マッドマックス フュリオサのレビュー・感想・評価
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毎回変わるテイスト
Mad Maxは毎回、雰囲気と形が変わる。監督はまるで同じ雰囲気と話運びを意識的に避けているようだ。車との追跡という点では同じだけれど状況が異なる。今回は年代記のような構成だった。前回を期待してみるとちょっと違うと思う。それでも大がかりな爆音と疾走はわくわくする。そして最後には主人公と悪党は少し哲学的な会話を行う。ただデイメンタスが悪党に見えない。悪党の冷ややかなところがない。Maxのような主人公の相棒も鋭い所がない。要するにミスキャストだからだ。最後に話の運びを見せるために前回のシーンが付け加えられている。するとやはり前回の方が面白かったなーと思ってしまう。これはない方が良かっただろう。
CGはすごい景色を作り出せるけれどあの肉弾の恐怖が薄れる。それは発展なのか退化なのか?犬が足をくわえてやってくるシーンがある。これは用心棒だ。この監督は様々な映画特に黒澤明をよく見ているようだ。実はかなり高度な映画制作のテクニックを持っている監督だ。巨費をかけなくてもMad Max2のような線で新たな地平が見えるかも知れない。
最高です!
前作との整合がいまひとつ
★3ですが、長々と文句しか書いていません。
2015年のフューリーロードとはテーマが違うので、映画のジャンル自体別物だということは理解していても、全体的にちょいと雑だなという感じがしました。
以下、文句の箇条書きです
1・あのSKSカービン
冒頭、フュリオサの母が構えたのを見て、私は何度も静かに小膝を打ちました。フューリーロードで、フュリオサがマックスの肩にレストした状態で撃つ、あの銃です。はいはいはい、あれはお母さんの銃ね、なるほどね~となったのですが、同じようなSKSカービンが何挺も登場して最後の方はよく分からなくなってしまいました。
そこは、あの母親の銃ってはっきり分かった方がよくないか?
2・フュリオサの器用さ
マックスがキングオブ陰キャなら、フュリオサはクイーンオブ陰キャ。両方飲み会では「ソッスネ」しか言わない。そういうタイプだと思ってました。
しかし、本作のフュリオサは、母親を殺したディメンタスにしても、女性を物扱いするイモータンジョーにしても、特別扱いされるのがデフォルトというか、気づいたらいい立ち位置にスポっと収まっているんですよね。逃げ出せるタイミングでも男装してちゃっかり戻るし、子供時代から中々器用に立ち回るなと。
あと、自分のために作られたか分からないものを、結構ぱっぱと持って行きます。
3・左腕の地図
悪い大人たちが「これは何?」って興味津々で聞き始めたとき、私はまた勝手に小膝を打って、「これは、緑の地を守るために自分で切り落としたな」と想像していました。
その腕、クレーンに残していって大丈夫かと。
4・ディメンタス
ちょっとプレイングマネージャーすぎて、もう少しどっしり構えておいてほしいんですけどね。ヒューマンガスとウェズの間ぐらいの人でした。会社組織だと、関わるとややこしい係長ぐらいじゃないでしょうか。本棚に「嫌われる勇気」が置いてありそうなタイプの。まずは、「ついていきたいと思われるリーダーになる51の考え方」を読んでほしいです。
5・ジャック
ジェネリック版マックス
どうして、ビジュアルをモノマネ芸人ぐらいの半端な絶妙さで寄せてくるのでしょう。全然違うキャラでいいじゃないですか。あの見た目でタンクローリーを運転している姿は、マッドマックス2と被るんですよね。退場もやたら適当でした。
6・フュリオサの子役
アリーラブラウンという名前の女優ですが、大人フュリオサ役のアニャテイラージョイにバトンタッチしたとき、目の形だけではどちらか分からないぐらいに似ていて、驚愕しました。このキャスティングは奇跡だと。あとから調べたところ、子役の顔をAI補正でジョイに似せていたことが分かり、今度は膝の裏を打ちました。
それは、子役にクソ失礼では?
