「誰もが信じ崇めてるまさに最強で無敵のジョーカーなんて存在しない」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ @花/王様のねこさんの映画レビュー(感想・評価)
誰もが信じ崇めてるまさに最強で無敵のジョーカーなんて存在しない
本作で描かれるのはアイドル化したジョーカーの中の人のお話。
人間の皮膚の下には誰も彼も狂気が眠っていて、誰しもがジョーカーになり得る。
一度被ってしまった道化のメイク(ジョーカーの虚像)を落とせば、骨と皮しかない普通の妄想癖の男性が転がっているだけだ。
映画を観に行く観客が観たかったのもジョーカーだった。
アイドル化されたジョーカーの心の闇を自分も感じて悦に浸りたかったのに、「貴方の憧れのアイドルはうんこするよ」と冒頭から見せつけられる。
現実社会でも「ジョーカー」はバッドマン最大の敵役として映画に登場する大人気のヴィランなのはご存じの通りですが、キャラクターの背景は作品によって異なる。
まさに「ジョーカー」とはこんな人物が相応しい。これこそ「ジョーカー」だ!と大衆が思うことで「ジョーカー」は誕生するといった現象が見られる。
本作が本国アメリカで賛否両論巻き起こっているのもそれぞれが思い描く虚像の姿が違うからだと思う。
それは神の姿や声をハッキリとこれがオリジナルだ!と言えないのと同じような物だ。
所詮は人の妄想が生み出したキャラクターに大衆の解釈が乗っかって「神とはこういうものだ」と勝手に定義されていく現象だ。
リーことハーレクインも初めからアーサーではなくジョーカーに恋焦がれていましたね。
SEXを求められた時にメイクをするって描写があって笑ってしまった。私の理想は貴方でなくジョーカー。自分の望む姿になりきれない貴方には魅力を感じないわと突き離される場面は最高に残酷でしたね。
アーサーが感じた幸福感も虚無感も全てジョーカーというキャラクターを介してしか感じることのできない他者との繋がり。
本当の自分は、母親の言うような「馬鹿で笑いも取れないハッピー」だ。
役が一人歩きしてコントロール出来なくなったジョーカーというキャラクターから1人の人間(アーサー)に戻った時、生みの親としての役割は終わる。
ジョーカーを殺した青年は自ら口を裂き、ジョーカーの物語がまた始まる。
誰でも良いんだ。
道化を演じる人が重要なのではない。
ジョーカーと言う概念が引き継がれていくと言う幕切れはアーサー版ジョーカーにとって何というかあっさりし過ぎている。もっと理不尽からの解放と言うカタルシスを浴びたかったと言う思いが正直ある。
看守も裁判官も陪審員も傍聴席も皆殺しにして悪のカリスマとして法廷を出ていくくらいの社会がひっくり返される瞬間を感じたかった。
いや、そんな馬鹿げた妄想は現実社会では起こらない。
奇跡も救いもないよ。神は偶像だからね!ってまざまざと見せつけられる映画だった。
映画の中でくらい神を描ききってよと思う時点で自分も虚像に踊らされる観客の1人にすぎないと思い知らされる。
きっとアメリカで受け入れられないのも宗教的な解釈では神の実態なんてこんな物だよーと言われているような映画だからだと思う。
主演のホアキンの演技あってこその2時間だっと思う。それでなきゃ飽きてしまって、間延びしてしまって眠くなる。
レディガガのハーレクインはミーハー過ぎて好きになれなかった。貴方は私の神様よ!と心酔しているけど、自分が望む奇跡を起こせなかったら離れていくって信仰心が薄いんじゃない?アイドルも神もジョーカーも信者がいてこそ大物になるんでしょうが。
前作のようなカタルシスを感じようとこの映画を観にいくのはお勧めしません。
楽しめる人もいるし、もうやめてあげてよとなる人もいる作品です。
私は楽しめませんでした。
ジョーカーと名乗る作品ならやっぱり観客が観たいのはジョーカーなんだよな。
おはようございます。
コメント失礼しますm(__)m
鋭い考察と読み応えのある解説。ストレートに響いてくる素晴らしいレビューでした。お見事です!
私はアメコミのジョーカーも詳しくないので、前作と今作の独立した物語として、アーサーという男の物語として、大変興味深く鑑賞できました。
@花/王様のねこさんと、評価は違いますが、お書きになっておられるレビュー、共感できる所も多かったです。
"アイドルう◯こ"!!の表現!
うんうん!サイコ〜に強烈で納得!w
ありがとうございました。