「低迷していても侮れないアメリカの知性」バービー シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
低迷していても侮れないアメリカの知性
前日にレンタルDVDで『ニューオーダー』を見て、次の日に全くの対極映画ともいえる本作を見たのだが、対局に位置するという事は円にすると隣り合わせとなり近似となる。ということで、様々な共通点を発見して驚きました。
本作は所謂ファンタジー的な作りとなっており、多くのファンタジー映画は現実世界から異世界に行き、また現実世界に戻るというUターン的な大まかなパターンがあるが、本作は異世界から現実世界に行き、また現実世界から異世界に戻り、最後に現実世界に行くという珍しいSターンタイプのファンタジーになっていた。
これって歴史の繰り返しの輪廻のようにも捉えられ、上記の『ニューオーダー』を思い起こしてしまった。要するに人間は同じ過ちを起こしては立て直しの繰り返しを永遠にループして行っている様に両作を見て思ったのです。オープニングのある傑作映画のパロディでもそれを感じてしまった。
少女達にとってのバービー人形は、あの作品の人間(人類?)にとっての○○○○と同じ役割だったのか?と、最初から本作のテーマを匂わせていたのですが、本作のテーマは単に“女性の社会的な蔑視”の問題だけではないよという目配せだったのだと思います。それはバービーの問題提起だけではなく、ケンの問題提起も同等に扱われていた事でも良く分かりますよね。
いつも社会問題は片方だけの目線から発信となりがちで、今の社会現象であるミーツー運動もその代表的な例ですが、それではその対象である男性側が変われば問題が解決するのか?という、そんな単純な問題でもないことへのアンチテーゼの役割を本作は果たしている様に感じられました。
上記『ニューオーダー』も単純な人達には格差社会が引き起こす問題と捉えがちですが、格差が無くなってもそれは解決しないし、社会から女性蔑視がなくなっても、それが起因してまた別の様々な問題が発生するように、本作の作者も問題解決の単純思考化を危惧している様に思えました。なので、ある意味『ニューオーダー』と同等の厳しくも辛辣な人間批判が含まれていました。
しかしたまぁ~に出現するのですが、そういった内容を世界的知名度の人形を主人公にファンタジーとして作り上げるアメリカ映画のインテリジェンスには驚かされます。