補正するなら、ブラウンとジョイの両方を変形させて、真ん中の地点に寄せろよと。
7.リメンバーミ―
フューリーロードでの、フュリオサの決め台詞です。
片腕がなく、坊主頭。イモータンジョーの部下でありながら、実は宿敵。一体、どんな過去があったのか。幼少期に親を町ごと焼かれたのか、何かの因縁で腕を切り落とされたのか。前作から十年近く、それはずっと頭の片隅にありました。今回答えが出たわけですが。
普通に会っとるんかーいと、背もたれがなかったら後ろにコケていたと思います。
フュリオサはディメンタスにも同じことを聞くので、前作での台詞も初老向けの認知クイズに思えてきました。
8・左ハンドル
アメリカの車が、どうして、世紀末のオーストラリアに、ある? (これは前作でも思いました)
9・マックス
お前は、ずっとそこでソロキャンしてたんか?
※演じたのがトムハーディのスタントマンなので、立ち姿はよく似ていました。
あと、片腕になったフュリオサを洞窟まで引っ張って助けたって解釈でいいんですよね? もし面識があるなら、前作で水をがぶ飲みした後「フュリオサやんけ、ワレ」と言いたかったのにまずボコボコにされた可能性もあるわけで、それはそれで悲しい。
前作とのつながりを考えるとあちこち変ですが、それを忘れることができれば面白い映画です。
暴力でケリをつける時代では無くなったのかも〜
なんと言っても、
アニヤ・テイラー=ジョイの目力!!!
小さな顔面の3分の1が目に感じるくらい!
荒廃した地球の最後の楽園から連れ去られた少女、
そして楽園の場所をよそ者に知られて荒らされないため
よそ者を追って疾走する少女の母。
砂煙を上げて砂漠を疾走するバイクと
砂の丘陵からライダーを狙撃する母スナイパー。
冒頭からグッと引き込まれます。
なんだかんだあって、少女は大人になり
故郷の楽園に帰るべく、過酷な状況を
己の知恵と機転で生き抜くのですが〜〜
マッド・マックス未鑑賞の人も、
ここから始まるので入りやすい話になってます。
逆にマッド・マックスシリーズ未鑑賞の方が
純粋に楽しめるかもしれません。
アニヤ・テイラー=ジョイが体を張って
自力でアクションに挑んでいるようで、
それプラス、大きな大きなトレーラーが疾走する本作。
是非とも劇場でご覧ください。
で、月に8回ほど映画館で映画を観る
中途半端な映画好きとしては
マッド・マックスは前作の「怒りのデス・ロード」
からの鑑賞なのでそれ以前の話は全く知りません。
が、ヒットした前作と比べてしまうので
前作に比べるとちょっと派手さが少ない気がしてしまう。
特に、イモータン軍団とディメンタス軍団の直接対決!?
が、え〜〜〜???
さらに、復讐の仕方が〜〜??なんですと??
