ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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悲しい男の……
確認ですがバットマンのジョーカーではありません。他の世界のジョーカー。
今回のジョーカーは誰も殺しません。
孤独で切れた男も愛する人が出来、希望を持ちますが、結局、理性を取り戻しおかげて全てが手を離れる。唯一彼のファンだった群衆にも彼は心を委ねる事が出来ず………。
悲しい男のミュージカル映画でした。
自分はのりませんでしたが、確かに、のった人は絶賛するのが解る作品でした。
…ですが忘れられない作品にはなると思います。それが名作と言うものなのでしょうか?
もし、一作目も見ていないひとがいたら、今作がレンタルを始めたらぶっとうしで見るのをオススメします。
そうしたら絶対はまります。
That’s life です。
アーサーという男の人生の物語。夢だったコメディアン。人を笑わせて幸せにし、喝采を浴びてごくありきたりな人生を過ごしていたいと思っていたが、抑圧された人生の心の吐け口として生み出されたジョーカーが、自分から離れ独り歩きをし注目されてしまう。過激になればなるほど関心され、盛り上がる大衆が増えていく。真面目で気弱な自分自身とはかけ離れていく。心惹かれたリーに全てをさらけ出し自分自身を認めて欲しく愛情を注いでいくが、リーも大衆と同じで、民意の象徴となったジョーカーに心酔していて、アーサー自身には興味も持っていない。抑圧された人生でずっと孤独と不安に苛まれたアーサーの哀しくも儚い物語。ラストは面会に来てくれた人に会うこともできず最期を迎えてしまう。泣けてくるくらい切ない終わり方でした。また、ここからジョーカーという面を被った沢山の犯罪者が生まれてくる予告になったのかと感慨深いものがありました。
盛者必衰 諸行無常なんて言葉が思い浮かぶ映画でしたね。
フランクシナトラのThat’s life が良かった。何故かDavid Lee Rothが歌っているのが浮かんでしまいました。
前作は善人が狂人へ、本作は狂人が善人に。異なる物語
前作では育った環境や理不尽な扱いにより、心優しきアーサーが狂気と化して怒りと悲しみをジョーカーとなり爆発させます。彼の行為は多くの人から賛同され悪の教祖となりました。本作はその後となります。5人を殺害したアーサーは精神鑑定の為警察病院に収監され、裁判を待つ状態にいます。今のアーサーは狂人の面影はいっさいなく模範的に生活をしています。世間はジョーカーへの熱狂は続いており、病院内で出会う謎の女性リーもその一人です。
本作品は、怒りと悲しみからの行動は突発的なものかなのか、狂気によりジョーカーとなってしまったのかという展開となります。弁護士は二重人格を訴え、リーは狂気のジョーカーへと導いていきます。
前作とは異なる演出としてミュージカル要素を組み込んでいます。謎の女性リーをレディーガガが演じていることもあり抜群の歌唱力ではあります。リーの怪しさを演出するには効果がありますが、歌でアーサーの苦悩を見せてもあまり効果はないと思います。
愛されたいアーサーが突如愛された、その愛に応える為にジョーカーを演じることでより愛された。しかし、愛に目覚めたジョーカーでなくアーサーとして愛されたい。その行動は期待を裏切ることになっていることに彼は気が付かなった。冒頭のアニメ「俺と俺の影」の意味が理解できました。
本作は賛否が分かれています。これも前作に陶酔した鑑賞者としては、更なる狂気の振る舞いを求めていたがまったく異なる展開だったことへの不満にあると思います。
前作の続編ではあるもののまったく異なる切り口となった作品と考えれば、これはこれで評価できる作品と思います。
誰もが信じ崇めてるまさに最強で無敵のジョーカーなんて存在しない
本作で描かれるのはアイドル化したジョーカーの中の人のお話。
人間の皮膚の下には誰も彼も狂気が眠っていて、誰しもがジョーカーになり得る。
一度被ってしまった道化のメイク(ジョーカーの虚像)を落とせば、骨と皮しかない普通の妄想癖の男性が転がっているだけだ。
