aftersun アフターサンのレビュー・感想・評価
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記憶や映像のフレームを超えて想いが沁み渡っていく
かつての父親と同じ年齢になった女性ソフィが、あの灼熱の陽光が照りつけるトルコで父と過ごした幼少期のバカンスを思い出すーーーこれは想像していた以上にシンプルな物語。だが味わいはとてつもなく深い。日頃は離れ離れの父娘が仲睦まじく時を刻む様に、まるでずっとホームビデオを見続けるような感覚を覚える人もいるかもしれないが、しかし時折「20年後の私」が挟み込まれることで、本作は味わい方がガラッと変わる。今だからこそわかる「父の想い」がソフィを介して我々の身にも切なく流れ込んでくるのだ。最愛の娘の成長に寄り添えない痛み。煌めきのバカンスが終わってしまう悲しみ。ありったけの愛を抱えながらうまくかたちにできないこの気持ち。記憶や映像をきっかけに、むしろそのフレームを超えたところにまで想いを馳せようとする創造的な試みがこの作品にはある。ダンスフロア。そしてラストのささやかな旋回。涙があふれて止まらなくなった。
アカデミー賞がなければスルーしていたかもしれない「隠れた名作」。何だかんだとアカデミー賞は凄いと感じる。
まず本作は、構成が面白い作品です。 基本は、「11才の思春期の娘と、31才になる父親との夏休みの風景」を描いています。 ただ、これらの映像は「20年前のモノ」なのです。 当時11才の娘が、20年後に「父親と同じ31才になった時」に、20年前に撮ったビデオカメラを再生し、楽しかった父親との思い出を振り返る構成になっています。 途中に巻き戻すような乱れた映像が出てくるのは、そのような背景があるからです。 この親子のやり取りが、妙に微笑ましくて、リアルな存在となっていて、ずっと眺めていたくなるレベルなのです。 それは、本作で監督・脚本を手掛け、長編映画デビューとなるシャーロット・ウェルズ監督の自叙伝的な要素があるからかもしれません。 加えて、父親と娘の演技が驚くほど「自然体」なのです。 父親役は、2000年に公開されアカデミー賞の作品賞と主演男優賞を受賞した「グラディエーター」の続編「グラディエーター2」で主役に抜擢されたポール・メスカルです。 そして、この何気ない自然な演技が評価されて、第95回アカデミー賞で「主演男優賞」にノミネートされたのです! 個人的には、娘役の新人フランキー・コリオも負けていないかと。 「ジュリア・ロバーツの子役時代」と言われたら信じてしまうほど女優然としていて、良い役者になりそうです。 さらに本作で鮮烈なデビューを飾ったシャーロット・ウェルズ監督。 この3つの才能が詰まった作品として見ると、より味わい深い作品になるかと思います。 いずれにしてもアカデミー賞に絡んだ作品は、何だかんだと出来の良い作品が多く、見る作品を選ぶ上での指標にした方が良さそうです。
2度と戻らない父親との時間へ観客諸共誘う
自分が親と過ごした記憶は、その後の人生で繰り返し蘇るもの。あの時、父はなぜそんなことを言ったのか?なぜそんな表情をしていたのか?子供の目には謎でしかなかった親の言動が、大人になって、何となく理解できることがある。でも、過ぎ去った時間は2度と戻らない。 これが長編デビュー作になる監督、シャーロット・ウェルズの自伝的作品と言われる本作は、父親と娘が互いにカメラを向け合い、撮り合った他愛のないトルコでの夏の映像から、謎めいた父親の姿が浮かび上がる。人目には父親というより兄にも見える若い父親は、表面的には屈託がないが、全裸で夜の海に飛び込んだかと思えば、人知れず号泣することがある。 ウェルズの演出は理由を明確にせず、観客に想像を促す。まるで、一緒にあの夏の日へ、父親と過ごした楽しく、ミステリアスな時間へ飛ぼうと言わんばかりに。 これは、近頃多くなった余白を楽しむべき映画の代表作。見終わった後、気になったショットの意味を誰かと語り合うことで、その楽しさが増幅する映画。そして、親との関係を改めて思い出させる映画。 震える肩の演技で父親の苦悩を表現するポール・メスカルが、さりげなく強烈過ぎてしばらく脳裏から離れない。つくづく俳優のクリエイティビティって凄いと思う。
キラキラとした思い出は
言葉にうまくできないが。 トルコに旅行で連れて行ってもらったことはないし、 僕は女の子でもないが、それでも、ソフィーの極個人的な父とのバケーションを観てたら 誰にでもある子供の頃のキラキラした思い出が、僕にもあったキラキラが、 なんか、甦ってきてグッとくるし、それを思い出してる現代のソフィーをみて、人生のかけがえのなさを実感させられて、またまたグッとくる。 エンタメじゃないけど、たまにはこうゆうのもいいよね。 まだいない、いつかいるかもしれない自分の子供のことについてまで、少し考えて、いつか居なくなってしまう親のことも少し考えました。 いつか子供だった全ての人にオススメです!