このへんが前作ファンにはモヤモヤになってしまったかも。
ただ、今のこの時代、
リアルに世界で暴力が拡大しつつある時に
暴力に暴力でケリを付ける結末だったら
それはそれで、問題かもしれない。
そのことを監督が意識して
この結末になっているのだとしたら
監督の勇気に敬意を表したいです。
お前は、わたしのことを覚えているか
怒りのデスロードから9年あまり。
マッドマックスシリーズ70年代~80年代半ばまでの、メルギブソン主演時と、前作。
世界観は大きく変わらず、荒廃した世において資源の奪い合いを軸に描く。
人間の狂気、欲望、怒り、執念を圧倒的激烈アクションと共に描かれる砂漠の世界。監督ジョージミラーの執念が、こちらにのりうつるかのようだ。
今作は、前作怒りのデスロードで新たなヒロインとなったフュリオサ誕生の物語。
物語の骨格は母を殺され、自らも傷つけられるフュリオサの復讐劇。
フュリオサを演じるのは若手俳優アニヤテイラージョイ。
前作シャーリーズセロンが圧倒的骨太さで力強く演じたフュリオサ。彼女との比較にどうしてもなってしまい、確かに
少々小ぶりで線の細さは否めない。
だが、ほとんどセリフがなく、表情、しぐさ、行動で怒りを表現し、なによりインパクトだったのは怒りに満ちたまなざし。強烈であった。
凄まじいアクション、カーアクションもそつなくこなし
新たな哀しみに満ちたヒロインを見事に演じている。
アカデミー賞にもノミネートされた前作で、物語にフェミニズム的視点が入っている点も評価されていたのではなかったか。
マックスの物語であるとともに、最後はフュリオサの覚醒、女性たちの解放のシナリオでもあったからだ。
資源争奪の狂気の争いの中、子孫を残す道具としてだけ扱われる女性の解放、行って帰ってくる物語ともいわれた。
Gミラーの視点が今、という時代を見事に捉えている。
マックスの人生も変え、イモータンジョーのカルト的支配から覚醒していくウォーボーイズもまたフュリオサが起点となる。
前作があまりに巨大激烈なインパクトの作品であったため、
今作は比較されると作品としては、やや勢いに欠けてしまう面は感じられるかもしれない。が、それでもVFXと共に描かれる、アクションなどのスケール感は遜色ないのではなかろうか。
凄まじい砂嵐の中、追いつ追われつのカーアクションがこれでもか、とロング、ショットで描かれる。
ラスト、自らを傷つけ辱め、母まで殺めるディメンタスに銃口をつきつける。わたしを覚えているか、と。
初作においてもマックスが妻子を殺され、仇を打つ物語。
2作目で荒廃した世界観を確立し、今作まで続くベースに
仕上げ、ここまで表現してきた監督Gミラー。
御歳79歳。そのパワフルな映像表現には脱帽する。
忘れられるはずのない物語である。
引きずり込まれる
もう冒頭から集中力を持ってかれる。
ビジュアル的な世紀末の描写も、精神的な世紀末感も凄まじい。下地がいいと言うかなんと言うか…1979年に打ち出した世界観やビジュアルが2024年になっても色褪せる事はなく…寧ろ異彩を放つというか、煌めきを放つというか、極上だ。
物語もちゃんと整理はされてて、見やすかったと思うのだけど、感覚的には見たというより体感したような没入感がある。圧倒された148分だった。
その世界観を背負い立つ、幼い頃のフェリオサが…まぁ見事。アレはなんなのだろう?新人類とかなのかな?ちょっと非凡過ぎる才能の塊のような俳優さんだ。
全く埋もれない。
負けもしない。
超大作の冒頭の数十分を牽引していく。
…監督の演出もあるのは勿論だけど、それにしても目が離れない。彼女の目に映る世紀末を追体験していくような感覚にもなる。
いわゆる「怒りのデスロード」以前のフェリオサが描かれるのだけども、骨組みは凄くよく出来てたと思う。
彼女の内面が分かった分、前作のフェリオサの慟哭の意味もより深く理解できる。
故郷に帰る為、世紀末に種を植え続ける為に暴力が支配する荒野を生きる。