映画を観に行く観客が観たかったのもジョーカーだった。
アイドル化されたジョーカーの心の闇を自分も感じて悦に浸りたかったのに、「貴方の憧れのアイドルはうんこするよ」と冒頭から見せつけられる。
現実社会でも「ジョーカー」はバッドマン最大の敵役として映画に登場する大人気のヴィランなのはご存じの通りですが、キャラクターの背景は作品によって異なる。
まさに「ジョーカー」とはこんな人物が相応しい。これこそ「ジョーカー」だ!と大衆が思うことで「ジョーカー」は誕生するといった現象が見られる。
本作が本国アメリカで賛否両論巻き起こっているのもそれぞれが思い描く虚像の姿が違うからだと思う。
それは神の姿や声をハッキリとこれがオリジナルだ!と言えないのと同じような物だ。
所詮は人の妄想が生み出したキャラクターに大衆の解釈が乗っかって「神とはこういうものだ」と勝手に定義されていく現象だ。
リーことハーレクインも初めからアーサーではなくジョーカーに恋焦がれていましたね。
SEXを求められた時にメイクをするって描写があって笑ってしまった。私の理想は貴方でなくジョーカー。自分の望む姿になりきれない貴方には魅力を感じないわと突き離される場面は最高に残酷でしたね。
アーサーが感じた幸福感も虚無感も全てジョーカーというキャラクターを介してしか感じることのできない他者との繋がり。
本当の自分は、母親の言うような「馬鹿で笑いも取れないハッピー」だ。
役が一人歩きしてコントロール出来なくなったジョーカーというキャラクターから1人の人間(アーサー)に戻った時、生みの親としての役割は終わる。
ジョーカーを殺した青年は自ら口を裂き、ジョーカーの物語がまた始まる。
誰でも良いんだ。
道化を演じる人が重要なのではない。
ジョーカーと言う概念が引き継がれていくと言う幕切れはアーサー版ジョーカーにとって何というかあっさりし過ぎている。もっと理不尽からの解放と言うカタルシスを浴びたかったと言う思いが正直ある。
看守も裁判官も陪審員も傍聴席も皆殺しにして悪のカリスマとして法廷を出ていくくらいの社会がひっくり返される瞬間を感じたかった。
いや、そんな馬鹿げた妄想は現実社会では起こらない。
奇跡も救いもないよ。神は偶像だからね!ってまざまざと見せつけられる映画だった。
映画の中でくらい神を描ききってよと思う時点で自分も虚像に踊らされる観客の1人にすぎないと思い知らされる。
きっとアメリカで受け入れられないのも宗教的な解釈では神の実態なんてこんな物だよーと言われているような映画だからだと思う。
主演のホアキンの演技あってこその2時間だっと思う。それでなきゃ飽きてしまって、間延びしてしまって眠くなる。
レディガガのハーレクインはミーハー過ぎて好きになれなかった。貴方は私の神様よ!と心酔しているけど、自分が望む奇跡を起こせなかったら離れていくって信仰心が薄いんじゃない?アイドルも神もジョーカーも信者がいてこそ大物になるんでしょうが。
前作のようなカタルシスを感じようとこの映画を観にいくのはお勧めしません。
楽しめる人もいるし、もうやめてあげてよとなる人もいる作品です。
私は楽しめませんでした。
ジョーカーと名乗る作品ならやっぱり観客が観たいのはジョーカーなんだよな。
そうですよね
ダークナイトのカリスマはこの世にはいなかった。
前作で生まれた持たざる者、虐げられる者のヒーローは確かにいたけど、本人の器を超えたカリスマはいなかった。
爆破でワクワクした自分と、そんな上手くいくかいとリアリティの破綻に不安になった自分がいたが、どちらかというと今はワクワクをへし折られた感が強め。
ほとんどの人は何者でもないことをわざわざ言わんでも良いのに言われた感じ。
まあそうですよね、という空気に満たされる深夜の映画館なのでした。
結末は現実のようにつまらない
結局、最初からジョーカーなんていなかった。
前作で思いもよらず悪のカリスマに祭り上げられてしまったアーサー。悪のカリスマと崇められても、なぜ崇められてるのか、アーサー自身が全く理解できてないし、興味すらない。
ただジョーカーに興味を持ってくれた一人の女性に好かれたくて、ジョーカーになろうと演じて、本当のアーサーを必死に隠そうとする。
