ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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ずっとミュージカルじゃないか!
公開前から賛否が激しいのは知っていましたが、実際に観て「あーなるほど、これは意見割れるな」と納得しました。
私は名作の続編をあまり悪く思っておらず、一作目とは違った魅力があれば楽しめるタイプです。しかし、ここでは二作目の方向性が曖昧になっており、刑務所と裁判所を往復するだけに留まっていました。さらに、前作から作風が大幅に一変し、つまらないの一言では言い表せないぐらい複雑な感情を抱きました。
中でも戸惑ったのがミュージカル要素です。歌唱シーンが予想以上に多く、「ずっとミュージカルじゃないか!」と思わずツッコんでしまいました。エンタメ路線に特化している印象が強く、曲の入りも衝突すぎて本当に必要だったのか疑問に感じました。
レディー・ガガ演じるリーの立ち位置は漠然としていました。アーサーとの関係性について多少描写があるものの、2人が街に飛び出して大きな犯罪を起こさないので、これと言った見せ場が少なかったのが勿体なかったです。
それと、今作のレーティングがPG12になっているのが気になりました。本編では「f*ck」などの下品なセリフが多数出てきて、血が飛び散るほど過激な場面もありました。これならば、R15のままでよかったのではないかと思いました。
良かった点もいくつかあり、ホアキン・フェニックスの前作に劣らない演技には圧倒されました。作品考察の甲斐があり、終盤ではアーサーの行動が彼自身に返ってきたのではないかと解釈しました。
2024年公開の映画では間違いなく一番の問題作になっていました。今回は珍しく辛口になりましたが、またの機会に観て理解を深めたいと思いました。
「世間を騒がせてごめんなさい」・・・・・・・・・(フフフ)
日本公開を前に、フランシス・フォード・コッポラが本作の全米での興行不振について、トッド・フィリップス監督を慰めた、という報道がなされた。記事だけを観ると、ほぼ同時に公開され、巨額の製作費をかけた自身の最新作「Megalopolis」の不振と合わせての発言かと思いきや、Instagramでは続きがあり、その発言には、もう少し深い同情、共感のコメントがされていた。
オレからすれば、ちょっと笑ってみたりしたもので、「あの作品」を褒めてもらったら、そりゃまあ、コッポラもうれしはずかし、コメントは残すよね。というか、「あの作品」も巨額の製作費をもって、大コケしたわけで、ジジイも勝手に老婆心が走ったんだろうが、それにしても、このジャンルに、当時も今も信じられないくらいの巨額の製作費を充てる(ことができる)のは、全くの謎だ。
ジョーカー フォリ・ア・ドゥ
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前作「ジョーカー」でも短く語ったが、「作者ジョーカー」という関係者のスタンスは本作も変わらないことも素晴らしいし、前作はその辺がうまく機能せず、必要以上の支持を得たことへの反省からくる、落とし前の内容と、「妄想」をあえてわかりやすく「ミュージカル」で表現したことへの勇気は買う。
しかも巨額の製作費をぶち込んで、しかも「ワン・フロム・サ・ハート」に敬意を表したなんて、フィリップス監督はキャリアを棒にする覚悟だったと思うが、それ以上にワーナーは頭がどうかしたのか、と思った。
レディ・ガガの役もオレの中では、ずーっと「妄想の産物」=「アーサーの妄想内のジョーカー」という認識は変わらず、「ジョーカー」=「トッド・フィリップス」の落とし前に付き合った結果。
