「私的感じた、この映画を優れた作品にしている点とは」夜明けのすべて komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
私的感じた、この映画を優れた作品にしている点とは
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
※重要作品ながらレビューを書けていなかったので、今更ですが‥
この映画『夜明けのすべて』は、PMS(月経前症候群)の藤沢美紗(上白石萌音さん)とパニック障害の山添孝俊(松村北斗さん)が、それぞれ勤めていた会社を辞め、PMSやパニック障害に対して理解ある栗田科学という会社で働いているという物語です。
この映画が特に優れていると私的感じたのは、物語の状況を、ほぼ一切セリフで説明せず、モンタージュの積み重ねで説明し切っているところにあると思われました。
例えば、パニック障害の山添孝俊は元の勤めていた会社に戻ろうとしているのですが、そのことを元の会社の上司である辻本憲彦(渋川清彦さん)とのビデオ通話で表現しています。
そして上司の辻本憲彦の背中で、山添孝俊が元の会社に復帰することは難しいことも伝えています。
なぜ山添孝俊が今の栗田科学で働いているのかというと、上司の辻本憲彦は姉を自死で失っていて、同じく弟を自死で失った栗田科学の社長・栗田和夫(光石研さん)と、同じ境遇の遺族の集まりでつながりがあり、その関係で山添孝俊が栗田科学で働いていることが示唆されます。
なぜ上司の辻本憲彦がそこまで山添孝俊を助けようとしているのかというと、辻本憲彦の姉は過労による自死で亡くなっていて、仕事にまつわる精神的なことで姉のような犠牲者がもう出ないように彼が尽力しているからだと伝わります。
驚くべきことに、これらの事について、この映画は直接的なセリフで一切説明していないのです。
上司の辻本憲彦はこの映画でほとんど出てこないのですが、わずか数シーンの彼の立ち居振る舞いの積み重ねで、全てこちらに伝わるようになっています。
そして最後の、山添孝俊が栗田科学で引き続き働こうと思うと上司の辻本憲彦に伝えた時の辻本の涙は、姉への自死の想い、山添孝俊を自社に復帰させられなかった自身の力不足、山添孝俊の心からの願いが叶っているとの安堵感、など、幾重にも重なった感情を全くのセリフの説明なしにこちらに感じさせる、感銘を受ける映画的なシーンになっていたと思われます。
この事は例えば、山添孝俊の彼女であり元の会社で同僚だった大島千尋(芋生悠さん)が、映画の後半に山添孝俊の部屋に訪ねて来て、海外への栄転の話をした上で「外で話せるかな?」との一言だけで、彼女が別れ話を言いに来たと伝わるシーンでも同様です。
この映画は、説明的なセリフをほぼ一切排除して、あくまでシーンの積み重ねによって映画的に表現しているのが本当に素晴らしいと私的には思われました。
言葉は真意からズレたり矛盾したり完全に一致するのはマレなのですが、その事に無頓着で、真意を全て言葉で表現できると(時に傲慢に)思い違いしている日本の脚本家や演出監督が少なくない中で、この映画『夜明けのすべて』の三宅唱 監督は、言葉が常に本心を裏切って行く人間の本質を、実に深いところで理解しているのだと思われました。
今作を多くの思い違いしている脚本家や演出監督は観た方が良いですよと、僭越ながら思われたりもしました。
この映画は、PMS(月経前症候群)の藤沢美紗の矛盾に満ちた言動も含めて、見事に人間の深さを、そしてその問題解決の困難さを描いている、素晴らしい作品だと個人的にも思われています。
ただ、作品としては、藤沢美紗のPMS(月経前症候群)の問題も、山添孝俊のパニック障害の問題も、本来はそれぞれの元の会社で解決される必要があり、栗田科学といういわば理解ある理想的でオアシス的な場所に押し付ける問題ではないとは一方では思われました。
本来であれば、藤沢美紗や山添孝俊が元居た会社が舞台となってこの問題の解決を引き受ける作品である必要性を感じ、”栗田科学があって良かったね”という解決の仕方で作品が終わるのは違うようにも感じ、私的な点数としてはこのようになりました。
ただ、その点を除けば、それぞれ俳優陣の着実で優れた演技を含めて、映画表現として素晴らしい作品であったと、他の人達の評価が高いのも当然だなと一方で思われています。