終始、破滅する未来しか見えないが、人々を惹きつける立ち振る舞いや、ジョーカーの妄想、歌の高揚感で、もしかしたら本当に悪のカリスマ•ジョーカーになれたなら、大どんでん返しもあるかもと期待させつつ、結末は現実のようにつまらないものであった。
結局、カリスマなんて蓋を開けてみれば、ただのつまらない一人の人間。崇める人々も彼らが本当に望んでいるのは破壊の代償によるカリスマの破滅。
製作者の「現実なんて至極真っ当でつまらないもの」という正論が垣間見えて、少しイラっとする。映画としては良い映画。エンタメとしては0点。
そりゃ、コケるわな。デートに使わないでね。(「ダンサー・イン・ザ・ダーク」かぁ?)
アメリカでコケたらしいじゃん。そりゃ、そうだ。
全編、妄想の中でのミュージカルで話の盛り上がりの展開無し。
法廷で主人公が(自己肯定の)一隻ぶって場を盛り上げるのかと思いきや不意に主人公が容疑を白状しだして話が尻すぼみ。脱走したと思ったら、女にフラレて刑務所に逆戻り。
最後にゃ、ちょっせー居たのか居なかったのかわかんない奴にブスッとやられて終わり。
結局、主人公の救いのない妄想に観客を付き合わせただけ。また新鮮味の無い話。
これじゃ、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と同じじゃん。他の観客もそう思っていたんじゃないの?
まぁ、制作者も馬鹿じゃないだろうから色々と意図があると思うがこっちはそんなの知ったこっちゃねぇよ。
主人公殺しといてこの先どうすんのよ。3回目作って主人公復活させんの?
復活させないと辻褄合わねぇじゃん。例によって「ホアキン」はギリギリじゃん。さすがに3回目は無ぇぜよ。死んじゃうよ。
「バットマン」は「ワーナー」が社運を掛けるドル箱なんだからコケたら会社潰れるよ。監督はどうオトシマエつけんのよ。知らねぇよ。またデズニーに食われちゃうじゃんよ。
ほんとにどうすんのよ。
「どうでもいいけど。」
That's das◯ku.
前作はジョーカーの復讐劇に勝手に「自分も社会の被害者だ」と思わせ、観客自身に「俺もジョーカーだ」と自己投影させたところが面白かったし、ブラックユーモアも満載にあり、"鬱"娯楽大作として大変良い作品だった。
しかし今作はというと、、、
なぜか急にやりだしたミュージカル。意味わからん。レディー・◯ガの宣伝のために無理くりに捩じ込んだとしか思えない。
なぜならミュージカル描写が、この映画に必然だとする根拠が劇中明示されたようには思えないからだ。
また前作(期待し過ぎた私も悪いが)は哀れな男の鬱憤がたまりに溜まって徐々に徐々に爆発していき、最後の最後で大爆発するというエンターテイメント性があったが、今作では途中「お?とうとう来るか?狂気爆発か?」と思わせる描写はあったものの、最後の最後まで不発に終わり、私と同じように今作を"つまらない"と下した観客のように「報いを受けろ」とアーサーを刺してお終い。
特に裁判は何回も開かれ、ジョーカー爆発のチャンスが幾度となくあったのにもかかわらず、これまたそれほど変化は起こらず。
申し訳ない言い方だが、今作を個人的に一言でまとめると、
「いつ面白くなる(前作のような狂乱爆発)かな?と思って見ていたら、特にこれといって何も起こらず2時間半が過ぎていた。」
という感想になった。
確かに現実(ジョーカーはただの人間であり、それを発言したアーサーに失望した人々=今作を駄作という観客)を見せられた我々もまたジョーカーに踊らされた、あるいはジョーカーの一部なのかもしれないし、制作側もそれが狙いだったのかもしれない。
しかし少なくとも私は、制作側の
「この映画を駄作という者もまたジョーカーに期待し過ぎた劇中に出てきた傍聴人や群衆ジョーカーと同じなんだよ。はは笑。やっぱり僕たちの狙い通り、前作のジョーカーに期待し、落胆してくれたね。読み通りだ。」.....といった彼らの自己満足のためにお金を払ったのではないのだが(それにしてもIMAXで見るとかなり高くつくのは初めて知った。ぶっちゃけそこまで違いが分からなかっただけ尚更金がもったいなかった).....
