「劣化したフェミニズム」バービー かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
劣化したフェミニズム
フェミニスト映画監督グレタ・ガーウィクによるコテコテのフェミニズムムービーに違いないという先入観にとらわれ、アマプラで100円になるまで鑑賞を控えていた1本。ピンクの衣装を身に纏い各国映画祭のレッド・カーペット上で自信満々のポーズを決めたガーウィク、作品の出来には相当な自信があったとお見受けする。WBが莫大な広告費をかけただけあって本作は上々の興行成績をおさめたらしいが、批評家筋の評価は今一つ。主要な賞レースではほぼ無冠に終わったようだ。
『2001年宇宙の旅』をパロりたおした冒頭シーンで、フェミニズムの象徴としてマーゴット・ロビー扮する“バービー”が圧巻のご登場。今まで赤ちゃん人形でお母さんごっこに興じていた少女たちに、典型的なアメリカ女性はこうあるべきという革新的イメージを植え付けるのである。女は黙って家庭に引っ込んで赤ん坊の相手でもしていろ的な男社会に、のっけから大喧嘩を売っているのだ。しかし、そんなバービーの暮らす女性優位な仮想空間“バービーランド”にさけ目が生じ、バービーはつま先立ちもままならなくなり、太股には禁断のセルライト跡が....
映画序盤を観る限り、ピチピチの20代ではなく34歳のマーゴット・ロビーをわざわざ起用した理由にも合点がいく、“(仮想)フェミニズム社会の劣化”をテーマにした作品なのかと思いきや....金髪ヘタレ男ケン(ライアン・ゴスリング)とともにバービーが、人間社会に問題点を探しに行くあたりからどうも雲行きが怪しくなってくるのである。人形の持ち主の娘から「あなたのせいでアメリカのフェミニズムは50年も後退したの」と罵られ、立つ瀬を失うバービーなのだ。
しかも、フェミニズムとは表面上だけで上手く男どもに女性が操られているLAの現状視察をしたケンがマチズモに目覚める、というとっちらかった方向に物語が展開していくのである。このマチズモvsフェミニズムの単純な対立構造こそが真の問題点から我々の目をそらすための“ミーム”なのだが、映画はあえてそのカオスへと自ら陥っていくのだ。先に述べたように、米国フェミニズムはなぜ劣化したのかという命題について、バービーを糾弾した娘とその母親との関係性において、おそらくもっと深く考察すべきだったのてあろう。
最後はマテル社の重役連中や創始者のお婆ちゃんまで登場するのだが、普通名詞のバービーが固有名詞のバービーになることによって人間化するというピノキオ的なオチに、観客はすべからくおいてけぼりをくらい、はぐらかされた感をぬぐえないままエンディングを迎える。私は思うのである。LGBTQという多様性をパッケージにしてリベラルが売り物にしたがために、フェミニズムのもつ個性的な輝きが失われてしまった、と。フェミニズムが劣化した原因は、『花束みたいな恋をした』で描かれた破局とまさに同じ理由だったのではないだろうか。すべての個性は少数派だからこそ光り輝けるのである。