それはそれでいいのだけれど、「否」が多いのは、結局「ミュージカル」が「信者」に合わなかった、というのと、「信者」を裏切ることこそ、「ジョーカー」というのは「信者」もわかっているはずだが、作り手の方では、本作の製作意義において、別の理由のほうが大きくなり、単純に「面白くなかった」ということ。
前作が「タクシードライバー」、「キング・オブ・コメディ」等、70、80年代のオマージュというのは、あくまでその設定において「パクリのレベル(デ・ニーロ免罪符)」で必要だったからであり、本作では「妄想」「逃避」を「ミュージカル」という、分かりやすい舞台を使っただけで、そうである必要はない。
「ワン・フロム・サ・ハート」のトム・ウェイツにゲンナリしたオレでは、この映画のミュージカル・シーンを楽しむことはできなかった。ただ単に、どこをどうして、どう見たら製作費2億ドルになったのか、わからないが、「ミュージカル」ってカネかかるんだな、と思っただけ。
ただね、
真実はわからないし、未来もわからないんだけれど、
「世間を騒がせてごめんなさい」・・・・・・・・・(フフフ)
のようにもオレには見えたので、厄介だ。
ジョーカーではなくアーサーの物語
前作のジョーカーで、これは根っこは同じだけどダークナイトとは違う世界線のジョーカーなんだと割り切っていたので、今作はジョーカーというより「アーサー」の行く末を見に行くつもりで見た。
その結果、ストーリー展開や結末があまりにも自分の予想通り過ぎてしまって、前作のようなインパクトは正直感じることができなかった。
妄想シーンを全てミュージカルにする手法がハマる人は評価が高めになると思うけど、私はどうもその分量が多すぎると思ってしまい、歌わないホフキンの演技をもっと見せてくれー!と思ってしまった。(タイトルが妄想障害という意味のフォリアドゥなので、妄想シーンが多いのはわかるが…)
できれば、ミュージカル以外の手法で、妄想と現実の演出をしてほしかった!
ただ、監督の意図は伝わったし、結局ジョーカーのような犯罪者を英雄視して、ヒーローのように崇める世間は異常なので、そこに対して冷や水ぶっかける感じは良いと思った。
それにしてもアーサーの人生ってなんだったんだろう。
唯一アーサーとして見てくれていたゲイリーと友情を築いていれば、アーサーの人生は変わったのかな…
ありのままの自分を受け入れて愛してほしい男が、皮肉にも世間から祭り上げられたジョーカーという仮面に踊らされる姿は、あまりにも苦しく悲しかった。
いろんな意味で目を覚まさせられる一作
本作を観ながら二つの両極端な感情に引き裂かれた。ひとつは抑圧された個の暴走を前作であれほど鬼気迫る熱量で描きながら、続編では「嘘だろ!?」と思うほどのローテンションに終始し、カタルシスを放棄していることへの落胆。そしてもうひとつは、心のどこかでこの展開を「あるべき形」として受け入れている自分への驚きだ。何もかもが恐るべきスピードで移り変わる現代を見渡せば、これが写し鏡であることに気づく。世間によって虚像へと祭り上げられた男は、いつしかたどるべき道を辿るのだ。社会でも政治でもエンタメ界でも、こんなことは日常茶飯事。夢は醒めなければならない。彼を救うヒーローも現れない。なるほどそれはよく分かったし、切ない愛をミュージカル調に紡ぐ感情描写も二作目独自の趣向として見応えはある。が、魔法の効果は限定的だ。これは作り手たちが生み出した「ジョーカー」という現象に対し自らけじめを付けた一作のように思える。
大いなる勘違いをしてしまった“自分”を映し出す鏡