美しく残酷なロマンス
全て持っていて、安全圏から危険を求めていたハーレイ。全て持たずに、ただ自分を見てくれる理解者が欲しかったアーサー。
出会った瞬間から2人は破綻していた。
それでも縋ったアーサーと、気付いても彼をジョーカーに染め上げようとした残酷なハーレイ。対比が美しく儚い。人は何故夢を見るのだろう。ハーレイはジョーカーに夢を見せて欲しかった。アーサーは2人で夢を見たかった。
アーサーにとって本当にハーレイ以外はどうでも良かった。多少嘘でも構わなかった。
でもハーレイにとって、少しでも嘘であればジョーカーではない。全てが無意味と化してしまう。あまりにも非対称なロマンスだ。
演出も素晴らしい。2人がショーをするシーンでアーサーがハーレイに言った「なぜ僕の方を見ないで歌うの?」というシーンから暗雲が立ちこめる。
穴倉のシーンで素のまま愛し合おうとしたアーサーを拒否し、「本当のあなた」を見せてとハーレイ自らアーサーにメイクを施してジョーカーに染め上げる所もゾッとした。面会の口紅にアーサーの笑顔を重ねるのも、やっぱりハーレイの理想とするジョーカーの笑顔を無理矢理作らせているみたいで苦しかった。煙草の煙を口移しするシーンもそう。ハーレイが見ているのはジョーカーだけで、吐き出したアーサーの内面はハーレイが口だけで吸い込んで受け止める。
とても皮肉でロマンチックな魅せ方だと思う。
民衆もそうだった。
爆破から目覚めたアーサーを見つけるなり、本人の意思も聞かずに、自らが祭り上げる「ジョーカー」として車に乗せて走り出した。行き先も考えずに。結局そこで待っていたのは渋滞と、アーサーにとって苦しみの記憶の過去の街。アーサーが景色に気づいてから脇目をふらずに下車して走り出すシーンは見ていて本当に辛かった。あの時、彼にはハーレイという希望しか見えてなかったんだと思う。今まで辛い時、ずっとトボトボと登ってきた階段を、ジョーカーと化して笑顔で駆け降りた階段を、ハーレイに会う為にまたトボトボと登っていく。とても勇気が必要だったと思う。
例え暗い過去だったとしても、アーサーは再び自分の足で歩いて階段を登った。その背中はとても優しく、アーサーとしてハーレイに会いに行ったんだと思う。
でも駄目だった。
「ジョーカーはいない。どこにも行けない」
そう言ってアーサーに背を向けて階段を登って去っていくハーレイを、やっぱりアーサーは追えなかった。その先を登るのがどんなに苦しい事か、知っているから。
結局アーサーは弱かった。でもその弱さを受け入れてくれる場所はどこにもなかった。
その意味で、最後に彼は誰でもない奴の受け皿になった。法で裁かれるよりはよっぽど良かったのかもしれない。切ないけど、ラストシーンはあれで良かったと思う。
そして結局、僕らはジョーカーという狂気を見たくて仕方がないだけの、狂ったあの民衆と同じだ。
それを悟った時、本当に寂しい気持ちになった。とても残酷で美しい、儚い映画だった。
ハーレーと最強コンビでヒャッハー展開全開!!