見る人を選ぶ作品
エンタメ作品でないことを差し引いても個人的には合わない作品でした。 ★5つ、★4つの人たちもたくさんいるので、感性の問題で決して駄作ではないのでしょうが、父と娘のシンプルな夏休みにいろんな要素が見え隠れするものの 何一つ、腑に落ちませんでした。 出会うべき人が出会うべき映画のカテゴリー、人におすすめするのは 難しい映画でした。
思春期の不安、冒険心
垣間見える親の人間としての顔、リゾートの中で見える大人の世界。気づいたら11歳のソフィに13歳の自分を重ねて見ていた。特に、音の使い方が見事だ。いちいち琴線に触れる。思春期当時の心情の音だ。当時の心の音を思い出すのだ。 なんの予備知識も入れずに見てしまったものだから、思わせぶりな演出で、ド派手な転調が来るのかとハラハラとずっと構えすぎつつ見ていた。どれが現実の時間軸で、どれが妄想か分からなかったし、まさかのホラー展開もあるのかと身構えた。結果なんも起こらんかったなぁ、でもそんなわけないよなぁ。からの解説を読んでようやく腑に落ちた。私の感じた音は思春期ならではの音かと思ったが、さらにすごいものです。2回見るか、または見た直後にしっかりと解説を読むべきなんだろうが、映画の中でそこまで補完してれば完璧だった。
全編悲しくなってしまい普通の気持ちでは観られない
11歳の娘が父親と2人きりで過ごした夏休みを描いた映画です。 なぜか普通の気持ちでは観られない映画でした。 楽しいはずの父親が時折見せる悲しい表情。 泣いている父親の背中。 誕生日を祝われても辛い表情の父親。 直接的な描写はないものの死の匂いを漂わせています。 旅行中にビデオを撮っていて娘がその時の父親の年齢になった時に ビデオを見返しているときの娘の表情。 映画のラストで父親が向こうに行ってしまうときものすごく悲しかった。
昇りゆく太陽と、沈んでゆく太陽。 アフターサン。 同じ太陽、同じ星を、僕たちは離れている場所から一緒に仰ぐことが出来るのだろうか。
父親と娘。 別れて暮らす二人が、一夏の旅行を楽しみ、ビデオをたくさん撮る。 そして20年後に、あの時の父親と同じ年になったその娘が、父親との一夏を回顧するストーリーだ。 僕も、 早くに離れて暮らすことになった娘のことを、思い出しながら観た。 「お父さんにもっと可愛がってもらいたかったな・・」と、 面会に行った日に、夜の公園で、ガードレールに腰掛けて告げられた。 娘と遊ぶこと、 娘を叱ること、 娘に護身術を教えること。 すべて娘あってのことなのだ。 エジンバラ訛りの父親と娘が、たくさんのおしゃべりをし、お互いに気を遣い、少し疲れて無口な時間を挟みながらバカンスを過ごす。 誰だってそうだろう。 程度の差は有りこそすれ、一緒にいる時間が足りなかったし、愛し方が足りなかったと、自分に悔いるのだ。 夏の日はあっという間に過ぎ去る。 その痛みを、若き女性監督がみずみずしい感性でカメラに刻んだ。 「生きたい場所で生きろ」 「なりたい自分になれ」 父親は遺言のように娘に語り、自分自身にも言い聞かせる。 父も、そして娘も、 漂泊の人生を生きながら家族を想うのだ。 娘と遊ぶこと、 娘を叱ること、 娘に護身術を教えること。 すべて自分あってのことなのだ。 大人になった自分と、子供時代の自分の、ちょうど中間の世代に立って、監督はこの父親と娘の物語を よくここまで頑張って優しく撮ってくれたと思う。 生きてて欲しいと強く願ったが、 心象風景は冒頭からのヤバい雰囲気。そしてたくさんの伏線のシーンと、「さようなら」のカードが、 「やっぱり駄目だった事」を僕に教えてくれるから、 ものすごく辛い映画だった。 子供だったのだから、どうしようもなかったではないか。 名作だけど、あまりにも悲しい映画だった。 酷だ。 ソフィには見せたくないビデオだった。
深い傷跡を癒すローション