“フォリ・ア・ドゥ”とは“ふたり狂い”を意味する言葉。狂信者が共鳴し合い、更に狂うという意味らしい。
だけど、ジョーカーことアーサーも、彼にある想いを秘めて近寄る女性ハーリーンも、微塵も狂ってはおらず、地に足を着けて生きている。
つまり、これは荒唐無稽なヒーロー映画ではなく、殴られれば痛いし、食事の量が減れば痩せ細るし、空想の世界で大好きな映画のことを思い出せば、一瞬ではあるが、どうしようもない世界から解放される。その術を知ってしまった“フォリ”を描く作品なのだ。
作家の同時代性という意味で、IMAX撮影には素晴らしい進化がある。
定説とされる景観を美しく描写することに執心せずに、切実な顔に寄ることで表現できる画面には、IMAXだから伝えられる映像の力が宿る。そのことを圧迫する映像で教えてくれた作品がクリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』であり、この映画である。意識的な作家はIMAXに潜在する表現力に気づいている。だからこそ、躊躇せずにクローズアップする。画角が伝える力を信じたその映像が訴えかけることを決して観逃してほしくない。
この映画には、生理的な痛みがある。言い換えれば、それは当たり前の痛みだ。
フランチャイズの呪縛を解いた時、アーサーという、孤独で、どうしようもない男の等身大の姿が露わになる。殴られたり、蹴られたり、裏切られたり、信用できなかったり。期待なんかしていない。でも、、、
心せよ。この映画は大いなる勘違いをしてしまった“自分”を映し出す鏡なのだから…。
ジョーカーの内面を知る
本作の劇場公開を楽しみにしていたが、なかなかタイミングが合わず、いよいよ劇場公開最終日にどうにか滑り込みで鑑賞。
なるほど、そういうことか。これは確かに評価分かれると思う。ホアキン・フェニックスもレディー・ガガも迫真の演技を繰り広げるのだが、コンセプトが明らかに前作と変わってしまっているので肩透かし感がどうして目立つ。そして、まさかのラストシーン。
個人的には、前作はあまりの狂気に気持ちが萎えてしまったのだが、本作は本来の優しい内面を中心に描いているので、ある意味で安心して観ていられた。とはいえやはり、全体を通して物足りなさが拭えないのが正直なところかな。
え?
非常に満足度は低いです。
まず、ミュージカル映画に変わってて、え?
それから、看守とアーサーとの距離感が謎すぎて、え?
なにより、悪行がなくて、え?
前作のジョーカーが完全に消えてて、え?
監督とか脚本家が変わってるのかと思って確認して、え?
ここまで、めちゃくちゃに仕上がってるとは思わなかったのである意味ハーレークインでした笑
評価できるところはラストと予告の見せ方ぐらいですかね笑
もし、裁判所にいたジョーカー信者達のように『ジョーカーは存在しない』という言葉通りにがっかりさせたかったという裏が込められてたとしたら相当評価できる映画に変わるけどな、、、
酷評が分かりました
観る前にこちらの口コミを見たら賛否両論でしたが、酷評が分かりました。
高評価の皆さんのそれは深くてなるほどと思いましたが、単純に私は期待外れで退屈してしまいました。
刑務所や裁判所であんなにタバコを吸ったり簡単に面会が許されたりするのを違和感を感ずる方が先に立ってしまいました。
想像ばかりで、中身は半分に短縮できると思いました。
単純に面白かったパート1を観たいという気持ちになりました。
理解度が低くてすみません。
(↓以下はネタバレ)
これもよく理解してないだけかもしれませんが、気になるのは最後。
面会に来たのは誰なのか?あるいは嘘で罠で呼び出したのか?