!!!以下ネタバレ注意!!!
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、、最後まで全然そんな展開にならず、驚いた。
今回の主役はレディガガ演じるリー。
ファムファタルとして最後までアーサーを翻弄する。
リーが離れたときが彼の運の尽き。。
ミュージカルシーンでのパフォーマンスは流石に圧巻(流石にホアキン部が悪い)。
リーに焚き付けられ、意気揚々と裁判に挑むアーサーだったが、次第に自分の惨めな過去を突きつけられる。
弁護士をクビにした後、裁判の巻き返しがあるのかと思いきや、本当に無策で雲行きが怪しくなる。
看守に尻穴を掘られ、友達も殺され夢から覚めてしまう。最後は悪のカリスマではないと否応なく自覚し、”ジョーカーなどいない”と告白。
魔法は解けてしまい、後は最後まで辛い。
(リーだけでなく)鑑賞者の自分が、最後までカタルシスを期待していた。
自分もアーサーの暗い妄想に感染していたと気づき、よけいに辛くなった。
辛いとしか書いていないが、鑑賞後これだけ悶々とする映画もないので、これは観る価値のある映画だと思う。
以下印象に残ったシーンを羅列。
- WBのOPロゴとバックスバニー風?アニメで驚き。デニーロの絵よ。
- 序盤アーサーの口端の血が、口角の上げ下げ(気分)を表現していて、上手いなーと思った。
- やたらタバコ咥えるシーンが多い。タバコ吸ってるときだけアーサーがかっこよく見える(ジョーカー気分)。リーに煙あげるシーンも良かった。
- 終盤のピアノとタップダンスはかっこいい。IMAXで観たので音が良かった。
そうきたか、という感じ
自分はバットマンの知識がゲームのアーカム・ナイトシリーズと映画も一部しか見てないけど
バットマンがいない世界でジョーカーがどうなるのか?
というのを徹底的に描いたものだったように感じた。
ハーレクインだけではジョーカーをジョーカーたらしめることはできず、結果、彼は一時的にジョーカーのようになるもののアーサー・フレックに戻り、死ぬ。
バットマンがいないことで逆にバットマンとジョーカーを相互依存性が浮かび上がる、ジョーカー2:ジョーカー&ハーレクインを期待して見に行ったら、ジョーカー:マイナス・バットマンをお出しされるのだ。
基本私は見たい映画は一切情報入れずに映画を見るけど結構不評らしいがそりゃ不評も買うよなぁ!?って感じの作りではある、だって前作ジョーカーからこう幕を閉じるとは思わないし自分も見終わった直後はすごい梯子外されたという感じしかなかったもの。
でも見たあとの帰り道で咀嚼してると、エンタメ的にはふざけんなという気持ちもあるけど納得感がひしひしと湧いてくる。
最初のアニメのジョーカーとジョーカーの影のパートもアーサーとジョーカーと見せかけて実はジョーカーとバットマンではなかろうか。
前作と合わせて複数回見たい作品ではないけども、ジョーカーとバットマンを描かないことでこれ以上なくジョーカーとバットマンを描いていた。それこそ光と影のように。
わかる、わかるけどさあ、、、
ジョーカーは道化であって、歌って踊ってっていうのはわかる!わかるけどさ、その、ミュージカル仕立ては、悪手だよぉ!
