アナログのレビュー・感想・評価
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号泣、ストレートな恋愛ドラマ
ファンタジー作品かと思ってたら騙された
今どきスマホを持っていない20代女性
毎週同じところで会うっていう設定のため
タイムスリップなどのファンタジー要素のある作品を予想していたら
まっすぐな恋愛ドラマという展開に心揺れ動かされました。
お母さんとの関係性
男友達との関係性
きょうだいの関係性
素敵で、感動しました
やっぱり糸電話のシーンが最後まで残っていて
もどかしくなる、甘酸っぱい
ありきたりな恋愛映画ともいえるんだけど
SNSが日常にある中で、この展開は胸に刺さります。
出演者の泣かないように涙するシーンが、
たまらなく胸が締め付けられながら号泣しました。
でも、前を向いて今この瞬間を大事にしたくなる作品です。
約束でつながる恋愛。
携帯電話は持ってない。だから、木曜日にここで会いましょう、
という口約束で始まり、紡いでいく恋愛。
もしそういうアナログなつながりのカップルがいたら、こういうことも
あるんでしょうね。泣けてくるストーリー。ちょっぴり
懐かしい風味のアナログな作品です。
携帯電話のない恋愛
タイトルの通り、まさにアナログの恋愛物語。
お店に行くにもGoogleマップを使わず、
約束をするにもメールをせず、会えなくても電話もしない。
それは主人公の二人の物語ではあるが、
二宮さん演じる水島悟と友人たちの間でも、携帯電話の登場率はかなり少なく、
たまたま飲み屋に居る、先にカフェにいる、
そういった「縁」を描いた物語のようにも感じました。
このネットの時代には珍しい
行きつけのお店、顔見知りのマスター、という
アナログな人間模様がとてもあたたかく感じた作品でした。
劇中で前半の方に多く見られたつぎはぎのようなカット割もどこかアナログな世界で、
アドリブ?というくらい自然なキャスト陣のやりとりも和やかでとても温かい気持ちになった。
おしとやかでお上品な役どころが似合う波瑠さんですが、
個人的に、役と離れた彼女はいつもさっぱりしていて面白い方という印象の女優さんです。
あまりに外見とマッチしたこの役どころが逆に痒い!と少しだけ感じてしまうような、そんな瞬間もちらほら。
と、コアな感想も添えておきます。🤭
好きか嫌いかで言ったら
たけしが書いた純愛
無駄って、無駄じゃないってこと。
昭和(平成?)あるあるで、
彼女に電話かけようとして家電にかけたら
彼女の親父が出てめちゃくちゃ緊張した。
ってのがあるじゃない。
それを経験した40~60歳くらいに刺さる映画です。
話したいのに話せない。
どこにいるのか分からない。
待ち合わせしたのに会えない。
次の約束もとりづらい。
あの人はどう思っているのか分からない。
そんな”無駄”な時間でこそ、
相手への想いは募るもの。
美味しいコーヒーならスタバでウーバー頼めば?
立体図面見たきゃデジタル3Dで作れば?
どっか行きたいならGoogleマップ見れば?
〇〇パフォーマンスという価値観の裏側にこそ
もしかしたら本質が宿っているのかもしれないね。
二人が出会ってから、今日、手を握ってもらうまでの
数年間のうちで、一番深く心を通わせたのは
きっと最後の一年。
車いすに乗って、四肢も動かず、表情も作られない
意思の疎通どころか聞こえているのかどうかも不明。
そんな人に愛情注ぐのって”無駄”じゃない?
デジタルネイティブとかZ世代とか言われた人たちは
そう思うのかしら?
