ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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トラウマには同情しかない。
かわいそうすぎた。謝れよアーサー!
この件だけ心動かされましたがあとはほぼ世界観にはいれず。(一作目も期待が大きすぎてやや肩透かしだった)
レディガガの「歌うわよ歌うわよ」圧力もすごかった。
大量の"ジョーカー"発生を恐れた結果
事前にこちらのサイトのレビューを読み全く期待せずに鑑賞した為、ガックリくる事はありませんでした。そして私は考えた…。この映画は前作が予想以上にヒットしてしまい、その社会的影響力により全世界で「ジョーカー」の模倣犯の発生を恐れた感があります。それは治安の良いと言われる日本でさえ発生したのですから…。もっともジョーカーの模倣犯は前作の「ジョーカー」より前から発生していました。特に影響力が強かったのはご存知、ヒースレジャーが扮したジョーカーでした。世界規模で模倣犯の犯行は増え10件を下らないようです。
本作を観る前、殆どの顧客は多分完璧なもしくは人間ジョーカーの悪の姿を見たかったはずです。そこで自分には決して出来ない悪の化身を観てストレスを発散したかった筈です。もちろん期待は裏切られました。こんなジョーカーは観たく無いとなる。それはまるで劇中のリーそのものです。
配給会社も監督もプロデューサーも、影響力のある"ジョーカー"を描く事が出来なかったのです。怖かったのです。特に病める大国の米国としては創れなかったと言うのが正しい解釈であると思います。大統領選間近の米国で大量の"ジョーカー"発生を恐れた結果です。
本当に観てよかったです
※ネタバレあります
■映像美とストーリー
• 映像がとても美しく、視覚的に楽しめる作品でした。
• ストーリーが好みでない方でも、映像だけで観る価値があると感じました。
■エンディングのメッセージ
• エンディングで流れるレディー・ガガの歌の歌詞「逃げるぐらいなら死んだ方がマシ」に強く共感しました。
• この歌詞から、ジョーカーが逃げた結果、悲劇的な結末を迎えたことを理解しました。
■ジョーカーのキャラクター
• ジョーカーが自らの選択でその道を歩み、最終的に自分で終わらせてしまったことが印象的でした。
・裁判中の妄想シーンでも、ジョーカーが自分の妄想に対して
いやいや無理でしょう
的なことを失笑しながらいっていましたが
そこにも限界を感じていた伏線かなと思いました。
1話のジョーカーはそんな思考さえなかったら気がしたからです。
■映画のメッセージ
• 受け取り方は人それぞれと思います
私は、映画を通じて、ガッツを持って頑張ることの大切さを感じました。
• 思い返すと自分なりの解釈ですが、伏線が多く、後から振り返るとジョーカーが辞める兆候がいくつもあったことに気づきました。
■今後の楽しみ
• 配信が早いとのことで、1作目と2作目を連続で観るのが楽しみです。
ジョーカーはいない
まさかの続編!
ジョーカー誕生までの過程を描いた前作が意外にもヒットしたから続編作ったんだと思うけど、これじゃない感がスゴイ、、
話題のハーレイもあまりいいとこなし。
こういう続編を作っちゃうとやっぱDCの映画はイマイチって烙印を押されちゃう……
獄中の囚人とのメロなら、「接吻」小池栄子に軍配。
前作(も非支持)を折り畳む急に真面目な肩透かし。
変にバズった平凡な男が調子コク、
芯を喰わず停滞する法廷歌劇。
ガガ健闘だが
同種作「接吻」小池栄子の気持ち悪さに軍配。
悪のカリスマなんて現実の法治国家では直ぐに飽きられてお縄ってことでよいのね?
ま、そりゃそうだ。
仮面を取ったジョーカーの末路
■あらすじ
バットマンの悪役であるジョーカーの誕生秘話の続編。
理不尽な社会への反逆者、代弁者として祭り上げられた、
狂気あふれるジョーカー。
前作で5人(ホントは6人)を殺し刑務所に入っているところから始まる。
そんな彼の前に、リーという女性が現れる。
■レビュー
前作は、途中まで「つまらない」と思いながら見ていたが、
だんだんと狂気に満ちたシーンが続き、「こわっ!」となった。
それがこの作品のすごいところでもあったのだが。。。
今回はその続きなのだが、その狂気が群衆へ伝播していく恐ろしさを
描いていたのだが、どこかおかしい。。
前作ほどの狂気、恐怖がない。
これは・・・ところどころに入れられた、ミュージカル調のせいか?