歌が効果的だったのは、生放送のインタビューの時に歌って、それをテレビ越しにハーレイが見てるシーンと、ラストらへんでアーサーが電話して、留守電に歌を吹き込むところくらい。逆に歌パート激選しとけば、効果的な演出になったかも。ハーレイが面会に来てる時に歌った歌、カーペンターズだっけ?いい曲だよなあ。
現実と妄想の狭間で揺れるジョーカー、を描きたかったのかもだけど、凶暴さを出してるのは妄想の中だけ。今回誰も殺めてはいないよね。
リアルパートの方が断然面白い。ジョーカーのカッコしての裁判のシーンとかね、すごく良かった!
結局、ジョーカーという、アーサーという、存在をどう描きたかったのがね、ブレちゃったかも。カリスマ性が消えかけてたよ。
決定的なのは、ジョーカー否定発言。なんで?なんでもうムリなの?ここが分からない。さらに、ハーレイの心変わり。心酔してたんじゃないの?あそこで引くの?確かにハーレイが離れることで、とんでもない悲しみに包まれるけどさ。あれで結局ハーレイの立ち位置が見えなくなった。そもそも、出会えるか分からないのに入院してきたりと、整合性が取れてないとこもあったよね。爆発から逃げる時、車から降りて逃げるのは何で?ここもよく分からない。前作は確かにあの走るシーンが印象的だったけど、今回はただ走らせたかっただけのような、、、
ラストは、まあ、予想外。3作目に繋がらないラストは肯定します。
リアルパートが良かっただけに妄想パートと歌パートはいらなかったかも。あっても「少々」だと思うけどなあ。レディガガが出るからってあんなに歌わせなくていいと思いました、、、
観客の反応までが映画の内容かも?
作中で人々やハーレイはジョーカー対しては熱狂し応援する反応、そしてジョーカーではないアーサーに対しては興味のない反応を見せている。
最後ジョーカーではなくなりアーサーとなった彼に対してハーレイは見向きもせずそのまま終わってしまうが、これはまさに観客がジョーカー1作目と2作目で抱いた感情と似ているのではないだろうか。
1作目で観客はジョーカーの雰囲気や性格の狂気ぶりに見惚れ、熱狂し、高く評価していた。2作目で観客がつまらなく感じたのはジョーカーではなくアーサーになってしまう彼に興味を示さなくなったからだ。
映画の中の人々の反応と映画を見た観客の反応、そこまでがセットで考えられていたら監督の思い通りなのかなーとも
だとしてもつまらないものはつまらないので1作目で終わってよかったのではと思う。
作品への評価が結末と結びついている皮肉
世界での評価でも賛か否かに分かれている。
大衆の期待を裏切ったアーサーを助ける者もいれば死の報いを与える者もいるとでもいった感じで、
前作の期待を裏切った評価はまさにこの映画の風刺の様である。
個人的な評価はどちらかというと否に入るだろう。
結末がどうこうでは無く、ミュージカルに振り切るというのも脚本制作時から監督が言っていた事なので問題はない。
役者の演技も素晴らしい。
ただ、全てが単調でどちらに振り切る事もなく二人の山を創りたいと言っていたリーのセリフかの様に山が無い。
ガガというプロフェッショナルを起用していながらミュージカルシーンはとても退屈でオリジナルソングは印象に残らない。エンディングソングは素晴らしいのでそれくらいの力量で全てに取り組んで欲しかった。これはガガの問題では無く、ミュージカルの演出が出来ていないのだろう。
また、リーのシーンばかりである。リーがジョーカーに惹かれた理由もふわっとしており、一方的に求愛をして捨てていくという事でもあるのだろうか。
一方的で対話の無いミュージカルはMVの様であり、掛け合いのあるミュージカルをもっと導入して欲しかったと思う。
アーサーの妄想としてのミュージカルはもっとぶっ飛んだ内容でも良かったのでは無いだろうか。ただそれも前作で生放送に一度しか出ていないアーサーの想像の乏しさなのかもしれない。