この作品のほとんどがビデオ映像で構成されている。 そこにあるものが、11歳の誕生日の記念に父が娘ソフィと一緒に出掛けたトルコ旅行 タイトルは「日焼け後のローション」という意味で、この作品のテーマと一致する。 このローションは彼らの旅で何度も登場する。 それは単なる日常の光景だが、日焼けという疼くような痛みとそれを癒すローションを、ソフィの心の痛みとそれを癒すビデオ映像に被せている。 単なるビデオではあるが、実はこのビデオを見ているのは成長したソフィだということが最後にわかる。 さて、 ソフィはこの11歳の記念バカンスに父と出かけた際、「パパは11歳の誕生日のこと憶えてる?」と聞く。 父は当然「そんな記憶はない」と答えるが、これがこの作品の大きな伏線となっている。 何故ソフィはそのビデオを見ていたのだろう? 時折挟み込まれる謎の映像がある。 それはクラブの様子やこの旅のものではないと思われる映像だ。 それは父の記憶だと思われる。 最初は何を意味しているのか全く分からないが、おそらくソフィの11歳の誕生日を最後の想い出にして、父は自殺したのではないかと想像する。 彼女がトルコの遺跡で、観光客に依頼しみんなで一斉に父の誕生日を祝う歌を歌ったことが、彼の心の奥に深く突き刺さる。 娘のために最後のプレゼントとして用意した旅で、自分自身が彼女に祝福されることなど夢にも思わなかったことが要因の一つだが、それとは別にすでに自殺を決意していたこと、つまり妻との出会いとソフィの誕生と彼女らがすべてだったことが、もうすでに取り戻せない過去になってしまった父の絶望感がその背後にある。 ソフィに宛てたハガキ 大泣きする父 そこに描いた別れの言葉がそれを示唆している。 成長したソフィは、何故父が自殺したのかを、あの時のビデオの中から見つけ出そうとしているのだろうか? その背後にあるのが、現在の自分自身がこれでいいのかどうかわからなくなっているのではないかと、つい考えてしまう。 しかしこれは日本人的思考だろう。 さて、、 当時彼女は思春期を迎えていたが、周囲にはまだ小さな子供たちや高校生ほどの大人たちしかいなく、ゲームセンターで出会った同年代のマイケルも彼女のタイプではない。 しかし、長期バカンスの間に何度か彼らと交流したことで身の丈を知ったというのか、彼らとの違いを肌で感じたのだ。 それでもマイケルに誘われ秘密のプールに行き、変な告白を受けてキスを体験する。 そんなことも父に話した。 父は「何でも話してくれ」と言った。 二人はカラオケ大会に行く。 すでにソフィーは曲を申し込んでいて、それは父が好きな歌だった。 彼女は父と一緒に歌いたかったのだが、何故か父はステージに上がってこない。 仕方ないので一人で歌うが、その目はチラチラと父を見ている。 中途半端な気分で席に戻ると、父は「歌のレッスンを始めればいい」というが、「お金もないくせに」とダイレクトに言葉にしてしまう。 急に気分が落ち込んだ父はすぐに部屋へと帰ってしまった。 しかし父はトルコの絨毯屋で、850ポンド(17万ほど)もする絨毯を購入している。 これはおそらく有り金全部をこの旅で使い切るつもりだったのだろう。 思わず口に出た「歌のレッスンを始めればいい」という嘘を娘に見透かされ動揺してしまったことが伺える。 同時にこれが父の問題だったのだろう。 好きだった歌とはすでに過去のもので、その歌の中にはきっと妻がいたのだろう。 すでに過去になってしまったその歌を、どうしても父は歌うことなどできなかったと思われる。 どうしても無理だったのだ。 11歳という中途半端な数字 そこに合わせた通常ではない豪華なロングバケーション ソフィが最初から違和感を持つのもよくわかる。 当時彼女はそんな違和感を感じていながらも、それは楽しい旅行としか認識しなかった。 しかし、 楽しさと同時に言葉にできない不安のようなものは、二人の間にある妙な無言の間に感じることができる。 楽しいひと時と平行線上に見え隠れするどんよりとした謎の気分 妻との離婚 それはおそらくソフィが7歳になる前のことだったのだろう。 