人を愛するとはこういうことかと改めて感じさせる
壮大な悲恋
あのたけしさんの初の恋愛小説が原作と知って興味深く思い、鑑賞。
名監督でもあるたけしさん自ら映画化でなく、客観性も重視したのだろうか港岳彦さん、タカハタ秀太さんに託したところがたけしさんらしい。脚本の港さんは、「硫黄島からの手紙(2006)」の二宮さんの演技を見て一目惚れしていたそうで、本作も二宮さんで当て書きしたそうですが納得です、勿論、波瑠さんも素晴らしいのですが登場人物全てが名演技、素晴らしいキャスティングでした。中でも意外だったのはリリーフランキーさんの抑えた演技、こんな表情だけで存在感を示せる名優さんとは初めて知りました。
真のロマンティックは悲恋にありと名作「ラ・ラ・ランド(2016)」を観て思いましたが本作も、その流れでした。
前半は二人の週一デートの奥ゆかしい流れで、きっと結ばれて終わるハッピーエンドだろうに、こんな調子で2時間の恋愛ものとは、年端の行ったおじさんには正直しんどいし、回りくどいなと感じましたが途中から暗雲が立ち込め、思わぬ展開、後半の謎解き、伏線回収も見事でした。
悟の友人の高木から悟の母の死を知ったみゆきが落ち込んだ悟を夜の海に誘って抱きしめるシーン、タイトルのアナログを象徴するかのような浜辺の糸電話、陽のあたる浜辺でのラストシーンは悲恋の二人の前途に光を刺す兆しだったのでしょう、思わせぶりなハッピーエンド演出、たけしさんの原作に込めた繊細なセンスとひねりのつまった宝箱のような映画でした。
(脱線)
冒頭で波瑠の言っていた「フランスの競馬の入賞者に贈られるメダルプレートを使ったトイレットペーパーホルダー」が映されなかったので気になって調べてみたら神戸の輸入雑貨店HOMEWARDというお店でフランスアンティーク トイレットペーパーホルダーと言う名で売っていました。あとカフェPIANOのト音記号を模した窓扉の金具も広島のアジアンティーク ASIANTIQUEというお店で¥1,160円で売っていました。
人の心を動かす原動力の正体
ビートたけしさんの小説
なるほど~ そうでしたか~
そうであれば、感じたことをストレートにレビューさせていただきます。
この作品の特徴として、描かれてもいいシーンをあえて描かないことで、そこが伏線になっている。
後でそのシーンが明確化されることで視聴者にカタルシスが生まれる。
この種明かし部分の表現は良いと思う。
ただそこに一貫性はなく、視点も登場人物によって違うことで、種明かしがそのまま種明かしでしかないので、若干工夫してほしかった。
様々なモチーフもあるにはあるが、それだけ植え付けるかのような手法に新しさは感じない。
最後にそこに行きつくためのクリスマスをイメージさせるあからさまな描き方ではなく、いつものコーヒーが風に漂って彼女の脳を刺激する表現でいいと思った。
母の葬儀を知らないままの彼女
このあたりの描き方は様々なものを想像させていい感じだったが、山下くんの妻が「仕事で手に入れたCD」というのをあのシーンだけで表現したのは是非が残るように思った。
最後の悪友とのPianoでのシーンで、「指輪はどうしたの?」というセリフは、「まだ希望は、私の想いは生きている」ことを示したのだろう。
最後まで敢えて言わない、説明しなかったのは良かったと思う。
さて、
「彼」はなぜこんな小説を書いたのだろうか?
彼にとって主人公は彼の分身だ。
水島とは真逆に生きてきた彼だからこそ、そのコントラストから純愛というもののあり方をこのように解釈したのだろう。
脳障害と意思疎通困難は、恋愛中の男女にとって致命的なことだ。
一般的にはこの絶望的状況こそ、恋愛という感情が最も燃え上がるものとなる。
しかし意思疎通まで難しい場合、物語を動かす原動力は水島以外にはいないことになる。
周囲は応援できるが、途切れることのない水島の思いは絶対不可決になる。
つまり、この時点でもう選択肢がないのだ。
ただ、
実際どれだけの人が水島のようにふるまうことができるだろう?
この問いは視聴者の心に残るだろう。
彼女の状況を知った直後から、ここだけが焦点にならざるを得ない。
物語は、奇跡はどのあたりまで起きるのかということになる。
またはそんなありきたりの質問を超えてくる大どんでん返しへの期待。
その水島の母が言い残した「人には自分だけの幸せがある。それを信じて貫きな」という言葉が、彼の内に秘めた決心だったのだろう。
水島の一貫した誠実さにブレがないのは良かったが、彼女の正体の後の物語の先はすでに見えてしまっている。
しかし、
おそらくこれこそが彼が最もそうだと解釈している「純愛」の形なのだろう。
それには誰も、何も異論などない。
この作品のタイトルにもなっている「アナログ」
このモチーフはうまくあしらわれている。
それは、人の見る目、人の思い、人の心であり、単に「心」なのかもしれない。
突き詰めればアナログの根底にある心こそが、人を動かせる唯一の原動力なのだろう。
冒頭 海と誰かのヴァイオリン演奏と無観客のホールのシーン
あれが現在、水島と出会った直後の彼女の心の中であり、そこには再び動き始めた音があることを示している
エピローグではソロで弾く女性の心と意識はたった一人の観客の水島へと捧げられている。
彼女が見ているのは水島一人だけだ。
彼女のドイツでの過去は、事故によって消え去ったのかもしれない。
そしておそらく「彼」の中にある母親像 つまり、彼女が助かったのは母の力だったのかもしれない。
死んでもなお続いている息子に対する無償の愛 水島と母との関係もまた、「彼」の抱いている純愛の形なのだろう。
彼女の名前 ミハルミユキ ナオミチューリング
最後に水島くんが彼女の名前を「ミユキさん」と呼ぶところに、彼の心の奥底に隠されたメッセージがあったように感じた。
「彼」の様な巨匠に講釈を垂れる人はいないのだろうが、ごめんなさい。感じたことをそのまま書いてしまいました。
時間とお金の無駄でした
静かな恋愛映画
糸電話の答
なんでタケシが?