結末についてはリーがジョーカーを愛してアーサーを愛さなかった。大衆もジョーカーを愛し、アーサーだけが受け入れる事ができなかったのならば、結果的にこの結末なのだろう。
メタな事を言ってしまうとザ・バットマンでのバリー・コーガンのジョーカーも控えているのであの結末にするしかなかったのかもしれない。
相変わらずの観客を巻き込む映画
たぶんこれは、「こんなのジョーカーじゃない!クソつまんない!」って言うのが正解の感想な気がする。
映画の中でも皆が求めていたジョーカーが、最後の法廷でアーサーに戻り、ジョーカーになったことを後悔し、罪を認めるシーンでブーイングが起こっていたように、ハーレイが愛していたのはアーサーではなくジョーカーだったように、我々観客のほとんども前作の様な"ジョーカー"を期待して今作を見に行ったのだと思う。
前作もラストの群衆の視点が我々観客の視点と重なったように、今作もそこが上手く劇中の群衆の心情と重なるように作られていて、確かに見た感想としては、なんだこれ、ジョーカーじゃないじゃんとしか思わなかった。
正直クソつまんなかったし、曲多すぎて最後はもう歌うなとか思ってた。
でもこれもジョーカーを求める劇中のジョーカー信者達にリンクするように作られているとなったらまた見方は変わってくる。前作同様、作品に踊らされてた感が強い。してやられた。
アーサーはアーサーでしかなく、悪のカリスマ=ジョーカーでなはいし、アーサーもそんなことは望んでいなかったのに皆(我々観客含め)が求めるのはジョーカーというジレンマ。非常に評価が難しい作品だと思った。
ジョーカーもアーサー
アーサーを綺麗に残酷に映していてとても良かった、報われないところも素晴らしい。
映画内の民衆はおろか我々観客さえも、彼に求めていたのはジョーカーであってアーサーじゃないという雰囲気が感じられてとても悲しくなった。
人に初めて知られ、認められる偶像ジョーカーと、アーサーにとってのジョーカーには違いがある。彼は世界をぶっ壊してやろうっていう報復者なんかじゃなく、目の前で起きてるありえないだろってことがどうしても許せなくてみんなに知ってほしかった優しい被害者。だから全部ぶっ壊してやるっていう社会の偶像崇拝ジョーカーとはほんの少しのギャップがあった、その小さなギャップをどう飲み込んでいくのかが今回の主題だと感じた。
収監生活、カウンセリング、裁判、愛を通して本当の自分に触れた、ひょうきんを演じてみても、革命家を気取ってみても、根底にあるのは”幸せになりたかった”。彼が欲しかったのはアーサーを見てくれる純な愛だったんだと思う。
最後の、歌はもういいに関しては同感、ジョーカー(コメディアン)として幸せになる妄想をミュージカルに重ねてたのかな。アーサーにとっての幸せはそこにはなかったんだろうね。
最後まで、喜劇でした。
みんなは嫌いだしがっかりしたかもしれないが
結論から言えば、ボク的には最高だった。何もかもが。
ただ、衝撃のラストは思わず「あー!」と声が出てしまったしショッキングだったし
一瞬、ああもうこれは酷評されるわけだと思ったけれど
最後のエンドロールを見ながら、既視感がどうしても拭えない理由を頭の中で模索。
そして思ったのには「ジョンとヨーコだ!」と。
また、自分がアーサー版のジョーカーが好きすぎ脳であるからだとも思うけれど
まさにジョーカーらしいラストだったと思う。心から。
ジョンに心酔しすぎたあまりにジョンを殺害した人がいたように
ジョーカーの人気の質は、まさにあの感じだと、確信。
そして何より、ミュージカルであったこととラブストーリーであるところが
みんなの思うところの「ジョーカー」とは違う!てなっちゃうのもわかるけど
ボクは、真面目に、真剣に、本気でアーサーが大好きなので
