ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
全454件中、1~20件目を表示
ずっとミュージカルじゃないか!
公開前から賛否が激しいのは知っていましたが、実際に観て「あーなるほど、これは意見割れるな」と納得しました。
私は名作の続編をあまり悪く思っておらず、一作目とは違った魅力があれば楽しめるタイプです。しかし、ここでは二作目の方向性が曖昧になっており、刑務所と裁判所を往復するだけに留まっていました。さらに、前作から作風が大幅に一変し、つまらないの一言では言い表せないぐらい複雑な感情を抱きました。
中でも戸惑ったのがミュージカル要素です。歌唱シーンが予想以上に多く、「ずっとミュージカルじゃないか!」と思わずツッコんでしまいました。エンタメ路線に特化している印象が強く、曲の入りも衝突すぎて本当に必要だったのか疑問に感じました。
レディー・ガガ演じるリーの立ち位置は漠然としていました。アーサーとの関係性について多少描写があるものの、2人が街に飛び出して大きな犯罪を起こさないので、これと言った見せ場が少なかったのが勿体なかったです。
それと、今作のレーティングがPG12になっているのが気になりました。本編では「f*ck」などの下品なセリフが多数出てきて、血が飛び散るほど過激な場面もありました。これならば、R15のままでよかったのではないかと思いました。
良かった点もいくつかあり、ホアキン・フェニックスの前作に劣らない演技には圧倒されました。作品考察の甲斐があり、終盤ではアーサーの行動が彼自身に返ってきたのではないかと解釈しました。
2024年公開の映画では間違いなく一番の問題作になっていました。今回は珍しく辛口になりましたが、またの機会に観て理解を深めたいと思いました。
「世間を騒がせてごめんなさい」・・・・・・・・・(フフフ)
日本公開を前に、フランシス・フォード・コッポラが本作の全米での興行不振について、トッド・フィリップス監督を慰めた、という報道がなされた。記事だけを観ると、ほぼ同時に公開され、巨額の製作費をかけた自身の最新作「Megalopolis」の不振と合わせての発言かと思いきや、Instagramでは続きがあり、その発言には、もう少し深い同情、共感のコメントがされていた。
オレからすれば、ちょっと笑ってみたりしたもので、「あの作品」を褒めてもらったら、そりゃまあ、コッポラもうれしはずかし、コメントは残すよね。というか、「あの作品」も巨額の製作費をもって、大コケしたわけで、ジジイも勝手に老婆心が走ったんだろうが、それにしても、このジャンルに、当時も今も信じられないくらいの巨額の製作費を充てる(ことができる)のは、全くの謎だ。
ジョーカー フォリ・ア・ドゥ
・
・
・
前作「ジョーカー」でも短く語ったが、「作者ジョーカー」という関係者のスタンスは本作も変わらないことも素晴らしいし、前作はその辺がうまく機能せず、必要以上の支持を得たことへの反省からくる、落とし前の内容と、「妄想」をあえてわかりやすく「ミュージカル」で表現したことへの勇気は買う。
しかも巨額の製作費をぶち込んで、しかも「ワン・フロム・サ・ハート」に敬意を表したなんて、フィリップス監督はキャリアを棒にする覚悟だったと思うが、それ以上にワーナーは頭がどうかしたのか、と思った。
レディ・ガガの役もオレの中では、ずーっと「妄想の産物」=「アーサーの妄想内のジョーカー」という認識は変わらず、「ジョーカー」=「トッド・フィリップス」の落とし前に付き合った結果。
それはそれでいいのだけれど、「否」が多いのは、結局「ミュージカル」が「信者」に合わなかった、というのと、「信者」を裏切ることこそ、「ジョーカー」というのは「信者」もわかっているはずだが、作り手の方では、本作の製作意義において、別の理由のほうが大きくなり、単純に「面白くなかった」ということ。
