立花輝道とそれに殉じた賀来敦子による桜田律子、彼らの死が新しい民主主義への希望を産んだのだろうか?
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