リーと恋に落ちる瞬間だとか、すっごく良かったし
完全にアーサーに感情移入して見ていたこともあって
あの面会のシーンなんかはほぼ号泣。
歌も選曲も素晴らしかったし、見に行って本当に良かった。
ジョーカーになって初めて皆に注目され脚光を浴びて救われた前作のアーサーと
ジョーカーでなければ愛されないアーサーの悲哀と絶望を徹底的に描いた今作で完結。
アーサー版のジョーカーの最後は、アレでよい。ボクはそう思いました。
細かいこといっぱいいいたいけど、きりがない気がするのでここで終えますが
アーサーの心の動き、リーの「ハーレイ・クインたる」言動など
どこまでも果てしなく心揺さぶられる良作だと思います。
サプライズよりも失望の方が大きい
映画を観る前は、やがてバットマンの最大の敵となるジョーカーが、パートナーのハーレイ・クインと出逢い、「悪」の純度を高めていく物語に違いないと思い込んでいた。
ジョーカーが二重人格であることを匂わせる冒頭のアニメーションとか、ガリガリに痩せたみすぼらしいアーサーの裸身とか、黒い雨傘が上から見るとカラフルな色になっていたりとか、出だしは快調で物語に引き込まれる。
ところが、いつまでたっても刑務所の中の話や裁判の話が続くばかりで、ジョーカーが巨大な「悪」になっていく気配が一向にしてこない。
しかも、刑務所における看守による虐待も大したことがないし、アーサーが二重人格かどうかが争われる裁判もさほど盛り上がらないし、時折挿入されるミュージカルシーンも、アーサーの心象風景として、必ずしも効果を上げているとは思えない。
何よりも、リーは、始めからジョーカーに恋をしており、彼女が、徐々にアーサーに感化され、惹かれていくという過程が描かれないのは、犯罪ドラマとしても、ラブストーリーとしても、物足りないとしか言いようがない。
仮に、裁判で、アーサーが二重人格であると認められても、精神科の医療刑務所に収監されるのだろうし、アーサーが弁護士を解雇して自分で弁護を始めた時点で、裁判に勝つ見込みもなくなったので、彼がバットマンの敵となるために残された道は、「脱獄」しかないと予想できてしまう。
実際、終盤になって、そうした予想は的中するのだが、「さあ、いよいよ悪のカリスマの活躍が始まるぞ!」と期待していると、それを見事に裏切るラストの展開が訪れて、愕然としてしまった。
結局、民衆も、リーも、若い受刑者も、誰もがジョーカーを求めていて、その分、ジョーカーを捨てたアーサーに失望してしまったということなのだろうが、その失望は、観客にとってもまったく同じであったと思わざるを得ない。
本当の自分を誰にも必要とされなかったアーサーの悲しみは身につまされるものの、その一方で、「カリスマに扇動されるな」という、特にSNSの時代には重みのある教訓が感じ取れるエンディングは、何だか優等生的過ぎて、予想を覆すサプライズよりも、期待を裏切る「ガッカリ感」の方が大きかった。
前作と異なる作風を持ち出した挑戦心はすごいと思った。
前作から割とそんなに時間の経過していない続きのお話。
囚われのアーサーが謎めいた女性リーと出会って、夢のままに2人で世界を生きようとする中で、現実と妄想が交錯しつつも物語が進行する感じ。
前作のバイオレンスさだったりショッキングさというものは今作にはそれほどなく、それよりもミュージカル的な要素に振り切ってた印象。
クラシカルな曲で優しい感じの歌詞が多かったが、歌うのが危険な2人だから常に「次の瞬間何が起こるんだろう」という目で観てた。
前作の衝撃が大きかった余り、世界中に続編を望むファンが多数いるにも関わらず、ここまで違う作風に振り切る挑戦心がすごいと思った。
賛否両論もわかるし、前作の感じを期待しているとハズレというのもわかる。
ただ、クリエイターの映画作りに対する気概みたいなものを感じた。
全289件中、241~260件目を表示