ジョーカーへの期待に対するアンサー
これはジョーカーへの期待に対する現実的なアンサーなんだろうな。「みんな!鬱屈したものがあるんだろうけど、ジョーカー的なものを期待しちゃだめだよ」っていう。
前作はアーサーの怒りに共感してその爆発に期待して満足し、今回はリーのジョーカーへの期待に共感して失望させる構図なのかなと。
カタストロフィはないけど、複雑な感情の坩堝を味わえる。
言い訳映画
延々と監督の釈明を聞かされてるような映画。よほど前作公開後にあった「ジョーカー信者」たちの動きがいやだったんだろうね。
信者でもなんでもない人間からすると「ジョーカーなんていない」と言われてもそれは当たり前の話で衝撃的でもなんでもない。「それはそうだよね」としか。
多少サービスしとかなきゃということで挟み込まれるミュージカルシーンもちょっとね。ストーリーの動きを止めるだけで、特に後半は退屈した。
まとめると「監督の言い訳+ダンサーインザダーク」といったところか。
ジョーカーとハーレイクインの「ミュージカル」は楽しい。
世界的な評判になった前作「ジョーカー」の続編であり、謎多きジョーカーという存在を深堀したものと言える。凶悪な殺人犯のジョーカーはアーサーの単なる演技なのか多重人格障害による別人格なのかが、裁判では争点になっている。結局よく分からないし、どちらでもいいように思う。アーサーは「悪のカリスマ」でもなんでもなく、愛を渇望し、人から正当に扱われたいと思っている普通の人間に思える。社会からひどい仕打ちを受け、暴発した結果が「ジョーカー」というだけである。そんなアーサーが、「ジョーカー」を崇拝?する謎の女リーと出会って恋に落ちる姿が物語の見どころである。
この映画はミュージカル仕立て(楽曲と踊りで心情を表現するという意味で)になっている。この作品の為のオリジナル曲が入っているのかどうかよく分からないが、有名な曲も実にシーンによくマッチしていて心情がストレートに伝わる。ホアキン・フェニックスとレディ・ガがの表現力に思わず引き込まれる。ミュージカル仕立てにすることには、賛否あるようだが、とても効果的で楽しめる作りになったと思う。
アーサーは最後に、リーから見限られ支持者からは失望される。人間らしく生きたいと願っただけなのに、人々の勝手な期待に押しつぶされた格好だ。「正義の仮面を被った悪」に憧れてはいけませんよと言っているようでもある。結局「ジョーカー」という存在が何だったのかははっきりしないまま、アーサーの恵まれない境遇だけがクローズアップされた作品でした。
違う映画みたいだけど
おお。。こうきたか。。なるほど。。
前作はついこの間ようやく見たばかり。
しかしあれ、これ同じ監督?と不思議な気分。
ホアキン様のガリガリなお姿はさすがです。ホアキンではなくアーサーにしか見えない。そして今回はジョーカーすらほとんど出てこない。
ボーの映画見たの今年だったよね!?撮影の間がどれだけ空いてたのかわからないけど、あっちが小太りでこっちが骨だけって、健康大丈夫なのかしら。どうやって痩せてるのか気になる。。
レディーガガはさすが歌上手いねえ。ピエロの化粧した時は本当にガガ様にしか見えないよ。ん?そんな感想でいいんだっけ?
ミュージカル好きだけど、これはミュージカル映画ではないところが気持ちの切り替え難しかった。最初のホアキンがテレビの部屋で踊りまくるシーンは妄想で終わったから、このシーン限りかなと思ってたらその後何度も出てくる。完全ドレスアップした妄想シーンは良いとしてどういう気持ちで見たらいいのかずっと落ち着かない感じはあった。
後から有識者レビューを読んで、最後のシーンも含めアニメのあとは妄想?など聞くとちっとも分かってなかったな、とは思うものの。
まあひたすら人を殺し続けてたらまた勘違いした犯罪者を現実に生み出すことになるよりは今回はこれで裁かれて良かったのやも。
最後の訪問者誰だったのかな。
愛の賛歌は世界を救うか
アーサー(ダンサー)インザダークやないかい。監督は自ら創ってしまった怪物を自らの手で裁判にかけて葬った。こんな辛いことはないだろう。しかし監督以前にアーサーを懲らしめジョーカーを彼を誕生させたのは他でもない観衆たちであり、反省すべき加害者は私たちなのかもしれはい。本人がジョーク(嘘)を辞めても、ジョークだけがマンモスのように肥大化しやがて独り歩きしてやがて真実を殺し制御不能になる。いまの世相を完全に反映しているじゃないか。その数多のジョーカーたちへの対抗策を、愛またはウタ(歌)という名のこれまたジョーク(妄想)で挑むという。最後の望みが愛なんて、でも映画でできることはもはやそれしかないよな改めて。ラストのアーサーへの面会者がゲイリーであると信じたい。
ダークヒーロー
「ジョーカー」が「アーサー」としての自分を取り戻すまでの喜劇で、悲劇!
