「アーサー物語」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ tenさんの映画レビュー(感想・評価)
アーサー物語
ジョーカーではなくアーサー。
ふと、ジーザス・クライスト=スーパースターを思い出した。誰も本当のジーザスを知らず、知ろうともせず、祭り上げたかと思えば偽物だったのかと石を投げる。群衆は浅はかで恐ろしい。
アーサーも同じ。
群衆は熱狂的にジョーカーを崇拝する。リーも同様。群衆の熱は簡単には冷めない。ヒーローを信じる事が唯一の希望だから。しかし、リーは違う。もっと冷静だ。
リーはマグダラのマリアではなかった。リーもジョーカーの中のアーサーには気づいていた。弱いアーサーが強いジョーカーとして覚醒するのを最前列でみたかったのだ。群衆よりも遥かにその期待は大きかった。
それ故に最後の階段のシーンは2人にとって切ない。ジョーカーが『誕生』したあの階段でジョーカーは『死んだ』。部屋で銃口を自分に向けていたリーは夢から醒め、リーに決別し、ある意味『死んだ』。ジョーカーに見切りを付けたリーは後にハーレイ・クインが『誕生』したのだろう。
唯一ゲイリーだけが本当のアーサーの一部を知っていた。そして彼の証言が虚勢ジョーカーを元のアーサーに戻した。そしてあの最終弁論に繋がる。
ラストのアーサーの表情。ジョーカーではなく小さな小さなアーサー。悲しく虚しいけれど穏やかにも見えた。
1作目はそんなに好きじゃなかった。ジョーカーは理解不能で猟奇的であって欲しかったから。トラウマがジョーカーを生んだ、というくだりがありきたりでしっくりこなかった。
しかし本作を観てトッド・フィリップスの思惑が見えたようで腑に落ちた。彼はもともとジョーカーに興味はなかったのだ。理解不能な極悪人ジョーカーなんていない。いたのは理解されない普通の人、アーサーだけ。彼の切ない人生の物語。そしてアーサーを通じて我々群衆の恐ろしさを描きたかったのかも。2作品観て良かった。スッキリ。
それを観客が観たかったか。
ミュージカルで観たかったか。
それは話が別。
賛否両論(つまりは酷評)の理由は分かる気がする。
だって観客も群衆であり、リーと同じくジョーカーを求めていたんだから。
※メモ
・採点は『アーサー』として。『ジョーカー』としては★1.5
・裁判所爆破→リーが助けに来る→復讐大量殺戮の始まり…って流れを一瞬でも期待した人いるよね?
・ミュージカル場面ちょっと多すぎかな
・キャサリン・キーナーは歳を重ねて雰囲気変わったけどそれがまた素敵
・ホアキンの演技が上手すぎる。最初の歌唱ダンスシーンがお見事
・リーが高らかに歌うほどガガになる。ピアノの弾き語りなどガガそのもの。現実に引き戻される。その意味でミスキャスト。もっと歌唱シーン少ない方がガガがリーになれたかもね