そして、ジョーカー自身は、刑務所と裁判所を行ったり来たりするのみ。
挙句の果てに、仮面をとったジョーカーの末路は・・・
賛否両論分かれている、と話題になっていたけど、どこを取り上げれば、
良作となるのか、私には難しい。
しいて言えば、ホアキン・フェニックス、レディー・ガガの演技の良さかな。
なんでこんなになってしまったのか
評判があまり良くないのは聞きつつ
自分の目で観ないと、と思って鑑賞。
観終わって、なるほど、と。
ホアキンの演技は前作に続き圧倒的だし
ストーリーもちゃんと作れば深くて切ない話になった気がするんです。
なんでこんなふうに作ってしまったのか。
ガガのための映画?(決してガガが嫌いなわけではないです)
最後のシーンも、おっと思いましたが、取ってつけた感が。。
残念でした。
分からんでもないけど
1作目には衝撃を受けた。帰り道にボーッとして危なかった。現実なのか妄想なのかあやしかった。そこにこころひかれた。だからこそ、今回はあまりにも現実すぎて辛かった。この物語にひとつの着地点を見出そうとすれば、まぁこうなるよね。分からんでもないけど。
ジョーカーはいないがこの映画の答え
これはジョーカーの映画ではなく、アーサーの映画
ジョーカーがハーレークイーンと暴れ回る映画を期待して観に行くと肩透かしを喰らう。それは、ジョーカーに理想のイメージを抱き過度にジョーカーを持ち上げるゴッサムシティの人々のように、観客が勝手にイメージした肥大した期待感なのだと思う
ジョーカーに憧れて近づき理想と違うから離れていったリーも、観客の気持ちとリンクしていると思った
ストーリーは病棟と法廷が中心で、大きな動きが少ない。つまらないという人が多いことも理解出来た
しかし、こんな風に映画内の人物と同じ気持ちになれるという初めての体験が出来た
これが芸術なのだと思った
前作を観て今作を観た上で肯定的な感想を抱けたのも、今までジョーカーに触れてこなくてイメージするジョーカー像が無かったからかもしれない
孤独を噛みしめる映画
前作は見たけど忘れたので、先入観無しに鑑賞。アーサーの枯れた感じがなんか…カッコいい。タバコ🚬がまだ社会的に存在してた時代、コミュツールとして有能だった一面も感じた。レディ・ガガとあんなことしてみたい(笑)
ジョーカーの孤独がずっと描かれる。そこにCarpenters…ヤバい、幸せ過ぎて泣けるわ。。ヒトは希望が有ればどんな絶望的な環境でも生きていける。中高年の孤独と幸せと絶望。アーサー良い人だね〜でも、そういう感じに終わるのがDCらしい。
クソYouTuberとそれを模倣するクソ登録者
が招いた結果がこの「ジョーカー2」である(ものの例えです)。
前作ジョーカー1の模倣に歯止めをかけるべく
「ダメなもんはダメだ!だって犯罪だもの!」
「ジョーカーかっけぇ!俺、真似するわ!
ってヤツに対して
「いやいや、かっけぇとかじゃねぇから!」
と、危ない思考に警鐘を鳴らし、絶対にアーサーに対して微塵も希望を持たせない展開にしたのは制作陣のせいじゃない。
ヤバい鑑賞者のせいだ。
前作ジョーカー1を崇拝するあまり過度な期待に裏切られ、酷評に至ったレビュアーは作品内のジョーカーコスプレイヤーとさほど変わらない。
賛否両論があるのは仕方のないこと。
どの作品だってそう。
ただ、ちょっと、ジョーカーに関しては異質で病的だよね。
おっと、これは作品の感想じゃないな。
ミュージカルを差し込まないと2時間以上なんて重すぎて耐えられないだろう。
ま、「多すぎ!」とも思うが。
レディ・ガガを起用したのは正解だと思う。
歌うまいし、美人すぎないから良い。
俺、思ったんだけど、ダンサー・イン・ザ・ダーク見た時の気持ちに似てるなコレ。
観たあとのズーンて感じ。
ほんと、ホアキン・フェニックスってすげぇ俳優に成長したなぁ。
兄貴が生きてたらどうなってただろう。なんて考えたり。
ほんとはもっともーっと長文で書くことあったけど、自分も読んでる人もダリィしやめとく。
とりあえず1は超えないものの、続編としてすごく納得しました。
見てよかったデス!!