「ホアキン・フェニックス」と「レディー・ガガ」の存在感が凄まじい!
エモーショナルで、皮肉の効いたストーリー!
ラストは、感動して、泣きました!
超おすすめ!
これは、ジョーカー🃏ではない。
レディーガガを起用したことで失敗だと感じました。
ミュージカルせいが強くハレーが、ジョーカーを騙すなんてあり得ないし、爆発シーンも曖昧な感じが否めない。
階段でジョーカーを待っているシーンもあり得ない感じがしました。
最後のシーンも最初からこいつ何にかやらかすなと、思ってたらやっばりかって感じで残念極まりない。
ジョーカー役は、最高の演技です。
やっぱり普通に役者をあてるべきです。
所詮、レディーガガは、歌手でしかないと感じます。
やっぱり歌手でした
前作ほどの良さはないが、世界的アーティストだけあって歌は流石だと思う
あの終わりかただと次回作があるのかな?
あと、TVCMで山田裕貴が没入感がヤバイと言っていたが、凡人にはわかりませんでした
無類の愛が”伝染”する
孤独な大道芸人の男が絶対的な悪へと変貌するさまを題材にした前回「ジョーカー」(‘19)での出来事から2年後を舞台に悪のカリスマとして祭り上げられアーカム州立病院に収容されていたジョーカーが謎めいた女性リーと出会い初めての愛を知る様を描きだす。アーサーが無類の愛を見つけ、それが映画の全てに”伝染”する。しっかりストーリーに昇華されていた。世の中の不平不満の代弁者として祭り上げられた男の想像を遥かに凌駕した深淵を138分かけて、ミュージカルや空想のケレンを駆使して魅せ切る。おもに法廷やミュージカル、ラブストーリーとジャンルが停滞せずつねに往来して感情がぐちゃぐちゃになったり、突き抜けたカタルシスは不在だったりするため、前回の思い出補正があるぶん観客のレンズがボヤけてみえてしまう箇所もあるだろう。またレディ・ガガが今回演じたリーという女の事実上ハーレイ・クインを彷彿とさせる含みだったり、ハービー・デント検事の立ち回りから退場の仕方まで、我々に対して馴染みのある要素もあればそうでないものもありDCユニバース自体の括りに落とし込んでるあたりは意図してか巧妙。まさに前回から一転し(今回の続編は)トッド・フィリップス監督からの挑戦状に感じた。観客それぞれが世界中で大論争なり社会問題を巻き起こしたこの問題作を、(続編を鑑賞し)それぞれのレンズからどう裁くか。アーサーは最後にどのような審判をくだされるのか。前回より視覚上の衝撃的な目を覆うシーンは少ないため、ジョーカーに対して賛否両論を唱え続ける事自体がこの映画が真に発信する狙いなのではないかと感じました。
ホアキンかっこええー
賛否ある歌に関しては、私は意外と気にならず、物語の中にも自然に入っていたなと感じた。
むしろそれによって明確な二面性を表しているようでわかりやすかった。(確かに後半ワンシーンなくても…とは思ったとこもあるけど)
見ていて、誰に対しても何が本当なのか常に不安で、結局ハラハラさせられてた気がする。
とにかく、ホアキンがかっこええ。
何してもその役として様になる。
溢れるプロフェッショナルオーラ。
ホアキン観れただけでも価値あり。
期待通りではなかったとしても刺したら駄目
アーサーが看守たちからリンチされる場面を観て、この後堪忍袋の尾が切れたアーサーがジョーカーとなって胸糞悪い野郎どもに制裁を加えていく…
そんな前作と同じような展開を予期していたら、予想とは全く違うものを観せられ、度肝抜かれた。
ここら辺がこの映画が酷評されている原因だとは思うが、個人的にそこが凄いと思った。
感想を書いていたら未だかつてないほどの長文になり、途中で面倒になって放置、そしたら1ヶ月経ってしまったので、言いたいことを1つだけ書いて終了。
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