前作が「タクシードライバー」、「キング・オブ・コメディ」等、70、80年代のオマージュというのは、あくまでその設定において「パクリのレベル(デ・ニーロ免罪符)」で必要だったからであり、本作では「妄想」「逃避」を「ミュージカル」という、分かりやすい舞台を使っただけで、そうである必要はない。
「ワン・フロム・サ・ハート」のトム・ウェイツにゲンナリしたオレでは、この映画のミュージカル・シーンを楽しむことはできなかった。ただ単に、どこをどうして、どう見たら製作費2億ドルになったのか、わからないが、「ミュージカル」ってカネかかるんだな、と思っただけ。
ただね、
真実はわからないし、未来もわからないんだけれど、
「世間を騒がせてごめんなさい」・・・・・・・・・(フフフ)
のようにもオレには見えたので、厄介だ。
ジョーカーではなくアーサーの物語
前作のジョーカーで、これは根っこは同じだけどダークナイトとは違う世界線のジョーカーなんだと割り切っていたので、今作はジョーカーというより「アーサー」の行く末を見に行くつもりで見た。
その結果、ストーリー展開や結末があまりにも自分の予想通り過ぎてしまって、前作のようなインパクトは正直感じることができなかった。
妄想シーンを全てミュージカルにする手法がハマる人は評価が高めになると思うけど、私はどうもその分量が多すぎると思ってしまい、歌わないホフキンの演技をもっと見せてくれー!と思ってしまった。(タイトルが妄想障害という意味のフォリアドゥなので、妄想シーンが多いのはわかるが…)
できれば、ミュージカル以外の手法で、妄想と現実の演出をしてほしかった!
ただ、監督の意図は伝わったし、結局ジョーカーのような犯罪者を英雄視して、ヒーローのように崇める世間は異常なので、そこに対して冷や水ぶっかける感じは良いと思った。
それにしてもアーサーの人生ってなんだったんだろう。
唯一アーサーとして見てくれていたゲイリーと友情を築いていれば、アーサーの人生は変わったのかな…
ありのままの自分を受け入れて愛してほしい男が、皮肉にも世間から祭り上げられたジョーカーという仮面に踊らされる姿は、あまりにも苦しく悲しかった。
いろんな意味で目を覚まさせられる一作
本作を観ながら二つの両極端な感情に引き裂かれた。ひとつは抑圧された個の暴走を前作であれほど鬼気迫る熱量で描きながら、続編では「嘘だろ!?」と思うほどのローテンションに終始し、カタルシスを放棄していることへの落胆。そしてもうひとつは、心のどこかでこの展開を「あるべき形」として受け入れている自分への驚きだ。何もかもが恐るべきスピードで移り変わる現代を見渡せば、これが写し鏡であることに気づく。世間によって虚像へと祭り上げられた男は、いつしかたどるべき道を辿るのだ。社会でも政治でもエンタメ界でも、こんなことは日常茶飯事。夢は醒めなければならない。彼を救うヒーローも現れない。なるほどそれはよく分かったし、切ない愛をミュージカル調に紡ぐ感情描写も二作目独自の趣向として見応えはある。が、魔法の効果は限定的だ。これは作り手たちが生み出した「ジョーカー」という現象に対し自らけじめを付けた一作のように思える。
大いなる勘違いをしてしまった“自分”を映し出す鏡
“フォリ・ア・ドゥ”とは“ふたり狂い”を意味する言葉。狂信者が共鳴し合い、更に狂うという意味らしい。
だけど、ジョーカーことアーサーも、彼にある想いを秘めて近寄る女性ハーリーンも、微塵も狂ってはおらず、地に足を着けて生きている。
つまり、これは荒唐無稽なヒーロー映画ではなく、殴られれば痛いし、食事の量が減れば痩せ細るし、空想の世界で大好きな映画のことを思い出せば、一瞬ではあるが、どうしようもない世界から解放される。その術を知ってしまった“フォリ”を描く作品なのだ。
作家の同時代性という意味で、IMAX撮影には素晴らしい進化がある。