生き抜く術を覚え、鉄騎を駆り、血に塗れても尚、尊厳を失われも奪われもしなかったのには、そういう確固たる信念があったからなんだな。
今作のアクションも凄まじい。
CGの恩恵も勿論あるんだけれど、アングルがいちいち気持ちいい。新型のタンクローリーが襲われるとこなんて、てんこ盛りでお腹いっぱいになってもいいようなもんだけど、麻薬のようにもっともっとと欲しがってしまう。
セカンドユニットがおそらくスタントパートを撮ってると思うんだけど、監督のガイなんとかさんはホントにいい仕事してくれた。
そのアイディアを実現させたスタントチームにも拍手喝采だ。机上の空論にせず、ちゃんと実現させたのだから。
もう、どこをとっても隙がない。
一回、無音というか爆音が轟かないシーンがあって、タンクローリーからフェリオサが蹴落とされるとこなんだけど、あの喪失感ったら…極上の演出だも思う。
砂漠の広大さと無慈悲さが際立つ。
何が起ころうと折れなかったフェリオサになす術がない。「無力」取り巻いてる砂漠から断定されたようにも見えた。
名作と呼ばれる事はないとは思うのだけど、映画史に残る一作ではないかと思う。
なにせ、他に類を見ない。
なぜだかファンタジーを感じないのだ。
説得されちゃう。
あとはフェリオサ愛だろうか。
監督はフェリオサを通して何かを語りたかった訳じゃなくてフェリオサを語りたかったんだろうなぁと思う。
すげぇもんを見せられてしまった。
日本映画がこの作品の境地に行き着く未来はあるんだろうか?…無いんだろうなぁ。ムカつくなぁ。
スピンオフとしての役割
マッドマックス(1979)
マッドマックス2(1981)
マッドマックス/サンダードーム(1985)
マッドマックス 怒りのデス・ロード(2015)
マッドマックス:フュリオサ(2024)
原題でFuriosa: A Mad Max Sagaと記されている通り、本作で5作目となったマッドマックスシリーズ。
サンダードームから怒りのデス・ロードまで30年。
よくまあくじけずに続けられたものだと、感心するばかりである。
2025年にリリースが予定されている小島秀夫監督作品デス・ストランディング2ではキャラクターとして出演する1945年生まれのジョージ・ミラー。
80歳にしてまだまだ活動が衰えることはなさそうだ。
また、本作のフュリオサ役においてシャーリーズ・セロンは「私なら若返ったフュリオサも演じられる」と語ったそうだか、そのフュリオサ役のアニャ・テイラー=ジョイの強烈な個性はまさに若き日の怒れるフュリオサそのものである。
さて、サーガはこの先一体どう展開して行くのか、楽しみで仕方がない。
単なる続編ではない作り込み
4DXで視聴。字幕ではなく吹き替えだったのは誤算で、また見直しに行かねばならない。
前作は行って戻る、というストーリーだったけど、今回はフュリオサの生い立ちが語られる点で単なるロードムービーではない。
残酷なシーンはさりげなくマスキングされ、万人の楽しめる映画に仕上がっている。
やはり関心はストーリーよりも車やバイクと言った造形なわけで、ディメンタスの古代ギリシャの戦車じみた三連バイク車とか、出来立てピカピカのウォーリグとか、どんな機能が発揮されるのかとワクワクしながらあっという間に映画は終わる。
多くは語られないがディメンタスにも真っ当で子煩悩だった時代があったことが仄めかされる。
前作からの印象とは異なり、イモータンジョーも荒廃の時代を生き抜いた勝者なだけあって、実は優秀な為政者なのかもと思わされたり。
単なる悪役に留まらない人物描写が、単なる前日譚に終わらない深みをこの作品に与えている。
ディメンタスの演説の際に手話みたいなことをしている男とか、賢者とか、もっとよく注目して鑑賞したい人物もいるので、あと何回か鑑賞するつもり。
続編はどうしても偉大な前作と比較され、時には視聴者の思い入れとぶつかったりして不利だけど、この作品もかなりの傑作だと私は思う。
アクション映画の皮を被った金ピカの芸術作品!