電話で話していた父と母との会話で聞こえた「エンゲージ」という言葉が、11歳になっても耳に残っていた。 無邪気な11歳はその時の記憶を父に言う。 「パパとママがこれから結婚するんだと思ってた」 しかし実際は、すでに離婚し今後の話をしていたに過ぎなかった。 そんな正直な思いをつい言葉にしてしまう。 父にはすでに帰る場所などないのだろう。 父とチェスをしながら、ソフィは故郷スコットランド・エジンバラには戻らないのかと尋ねるが、父はそこは自分の故郷ではないと答える。 ソフィは父の言葉に乖離を感じ、母とやり直してほしいことは言えない空気を感じる。 この時のソフィの隠された気持ちに加え、父の押し殺している気持ちを彼女は見つけ出したかったのだろうか? これはソフィにしかできない作業だ。 父はソフィに「生きる場所を見つけ、なりたい自分になりなさい」という。 人生や運命やその他多くの普遍的問いかけについて、ソフィは普段から考えているのだろう。 父が残した、おそらく後日送付してくれたビデオを見返しながら、父という人物像について考え続けているのが、この物語の根底にあるものだ。 思春期の最初のころ 大人が遣う言葉の意味を知るころ そしてソフィが持つ哲学的思考 考えても答えが見つからない父の死の真相と心理 現在の彼女は、パートナーである彼女と同棲し、自分または彼女が生んだ子と一緒に暮らしている。 ベッドの下に敷いてあるのは、あの日父が買った絨毯 赤ちゃんの泣き声 「私が見てくる」 そう言ってソフィは立ち上がる。 パートナーが「ハッピーバースデイ、ソフィ」という。 おそらくこの言葉によってソフィは11歳の誕生日を思い出したのだろう。 決して忘れることができなくなったあの誕生日 パートナーが出掛けた後に一人でこのビデオを見始めたと思われる。 そこには彼女の心の傷と父という癒しそのものが映っている。 ソフィはこの時、この「誕生日おめでとう」という言葉を聞く度にあの日の誕生日を思い出しているのかもしれない。 現在の彼女の様態から、当時思い描いた姿とはかけ離れているように思われるが、彼女の心に今も日焼け痕のように疼いている痛みこそ父の自殺だ。 彼女にとって癒しとなるのは生きていたころの父の映像を見ることだけ。 それだけがローションとなって父の存在を感じることができ、癒しになるのだろう。 この作品にはストーリーはない。 しかし、 誰にでもある愛する人の死という心の痛みが描かれている。 現在の自分がどうであれ、その痛みは間違いなくあるのだ。 それを癒すことができるのは、生きていた証 特に当時の映像は、当時そのもので、見るたびに繰り返される痛みに対する赦し、つまりローションがそこにあるのだろう。 かなり深く心がえぐられる作品だった。
苦しい!!ぜひ2回見てほしい
昨年映画館で観賞後、映画コラムやレビューを見てあーそういうことか‥とじわじわとくらった映画。当時も鑑賞前に若干の前情報を得てから見たが、2回見たほうが鑑賞中に段々と答え合わせができて沈む。ビデオを見返しているソフィと同じ立ち位置で映像を見ている感覚になる。 若くして父親になり、何らかの原因で心を病んだ父親と、思春期前だが大人の世界に憧れを持ち背伸びをする娘の最後の思い出。 ビデオの映像が終わったのちに父親がどうなるのかを知っていると、劇中の全てがこういうことだったのかな、と悲しい方向に考えられてしまう。大人になって経験したことを何でも言え、と娘に言う父はその時どんな思いだったのか。苦しい!ある意味覚悟が決まっている人の話に聞こえてしまった。 怪我をした時のことを覚えていなかったり、ふらふらと体の軸がなかったり、不安定な父親の描写がとてもリアル。多分当事者の方が見るとかなり自分と重ねちゃうし気分が沈むのではないかというレベル。父の様子がおかしいことを何となく察しているんだろうなという娘の表情もセットで悲しくなる。子供の存在だけじゃ父親を救えなかったことを考えても悲しい。 途中BlurのTenderが流れて、段々とスローテンポになるところ。歌詞と場面とそのテンポが全部辛い。しばらくTender聴くの辛かった。 察してとか考察してとかそんな話ばかりになってしまったが、くすんだ雰囲気の描写の数々や出演者の演技、エンドロールの音楽まで、いろいろ考えずとも映像一本でも結構辛い。胸の辺りがズーンってなる。映像作品として完璧だと思う。映画ポスターですら完璧。意味がわかると系。 2023年に見た映画の中で一番印象に残っているし、きっと今後も何回か見ると思う。
