劇場公開日 2024年10月11日

「雨に笑えば」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5雨に笑えば

2024年10月17日
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暴動煽動映画との謗りを受けた『ジョーカー』の続編である。前作に続いて監督をつとめたトッド・フィリップス曰く、賛否両論は覚悟の上でのお仕事だったらしい。前作で5人(正確には6人)もの人間を殺めた罪で更生施設に収監されたアーサー・フレック=ジョーカー(ホアキン・フェニックス)。そのアーサーが殺人当時心神喪失状態にあったか否かを判断する裁判劇になっている。

なにせDCの版権をがっちり握っているビッグ5のWarnerが配給元になっているせいか、反体制(反民主党)的な映画は兎に角この時期ご法度なのである。前作を夢オチで終わらせたトッド・フィリップスもそのあたりよく御存知とみえて、反体制的なアーサーに今回きっちり引導を渡している。ハーレクインことリー(レディ・ガガ)と共に“山をつくる”=“世界を作り変える”なんて大それた夢を、映画の中でハッキリ諦めさせているのだ。

本人その気もないのに暴動のシンボルとして祭り上げられたジョーカーは、8年前なる気もないのに大統領に当選してしまったトランプとそっくりだ。ピエロの分際で俺たちエリートに歯向かうとは何事かと、(民主党の息がかかった)警察や司法、そしてマスゴミから一斉攻撃を受け刑務所の中でボコボコにされるアーサーは、間違いなく大統領の座を無理やり引きずり下ろされたトランプを意識していたに違いない。

前作は同じく反体制臭の強い『タクシードライバー』や『キング・オブ・コメディ』からの引用が秀逸だったのだが、今作においては古きよき時代のハリウッド・ミュージカルへのオマージュてんこ盛りで、突如として笑い出すジョーカーの醸し出す狂気が、無毒な笑顔へと中和されている。6人をその手にかけた凶暴性はどこへやら、すっかり去勢されてしまっているのだ。くそ生意気な検事や裁判官てすら、すべて夢の中で殴り殺すのがやっとこなのである。

2021年にアメリカの国会議事堂が襲撃された時は、こりゃついに映画の予言が的中したかに思われたのだが、現実はすでに映画を超える方向へ進みつつあるのだ。バ◯なHarris陣営の度重なる失態により、11月の大統領選挙はどうもトランプ=ヴァンスが地滑り的勝利をおさめそうな雰囲気なのである。不法移民をつかって不正投票を行ったとしても追いつけないほど差が広がっているらしい。“打つてなし”とはこのことなのである。

茶番に過ぎないお決まりの陳述に嫌気が差したトランプならぬジョーカーが(プロンプターなしのアドリブによる)本人弁護を開始したまでは良かったのだが、警察の暴力に簡単に屈したアーサーは、リーにあっさり三行半を突きつけられてしまうのである。2度にわたる暗殺未遂を逆手にとったトランプとは真逆の弱腰ぶりに、明るくなった場内で「よく寝たわー」という声が方々で上がったとしても不思議ではないのだ。

配給元がWarnerではなくA24だとしたら、映画の結末はまた違ったものになっていたのかもしれない。TVカメラを配置した映画内見世物番組としての演出も、今回はまったくの空振りに終わってしまった。それはおそらく、映画が提供する虚構よりも、現実の方がより虚構化・茶番劇化しているからではないだろうか。トランプがハリケーン・ミルトンの被災者をわざとらしく見舞ったり、バ◯なHarrisが「あと32日」という台詞を繰り返す時、我々はそれを嫌でも意識せざるをえないのだ。

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かなり悪いオヤジ