定説とされる景観を美しく描写することに執心せずに、切実な顔に寄ることで表現できる画面には、IMAXだから伝えられる映像の力が宿る。そのことを圧迫する映像で教えてくれた作品がクリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』であり、この映画である。意識的な作家はIMAXに潜在する表現力に気づいている。だからこそ、躊躇せずにクローズアップする。画角が伝える力を信じたその映像が訴えかけることを決して観逃してほしくない。
この映画には、生理的な痛みがある。言い換えれば、それは当たり前の痛みだ。
フランチャイズの呪縛を解いた時、アーサーという、孤独で、どうしようもない男の等身大の姿が露わになる。殴られたり、蹴られたり、裏切られたり、信用できなかったり。期待なんかしていない。でも、、、
心せよ。この映画は大いなる勘違いをしてしまった“自分”を映し出す鏡なのだから…。
バットマンなき現実の世界
ラジー賞にノミネートされたらしく、どんなものか観てみた。が、実は名作だった。
ご存じ人気悪役ジョーカーを描いた作品で、前作は世界的に大ヒットだった。その2作目と言う事で期待値の大きさと、皆さんの期待にそぐわない内容が不評の理由かな。
しかし、この作品はジョーカーを描きながらもバットマンが登場しなかった前作の続きなのだ。つまりは現実世界に近い世界を描いている。
前作では精神疾患を抱え、親からの精神的な虐待に耐えながら貧しい日々を生きる若者の残酷な現実と、その中で抱え込んだ妄想、そこからついに犯罪者になってしまった流れを見事に描いていた。
同じように夢を持てない現実の日々を生きる町の人の一部から、彼が「ジョーカー」としてシンボル化されるまでの悲劇の物語が前作だ。
今作はその後を描いたもので、ミュージカル仕立てとなっているのだが、視聴するまではこのミュージカル部分が不安だった。
レディ・ガガがハーレクイン役と言う事で(歳行き過ぎなのでは?)という不安だった。(私の頭の中にハーレクイン像としてマーゴット・ロビーの素晴らしいハーレクインがあったから)
ところが、この作品ではガガでなければならないとさえ言える。なぜなら、このミュージカル部分こそ、この作品の本筋を描いているからだ。
しかもその演出が(監督が天才なのでは?)と思わざるを得ない。
「聖者の行進」の曲で作品内の登場人物たちの気分が高揚する場面ほど、画面のこちらで見ている視聴者は悲しくなるという、巧妙すぎる作りだ。
リー(ハーレクイン)がピアノを弾き歌うシーンでは、まさにジョーカーの扮装をしたアーサー青年が「踊って」いる。ハーレクインに操られ上手いこと踊らされているかのようなシーンだが、その前に担当弁護士から彼女の本当の姿を聞かされていたアーサーは「わかっていて踊っていた」演出だ。この青年の本来持つ純粋さや悲しさがポップな音楽で表現されている皮肉。
アーサーは本人が言うとおりで「馬鹿じゃない」。
だが、強くないし、何かを逆手に取るほど賢くもない。悪人になるには優しすぎるし、善人として生きるには精神的に痛めつけられすぎてその精神が弱り過ぎていた。そのあたりも裁判のシーンでうまく表されている。
世間でいうところの毒親に近い母親に育てれたために、「他者を笑顔にすること」が彼の人生の縛りになっている。「他者を笑顔にすること」そのものは良いことで彼を救いもするが、ある種、アーサーにとっての呪いでもある。
結局いつも「誰か」の期待にそう行動をやっているに過ぎない。その「誰か」はアーサーの周りの人間でアーサーが「優しく接してほしい誰か」だ。
他人の笑顔を無意識に期待しているアーサーの優しさや弱さ、悲しさが観ていてつらい。
こんな悲劇が彼だけではないから、この町では彼はシンボルとして祭り上げられたのだろうと言う事は想像の領域である。この作品にバットマンは登場しない。