この監督とは相容れない
私映画について何の予備知識もなく見るのが好きなのです。監督とか俳優の名前もしくはポスターの感じだけで好きそうかなとジャンルも知らずに見始めるのです。まったく思いがけず良作に巡り会えることもあるけど、当然大ハズレでプンプンとなることも。今回は後者でした。まあ途中でお父さん変だぞってのは分かるし、インサートされる関係ない同性カップルがソフィなんだろうなと言うのはわざわざ言われなくても分かる。けどそれ出てくるの半分以上経過してからじゃない?何のジャンルの映画なのかも分からず見てる人の気持ちにも寄り添ってくれよ。というかこの映画、ある程度前提知識入れてもそんなに良いものではなくないか?ポロポロぶつ切り、言いたいことは描けてる?死んだ父と同い年になったソフィの気持ちの描写とか一切なし?お金かけてまで作る映画なのだろうか。
近親相姦の話だと思う。高度な。
一切そんな場面はない。そんな素振りもない。 しかし、そうとしか思えない。 何故なら、これが一夏の父娘の家族愛の話だったら、特別に魅力に感じなかったろう。 父親の苦悩は、娘に対して抱いてはいけない感情を持ってるからではないか?故郷に帰れない理由はそこにあるのではないか? 誕生日にいい人と歌われても硬い表情を見せる父親。男の子とのキスを目撃し扉を閉ざす父親。そもそも娘と二人きりでリゾートで過ごすだけの物語。 ラスト、成長した少女がビデオを見て硬い表情を見せる。もし家族愛を感じたなら微笑むか涙を流すかするのではないか?そうじゃないのは、父のその感情に気づいたからではないか?娘への深い愛のために苦悩し、去っていく父親に気づいたからではないか? エピソード、カメラアングル、キャスティング。すべてそのために計算されている。 かなり高度な映画だと思う。
夏の明るさと、ちょっと曇り
夏の思い出、というものは本当に どんな些細なこともきらめいて、記憶に保存される きらめきすぎて、せつなさまで感じたり。 明るければ明るいほど、さんさんと光り輝いているほど 嬉しいのに、楽しいのに、せつない。 そんな、ふしぎで特別な季節、夏。 そんな夏の要素をぎゅっと含んだ作品だったな。 見る前から、そういう切なさいっぱい含んでるんだろうなとは思ったけど。 でも、予想外に「暗さ」も結構散りばめられていた。 その「暗さ」というのは、ときどき垣間見える父の「曇り」の一面。 何かを抱えてる。突いたら一気に壊れてしまうような。そんなもろさ、危うさを感じた。何かいっぱいいっぱいになってるようだった。 娘の前では見せなかったけど。 死んでしまうんだろうか?と一抹の不安もよぎりながら。 わからない。 そこはこの作品では見せてないけれど、亡くなってしまったのかもしれない。あの夏休みじゃなくても。 ただ、父と娘のトルコの宿泊地での休暇のひととき これを終始、たっぷり時間を使って眺められたことはいい時間だったな。 あんまり会えない娘との夏休みってなると、あれもこれも!ってはりきり詰め込みまくる感じになっちゃいそうだけど、 ほどよくゆるい時間の使い方をしてて(プールサイドでゆっくり音楽聴いて寝てる、とかホテルのテラスのソファーでゆっくり風に当たって寝転んでる、とか)それがなんか良いなあ。と思いながら見てた。 この父と娘の関係も、お互いにプレッシャーがなく、一緒にいる時間をリラックスしてくつろげているところがとても良かった。見てて癒された。 11歳の娘の感じもちょうど良かった。 