ごめんなさいダメでした
鑑賞中に何度も時計を見てしまった
トイレに行きたいとかじゃなく
もう苦痛で早く終わってほしくて
でも結末は気になるからやめることもできず
私にとってはハッキリ言って駄作でした
そもそもジョーカーとは
あのバットマンの敵であったはず
これはそこから離れすぎていて
もはやなんだか分からないキャラクター
あととにかく何がダメって歌の場面が多すぎる
レディーガガを起用したからこうなったのか
こうだからレディーガガなのか知らないけど
ミュージカル映画は嫌いじゃなくても
趣旨が見えなくなるほど多用されたらウザい
0点にしたいくらい苦手だったけど
ホアキンのウエイトコントロールと演技に
さすがにそれはできないので1点だけ
8㎜やグラディエーターの頃から
演技は天才的だったホアキンだけど
ジョーカーのイメージが強すぎる人が多いので
次は全然無関係ないああいう役をやって欲しい
私はハマって大号泣
一般公開日2日目に鑑賞し、感動し号泣。
しかし、世間の評価があまりにも低いので「擁護したい」という気持ちが高まり、映画.comのアカウント作成してまで投稿してます。
個人的には前作「ジョーカー」から一貫して、自己評価と世間の評価に大きな乖離の有るアーサーの物語として見ており、悪のヒーローと思った事は1度もありません。
彼は決してヒーローではなく、本当の悪のヒーローは他の誰かなんだ、と。
その部分に焦点を搾ったのが今回の作品「フォリ・ア・ドゥ」だ。
彼の頭の中には、音楽が流れ、いつか誰かが自分に憧れたり愛される存在になるといつも空想してる。
それはママが好きだった音楽だったり、ママと一緒に観た映画の断片だったりするわけです。
でも現実はどう?
世界の底辺で生きてきて誰にも愛されない頭のおかしな、ただのオッサンだ。
今回の作品ではおかしなオッサン・アーサーの頭の中で流れるものに観客は付き合わされる訳ですが、古い音楽で大半の観客はノレません。
なにぶんママの時代の音楽なもんですから~。
そんなアーサーを私は心の底から応援しながら観てしまう。
悲しい存在であるオッサン・アーサーに自分を重ねて観てしまうのだ。
ホアキン・フェニックスの歌声は深く優しく、ダンスはセクシーだ。
そりゃアーサーが妄想する「こうなるはずの自分」だもの。
で、結局ガガ様演じるリーって何なんだという考察は別の評論家さんにお任せし、私はアーサーの物語を全面的に支持したい。
親ガチャにハズレ、なんの才能もなく生まれてきた者に、世間は冷たいのだ。
アーサーの人生のミジメさを全身で受け止めてこそ、この作品に号泣出来るのかもしれません。
ネタバレって程じゃないけど、アーサーの心の味方になってくれる人は、たった1人だけ存在します。
それはとても小さな存在です。
アーサーが現実に向き合えたとしたら、小さな存在を大きく感じられたかもしれません。
残念
前作で、虐げられたアーサーはジョーカーとして覚醒した。
ジョーカーは破壊的暴力的でありながらも、同情し共感せざるをえない存在だった。
その続編は一言で言うと残念。
アーサーはジョーカーとしての自分を夢みることを許されず、アーサーとして拘禁され、裁かれ、殺される。
舞台は刑務所と裁判所。夢も希望もない男が殺されて終わる救いのない物語。
これで終わりか?
恋愛と裁判とエンタメをめぐる承認欲求
2024年。トッド・フィリップス監督。「ジョーカー」続編。承認欲求が満たされずエンタメ業界の底辺で生きることを余儀なくされた男が、社会への復讐として殺人にいたったところ、世間から祭り上げられ、また、追っかけ的に慕ってくる女性と運命の恋に落ちて、「恋愛」と「裁判」という場で「本当の自分」の模索を強制されてグラグラ揺れる話。
ジョーカーが仮面なのか(演技=責任能力あり)二重人格なのか(病気=責任能力なし)を巡って精神科医や弁護士や恋人や元友人があれこれ「診断」するわけだが、彼自身には判断がつかない。だから指摘されるたびにうろたえる。しかも、主人公は他者の意向に沿うことで(自らを笑いものにしながら)承認されたいという欲求が強いので、これはもう地獄だ。
主人公の夢想として挿入されるエンタメシーンのエンタメとしての水準が低いのではないか、主人公が煙草を吸いつつ天を見上げて手を広げるしぐさが多用されすぎではないか、運命の恋の相手の素性が無駄に怪しいのではないか、など気になるところが多々ある。
もやる
ジョーカーに期待してしまった
自分を惨めにしてきた世界に一矢報いて狂ってやり返して生きていってくれるのだと期待してしまった。
実際はジョーカーでもこの世の中に抗えないんだ救いはないんだとつきつけられて病んでしまう。
私もこのまま惨めに終わってどこかの道の片隅で生き絶えていくんだと思ってしまった。それがお似合いなんだと、自分の行いの報いなんだと宣告されたような気持ちになった。つらい。
幼稚で稚拙で虐げられてきた人間は夢も希望も踏みにじられ"普通'"の人々に踏まれてどうしようもなく死んでいくのね、きっと私もそう。
評価が分かれる映画ほど、自分の感性を信じて
賛否両論らしいけど、自分にとっては秀作といいたい。
ホアキン・フェニックスの演技が秀逸。
ガガも負けてない。
切ないジョーカーの光と影が、見事に描かれていると思う。
そして、余韻を残す最後。
これをミュージカル映画と評するのはどうかな〜?
たしかに音楽の要素は大きいが、その選曲も秀逸。
巷の評価よりも、自分の感性。
最高!
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