しかし、アーサーが感じているほど世間は実は冷酷ではないことは随所に描かれていて、それが観ている視聴者をより悲しくさせる。
この物語は最初から最後までアーサーという青年の悲劇であり喜劇だ。ある意味ホラーでさえある。
この哀れな主人公が救われるのは最後のシーンだろう。
ネタバレになるので詳細は省くが、「報い」という言葉はこの作品の結末としてはおさまりが良いと感じた。
主演のホアキンも天才だ。
監督の表現したいものをここまで表現できるなんて、どんな精神を持ってるんだと考え(なるほどホアキンじゃなきゃこの役は無理だな)と納得。
と、上げていけばきりがない。
私の結論としては、「バットマンがいないDCコミックの世界は厳しい現実だけがそこにある」だ。
そのあたりの表現も挙げればきりがないほど見事なのだが、あまり長すぎるのもあれなのでこのあたりで終わろう。
この内容でラジー賞候補というのはあんまりなのでは、と思うが、今年のアカデミー賞があの状態だからね。
良かった。
よく分からなかった
始まりが難しくてスタートから置いて行かれた
刑務所内でのアーサーの立ち位置や
アメリカの刑務所の普通などもわからず
十分な理解ができないまま
なんだかんだ最後までいってしまった感がある
確かに人に愛されること愛することは
すごく大きなことなのだけど
なんというか、なんだか陳腐というか、
単純すぎたりありきたりすぎたりというか、
安い恋愛映画に付き合わされたときのような
落胆、までいかないけれど
ああ…てきな
経験のない男性があんなスムーズに自分主導で
事に及べるかな…みたいなところも
あまりに綺麗すぎるというか
なんというか
前作もラストがうーーーんだったので
みんなにおすすめ!絶賛!ではなかったものの
もう一度観たいと思えたけど、
今回は全体通して妄想と現実の行き来が多かったり
至るところでよく分からないが積み重なっていって
もう1回観たいとは思えなかった
残念だった
中々いい映画
私はアメコミファンではないので、ジョーカーというキャラに特別な思い入れはありませんし、アメコミに関する十分な知識も持ち合わせてはおりません。しかし、そのような門外漢でも、前作はシリアスなドラマとして十分楽しむことができ、満足のいく映画体験ができました。こうした前作の思い出が頭のかたすみにあったので、今作の情報が解禁されたときには、公開日を今か今かと待ちわび、期待に胸を躍らせておりました。
結論から言うと、とてもいい映画だったと思います。社会のどん底にくすぶって男が、憎悪という負のパワーを原動力にのし上がっていくという、前作のピカレスクロマン的な趣きから一転して、今作では、自身の作りだしたジョーカーという虚像が、他者を愛することによって皮肉にも崩れ去っていくという、まるで合わせ鏡のような構造になっています。ですので、両作合わせてみると、アーサーという一人の人間の栄光と転落が、悲喜劇としてうまくまとめ上げられていると感じました。またミュージカルという特殊な物語の構造も、彼が頭の中に思い描いた虚実入り乱れた世界観が、映像として大変面白く視覚化されていたと思います。
ただ、前作がどん底から上へ上へとのし上がっていく熱い物語であったのに対して、今作は、頂点から下へ下へと転がり落ちていく物語になっています。ですので、後半に進むにつれて、どうしてもジョーカーのキャラとしての面白さがぼやけ、盛り上がりに欠ける展開になってしまったように思えます。
とは言え、そもそも前作とは趣向を異にした作品ですので、単純に比較することはできません。この映画はこの映画でいいところがたくさんありましたし、なにより、こうしたチャレンジングな作品は、劇場公開のリアルタイムで見てこそ、賛否の評価含めて楽しめるものだと思います。ですので、私としては大変満足のできた作品です。
確かに歌が多い…
ジョーカー、ジョーク
そりゃ、そうなるよね
前作と別物として観るべし
全454件中、1~20件目を表示