感性が結びつけた二人
みゆきが携帯もスマホも持たなかったのは、不幸な出来ごとに遭ってしまい、そのことから「時間を止めたかった」(=外界からのダイレクトなアクセスを止めたかった)から、ということのようです。
外からの刺激を断ち切って、静かな内省を大切にしていたいという心情だったのでしょう。
とかく人間関係の複雑さから心を病んでしまう人も少なくない昨今、彼女のような生き様(ざま)も、それはそれで、ある意味「正解」とといえるのではないでしょうか。
否、むしろ、本作のみはるのように、自分の心に正直に生きることがもしできれば、本当に毎日の生活は素敵だろうなぁとも思います。評論子は。
そして、彼女の(その頑なな?)気持ちを融かしたのは、彼女と同じような感性を持ち合わせていた水島との出会いだったことも、疑いのないことと思います。
水島にしても、他の連絡手段を聞き出そうとしたり、彼女が携帯を持たない理由を糺(ただ)そうとしたりはしない―。それは、彼女を彼女のあるがままで受け入れるという、彼の素直な心根の表れでもあったのだろうと思います。
他方、当のみゆきの側でも、携帯を買って、止めていた時間を、また動かそうとしていた―。
まるで「同じ感性」という糸で結びつけられたような二人の心根の温かさが画面を通して伝わってくるような、充分な佳作であったとも思います(作中の糸電話が、その「糸」の示唆だったというのは、たぶん、評論子の考え過ぎでしょう。)。
(追記)
作品の本筋とは関係がないのですけれども。
持つべきものは友人だと、改めて思いました。
折に触れては水島を支え、励まし、慰め、そして決定的で残酷なものではあったものの、貴重な情報をもたらして水島を助けたのは、他ならない彼の友人の山下と高木でした。
「親しき仲にも礼儀あり」とは言うものの―。
気さくに、時には(ある意味)乱暴なことも言える関係性というものは、何にも替えがたいものだとも、改めて思いました。
別作品『素晴らしき哉!人生』の「友ある者は、人生の敗残者ではない」というのは、間違いなく、こういうことを言うものだとも、改めて思います。
(追記)
日時を約束して喫茶店で待ち合わせ…メールやSNS(デジタル)で連絡を取り合わないというまさに「アナログ」ですなぁ。
評論子もひと頃は、まだ学校にいるうちに「何時ころ」と約束をしておいて、彼女の家に電話すると、タイミングよく彼女が電話を取ってくれる…まさに「昭和アナログ」でございました。
二つ三つタップして、すぐ彼女(彼氏)と話ができるのは、考えてみれば、なんと味けのないことでしょうか。
たまにタイミング悪く家族が電話を取ってしまうこともありました。
お母さんが取ったときは「はいはい、娘ですね。少しお待ち下さいね。」と、何の問題も起こらないのですけれども。
これがお父さんが取ったりすると「ウチの娘に何の用だ。悪い虫でもついたか。」とでも言わん気なけんもほろろの対応だったりもします。
そういう苦難が、二人の愛を育てていたと考えるのは、評論子の単なる思い過ごしでしょうか。
(追記)
同じく女優さんと言っても、モデルのご出身だけあって、一つ一つの所作が美しかったですね。みゆき役の波瑠は。
評論子に言わせれば、女優さんと言えば、まずは、なんと言っても別作品『クレイマー、クレイマー』のジョアンナに恋をしてから、メリル・ストリープの一辺倒だったのですけれども。
また一人、素敵な女優さんを知ることができたとに思います。
これも、本作を観ての「収穫」の一つではあったと思います。
ベッタベタだけど
ベッタベタな恋愛映画かもしれない。出会いも、友人関係も、プラトニックな関係も、展開も、オチも。
でも、映画なんだから。ベタベタで良い感じで終わるで良いんだよね。奇跡ってあるよねで良いよね。
映画なんだから。
短絡的すぎる設定?
ピュアな愛を描いたとても日本的だなあと感じる素敵な作品ですね
この映画のように(愛は奇跡を起こす!)と信じたい
全体的に「控えめ」
だけど
突然みゆきが悟をハグしたり、落語を披露したり……
ん??あれれ?
仕事場での歩きスマホで、先輩が徹夜で仕上げた模型を壊すなんて、ちょっと無理矢理すぎるエピソードがひっかかったし、上司が堂々と部下の成果を横取りし、雑誌のインタビューを受けそれが雑誌に掲載されることが日常的にあり得るのだろうか
海辺での紙コップ電話も
竹串や、凧糸だとしても長すぎる紐も腑に落ちない
年齢を重ね、少しだけカッコよさに陰りが見え始めた二宮さん、でも演技はさすが、相変わらず上手い!!
実年齢とほぼ同じ役柄なのに、恋愛に対して純粋過ぎる気がするけどなぁ
キスシーンも濡れ場シーンもないなんて
それなのに、あそこまで愛せるのだろうかと疑問は残る
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