「罪悪感という恐怖」インフィニティ・プール SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
罪悪感という恐怖
まさに後味の悪い悪夢みたいな話。
真の恐怖というのは、それまで無自覚だった自分の量りしれない「罪」を自覚することではないか。夏目漱石の「夢十夜」では、自分の息子がかつて自分が殺した男の生まれ変わりだと悟る話がある。
発展途上国や物価の安いリゾート地に遊びに行くときに頭の片隅によぎる罪悪感。ホテルの中は観光客のために贅を凝らしている一方で、一歩外に出れば不衛生な街並みや物乞いがいる。
リゾート地に行かなくても、現在の先進国の富というのは、間接的に遠く離れた途上国の犠牲の上に成り立っている。
この映画は世界の富の残酷なまでの不公平さを極端につきつけたものではないか、という気がする。
主人公はズルズルと堕落の道にひきずられていく。はじめは過失での殺人、次は強制されての犯罪、そして最後は故意での暴力。
「人間らしさ」は、「他者に対する共感性」と言い換えられると思う。
誰でも、家族や友人に対しては強い共感性をもつ。その範囲を全人類にまで広げましょう、というのが現代的な人権の考え方だ。
しかしリゾート地においては、そんなことを考えては楽しめないので、あえて心にフタをする。無意識に「彼らと我々は同じ人間ではない」と考えている。
自分自身のクローンが殺される現場を見て主人公は、かすかに笑みを浮かべる。たぶん、それは彼が心の底で望んでいたことだったからだ。
「完全に共感性を持たない人間」とは、自分自身にすら共感を持たない人間のことだ。そのような人間はあらゆる罪に対して罪悪感を全く持たない、怪物になる。
主人公は結局、怪物になりきることはできなかった。
ラストの解釈はいろいろありうるのだと思うが、薄暗がりの無人の部屋で土砂降りの中うなだれる主人公の姿は、精神崩壊した廃人のようにも見えるが、どこか心安らぐものでもあるように思う。
この映画全体が主人公の悪夢なのだとしたら、次の再生も予感される。