前作は「駅馬車」と比較されたが、今作はフェリーニの「サテリコン」にかなり似ていると思った。アクション映画でありながら、ものすごくガジェットにも拘った重厚な作りになっている。桃の種がまさかの結末へと導く――衝撃――。ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの「ヒュラスとニンフたち」という絵画の登場するシーンやディメンタスのマントの色が変わって行く様、フュリオサの髪、警護隊長ジャックがフュリオサへ渡すショットガン、鳥の頭蓋骨のボブルヘッド等、まさにフェリーニ的な小道具の散らかし方が楽しい。終盤のイモータン・ジョーとディメンタスとの40日戦争のくだりを「見せ場をショートカットしている」との意見もあるが、ボクは脚本的にはこれで良かったと思っている。そうでないと、フュリオサをヨハネの黙示録の第五の騎士だと語る賢者のセリフとラストが生きない。また、40日戦争はおそらくイエス・キリストの「荒野の誘惑」をも暗示している。これはきっとフュリオサにとっても【試練】の期間であったに違いない。おそらく観客は、誰かを殺してスカッとしたいのだろうが、この映画の最大のハイライトは相手を打ち負かす闘いではなく――再生――、そのための戦いなのだ。そのあたりが国民性というか、特に北米では受けいられなかった理由かも知れない。まあ、日本ではけっこう検討しているようなので嬉しく思っている。
続編とは
前作はどハマりしてました。
今作は前作ほどの前評判はなく、全米でもそれほどヒットはしていなかったが個人的には満足いく作品だった。
前半の少女時代の部分が長かった。
どの作品でもそうだが、主人公の幼い頃のシーンが長い作品は眠気を誘われてしまう。
少女フュリオサが少し成長している場面なども時間の経過などがわかりづらく感じた。
が、砂漠でのデスロードは前作並みに楽しめた。
死を恐れないウォーボーイの死に様は圧巻。
個人的には前作にも出ていたニコラス・ホルトに出て欲しかった。
ディメンタスのキャラがどうしてもワイルドスピードのジェイソン・モモアに被って見えてしまったでクリス・ヘムズワースだと狂気的な感じが足りないと感じた。
エンドロールも素晴らしく、とても見応えがある作品だった。
すっごく
前日譚だから、そこまで期待して無かった、正直。
蓋を開けてみれば補完以上の出来でした。
映像は勿論何だけど、マッドマックス前回のストーリーで、フュリオサの成長?の物語として様々な紆余曲折がよく描かれていました。
脇を固めるキャラも強烈で話がより一層盛り上がった。
デスロードまた見たくなるなぁ、これ。
しかしほんと、このシリーズ、良い人はほぼ生き残らないなw
ジャックが素敵すぎる。
変わらない名作
迫力とヒューマニズムの映画でした!怒りのデス・ロード又みたくなったよ。
IMAXをバージンンデビューです。さすがに音響と映像が素晴らしいかった。その上に砂漠の中のカーチェイス、バイクチェイスが迫力凄い。本当に自分も砂漠の中にいるような感じでした。子供のフュリオサに会えて幸せ♪初めて見た時に、”レオンのマルチダ?”と思ってしまいました(古?)兎に角、最初から最後まで目を離せませんよ。あっという間でした。
そして、若き日のフュリオサをここまでみてしまったら、最強の戦士となった”怒りのデスロード”を再び見るしかありませんです。あーどちらも最高です。
怒りのデスロード推し
控えめに言ってサイコーだった
不安視してた長尺2時間半も楽しく鑑賞
超面白かった!
疾走と爆発、絶望と暴力は続く
マックスが出てこない後付けのサイドストーリーかとあまり期待してなかったが、なかなかの出来栄えに星4つ。
前日譚という制約がありながら、目一杯やれる事を盛り込んだ脚本。シャーリーズ・セロンは素晴らしかったし、トム・ハーディも良かったが、アニャ・テイラー・ジョイのフュリオサはかなり似合っていた。
そもそもセリフが少なくて、映画と呼べるギリギリの芝居量だと思うが、何と言ってもフュリオサのでっかい瞳の目力と強い生き様が魅力的。
荒野を疾走するタンクローリーと、それを追う狂気の山賊(?)はすっかりシリーズの十八番で、流石に新鮮味は薄れたが意外と見飽きずに楽しめる。“銃弾畑”のアクションも迫力があって物語を盛り上げた。
クリス・ヘムワーズは、イモータンジョーに比べると醜悪な悪役に成りきれなかった感があったのは整った顔つきのせいか。彼はオーストラリア人なんですね。
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