子どもすぎず、かといって思春期のこじらせもまだなく無邪気さもあり。 あれくらいの年齢の、ちょっと上のお兄さんお姉さんをああいう眼差しで観察する感じ、なんか、ふっと懐かしくなった。ああいうの、自分のときにもあったなあ。やってることが、すべて大人に見えるんだよなあ。でもまだそれをやるには自分が幼いなー子どもだわ、って、自分が彼ら彼女らよりも幼いことが恥ずかしくなるんだよな。一緒の感じで楽しみたいけど無理だなって悟るんだよな。独特のアウェイ感。ああ...そんな気持ち、めっちゃ懐かしいな......あったなあ.... 11歳、確かに11歳って、あんな感じだった。 ほんと、11歳の絶妙な感じを表してたなあ。 父が誕生日だからみんなにバースデーソング歌ってもらうように仕向けたり、娘からの手紙「忘れないでね、いつも愛してるよ」だったり。なんか純粋な行動で、あれもよかったなあ。 感動のおしつけがましさシーンって感じでもなくて。 「ハッピバースディトゥーユ〜」じゃない、全然知らない曲で驚き。笑 父のいろんなところがひっかかるけど、 でも、どの日もどの時間も、とても良かった。 見てて、なんかぎゅ、となるものがあった。 ああいう夏のバカンス宿泊地の夜ごはんの雰囲気好きなんだよなあ。 だから今作の中でも、夜ごはんのシーン結構好きだったな。 ビュッフェ、ダンスの催し、カラオケ、 庭っぽいところでの席のシーンもあるし、テラスっぽい席のシーンもあるし。どっちも好きだったな。 パフェを食べて、父味見して。味見っていったのに半分食べちゃってんじゃんの感じとかも。なんかわかるなあ。それでポラロイド写真撮ってもらって。 あれくらいの年齢の、ちょっと上のお兄さんお姉さんをああいう眼差しで観察する感じ、なんか、ふっと懐かしくなった。ああいうの、自分のときにもあったなあ。やってることが、すべて大人に見えるんだよなあ。でもまだそれをやるには自分が幼いなー子どもだわ、って、自分が彼ら彼女らよりも幼いことが恥ずかしくなるんだよな。一緒の感じで楽しみたいけど無理だなって悟るんだよな。独特のアウェイ感。ああ...そんな気持ち、めっちゃ懐かしいな......あったなあ.... 11歳、確かに11歳って、あんな感じだった。 ほんと、11歳の絶妙な感じを表してたなあ。 父が誕生日だからみんなにバースデーソング歌ってもらうように仕向けたり、娘からの手紙「忘れないでね、いつも愛してるよ」だったり。なんか純粋な行動で、あれもよかったなあ。 感動のおしつけがましさシーンって感じでもなくて。 「ハッピバースディトゥーユ〜」じゃない、全然知らない曲で驚き。笑 父のいろんなところがひっかかるけど、 でも、どの日もどの時間も、とても良かった。 見てて、なんかぎゅ、となるものがあった。 ああいう夏のバカンス宿泊地の夜ごはんの雰囲気好きなんだよなあ。 だから今作の中でも、夜ごはんのシーン結構好きだったな。 ビュッフェ、ダンスの催し、カラオケ、 庭っぽいところでの席のシーンもあるし、テラスっぽい席のシーンもあるし。どっちも好きだったな。 パフェを食べて、父味見して。味見っていったのに半分食べちゃってんじゃんの感じとかも。なんかわかるなあ。それでポラロイド写真撮ってもらって。 自分はああいうふうに父と二人きりでずっと過ごす、みたいな思い出はないけれどなんか、ああ、父親とこういうふうに過ごせるってとてもいい時間、かけがえのない時間だろうなって、癒されながら見てた。 このお父さんが、悲しいあれではなくて、救われてほしいなと。 フィクションの中の相手なのに、なんかそんなふうに思わず願っちゃったな。
振り返れば振り返るほど味わい深い作品
再生してしばらくの間の印象としては、 ほとんどが久し振りに会う親子のバカンスと他愛もないやり取りを映しているだけなので、結構退屈だった。 どう展開していくのか?と気を張り詰めて真剣に鑑賞するよりも、 寝る前のフワーっとしたテンションで、のんびり眺めるくらいの見方が良いと思う。 観ている映画が面白くないと思ったら途中で観るのをやめてしまうタイプの人には、つまらないままで終わってしまう作品かもしれない。 映像はとてもキレイ。(画質がではなく、演出が) 後半に差し掛かってくると、親子の間に不穏な空気が流れ始める。 四六時中一緒に居続けることによるストレスか、 二人の間の深い領域での心の溝か(普段は別居している、色々事情のある家庭みたいだし)、 何か通じ合いないものが漂ってきて、緊張感が増していきます。 ただ楽しいだけのバカンスはもうそこには無く、 ぎこちなさや気まずさ、 悲しい表情をする娘や、一人号泣する父の姿があり、 なんとも切なくて居た堪れない気持ちになってきます。 退屈で淡々とした前半とはうって変わって、 気がついたら画面に見入っていて、親子の行く末を固唾をのんで見守っている自分がいた。 この作品はストーリーにも映像にも謎が多くて、 観る側の想像で補わせる部分が大きいから、 何だったんだ?とずっと心に引っ掛かる余韻がある。 その余韻がとてつもなく意味ありげで、何かを訴えていて、エモーショナルな気持ちよさまで感じる。 見終わってから心の中で振り返ったり、 他の人のレビューを読むことでどんどん深みが増していく作品。 観賞直後は正直☆3くらいにしようと思っていたのだけれど、今では観て良かったと思える作品。
思い出に日焼け後のローションを塗るような
臆さずに言おう、正直つまらなかったと。 エモい雰囲気と綺麗な映像と音、そしてお洒落な映画のポスターは好き。 ソフィも可愛いし。 高評価だっただけに期待値が上がり過ぎてたのかも。 もう少し大人になってから観たら、また違った感想になるのかな。 子どもの時に見ていた父親の姿と大人になってから思い出す父親の姿。 すごく大きく感じていた父親も、時には悩んだり、時には泣いたりして、当たり前だけどひとりの人間だったんだよね。 31歳になったソフィもきっと同じことを感じてたんだと思う。 ただ、如何せんわかりにくい! ストロボのシーンが何回か出てきて、ソフィやカラムがチカチカしてるんだけど、何が映ってるのかよくわかんない。 刺さる人には刺さりそうだけど、ほとんどの人はストーリーがよくわからんってなると思う。
余韻とタイトル
美しいんだけど悲しい記憶、を描いた傑作。 まるで肌に突き刺さるような日差しの下、時間を忘れて遊んで 家に帰ったらスイッチが切れたように眠って、 それでしばらくして起きたら、腕も首もヒリヒリしてるっていう 本当に秀逸なタイトルだと思う。
なんという深さ…
なんの予備知識もないまま、夏のリゾート感に惹かれて鑑賞。 途中までは、子供が小さかった頃は楽しかったなぁ…なんてなんとなく自身の思い出とリンクさせながら呑気に観ていられたが、後半に入りバカンスも終わりに差し掛かった頃、急に胸が締め付けられるほどの切なさが迫りくる。 そういうことだったのか。ちょっと違和感を感じながらもなんとなく観過ごしてきたシーンが、朧気ながらも一本の線になっていく。そして名画と肩を並べるほどの余韻を残すラストシーンへ。 なんて奥深くなんて悲しい作品なのだろうか。立て続けにもう一度観返したくなるものの、予想されるあまりに衝撃的ともいえる切なさを今すぐ受け止める自信が湧かず、いったんは一度の鑑賞で終えさせていただこう。
悲しいけど悪い記憶でもない
アフターサン 子供は目に入れても痛くない。 自分に子供ができたら例え離婚しても、自殺をしてもその子にとっていい思い出になることをさせてあげたい。 無償の愛を注ぐことで無償の愛が返ってくるような奇跡があり、 未来のソフィのパートナーは女性?けど子供はいる? 11歳のとき31歳になったら何してると思ってたか、私は思い出せなかった。幼い頃の理想との乖離に苦しむことはないので、まずまずいい人生なのかもしれないなと思った。
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